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45話 異変


 異変は、霧と共にゆっくりと現れた。


 先ほどまで陽光に照らされていた森が、

 まるで別の場所のように白く霞んでいく。


 川面を覆う靄。

 湿った空気。

 視界の奥で歪む木々の輪郭。


 幻想的だった景色は一転して、

 ここが“魔物の支配域”であることを思い起こさせた。


 魔海特有の、

 魔力を含んだ濃密な霧。


 そして――


 霧が深くなるほど、

 周囲の音は消えていった。


 仮拠点である要塞跡地から少し離れた森の中、

 課外授業中の魔法学院生パーティーが魔物を探して探索していた。

 

 気付けば、木々の隙間に白い靄が漂っていた。


 最初は薄かった。


 だが歩くほどに、

 霧はゆっくりと濃くなっていく。


「……急に雰囲気かわりすぎじゃねーか?」

 不安を押し殺すようにラグナが軽口を叩く。


「ちょっと、怖いかも」

 アイリスが辺りを伺いながら身を小さくしている。


 つい先ほどまで見えていた仮拠点の狼煙が、

 いつの間にか霧の奥へ消えていた。


 誰からとも無く立ち止まる一行。


「……引き返そう」


 その時だった。


 カサッ


 要塞跡地があるはずの方向から黒い影が飛び出した。


「バカな!」

「通ってきた方向だろ」


 慌てて降霊術を行使する。


 詠唱。

 魔法陣を描き、

 アバターを顕現させる。


 そのうちの一体。

 アイリスのガーディアン・フレームが、接近する魔物の目の前に突如として出現する。

 

 予期せぬ物の出現に、速度をそのままにぶつかる魔物。


 激突の衝撃で、魔物の体が水飛沫となって飛び散る。


「これは厄介ですね」

 引率の教師、ローディスが呟く。


「今のはおそらくゲンマ。記録によれば――」

 

 飛び散った水が地を這うように動き出す。


「自身を水に変えることができる、と」


 やがて、水は一箇所に集まる。

 

 湧水のように盛り上がると、体を再構成させた。


 ローディスは一瞬思案し――

 降霊術によりアバターを展開する。


 光の中から現れたのは、アサルト・アーマー。

 兵装は剣と盾。

 オーソドックスな王国の規格アバターだ。


「私がやる」

「課外授業は一旦中止だ。各自守備に徹しろ」


 次の瞬間。


 ローディスのアサルト・アーマーが消えた。


 遅れて爆音。


 一瞬で距離を詰める。


 ゲンマが(いなな)くその瞬間。


 鋭い突き。

 喉から脳天にかけて、長剣が貫く。


 ゲンマは一声も発する暇なく霧散した。


「速っ……!」「見えなかったぞ今の……!」


 魔石が落ちる。


「文献通りだな、攻撃の瞬間と再生直後が弱点か」

 ローディスは独りごちる。


「撤退だ!」

 有無を言わさぬ迫力。


 その声に、

 ラグナ達は反射的に走り出した。


 霧の奥、

 断続的に“戦闘音”が鳴り響いていた。


 ◇

 要塞跡地。

 仮拠点となったその一角。


 虫の羽音も、鳥の鳴き声も無い。

 聞こえるのは、霧の奥で揺れる木々の音だけだった。


 先ほどまで明るく輝いていた太陽は、濃い霧に阻まれ認識することさえ難しい。


 白虎中隊第五小隊は、それぞれ武装の点検をしながら静かに待機していた。


「いよいよマズイな」


 誰かが呟く。


「ああ」


「そろそろか」


 空気が、重い。


 理由は説明できない。


 だが長く前線にいた者ほど、こういう感覚を知っている。


 嫌な静けさ。


 嵐の前触れのような、肌にまとわりつく違和感。


「アンヘル」


「はいっ!」


 一際若い青年が、反射的に背筋を伸ばした。


「わかるか? 新入り」


 古参の騎士が、鼻を鳴らす。


「修羅場の匂いだ」


 アンヘルは息を呑む。


 握った槍の柄が、わずかに汗ばむ。


 だが次の瞬間。


「無駄口を叩くな」


 低い声。


 小隊長――イグナシオが立ち上がる。


 腰の長剣を鳴らしながら、霧の奥へ視線を向けた。


「わかっているなら話は早い、我々も動くぞ」


 その声だけで、空気が引き締まる。


「嫌な予感ってのはな」

 イグナシオが剣帯を締め直す。

「当たる時は、大体もう遅い」


 冗談めかした口調ではない。


 実感のこもった声だった。


「アレックス、分隊を指揮して外の様子を探って来い」


「はっ!」


 即座に一人の騎士が前へ出る。


「隊を五人に分ける」

「マティ、カルロス、テオ、セビはアレックスに続け」


「了解!」


 呼ばれた騎士達が立ち上がる。


 剣。

 盾。

 槍。

 

 それぞれ素早く装備を確認していく。


「少しでも異常があれば即座に戻れ」

「深入りはするな」


「了解しました」


「残りは俺と留守番だ」


 イグナシオは崩れた石壁へ目を向けた。


 その先には、

 散開した学院生達がいる。


「……ガキ共を死なせるなよ」


「当然です」


 短いやり取り。


 だが、

 そこに軽さは無かった。


「では、行ってまいります!」


 アレックス隊が霧の中へ踏み込んでいく。


 白い靄が、

 騎士達の背中をゆっくりと飲み込んだ。


「健闘を祈る」


 イグナシオが低く呟く。


「アンセム、五分おきに信号弾を放て」


「了解!」


 直後。


 ヒュゥゥゥ――ンッ!


 赤い信号弾が空へ打ち上がる。


 だが。


 光は高く昇ることなく、

 白い霧の中へ吸い込まれるように消えていった。


 ◇


「五体目撃破だ!」


 ガルドの声が森に響く。


 砕け散った魔影が、黒い霧となって消えていった。


「突っ込みすぎだガルド」

 レオナルドがたしなめる。


「負け惜しみか?」

「今日はアバターも安定してるし調子がいいぜ」


 ガルドは上機嫌のまま、肩を回す。


「あの、もしかして……ピクルさんの能力ですか?」


 マリーがおずおずと口を開いた。


「私も、いつもより魔力消費が少ない気がしてて……」


「ピィ〜」


 ピクルが誇らしげに胸を張る。


「そうみたいだな」


 ユウリは肩の上の小さな相棒を軽く撫でた。


 実際、

 全員の消耗が明らかに軽い。


 アバターの維持。

 魔力循環。

 反応速度。


 細かい部分が、

 僅かずつ底上げされている感覚があった。


「便利すぎるだろ、そのチビ」

 ガルドが感心したように言う。


「規格外だな」

 レオナルドも珍しく否定しなかった。


 その時だった。


 ――ザァァァ……。


 風が吹く。


 木々が揺れ、

 川の上流から白い靄が広がってくる。


 ユウリは眉をひそめた。


「……霧?」


 気付けば、

 森の奥が白く霞み始めていた。


 つい先ほどまで見えていた景色が、

 ゆっくりと曖昧になっていく。


「なんか急に冷えてきたな」

 ガルドが腕を擦る。


 レオナルドも周囲を見渡した。


「……嫌な霧だな」


 音が、減っている。


 川のせせらぎすら、

 どこか遠い。


 静かすぎる。


 その異様さに、

 ユウリは自然と視線を巡らせた。


 リナやラグナと参加した大規模依頼を思い出す。

 右腕が疼く。


 ピクルも耳を伏せ、

 落ち着かない様子で周囲を警戒している。


「それよりも、そろそろ引き返そう」


 ユウリが低く言った。


「一刻は経ってないだろ?」

 ガルドが首を傾げる。


「……でも、なんか変です」


 マリーが不安げにローブを握る。


「私もそう思う」

 レオナルドが珍しく即答した。


 そこで。


「お、やっと危機感出てきたか?」


 後方から、

 アルマリアが気だるげに歩いてくる。


 だが。


 その紫の瞳だけは、

 霧の奥を鋭く見据えていた。


「先生、これは――」


「さぁな」


 アルマリアは短く答える。


 そして。


「帰るんだろ、その判断は加点しよう」


 その瞬間。


 ――ヒュゥゥゥゥン!!


 遠く。

 空の向こうで、

 赤い光が霧の中へ打ち上がった。


「……信号弾?」


 レオナルドが呟く。


 直後。


 霧の奥から、

 低く重い咆哮が響いた。


「急ぐぞ」


 アルマリアの声から、

 気怠さが消えていた。


「視界が悪い、川辺を戻る」


 全員が即座に動き出す。


 その時だった。


 ――ザザッ。


 霧の奥。

 木々の隙間で、

 何かが動いた。


 ユウリの目が細まる。


「止まるな」

 アルマリアが低く言う。

「抜けるぞ」


 少し戻った場所。


 来た時には感じなかった気配。


 複数。


 しかも一つや二つではない。


 霧の向こう側で、

 無数の視線が揺れている。


「数が多い」


 レオナルドが舌打ちする。


「離れるなよ! 囲まれたら終わりだ!」


 ガルドが前へ出る。


 その直後。


 左右の茂みから、

 狼型の魔影が飛び出した。


「チッ!」


 ガルドのアサルト・アーマーが正面から激突する。


 鈍い衝撃。


 魔影が吹き飛ぶ。


 だが。


 終わらない。


 霧の奥から、

 次々と黒い影が現れる。


「こんな数、浅層じゃあり得ねえぞ!」


 レオナルドのアサルト・アーマーも槍を振るって戦う。

 一体の喉を貫く。


 アーク・キャスターの砲撃が、

 木々ごと魔影を吹き飛ばした。


 轟音。


 だが、

 視界は晴れない。


 むしろ霧は、

 さらに濃くなっているようだった。


「ピクル!」


「ピィッ!」


 ピクルの障壁が展開され、

 横合いから飛びかかった魔影を弾き飛ばす。


 ユウリは短剣を振るいながら、

 違和感に眉をひそめた。


(……近い)


 気配が。


 もっと奥。


 この群れとは別に、

 何か“大きいもの”がいる。


 ――見られている。


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