44話 魔海の洗礼
王国騎士団。
王国軍の中でもトップクラスの実力を有する精鋭部隊。
その中の白虎中隊。
対魔戦闘を専門とする第二大隊の実戦部隊の一つ。
その第五小隊は、精鋭十名で構成されている。
この日、イグナシオ率いる第五小隊は護衛任務で魔海を訪れていた。護衛対象は、魔法学院の学生達。
かつては要所であったこの要塞跡地には、実務や訓練で幾度となく来たことがあり、簡単な部類の任務――のはずだった。
「隊長、指示を」
部下の声に、イグナシオは崩れた城壁へ視線を向けた。
学生たちが、教師に連れられて各方面へ散っていく。
「待機だ」
短く答える。
「子守じゃねえんだ。俺たちまで出張ったら授業にならんだろ」
軽く肩を鳴らす。
「――ま、お前の言いたい事も分かるがな」
「はい。少し妙です」
若い騎士が周囲へ目を向ける。
「静かすぎる」
「この辺は人の手が入ってる場所とはいえ、魔物達が大人しすぎます」
「事前の間引きを張り切りすぎたとしても、こうはなりません」
「……かもな」
イグナシオは鼻を鳴らした。
だが、否定はしない。
第二大隊。
対魔物戦を専門とする彼らにとって、“違和感”は軽視すべきものではない。
「まあ、Bランクハンターの調査も入ってますしね」
「学院側も、そこまで危険は想定してないでしょう」
「……だから嫌なんだよ」
イグナシオが、小さく吐き捨てた。
「“安全なはず”って空気は、人を鈍らせる」
「が、深く考えるのは俺たちの仕事じゃない」
腰の剣に手を置く。
「あいつらを安全に王都まで帰す」
「そのために最善を尽くす」
「それが俺たちの仕事だ」
そこで一度、視線を細めた。
「ただ――」
空気が変わる。
「“何かある”と思って待ってるのと、ただボーっと突っ立ってるのじゃ、初動が違う」
「頭の片隅に入れとけ」
「――はい!」
◇
川面が反射する光が木々の隙間から時折り見える。
ユウリ達は川の流れに沿って移動を続けていた。
「……それにしても静かだな」
「このまま何も無い場合どうなるんですか?」
「追試なんてめんどくさいから、A評価をくれてやる」
ため息を一つ。
「魔物達は、お前らの姿を見るなり一目散に逃げていきましたってな」
「適当かよ」
「まぁ、そうはならないから安心しな」
アルマリアが肩を竦めた、その時だった。
――ざわり。
風も無いのに、川辺の茂みが小さく揺れる。
ユウリの足が止まった。
「……ユウリくん?」
マリーが不思議そうに振り返る。
だが、ユウリは答えない。
川向こうの木立を静かに見据えていた。
耳に届くのは、川のせせらぎだけ。
それでも、何かがいる。
木々の奥。
視線。
殺気。
獣とも違う、湿ったような気配。
ユウリは僅かに目を細めた。
「止まれ」
低い声。
その一言で、場の空気が変わる。
ガルドが即座に構え、レオナルドも霊触媒を取り出した。
アルマリアだけは口元を歪める。
「……へぇ。気付いたか」
「何かいます」
「数は?」
「……まだ分からない。でも近い」
直後。
――パキッ。
枝を踏み折る音。
全員の視線が森の奥へ向く。
重い沈黙。
ユウリはゆっくりと右手を前へ出した。
「来い――ピクル」
右手に握られた多面体結晶を中心に魔法陣を描く。
立体的な三重構造。
しかし一瞬で光と共に掻き消える。
光が弾け、小さな影が前へ躍り出る。
「ピピっ!」
ピクルが着地した。
カサっと落ち葉を踏み締める音が響く。
凛々しい声は、敵に向けられているかのようだ。
「ほう」
アルマリアが観察するような目でピクルを見る。
その後、ガルドとレオナルドも急いでアバターを展開する。
「マリー!慌てなくて良い、深呼吸してからお前もアバターを展開しろ」
次の瞬間。
茂みの奥から、二つの影が浮かび上がった。
「馬?!」
「ゲンマ、中層クラスの魔影だ」
誰かが叫ぶ。
馬の骨格を思わせる細長い体躯。
鬣は無く、四肢と首から背中にかけて魚類めいたヒレが張り付いていた。
黒に近い灰色の体躯が、木々の隙間を軽快に跳び周りながら近づいてくる。
「前衛!一体ずつ抑えろ」
「指図するな!「任せろ!」」
レオナルドとガルド、それぞれのアサルト・アーマーがゲンマの前に立ちはだかる。
「ピクル、みんなをサポートしながら様子を見る」
「マリーの側にいろ!」
ピクルの体が淡い光を放つ。
前を走る一体がガルドのアサルト・アーマーに襲いかかる。
轟音。
見た目に反して重い一撃をしっかりと受け止める。
「絶好調だぜ!」
「油断するなよ」
その時。
後ろの一体が嘶くと同時、空中に浮かぶ球体が高速で放たれる。
拳大の塊が4つ。
「っ!」
ユウリは咄嗟に左手に握る短剣で払いのける。
(水魔法か?)
身を交わしながら弾ける水飛沫を見た。
その向こう。
マリーはアバターを展開することに集中しており、水弾に気付いていない。
「ピィー」
ピクルが射線に入り、自身の物理障壁で弾く。
ガルドとレオナルドはアバターの制御で精一杯のようだ。
反応が遅れる。
(まずい)
二人を捉える寸前。
水弾が弾けて消えた。
魔法行使の残渣がわずかにきらめく。
「減点ニだな」
後方からアルマリアの声。
振り返る。
「一匹間引いてやろうか?」
「くそっ」
レオナルドが唇を噛む。
(ここで教師に頼るのは――)
「いや、やらせてください!」
(まだ、やれる)
その直後。
マリーの足元に展開されていた魔法陣が強く輝く。
光が収束し、
アーク・キャスターがようやく顕現した。
「ご、ごめんなさい。遅くなりました」
「いけるな、みんな!」
「「おう!」」
「は、はい!」
レオナルドのアサルト・アーマーが地を蹴る。
「ちっ、めんどくせえ」
落ち葉を巻き上げながら一直線に加速。
迎え撃つように、
ゲンマが再び水弾を放った。
一発。
二発。
三発。
肩を掠め、
脇腹を叩き、
最後の一撃が胸部装甲へ直撃する。
だが、止まらない。
鈍い衝撃を受けながらも、アサルト・アーマーは勢いを殺さず突き進む。
レオナルドの操るアバターは、槍型の兵装を構えたままゲンマへ突撃した。
「もらったァ!」
鋭い穂先が、
ゲンマの胴体を深々と貫く。
――だが。
「……っ?」
手応えが、無い。
次の瞬間。
ゲンマの体が水のように崩れ落ちた。
霧散したわけではない。
地面へ落ちた大量の水が、
意思を持つように這い回る。
「な――」
水塊が一気に加速。
レオナルドの懐へ潜り込む。
そして。
無防備な眼前で、
再びゲンマの姿を形作った。
「なにっ!?」
大きく裂けた口。
馬とは思えぬ鋭い牙が剥き出しになる。
そのまま、
レオナルドの喉笛へ喰らいつこうとした。
――ガキンッ!!
硬質な衝突音。
寸前で、
ユウリが割り込んでいた。
左手の短剣――ミツルギを、
ゲンマの口内へ突き立てる。
短剣が支えとなり、
牙が届かない。
さらに。
ユウリは右手で短刀カミナギを引き抜くと、
一閃。
銀の軌跡が走り、
ゲンマの片目を切り裂いた。
甲高い悲鳴。
ゲンマが大きく怯む。
その瞬間だった。
高密度のエネルギー波が、
横合いからゲンマを飲み込む。
「やりました!」
マリーの歓声。
アーク・キャスターから放たれた一撃が、
背後の樹木ごとゲンマを吹き飛ばしていた。
断末魔。
そして、
魔影は砕けるように崩壊し、
一つの魔石へと変わった。
「ガルド! 残り一体だ!」
「ああ!」
ガルドのアサルト・アーマーが、
残るゲンマと正面から相対する。
最初の突進こそ受け止めたものの、
反撃はことごとく躱されていた。
黒灰色の体躯が木々の間を跳び回る。
速い。
だが――。
「俺が抑えてるうちに頼む!」
ガルドが顕現させたアサルト・アーマーは深く踏み込み、
ゲンマとの距離を詰め続ける。
直剣を振るうたびに、
ゲンマは飛び退く。
攻撃は届かない。
それでも意味はあった。
圧力を掛け続けることで、
魔法を使う隙を与えない。
そこへ。
上空から、
弧を描く魔力砲撃が降り注いだ。
マリーの援護。
ゲンマは咄嗟に跳躍する。
だが、
砲撃はその足下へ着弾した。
轟音。
爆ぜた衝撃が地面を揺らし、
ゲンマの体勢を大きく崩す。
「もらった!」
その隙を逃さず、
アサルト・アーマーの直剣がゲンマを捉えた。
――否。
「またか!」
斬撃が届く直前、
ゲンマの体が水へと崩れ落ちる。
大量の水塊となって地面を滑走。
一瞬でアサルト・アーマーの脇を抜け、
今度はマリーの背後へ回り込んだ。
「ピクルっ――」
水が盛り上がる。
馬の輪郭が再構築されていく。
鋭い牙。
濡れた体躯。
今まさに、
ゲンマが姿を取り戻そうとした瞬間。
「同じ手を喰らうかよ!」
レオナルドが叫ぶ。
直後。
一直線に放たれた槍が、
再形成されたゲンマの胴体を貫いた。
悲鳴。
魔影の体が大きく歪み、
そのまま霧散するように崩壊した。
静寂が戻る。
先ほどまで響いていた衝突音が嘘のように、
耳に届くのは川のせせらぎだけだった。
木々の間を風が抜ける。
地面には砕けた枝葉と、
戦闘の跡だけが残されていた。
「……終わった、か」
ガルドが大きく息を吐く。
直剣を下ろしたアサルト・アーマーの肩部装甲には、ゲンマの爪痕が深く刻まれていた。
「はぁー……めんどくせえ敵だった」
皆一様に、顕現を解除する。
レオナルドも肩で息をしながら顔をしかめる。
「刺したと思ったら水になるとか反則だろ」
「初見ならあんなもんだ」
アルマリアが肩を竦めた。
「むしろ対応は悪くなかったぞ」
「減点したくせに」
「二点で済んで良かったと思え」
アルマリアは鼻で笑う。
その間にも、
マリーはまだ緊張が抜けきっていない様子だった。
「わ、私……ちゃんと役に立てましたか?」
「最後の砲撃、良かったぞ」
ガルドが振り返る。
「体勢崩してくれなきゃ、当てられなかった」
「うん。すごかった」
ユウリも静かに頷いた。
「っ……!」
マリーの顔がぱっと明るくなる。
その横で、
ピクルが小さく胸を張った。
「ピピッ」
「お前もよく守ってくれたな」
ユウリが頭を軽く撫でると、
ピクルは満足そうに目を細める。
その頃には、
ガルドとレオナルドのアバターは既に解除されていた。
人型装甲が淡い光の粒子となって崩れ、
空気へ溶けるように消えていく。
「毎回思うけど、解除すると一気に疲れ来るな……」
肩を回しながら、
レオナルドがぼやく。
「降霊術は顕現を維持するだけで魔力を使ってるからな」
アルマリアが答える。
「特に無駄な動きが多い奴ほど消耗する」
「誰のことだよ」
「さぁな」
マリーも小さく息を整える。
「ふぅ……」
緊張が解けたのか、
その場で肩を落とした。
一方で、
ユウリだけはアバターを解除しない。
ピクルは川辺へ視線を向け、
警戒するように耳を動かしている。
「解除しないのか?」
ガルドが尋ねる。
「ああ、大丈夫。燃費がいいんだ、コイツ」
肩に乗るピクルを優しく撫でる。
その言葉に、
アルマリアがわずかに口元を歪めた。
「……規格外か」
「それに、まだ何かいる気がする」
ユウリが視線を森へ向ける。
その返答に、
場の空気が再び少しだけ張り詰めた。
だが。
「よっしゃ! せっかく魔海まで来たんだ! この調子で狩りまくるぞ!」
ガルドが空気を吹き飛ばすように叫ぶ。
「単純だなお前は」
「うるせえ」
その横で。
レオナルドが、
ゆっくりユウリへ歩み寄った。
「先程は、助けられた」
「……」
「悪かったな。戦えない、なんて言って」
少しだけ言いづらそうに、
レオナルドが目を逸らす。
ユウリは短く首を振った。
「気にしてない」
「……そうか」
短い沈黙。
「では、ありがとう。……とだけ言っておく」
「ああ」
「トドメの一撃、悪くなかった」
レオナルドが離れていく。
その背中を見送りながら、
ユウリはふと空を見上げた。
陽はまだ高い。
(前は、みんなの火力が羨ましかったんだけどな)
肩の上で、
ピクルが小さく鳴く。
「ピィ」
ユウリはわずかに笑った。
◇




