43話 前兆
魔海の幻想的な風景を左手に、魔導列車が朝霧の中を進む。
ユウリ達、降霊術学科の一年生は課外授業のため北東方面に列車で移動していた。
王都北側に広がる魔海を掠めるように走る線路。
その沿線に点在する集落は、魔石猟師達の拠点として発展している。
粗削りな石造りの建物。
剥き出しの資材。
行き交う者たちの装備も実戦的で、王都の洗練された街並みとは明らかに異なる空気を纏っていた。
――“敵”に近い場所だ。
班ごとに固まって座る車内。
だが、会話は弾まない。
入学から半年。
顔見知りではあるが、まだ“仲間”と呼ぶには遠い距離感。
誰もが、それぞれの思考に沈んでいた。
特に、ユウリの班は――
魔導列車で堂々と眠りこけるアルマリアを筆頭に、
プライドの高いレオナルド、
人見知りのマリー、
問題児のガルド。
――チームワークとは程遠い顔ぶれだ。
「なあユウリ、ラグナに聞いたんだけどよ」
「なんだ?」
「魔海で何度も危険な目に遭ってるって本当なのか?」
「あー……」
(大体ラグナが持ってくる依頼がおかしいんだよな)
「何を聞いたかは知らないけど、何度か危ない目には遭ってる」
「やっぱすげえな」
ガルドは素直に感心したように笑う。
「じゃあ、ユウリがいれば安心だなっ」
「……どうだろうな」
ユウリは肩をすくめる。
「でも――あんな事、そう何度も起きてたまるかよ」
軽く流した言葉。
だが――
どこかで、引っかかる。
列車が、ゆっくりと減速を始めた。
車輪が軋む音。
窓の外の景色が、次第に流れを失っていく。
目的地が、近い
「先生、起きてください」
「着きましたよ、アルマリア先生」
ガルドが声をかける。
「……うるせえな」
即答だった。
舌打ちと共に、気だるげに顔を上げる。
「怖っ」
思わずガルドが引く。
◇
列車が停車し、扉が開く。
流れ込んでくる空気は、ひんやりとしていた。
だが――
その奥に、わずかに混じる違和感。
重い。
湿っている。
肌にまとわりつくような、魔力の気配。
(……濃いな)
ユウリは小さく息を吐く。
ホームは簡素な造りだった。
最低限の設備だけが整えられた、小さな駅。
その外側にはすぐ、深い森が広がっている。
人の領域と、魔海の境界線。
その曖昧な境目に、今自分たちは立っていた。
駅前の広場で、一行は整列する。
朝靄の残る石畳の広場。
魔導列車の蒸気が白く漂い、人々の喧騒が遠巻きに流れていく。
その一角だけ、空気が違った。
すでに待機していた一団がある。
揃いの装備。
統一された動き。
無駄のない立ち姿。
――王国騎士団。
黒を基調とした制式軍装。
厚手の外套の縁には白いラインが走り、胸元には白銀の紋章が刻まれている。
鋭い爪痕を思わせる意匠。
白虎中隊の部隊章だ。
胸元には階級章。
腰には制式長剣。
動きやすさを重視した軽装鎧は、実戦部隊らしい機能美を感じさせる。
十人。
まるで鏡写しのように整った隊列。
呼吸すら揃って見える。
「……騎士団だ」
誰かが、小さく呟く。
学院の学生達の空気が、わずかに張る。
その中から、一人の騎士が前へ出た。
黒い外套が翻る。
肩に刻まれた白虎の紋章が朝日に白く浮かび上がった。
「王国騎士団、白虎中隊第五小隊。小隊長イグナシオ・ロペスです。今回の護衛任務を拝命しました」
張りのある声。
背筋の伸びた敬礼。
統制の取れた、隙のない所作。
「――ご安心ください」
ただ立っているだけで分かる。
――全員が、実戦経験者だ。
「王国騎士団……軍の中でもエリートだな」
ガルドが小さく呟く。
「ああ。対魔任務も多い部隊だ」
レオナルドが短く補足する。
その言葉通り――
騎士たちの装備は対魔戦闘を想定したものだった。
剣、盾、そして魔力加工が施された防具。
明らかに、学生とは格が違う。
(……これだけいれば)
ユウリは、周囲を見渡す。
教師。
騎士団。
整った隊列。
――危険は、ないはずだ。
そう、思う。
思うのだが――
胸の奥に、わずかな引っかかりが残った。
(……何だ?)
理由は、分からない。
だが。
どこか、静かすぎる気がした。
◇
程なくして紺色のローブの集団を引き連れた一行は、魔海外縁に差し掛かる。
「ここからは魔影も出る。警戒は怠るな」
セオドールが注意を促す。
とはいえ、引率の教師に加え武装した王国騎士団員が十人。
――浅層の魔影が集団で現れたとしても問題にならないほどの戦力だ。騎士を含めて全員が余裕の表情を浮かべている。
「なあ、みんなは魔物と戦った事あるか?」
ガルドがいつもの調子で話し出す。
「当然あるさ」
レオナルドが答える。
俯いて首を振るマリー。
「俺もある」
ユウリはローブの中の武器に触れながら会話に加わる。
「じゃあ問題ねえな!」
ガルドが笑う。
「軽く肩慣らしってとこだろ」
「油断するな」
レオナルドが即座に切り捨てる。
「相手は魔影だ。数が揃えば脅威になる」
「分かってるって」
ガルドは軽く手を振った。
そのやり取りを聞きながら、
ユウリはふと周囲に視線を巡らせる。
朝霧に包まれた魔海。
揺らぐような景色。
輪郭の曖昧な木々の葉は紅葉している。
幻想的で――
(……静かすぎるな)
違和感。
風の音はある。
足音もある。
だが――
(“気配”が、薄い……?)
「……カミナギくん?」
マリーの声に、思考が途切れる。
「いや、なんでもない」
小さく首を振る。
(考えすぎか)
そう結論づける。
その時だった。
「――来るぞ」
前方を歩いていた騎士の一人が、低く告げた。
空気が、一瞬で張り詰める。
霧の向こう。
ぼやけた影が、いくつも揺れた。
「狼型だ」
セオドールの声。
「目的地までは我々が対応する」
「学生はそれぞれ自分の身を守れ!」
指示が飛ぶ。
騎士が剣を構えて前に飛び出る。
霧を裂くような一閃。
狼型の魔影は、反応する間もなく両断された。
間髪入れず、別の騎士が踏み込む。
連携は正確で、無駄がない。
数体の魔影は、瞬く間に霧となって消えた。
「……すご」
ガルドが思わず呟く。
「当然だ」
レオナルドが短く言う。
「王国騎士団だぞ」
危うげはない。
戦闘と呼ぶには、あまりにも一方的だった。
やがて周囲の気配も完全に消える。
「よし、進むぞ」
セオドールが告げた。
一行は再び歩き出す。
要塞跡までの道は踏み固められており、
迷う様子もない。
――順調だ。
あまりにも、順調すぎるほどに。
ユウリは、わずかに視線を巡らせる。
霧の向こう。
何もいない。
気配も、魔力の揺らぎも――
(……気にしすぎか)
一瞬だけ、足が止まりかける。
だが、
「怖気付いたか?」
レオナルドの声。
「いや、なんでもない」
そう答えて、歩き出す。
その横で、マリーが青冷めた顔で終始俯いていた。
手が、わずかに震えている。
「……マリー?」
ユウリが小さく声をかける。
「え……あ……」
びくりと肩が跳ねる。
「だ、大丈夫……です」
そう言いながらも、視線は上がらない。
「……何か感じるのか?」
ほんの少しだけ、声を落とす。
マリーは迷うように口を開き――
「……わからない、ですけど」
言葉を探すように、ゆっくりと。
「……“何もいない感じ”が、強すぎて……」
「何もいない?」
ユウリが眉をひそめる。
「はい……普通は、もっと……こう……」
うまく言葉にならない。
「……ざわざわ、してるはずで……」
曖昧な表現。
だが――
(……“静かすぎる”と同じか)
一瞬だけ、思考が重なる。
しかし、
「気にしすぎだろ」
レオナルドが切り捨てる。
「実戦前だ。緊張してるだけだ」
「っ……はい……」
マリーはそれ以上言えず、再び俯いた。
(……)
ユウリは一瞬だけ考える。
だが、
(……証拠はない)
思考を切り上げた。
◇
陽も高くなり、霧が晴れる。
木々の隙間に、石作りの人工物が現れた。
ユウリ達は無事に、目標地点の要塞跡地に到着した。
「ここが要塞跡だ――」
セオドールの声が響く。
崩れかけた石壁。
風化した塔の残骸。
かつての防衛拠点は、今やただの廃墟となっていた。
その入り口付近に、全員が集合する。
セオドールは淡々と説明を始めた
この要塞の歴史。
かつて魔海からの侵攻を防ぐ要衝であったこと。
そして現在は放棄され、調査拠点としてのみ使われていること。
「本日の課外授業では、この要塞跡を簡易拠点とする」
「ここを中心に、周辺の魔物との実戦訓練を行う」
「異変があった場合は、即座にここまで後退しろ」
淡々とした口調。
だが――
「――この後、内部の安全確認を行う」
その一言で、空気がわずかに引き締まる。
「各班、担当教員の指示に従え」
騎士団が先行し、要塞内部へと入っていく。
ほどなくして、内部の確認は完了した。
「問題なしだ」
騎士の一人が報告する。
「魔影の反応もない」
「よし」
セオドールが頷く。
「各班、休憩をとった後に課外授業を始める」
その一言で、
張り詰めていた空気がわずかに緩んだ。
◇
A班――ユウリ達は拠点内部の適当な場所で集まっていた。
アルマリアの気だるげな瞳が、ユウリ達を一瞥する。
「それじゃ、始めるか……」
「この要塞の北側には川がある。我々A班は川沿いに下流――東側に向かって進み魔物を探す」
「一刻ほどで撤収するが、それまでの行動全てが評価対象だ。ま、がんばりな」
「先生」
レオナルドが声を出す。
「なんだ」
「評価というのは、チームとしてでしょうか個人としてでしょうか」
「めんどくせーな」
「一言で言うと"総合的に"だ」
「総合的、ですか」
レオナルドがわずかに眉をひそめる。
「そうだ。特にチームワーク」
アルマリアは気のない口調で続ける。
「お前ら四人がバラバラに戦うよりも強くなればいい」
「――分かりやすいだろ?」
「……了解しました」
レオナルドは短く頷く。
「ま、細かいことはいいだろ」
ガルドが肩を鳴らす。
「結局、倒せばいいんだろ?」
「……違うと思うが」
アルマリアが小さく笑う。
「じゃあ行け」
「余程のことがない限り手を出す気はないからな、よく考えて行動しろよ」
あまりにも雑な指示。
だが――誰も異議は唱えなかった。
ゆっくりと立ち上がる。
「この前は脅かして悪かったな」
アルマリアが、ユウリにだけ聞こえる声で呟く。
「私のことは警戒しなくても大丈夫……と言っても無理な話かもしれないが――」
(……どういうつもりだ)
全てを見透すような紫の瞳が虚空を見つめる。
「……ま、そのうち嫌でも分かる」
言いながら歩き出す。
視線はもう前を向いている。
ガルド達の背中が、石壁の向こうに差し掛かる。
(考えても仕方ない、今は演習に集中しよう)
多面体結晶を握りしめ、後に続いた。
要塞の北側。
崩れた石壁を抜けると、すぐに景色が開けた。
視界の先には、緩やかに流れる川。
川向こうの浅瀬では白い石が透けて見え、わずかな段差ごとに、水が幾重にも重なって流れている。
水中の倒木が鮮明に見えるほど透明で、その水面は周囲の景色をそのまま映し出している。
陽光を受けて、きらきらと反射する水面。
その輝きは、どこか現実感が薄い。
周囲には、巨大化した樹木と奇妙な植物群。
根が水際まで伸び、
苔と蔓が絡みつき、
自然そのものが、この場所を覆い尽くしている。
風が吹く。
葉が揺れ、
光が揺れ、
水面が揺れる。
――音は、少ない。
流れる水の音すら、
どこか抑え込まれているようだった。
魔海特有の、静かで歪な自然。
「……綺麗、ですね」
マリーが小さく呟く。
「見とれてる場合じゃねえぞ」
レオナルドが即座に切り捨てる。
「分かってます……」
だが、その声にはわずかな震えがあった。
(……やっぱり、緊張してるな)
ユウリは横目で様子を見る。
「まあ最初はこんなもんだろ」
ガルドが前に出る。
「嫌でも慣れるって」
「その前に死ななきゃいいがな」
レオナルドが淡々と返す。
「縁起でもねえこと言うなっての」
軽口。
だが、その奥にある緊張は消えていない。
◇
一方、その頃。
「――悪くない」
リナは、小さく息を吐いた。
展開していたアバターを解除する。
リナのガーディアン・フレームが光となって消えた。
辺りに散らばる三つの魔石。
浅層の狼型魔影。
数こそいたが、脅威ではなかった。
「ふふん。当然ですわ」
アサルト・アーマーも淡い光と共にその場から消える。
「この程度の魔影に苦戦していては、クローディア家の名折れですもの」
フィオナが胸を張る。
長い金髪が揺れた。
「前衛二枚で抑えてる間に、後ろから焼くだけの簡単なお仕事だ」
マルクが肩を回しながら言う。
「外す方が難しいぜ」
「……私のガーディアンに少し掠ってたわよ?」
リナが呆れ気味に返す。
「良いだろ少しくらい、リナが傷つく訳でも無いんだしよ」
「顕現が維持できないほどのダメージを負ったらまた出せばいい」
答えながら、アーク・キャスターを解除する。
「合理的ですわね」
「そんな、アバターを物みたいに……」
軽いやり取り。
だが、班としての連携は悪くない。
前衛のリナとフィオナが敵を止め、
後衛のマルクが確実に削る。
必要ならテオのファントムが側面を取り、平時は周囲の警戒。
役割が、はっきりしていた。
そのテオはというと――
「……」
少し離れた木陰で、無言のまま周囲を警戒している。
「テオ、そっちは?」
リナが声をかける。
「……異常なし」
短い返答。
だが索敵は正確だ。
「相変わらず暗えなあ」
マルクが苦笑する。
「無駄話をしないだけです」
「感じ悪いわね」
フィオナが少し引いた。
その様子を後方から見ていたヴェルナが、鼻を鳴らす。
「騒ぐ余裕があるなら上出来だな」
黒いローブを翻しながら近づいてくる。
鋭い視線が、四人を順番に見た。
「連携は悪くない」
「特に前衛二人の位置取りは合格点だ」
「ありがとうございます」
リナが答える。
「当然ですわ」
フィオナも続く。
「だが――」
ヴェルナの声が低くなる。
「浅層相手とは言え油断するな」
空気が少しだけ引き締まった。
「今は騎士団と教師が周囲を抑えている」
「だから、お前たちは“安全に戦えている”だけだ」
その言葉に、マルクが表情を消す。
「勘違いするな」
「ここは演習場じゃない。魔海だ」
ヴェルナは淡々と言い切る。
「死ぬ気でやれ。死なない程度にな」
静かな声。
だが、その一言だけで空気が変わった。
「……はい」
リナが短く返す。
そこで。
――ザァァァッ。
風が吹いた。
木々が揺れ、川面が波立つ。
リナは何気なく視線を向ける。
遠く。
森の奥。
霧の向こう側。
「……?」
「どうした?」
ヴェルナが気づく。
「いえ……」
気のせいかもしれない。
ほんの一瞬。
何かが、“動いた”ように見えた。
だが。
次の瞬間には、もう何もない。
「……なんでもありません」
そう答え、リナは視線を戻した。




