41話 静寂の内側
学院祭から数日が経ち、教育特区は以前の落ち着きを取り戻していた。
――少なくとも、表向きは。
喧騒は去り、残っているのは日常の気配だけだ。
中庭の一角。
昼下がりの柔らかな光の中で、ユウリたちは腰を下ろしていた。
「戻ってきたんだな……前と同じに見えるが」
アンディが、興味を隠さず身を乗り出す。
その視線の先。
ユウリの隣に、小さな影がちょこんと座っていた。
「……ピクル」
リナが、目を細める。
以前のピクルと"同じ"。
見た目だけでは無い、中身まで同じ存在。
「前より、内包する魔力が段違いだ」
「ああ」
ユウリは頷く。
「霊触媒が変わったからな」
「?」
アンディが首を傾げる。
「アバターの格が上がった……みたいな」
ピクルはいつも通り、ユウリの肩の上でくつろいでいる。
「へぇ……そんなことあり得るのか?」
「さあな。規格外だし、術式も違う」
軽い調子で言う。
だがリナは、ピクルから目を離さなかった。
「……ねえ」
「なんだ」
「今なら顕現解除できるんじゃない?」
一瞬の沈黙。
「……やってみる」
ユウリはそう言って、ピクルの方を見る。
「戻れるか」
言葉は短い。
命令というより、確認に近い。
ピクルは、小さく鳴いた。
その輪郭が――
ゆっくりと崩れ始める。
音は無い。
光が、ほどける。
まるで“帰る場所”を知っているかのように。
ピクルの体を形作っていた魔力が、光の粒となって拡散していく。
中心に向かってどんどん小さくなっていく。
最後に残された光り輝く球体が――
コツン。
地面に落ちると同時に輝きが落ち着く。
見覚えのある多面体の結晶が、そこに残った。
「……できた」
アンディが、言葉を失う。
リナも、息を呑んだまま動かない。
そこにはもう、ピクルはいない。
――はずなのに。
「……何か感じる」
リナが、ぽつりと呟く。
結晶の奥。
ほんのわずかに、何かが“いる”感覚。
触れれば、辿れそうな。
だが、届かない。
「中にピクルが入ってるわけじゃない」
ユウリが、当たり前のように言う。
「戻っただけだ」
「戻った……?」
アンディが眉をひそめる。
「どこに?」
「元いた場所だろ」
あっさりとした答え。
アンディは一瞬ぽかんとして――
「いや分かるかよ!」
思わずツッコんだ。
「霊界ってことか?」
「たぶんな、そういう場所は確かに存在する」
「たぶんってなんだよ!」
軽口が飛ぶ。
だがリナは、笑わなかった。
「……じゃあ、それ」
結晶を見つめたまま、言う。
「空っぽなの?」
「いや」
ユウリは首を振る。
「道みたいなもの……かな」
「道?」
「向こうから戻ってくるための」
短く、それだけ。
リナは、そっと結晶に触れた。
ほんのわずかに、温かい。
その奥に、
確かに“繋がり”がある気がした。
「……私たちのと、違うね」
ぽつりと零れる。
「私たちのは、毎回降ろす魂は違う」
「いや、魂の個性なんて意識もしない……」
規格アバター。
そこに魂を、降ろすだけ。
「でも、ピクルは――」
「同じ魂」
ユウリが言う。
「ずっと同じやつだ」
迷いなく。
リナは、結晶を見たまま黙り込む。
「……ユウリの降霊術、教えて」
顔を上げて言った。
ユウリは少しだけ考えてから、頷く。
「まずは、呼ぶ魂と繋がる」
「繋がる……?」
「相手は、どんな魂でも大丈夫」
「自分の魂と、深く同調させていくんだ」
リナの表情が、わずかに曇る。
それは、教わっていない手順だった。
「まずはそこからだな」
「相手の魂を尊重するんだ」
「……そんなの」
リナは、言葉に詰まる。
違いがわからない。
存在は感じ取れるが、どれもぼんやりとしていて個性などわからない。
それでも、目を閉じてみる。
意識を、沈める。
――呼ぶ。
いつも通りの感覚。
だが。
何かが、違う。
引っかからない。
掴めない。
手応えが、ない。
「……無理」
小さく、息を吐く。
目を開けて、小さく首を振る。
「来る気配はあるのに……」
「全部、流れてく」
掴もうとした瞬間に、
すり抜けていくような感覚。
「それでいい」
ユウリは、あっさり言った。
「最初からできるものじゃ無い」
「……できるようになるかな?」
少しだけ、不安そうに。
「なるだろ」
軽い返事。
「常に魂の存在を意識するんだ」
「……地道だね」
リナは、もう一度結晶を見る。
淡い半透明の多面体、その中の桃色の核が光を明滅させていた。
◇
魔海――
人の手の及ばないこの土地は、雄大な自然がそのまま残されている。
王都から北東へ、およそ十キロ。
踏み入れた瞬間、空気が変わる。
濃い魔力が、肌にまとわりつく。
視界の先には、現実離れした光景が広がっていた。
透き通る水をたたえた段状の池。
青とも緑ともつかない色彩が、幾重にも重なっている。
その合間を縫うように、巨大化した樹木が根を張り、
見たこともない動植物が静かに息づいていた。
美しい――
だが。
その中心に、
明らかに“異物”が存在していた。
崩れかけた石壁。
半ばまで植物に飲み込まれた塔。
自然に侵食されながらも、なお形を残す巨大な構造物。
かつて王国が築いた要塞都市。
魔海の拡大に呑み込まれ、
およそ五十年。
外壁の大半は崩れ落ち、
内側へと伸びていたはずの街路は、
すでに森へと還り始めている。
だが――
完全には、消えていない。
その奥。
要塞の最深部には、
今も変わらず川が流れていた。
かつて、この流れを背に、
魔海から溢れ出る魔獣を食い止めるために築かれた防衛線。
その名残だけが、
今も静かに、そこにある。
そして――
その廃墟に、
人影があった。
◇
ノエルとジェイクの二人はこの日、ギルドの依頼で要塞跡地を訪れていた。
「これで魔物が出なけりゃ最高なんだがな」
ジェイクは、黄色く色づいた木々を見渡しながら呟く。
澄んだ水面。
揺れる木々。
風の音。
――静かすぎる。
生き物の気配が、まるで無い。
「魔物が出るから、手付かずの自然が残っているとも言える」
薄紫の髪が、わずかに揺れた。
「皮肉なこった」
短く返す。
しばらくの間、二人は言葉を交わさず景色を眺める。
その間にも、
違和感は、じわりと積もっていく。
「……どうしてこんな依頼を?」
沈黙を破るように、ジェイクが口を開いた。
「この時期は、魔法学院の課外授業があるんだ」
ノエルは視線を動かさないまま答える。
「後輩のため……か」
「それもある」
一拍。
「首無しの出現から、どうも魔海の様子がおかしい」
淡々とした声音。
だが、その言葉は軽くない。
「嫌な予感がする……」
ジェイクは、わずかに口元を歪めた。
「お前の勘は当たるからな」
軽口のようでいて、否定はしない。
風が吹く。
風にそよぐ木擦れの音だけが響く。
二人は要塞だった場所に足を踏み入れる。
ジェイクの探るような視線が、物陰に向く。
「……なあ」
「なんだ」
「静かすぎないか?」
ノエルは、わずかに目を細める。
「気づいたか」
短く、それだけ。
「魔影の気配が、薄い」
「薄い、じゃねえだろ」
ジェイクは、ゆっくりと剣の柄に手をかける。
「……無い」
その一言で、空気が変わる。
本来なら、この密度の魔海だ。
何かしら“いる”はずだった。
「……おかしいな」
ノエルが、初めて周囲を見渡す。
「間引きの必要がないほど減っているのか――」
一瞬、言葉を切る。
「それとも」
続きを、言わない。
ジェイクが、小さく息を吐く。
「……後者だろうな」
軽く、笑う。
「こういう時は、大体ロクでもねえ」
ノエルは、静かに頷いた。
「警戒を上げる」
「深入りはしない」
「了解」
一歩、踏み出す。
その足音が、
やけに大きく響いた。
◇
――二人は何事も無く城壁内の調査を終えた。
崩れた石壁。
苔むした通路。
かつて人が行き交っていた痕跡は、ほとんど自然に呑み込まれていた。
「……特に異常無しか」
ジェイクが周囲を見回しながら呟く。
「ああ」
ノエルは短く答える。
だが、その視線はまだ周囲を警戒していた。
「念のため、外縁も確認する」
そう言うと、ノエルは霊触媒に触れる。
淡い光。
空気がわずかに揺らぎ――
影が、形を持つ。
細身の人型。
機動力特化の外装と、最低限の兵装。
ファントムスケイルだ。
「ジェイク、護衛を頼む」
短く告げる。
「あいよ」
ジェイクは剣を肩に担ぎ、軽く笑った。
ノエルは目を閉じる。
呼吸が、静かに整う。
意識が沈み――
“繋がる”。
次の瞬間。
ファントムは、音もなく地を蹴った。
砂埃だけが、わずかに舞う。
⸻
視界が変わる。
色が、薄い。
風の流れ。
地面の振動。
微かな魔力の揺らぎ。
すべてが、情報として流れ込んでくる。
(……問題なし)
ノエルの意識が、ファントムを通して周囲をなぞる。
崩れた外壁を越え、
森の中へ。
巨大な樹木の合間を、影が滑る。
――気配。
わずかだが、確かにある。
ファントムの速度を少し落とす。
木々の隙間。
――見つけた。
歪んだ影。
魔影。
浅層でよく見かける動物型。
(数は……三)
即座に判断。
次の瞬間。
ファントムが消える。
距離を詰める動きすら、視認できない。
――一体目。
接近した瞬間、首が飛ぶ。
音もなく崩壊。
――二体目。
反応するより早く、背後に回る。
同様に消滅。
――三体目。
襲撃者を捉え、迎撃の姿勢。
だが、間に合わない。
影がすり抜ける。
正中線を一閃、霧散。
静寂。
(……弱い)
ノエルは冷静に評価する。
通常個体。
異常性は、感じない。
ファントムはそのまま移動を続ける。
森を抜け、
水音のする方へ。
やがて視界が開ける。
透き通った水。
段状に連なる滝。
光を反射して、青と緑の水面が揺れている。
美しい――
息を呑むほどに。
だが、
(……)
ノエルの意識が、わずかに引っかかる。
違和感。
理由は分からない。
だが、
“何も無さすぎる”。
ファントムは、しばらくその場に留まる。
気配を探る。
――反応なし。
(……気のせいか)
そう結論づけるしかない。
やがて、ファントムは踵を返す。
⸻
意識が戻る。
ゆっくりと目を開けるノエル。
「どうだった?」
ジェイクが気軽に尋ねる。
「魔影を数体確認。すべて通常個体」
淡々と報告する。
「異常はない」
「だろうな」
ジェイクは肩をすくめる。
「拍子抜けだ」
「……ああ」
ノエルは小さく頷く。
だが。
その視線は、わずかに遠い。
「報告はどうする?」
「上げる」
短く答える。
「だが――」
一瞬、言葉を止める。
「……念のため、“違和感あり”としておく」
「お前のそれ、当たるんだよなぁ」
ジェイクが苦笑する。
「外れてくれればいいが」
軽口のようでいて、
本気だった。
ノエルは何も答えない。
ただ、もう一度だけ――
森の奥へ視線を向ける。
風が、葉を揺らす。
それだけだった。
◇
ハンターギルド本部。
報告書に目を落としながら、担当職員は小さく鼻を鳴らした。
「……違和感、ねぇ」
紙面には、簡潔な文言が並んでいる。
――周辺魔影の排除を確認。
――高密度反応なし。
――大規模発生の兆候、現時点では見られず。
「ずいぶんと、歯切れの悪い書き方だな」
椅子に深く腰を預け、書類をひらひらと揺らす。
提出者は、Bランクパーティー。
実力は確かだ。
だからこそ――余計に気に食わない。
「“嫌な予感がする”……か」
報告書の端に書き足された一文を、指でなぞる。
「そんなもので金が動くかよ」
吐き捨てるように呟いた。
「証拠もない“勘”なんかでな」
机の端には、もう一つの書類。
王立魔法学院からの依頼書。
毎年恒例の課外授業前調査。
難易度は低い。
危険度も、低いはずだった。
(どのみち――)
職員は、ペンを取る。
さらさらと、評価欄を書き換える。
――問題なし。
――安全確認済み。
――予定通り実施可能。
躊躇は、なかった。
「周辺の魔物はすべて処理済み、か」
自分で整えた文面を読み上げ、小さく頷く。
「これでいいだろ」
報告書を重ね、別の書類を引き寄せる。
金額欄。
そこだけは、慎重に。
だが、手慣れたものだった。
(Bランク対応……期間短縮……特別調整費……)
数字を滑らせる。
わずかな差。
だが積もれば大きい。
帳尻は、綺麗に合う。
誰にも、気づかれない。
「……よし」
満足げに頷く。
ノエルたちに支払う報酬は、最低限。
学院への請求は、正当な範囲で“少しだけ”上乗せ。
いつものやり方。
問題になったことは、一度もない。
――今回も、同じだ。
書類を束ね、決裁箱へ放り込む。
そのときだった。
ふと、手が止まる。
脳裏に、さっきの一文がよぎる。
――嫌な予感がする。
「……はっ」
思わず、笑った。
「ガキじゃあるまいし」
椅子を回し、背を向ける。
窓の外では、王都の空が穏やかに広がっていた。
何も、起きていない。
これからも、起きるはずがない。
そう、思っていた。
――その判断が、何を招くのかも知らずに




