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35話 雨の王都


 王都・行政区。


 石造りの建物が整然と並ぶ一角。

 その一室で、男は机に向かっていた。


 雨の音。

 書類の山。

 

 この日、王都は雨が降っていた。


 昼間だが、部屋は薄暗く、ランプの灯りが机を照らしていた。


 ペン先が止まる。


(……どう書く)


 紙には、すでに数行の報告文が並んでいる。


【対象組織:アルマリア教団】

【規模:推定五〇〇〇名以上】

【活動内容:魔導研究(表向きは宗教団体)】


 そこから先が、進まない。

 

 近年、急激に勢力を伸ばしている組織。


(魔導研究、で済ませるのか?)


 眉間に皺が寄る。

 見たものは、ある。

 確かに、ある。


 だが――

(説明ができない)


 ペンを置く。

 指でこめかみを押さえた。


 思い返す。

 昨夜の記憶。

 あの空間。


 統制された群衆。

 過剰なまでの静寂。

 そして――


「……ミネルヴァ」

 小さく、名前を呟く。


 あの女。

(指導者……なのか?)

 違和感が残る。


 あの場を支配していたのは、間違いない。

 だが。


(命令していたわけじゃない)


 誰かに指示を出していたわけでもない。

 号令もない。

 強制もない。


 それでも。

(……全員が、同じ方向を向いていた)


 あれはただの統率ではない。


 無意識に、同じ一点へ集まっていく。

 そんな異様さ。


 男は、深く息を吐いた。


 再びペンを取る。


【危険性:高】


 書いて、止まる。

(……根拠は?)

 問われれば、答えられない。


 武装しているわけではない。

 暴力的でもない。


 だが。


 ペン先が、わずかに震えた。


【備考】


 一行、空ける。

 そして。

 ゆっくりと書き出す。


【本組織は、現時点で明確な違法行為を確認できない】


 そこまで書いて――

 手が止まる。


 視線が、紙の上で揺れる。


 続ける。


【しかし】


 インクが、わずかに滲む。


【通常の宗教団体、あるいは研究組織とは明らかに異質】


 喉が乾く。


 言葉を選ぶ。

 慎重に。

 だが、逃げずに。


【構成員の統制状態は、外部からの指揮系統によるものではなく】


 一拍。


【内的な同調圧力、あるいはそれに類する精神的作用による可能性がある】


 書き終えた瞬間。

 自分で書いた内容に、わずかな寒気を覚えた。


(……馬鹿げてるな)


 こんな報告。

 通るはずがない。

 だが――

(あれは、“普通”じゃない)

 確信だけが、残っている。


 男は椅子に深く腰掛けた。

 天井を見上げる。


 しばらくの沈黙。


 やがて、小さく呟いた。

「……深入りは、するな」


 誰に言うでもなく。

 自分自身に言い聞かせるように。


 ランプの火が、わずかに揺れる。


 窓の外で、雨が強くなった。


 ◇


 王都ウルクは、雨。

 雲に隠れていなければ、太陽が真上に見える時間帯。

 

 魔法学院の食堂にて。

 ユウリはクラスメイト達と昼食を共にしていた。

 

 向かいに座るラグナが話しかけてくる。


「ユウリは出ないのか?」


「何の話だ?」

 視線を上げる。


「なにって、模擬戦大会だよ」


 当然とばかりに答える。


 ユウリは、食事の手を止める。


「……ああ、それか」


 少し間があった。


「もしかして、ラグナ出るのか?」


「おう」


「誰と――」


 横から元気な声が飛び込んでくる。


「私も一緒だよっ!」

「腕が鳴るぜー」


 シャオだ。


 椅子の背にもたれ、にやにやしている。


「じゃあもう一人は?」


 リナが尋ねる。


「ガルドだよ」

「降霊術学科一年の実力を見せてやるぜ」


(大丈夫だろうか……)


 ユウリは、ほんの一瞬だけ視線を逸らした。


 脳裏に浮かぶのは――

 小さな影。

 胸ポケットに、無意識に手が触れる。


(……いや)


 すぐに思考を切る。


「まあ、頑張れよ」


 ラグナが笑う。


「で、ユウリは?」


 視線が集まる。


 ユウリは、少しだけ間を置いた。


 窓の外。

 雨が、強くなっている。


「俺は、出ないよ」

 短く答える。


 少しの間。


「……なんでだ?」

 ラグナが、首を傾げた。


 軽い調子の問い。

 だが。

 ユウリは、すぐには答えなかった。


 窓の外。

 雨が、途切れなく降り続いている。


「別に、理由ってほどでもないけど」

 ようやく口を開く。

「向いてないんだよ、ああいうの」


「はあ?」


 シャオが眉をひそめる。

「この前、魔獣相手に無茶やったって聞いてるよ」


「あれとこれとは別だろ」


 肩をすくめる。


 それ以上、踏み込ませないように。


 軽く、流す。


 だが――


「ふーん……」


 リナがじっと見ていた。

 少しだけ細められた目。


「珍しいね、ユウリが乗り気じゃないの」


 少しだけ、間があった。


「……面倒なだけだよ」


 沈黙が一瞬落ちる。


 ラグナは「まあいいか」と肩をすくめた。

 シャオはまだ納得していない顔だが、口は挟まない。

 リナだけが――

 視線を外すことなく、じっと見つめている。


 ユウリは気付かないふりをする。

 胸ポケットに手を当てる。

 内側から、微かな温もり。


(……今は、いい)


 小さく息を吐く。


 雨は、まだ止まない。


 ◇


 放課後。

 雨は、相変わらず降り続いている。


 校舎の軒先。

 石畳を打つ雨音が、一定のリズムで響いていた。


「今日はさすがに……来ないだろう」


 ユウリは、学院の門を見つめたまま呟く。


 その隣で。


「……ねえ」

 リナが、静かに声をかける。


「なんだよ」


「無理しなくていいよ」


 唐突だった。


 ユウリは、わずかに視線だけ動かす。

「……は?」


「大会のこと」

 リナは門の方を見たまま続ける。


「出ない理由、ちゃんとあるんでしょ」


 断定ではない。

 でも、分かっている口調。

 ユウリは少しだけ黙る。


 雨音が、その間を埋める。


「……別に」


 短く返す。

 いつもの誤魔化し。

 だが。


「ピクル、まだどうなるかわからないもんね」


 ぴたりと止まる。


 胸ポケットから、半透明の多面体結晶を取り出す。

 その結晶は、淡い光を放ちながらゆっくりと脈打っている


「……そうだな」


 軽く言う。


「それに」


 一拍。


「ユウリの降霊術は、なるべく隠した方がいい」


 ユウリは小さく息を吐く。


「……アンディも言ってたな」

 ぽつりと。


「目立たないようにしろって」


 それ以上は言わない。

 だが、それで十分だった。


 リナは、少しだけ笑う。

「うん、知ってる」


 それ以上、踏み込まない。

 ただ隣にいるだけ。

 その距離感が心地良かった。


 雨が、少し強くなる。


 その時。


 門の向こう。

 雨の中に、人影が現れた。


 迷いのない足取り。

 一定の速度で、まっすぐにこちらへ向かってくる。


「……来た」


 ユウリが呟く。


 リナも目を細めた。


「あの人……アリーシャ?」


 雨をものともせず歩く姿。

 見間違えるはずがない。


「マジかよ」


 ユウリが立ち上がる。

 わずかに肩を回す。


「ちょっと預かってて」


 ピクルの霊触媒――多面体結晶をリナに渡す。


 フードを被り、雨の中に飛び出した。


「え、ちょっと待ってよ」


 困惑しながら結晶を預かったリナは、大事そうに両手で包み込む。


「早く戻ってきて、ユウリの事を守ってね」


 祈るような言葉は、雨音に混じって消えた。

 

 ◇


 二人はアリーシャと合流後、室内の空きスペースに移動する。


 石造りの広い資材置き場。

 外の雨音が、遠くに聞こえる。


「雨でもやるんだな」

 ユウリが少し呆れたように言う。


 アリーシャは即答した。

「当たり前よ」


 一切の迷いがない。


「雨の日に魔物が襲ってきたらどうするの?」


 真っ直ぐな視線。

 試すようでもあり、当然を問うようでもある。


「その時は、戦うさ」

 ユウリは肩をすくめる。

「だけど、風邪引くぞ」


「風邪なんか引かないわよ」


 間髪入れずに返す。


「お兄ちゃんじゃないんだから」


「……」


 一瞬、言葉が詰まる。


 リナがくすっと笑った。


「今日はここでいい」

 アリーシャは気にした様子もなく、剣を軽く構える。


「二刀流の訓練方法は、知らないけど」

「剣の振り方と、足捌きを教えてあげる」


 地味な訓練が始まった。


 ◇


 リナは、少し離れた場所に立ったまま。

 手の中の霊触媒に、視線を落とした。

 小さなそれは、今はただの“物”にしか見えない。


 微かな温度。

 沈黙。


(……ほんとに休んでるの?)


 指先で、そっとなぞる。


 反応はない。


 呼応も。

 気配も。


 完全に“閉じている”。


 顔を上げる。


 視線の先では――


「違う」

 アリーシャの声。

「踏み込みが浅い」


 乾いた打音。


 ユウリの足が止まり、すぐに修正される。


 リナはその動きを追う。


(……やっぱり)


 飲み込みが、異様に早い。

 教えられた通りに動いているはずのに。


 どこか――


(最初から知ってるみたい)


 違和感。

 言葉にできないズレ。


 視線が、自然と長くなる。


 ユウリの動き。

 重心。

 踏み込み。


 アリーシャに比べると無駄が多い。


 なのに。


(……戦い慣れてる?)


 ちぐはぐだ。


 だが、目が離せない。


 霊触媒を持つ手に、わずかに力が入る。

 再び、視線を落とす。


(……反応、しない)


 さっきの一瞬。

 確かに、何かが動いた気がした。

 でも今は、何もない。

 ただ静かに、そこにあるだけ。


 顔を上げる。


 また、見る。

 気付けば。

 ずっと見ている。


「……」


 自分でも、少しだけ不思議に思う。


(こんなに長く見てるつもり、なかったんだけど)


 理由は、分かっている。

 半分は、霊触媒。


 もう半分は――

 ユウリの背中。


 踏み込む動き。

 剣を振る軌道。


 無意識に、目で追っている。


 アリーシャの声が飛ぶ。


「そう、それでいい」


 評価。


 ユウリが軽く笑う。


「少しは形になってきたか?」


「まだ甘い」

 即答。


 リナは、思わず小さく笑った。

(厳しいなぁ)


 でも。

 そのやり取りすら、どこか心地いい。


 また、霊触媒を見る。


 静かだ。

 何も起きない。

 なのに。


(……なんでだろ)


 指先に、わずかな違和感。

 錯覚かもしれない。


 でも。

(さっきより、少しだけ――)

 温度が、戻っている気がした。


 リナは、もう一度だけ強く握る。

 そして。

 顔を上げた。


 視線は、自然と――

 

 ユウリへ向かう。


 そして。

 

「ユウリ、頑張って!」


 ◇


 歓声が聞こえる。


 ユウリは小さく笑うと、気合を入れ直した。


(地味だけど、神経を使うな)


 足の運び方。

 太刀筋。

 踏み込む距離。


 今まで感覚で動いていたものを意識的に矯正する。

(……変わらないと、な)


 アリーシャの視線が、ふと胸元に落ちた。


「……今日は、あの子は?」


 唐突な問い。


 ユウリの動きが、ほんの一瞬だけ止まる。


「……ああ」


 すぐに、軽く答える。


「今、休んでるんだ」


「休む?」


「調子がいまいちでさ」


 それ以上は言わない。

 言わせないように、軽い調子を崩さない。


 アリーシャは数秒、黙ってユウリを見る。

 嘘かどうかを測るように。

 やがて。


「……そう」


 それ以上は追及しない。

 だが。

 完全に納得したわけでもない。


「……そういう事にしておくわ」


 剣を持ち直す。


「今のズレは、きっとそのせいね」


 あっさりと結論づける。

 ユウリは苦笑する。


「ズレ?」


「最初は慣れない二刀流のせいかと思ったけど……」


 そして一歩踏み込む。


「あの子の不在が原因か」


 空気が、戻る。

 だが。

 さっきまでとは、ほんの少しだけ違っていた。


 ユウリは構えながら、小さく息を吐く。


(……誤魔化せた、か)


「今日はこれで終わり」

「最初に教えた基礎訓練は、毎日やること」


 いつの間にか、雨は止んでいた。


 外に出る。


 雲の隙間から太陽が覗き、東の空には虹がかかっていた。

 さっきまでの雨が嘘のように。

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