34話 二刀流は甘くない
放課後。
魔法学院の演習場は、いつもより人が多かった。
学院祭前――
上級生たちも調整に入っているらしい。
詠唱の声。
魔力の炸裂音。
普段よりも一段、張り詰めた空気。
「今日も多いね」
隣で、リナが周囲を見回す。
「ああ」
ユウリは短く答え、演習場へ足を踏み入れた。
その瞬間。
視線が集まる。
いや――
正確には、自分たちではない。
もっと奥。
演習場の中央へ向けられている。
「……?」
リナが首を傾げる。
ユウリも、自然とその先を見る。
そして。
「……は?」
思わず、声が漏れた。
中央に――
一人の少女が立っていた。
金色の髪。
騎士学院の制服。
剣を携え、ただ静かに佇んでいる。
本来なら、完全な場違い。
だが。
誰よりも自然に、その場の中心にいた。
「……え、騎士学院?」
「なんでここに……」
周囲のざわめき。
だが少女は、まるで気にしていない。
ただ――
真っ直ぐに、ユウリを見ていた。
「……待ってたのか」
小さく呟く。
リナが横で目を丸くする。
「あれ、アリーシャ?」
「ああ」
ユウリは肩をすくめ、そのまま歩き出す。
ざわめきの中を突っ切る。
少女の前で足を止めた。
「遅い」
開口一番、それだった。
「来るって言ってないだろ」
「来ないとも言ってないわ」
当然のように返す。
リナが横から笑顔で手を振る。
「こんにちは、アリーシャさん」
「誰?」
「同じクラスのリナ、この前一緒に鍛冶屋に行ったんだ」
ユウリが簡潔に紹介する。
アリーシャは一瞬だけリナを見る。
「……なんで?」
「え、あ、うん……?」
圧に押され気味のリナ。
すぐに興味を失ったように、視線がユウリへ戻る。
「まあいいわ」
手元に視線を向ける。
アリーシャは、短めの模擬剣を二つ抱えていた。
「はい、これ」
その剣を二つともユウリに渡す。
「……昨日の今日だぞ」
「大丈夫、教えてあげるから」
その笑顔が、少しだけ怖い。
アリーシャは、自分の剣を構える。
「まずは、構えて」
周囲の空気が、わずかに張る。
ユウリは小さく息を吐き、構えた。
片手で短剣を握りしめる。
右手は今まで通り、左手は逆手に。
リナが後ろで小さく呟く。
「……なにそれ、変わった構え」
「昨日からな」
短く返す。
「来なさい」
アリーシャの声。
静かだが、拒否は許さない。
ユウリは踏み込む。
一直線。
間合いに――
入れない。
本能が拒絶する。
アリーシャの手前で踏み止まる。
目の前を剣が通り過ぎる。
すぐに次の攻撃が飛んでくる。
片手で受ける。
(重い!)
「それじゃ持たないわよ」
逆の手で反撃を試みるも、届かない。
リーチの差で押し切られる。
受け流そうとするが、アリーシャの体勢は崩れない。
その後も、単調な攻撃すらいなせない。
距離は詰まらず、時間だけが過ぎていく。
やがて。
(……まずい、手に力が入らない)
「……ッ!」
右手の短剣が弾かれる。
次の一手を考え――その間もなく。
アリーシャの剣が、すでにそこにあった。
首元に、ぴたりと止まる。
「弱い」
淡々とした声。
周囲がざわつく。
「……今の、見えた?」
「いや……速すぎだろ……」
ユウリは舌打ちし、距離を取る。
「……分かってる」
「まあ、最初は誰だってこんなもんよ」
アリーシャは剣を軽く構え直す。
「もう一度」
ユウリは踏み込む。
今度は、少し深く。
だが――
弾かれる。
入れない。
「踏み込みが甘い」
「……っ」
「違う」
一歩、詰める。
「受けながら距離を詰める」
静寂。
周囲の音が遠くなる。
ユウリはゆっくりと構え直した。
左手を順手に持ち替える。
「……行くぞ」
思い切り踏み込む。
そのまま加速。
右手を振り抜く。
アリーシャは難なく弾く。
弾かれた反動で左手の短剣を振るう。
弾く。
弾かれても――止まらない。
逆の短剣を振るう。
弾く。
「遅い」
さらに踏み込む。
もう一撃。
流される。
「浅い」
体を捻る。
回転しながら、もう一撃。
それも弾かれる。
高速の攻防が続き――
一瞬。
アリーシャがステップを変えて後ろに引く。
連撃を交わしながら横薙ぎの反撃。
ユウリは両手の短剣を交差させてなんとか受ける。
次の瞬間。
足払い。
視界が反転し、空が見えた。
周囲が息を呑む。
「……なかなか」
一拍。
「厄介ね」
アリーシャの声。
リナが駆け寄る。
「え……ユウリ、大丈夫……?」
ユウリは息を吐いた。
「……くそ」
「なかなか、懐に入り込めない」
「当たり前よ」
即切り捨て。
だが、その声はわずかに柔らかい。
「その長さ」
「普通なら不利」
一拍。
「二本持とうがね」
ユウリは短剣を握り直す。
「……なるほどな」
アリーシャは踵を返す。
「でも」
「届かせるんじゃなく」
振り返る。
「入るのよ」
短く、それだけ言う。
「まだ、立てるでしょ?」
いつの間にか、遠巻きにこちらを見る人集りができていた。
◇
魔導灯の明かりが演習場を照らしている。
辺りはすでに薄暗い。
ユウリと、遅れてやってきたアンディが演習場の土の上に倒れている。
「今日は、この辺にしておきましょう」
アリーシャが服の汚れを払いながら言う。
「おーい、生きてる?」
ユウリの傍にリナがしゃがみ込む。
「指が、うまく閉じない」
ユウリは仰向けのまま答えた。
胸が上下する。
息が荒い。
視界の端で、アンディが同じように転がっていた。
「……アンディ、相変わらずだな」
「うるせえ……そんなにすぐ魔力量は増えねえよ……」
かすれた声。
リナが呆れたように息を吐く。
「二人ともボロボロじゃん」
アリーシャが歩み寄る。
足音は静かだが、どこか規則正しい。
「基礎がなってない」
端的に言う。
「剣士としてのね」
ユウリは顔だけ向ける。
「……分かってる」
「剣を握る力、振る力」
「それから足捌き」
「本格的に二刀流を使うなら、まずはそこから」
反論の余地がない。
ユウリは小さく息を吐いた。
「……で?」
「どうするの」
一拍。
「やめる?」
試すような声。
ユウリは、ゆっくりと上体を起こした。
手の中の短剣を見る。
泥で汚れている。
だが――
さきほどまでの感触は、消えていない。
(受けて――)
(崩して――)
(入る)
立ち上がる。
「……やめるわけないだろ」
アリーシャは、わずかに目を細める。
「そう」
それだけ言って、背を向ける。
「今日は終わり」
「明日もここに来るから」
歩きながら、軽く続ける。
「その剣はあなたにあげるわ」
振り返らない。
そのまま演習場の外へ向かう。
ざわめきが、少しずつ戻ってくる。
「……あの人、ほんと何者なの」
リナが小さく呟く。
「あれで、年下だからな」
軽く肩をすくめる。
ユウリは短剣を握り直す。
さっきまでとは違う。
“どう振るえばいいか”が、ほんの少しだけ見えた気がした。
「でも」
立ち位置を整える。
足を開く。
「やることは分かった」
アンディが地面に寝転んだまま笑う。
「付き合うぞ……さすがに今は無理だけどな……」
「明日から二人で基礎練だな」
ユウリは構える。
左右の手に短剣を握る。
深く息を吸う。
そして踏み込む。
さっきよりも、ほんのわずかに鋭く。
演習場の外。
石畳の上を歩きながら。
アリーシャは、ふと足を止めた。
「……あれ」
小さく呟く。
一拍。
「何か、忘れてるような…」
そう言って、再び歩き出す。
夜風が、金の髪を揺らした。
「……あ」
「ピクル!」
その声が、夜の中央大通りに木霊した。
◇
その夜。
寮の自室。
ユウリは机に向かって、冊子を広げていた。
【魂循環理論・初級編】
――魂とは、霊界に存在する循環体である。
「……霊界?」
ユウリは眉をひそめる。
学院で習った内容とは違う。
――個体に宿った魂は、死とともに霊界へ還る。
――その後、再び別の個体へと流入する。
ここまではいい。
問題は、その先だった。
――循環の過程において、魂は微量の損耗を起こす。
「……減るのか?」
思わず声が漏れる。
学院では、そんな話は習っていない。
魂は曖昧で、不安定で――
だが、“減る”ものではなかったはずだ。
ページをめくる。
――損耗した分は、霊界に拡散する。
「……拡散?」
しばらく、その一文を見つめる。
(……どっちでもいいか)
小さく息を吐く。
正しいかどうかは分からない。
だが。
(ピクルは、消えてない)
それだけは確かだ。
ページを閉じる。
「……使えるところだけ使うか」
(今日はもう寝よう)
「おやすみ、ピクル」
机の上に置いた結晶体に声をかけ、眠りにつく。
◇
王都某所。
扇形の劇場のような空間。
天井は高くドーム状になっており、網の目のように走る溝が青白く光っている。窓は無い。
その光は一定ではなく、わずかに脈を打つように強弱を繰り返していた。
梟のレリーフが彫り込まれた柱が並び、それらを繋ぐように壁が続いている。
柱の表面には細かな文字列が刻まれていたが、遠目にはただの装飾にしか見えない。
全体は黒い石材で造られている。
だが床や壁の各所に刻まれた紋様が、淡く発光していた。
足元の線は円を描き、まるで立つ位置を示しているかのように配置されている。
そこに――
千人近い人間が集まっていた。
全員が、同じ特徴の黒のローブ。
梟の飾り羽を模したフードを深く被り、顔はほとんど見えない。
これだけの人数にもかかわらず。
音が、無い。
僅かな衣擦れ。
呼吸すら、抑えられているかのような静寂。
ざわめきも。
私語も。
一切ない。
――全員が、同じ方向を見ていた。
視線の先。
最下段。
扇の中心。
人の高さほどの舞台。
中心には――
紫水晶で作られた、一人の女性の像。
像を祀るように、四方から光が照らされている。
最奥の壁には、大きく彫り込まれた梟の紋章。
その梟が、集まった人々を見守っているようにも見える。
――光が、わずかに変わった。
誰かが声を上げたわけではない。
合図もない。
それでも、みなの意識がまとまる。
天井の魔導回路が一瞬だけ強く発光し、すぐに元の明度へ戻る。
次の瞬間。
最奥の通路に、影が差した。
ゆっくりと。
足音もなく。
一人の女性が、姿を現す。
深い紺のローブ。
金糸の縁取りが、わずかな光を拾って揺れる。
フードは被っていない。
長い金の髪が、静かに背に流れていた。
黒いカチューシャにはミミズクの飾り羽が付いている。
覗く耳には――梟のピアス。
顔立ちは、整っている。
だが。
美しい、というよりも――
“整いすぎている”。
無駄がない。
表情も。
視線も。
呼吸すらも。
すべてが、どこか“設計された”ような均一さを持っていた。
女性は、何も言わずに歩く。
その足取りに合わせるように。
床の紋様が、ひとつ、またひとつと淡く光を灯していく。
誰も、動かない。
誰も、声を発しない。
ただ。
見ている。
女性は舞台へと上がる。
段差を踏む音すら、響かない。
紫水晶の像の前に立つ。
わずかに、視線を巡らせる。
その瞬間。
空間が、完全に止まった。
ゆっくりと口を開く。
「――こんばんは」
静かな声。
だが。
不思議なことに。
その一言は、空間の隅々まで届いた。
全員が、わずかに頭を垂れた。
耳で聞いたのか。
頭の内側に響いたのか。
誰にも、判別できない。
「本日も、よく集まりました」
柔らかい声音。
アルマリア教団の教祖――ミネルヴァ。
その名を知らぬ者は、この場にはいない。
ミネルヴァは、わずかに微笑んだ。
「さて」
ゆっくりと視線が巡る。
「今週の成果報告を聞く前に――」
ほんの少しだけ、声の温度が上がる。
「一つ、確認しておきたいことがあります」
間。
「皆さん」
「アルマリア様は――尊いですか?」
一瞬の静寂。
次の瞬間。
「――当然だ!!」
「言うまでもない!」
「至高!!」
押し殺されていた熱が、一気に溢れ出す。
だが。
完全な無秩序ではない。
あくまで“制御された熱”。
ミネルヴァは、満足そうに頷いた。
「ええ、そうですね」
「疑う余地すらありません」
さらりと言う。
「では――」
すっと指を立てる。
「その“尊さ”に、あなた達は何を返せていますか?」
空気が、わずかに変わる。
「時間?」
「労力?」
「技術?」
一つずつ、静かに積み重ねる。
「足りませんね」
誰も反論しない。
「アルマリア様は、世界の在り方そのものを書き換え得る存在です」
声が、少しだけ低くなる。
「ならば私達は――」
一拍。
「啓蒙する側に回らなければならない」
数人の信徒が、わずかに顔を上げた。
「理解しなさい」
「我らが神への崇拝は、消費ではない」
静かに。
「再現であり、到達であり――」
ほんの一瞬だけ。
笑みが、歪む。
「――探究です」
空気が、凍る。
だが次の瞬間には。
元の柔らかな声に戻る。
「さあ」
「今週も、全力で推していきましょう」
両手を大袈裟に広げる。
「アルマリア様のために」
一拍。
「時間と労力を、捧げなさい」
――爆発。
「うおおおおおおお!!」
「アルマリア様ぁぁ!!」
「全てを捧げる!!」
熱狂。
だが、その中心で。
ミネルヴァだけが、静かに、満ち足りたように微笑んでいた。




