33話 学院祭に向けて
秋の朝は早い。
寮の窓から差し込む光で、ユウリはゆっくり目を開けた。
外では鳥の声がしている。
王都の朝は、思ったより静かだ。
遠くで魔導列車の低い音が響く。
ユウリは体を起こした。
昨日のことを思い出す。
王都の街。
鍛冶屋。
そして――
「……次も一緒に行くから!」
思わず小さく息を吐く。
「……なんだよそれ」
少しだけ笑った。
窓を開けると、冷たい秋の空気が流れ込む。
学院の塔が朝日に染まっていた。
今日も学院祭の準備が大半だ。
ユウリは机の上の、ピクル――の霊触媒に目を向ける。
淡く光り輝く結晶に変化はない。
(まだ、休んでいるのか?)
少しだけ迷って、胸のポケットにしまう。
「……行くか」
◇
寮の廊下には、すでに学生の気配があった。
誰かが階段を駆け下りる音。
遠くで笑い声も聞こえる。
学院祭が近いからだろう。
ユウリは階段を降り、寮の外へ出た。
朝の空気はひんやりとしている。
吐く息が少し白い。
学院の広い中庭では、すでに何人かの学生が作業を始めていた。
木材を運ぶ者。
布を広げる者。
魔導具を並べている者もいる。
錬金術学科の上級生が空に光の球を浮かべていた。
爆ぜるたびに色が変わる。
「毎年恒例、学院祭用の花火」
「本番はこんなもんじゃないぞ」
準備中の学生が誇らしげに言う。
空に弾ける光の粒に見惚れていると、
「ユウリ!」
背後から声が飛んできた。
振り向くと、リナが小走りでやってくる。
亜麻色の髪が朝日に光っていた。
「おはよ」
「おはよう」
リナの手には、昨日買った本があった。
《王国建国物語》。
「昨日の?」
「まだ読めてなくて」
リナは少しだけ頬を膨らませた。
「ユウリが起こしてくれないから」
「……それは悪かった」
ユウリは肩をすくめる。
リナはくすっと笑った。
「ユウリは全部読んだんでしょ?」
「誰かさんが寝てたからな」
「それはいいの!で、どうだった?」
「五人の英雄のところとか、すごく大げさだったけど」
「本当だったら、面白いなって」
ユウリは空を見上げた。
学院の塔の上に、朝日が差し込んでいる。
「そっか、大昔の話だもんね」
「神話な」
「同じじゃないの?」
「いや、違うだろ……」
「さあ行くぞ」
ユウリは歩き出した。
「待ってよ」
リナも駆け寄り、並んで歩く。
◇
中庭の校舎入り口前には、大きな掲示板が立てられていた。
その前に学生が集まっている。
「何か出たのかな」
リナが人の間から覗き込む。
掲示板には大きな紙が貼られていた。
【魔法学院主催展示物】
その中央に、ひときわ大きな文字がある。
【魔法学院上位成績者発表会】
【U18模擬戦大会】
「おお」
ユウリが小さく声を漏らした。
「これがうちのメインイベントなのかな」
リナが目を輝かせる。
「模擬戦?」
「一チーム三人の団体戦」
分厚い学院祭要綱の一ページを思い出す。
学院学科問わず、条件は18歳以下である事。
三人が同時に戦うチーム戦である事。
等々。
「――ってちゃんと書いてあったぞ」
「そ、そうなんだ」
「一年生には関係ないと思って……」
その時、リナの視線が掲示板の端に止まった。
「……あ」
「どうした?」
掲示板の隅に、小さく。
【研究室公開】
『規格外アバター研究室』
降霊術学科:アルマリア教授
「規格外アバター……」
同時に
「……アルマリア先生」
ほんの少し、胸の奥がざわつく。
その時だった。
ポケットの霊触媒が、もう一度微かに脈動した気がした。
「……!」
ユウリは思わず押さえる。
「ユウリ?」
「いや……なんでもない」
顔を上げた。
「そういえば、昨日話したアルマリア教団の冊子」
「まだ寮の部屋に残ってたよ」
「本当?!」
「もしかしたらピクルの事……何か分かるかも知れない」
「えっと……読む?」
王都の秋の朝は、肌寒い風が吹いていた。
◇
放課後。
ユウリは、いつもの演習場では無く中央大通りを北に向かって歩いていた。
中央大通りは、教育特区を貫く大きな石畳の通りだ。
放課後の時間帯だけあって、人通りは多い。
学生服の色も様々だった。
深い紺色は魔法学院。
白と銀の制服は騎士学院。
深緑の外套は文化学院。
それぞれの学院の学生が、当たり前のように同じ通りを歩いている。
通りの両側には店が並んでいた。
本屋。
魔導具店。
カフェ。
学生向けの安い食堂。
店先には学院祭の飾り付けが増えている。
旗。
色布。
手描きの看板。
どの店も、どこか浮き立った空気だった。
通りの中央には、円形の噴水広場がある。
石の縁に腰掛けて、学生たちが談笑していた。
魔法学院のローブ姿の集団が、光球を浮かべて遊んでいる。
その向こうでは、騎士学院の学生が訓練用の刃を潰した剣を肩に担いで歩いていた。
「……ほんと、学生だらけだな」
ユウリは小さく呟いた。
王都に来て半年。
それでも、この通りの賑わいにはまだ慣れない。
教育特区。
王国中の学生が集まる場所。
王都の北西部、その大半が学院と学生の街になっている。
魔法学院を中心に、
北には騎士学院。
西には文化学院。
東には教育大学。
さらに南東には魔導技術大学の巨大な煙突が見える。
鉄を打つ音が、風に乗って微かに届いていた。
研究都市。
学園都市。
そして――国家機関の集まり。
そんな場所だ。
ユウリは通りの北へ進む。
遠くに、石造りの巨大な門が見えてきた。
騎士学院の正門だ。
門の前には広い訓練広場があり、剣の打ち合う音が響いている。
騎士学院の学生たちは、学院祭の準備よりも訓練を優先しているらしい。
「……相変わらず騒がしいな」
ユウリは小さく呟いた。
門の前まで来て、ふと足を止める。
視線の先には、掲示板。
学院祭の催しが貼り出されていた。
その中でも、大きく目立つ文字。
【選抜剣術大会】
騎士学院の主催だろうか。
自然と視線が、その奥へ向く。
門の内側。
訓練広場。
――その端に。
一人の少女が立っていた。
見慣れた金髪。
澄んだ青い瞳が、訓練広場の方を静かに見ている。
ただ立っているだけなのに、背筋が真っ直ぐに伸びている。
「……アリーシャ」
声をかける。
少女が振り向いた。
青い瞳が、一瞬だけ驚いたように揺れる。
「……ユウリ?」
すぐに表情が戻る。
「こんなところで何してるの」
腕を組み、少しだけ首を傾げる。
ユウリは答えず、腰の短刀を鞘ごと差し出した。
「見てくれ」
「ふうん?」
値踏みするような視線。
アリーシャは鞘から短刀を抜く。
刃に光が走る。
その口元が、ほんの少しだけ緩んだ。
「凄いわねコレ」
ユウリは肩をすくめた。
「腕の良い職人を見つけたんだ」
「見たら分かるわよ!」
即座に返ってくる。
「……大当たりを引いたみたいね」
刃の重心を確かめるように、軽く振る。
「この鍛え方、ただの街鍛冶じゃない」
ユウリは短刀を受け取り、小さく息を吐いた。
「……少し聞きたいことがあってな」
「私に?」
鍛冶屋ガラムとのやり取りを手短に話す。
そして。
「――それで、もう一本作ってくれる事になった」
一瞬の沈黙。
「ほう?」
アリーシャの目が、ユウリの瞳を真っ直ぐに見つめる。
「……もう一振りは、守備の剣――」
言い終える前に、アリーシャが小さく頷いた。
「二刀流ね」
「そうだ」
ユウリは短く答える。
「どう思う?」
アリーシャは顎に指を当て、少し考える。
「……なるほど」
小さく呟く。
「相変わらず想像を超えてくるわね……」
やがて。
「良いんじゃない?」
あまりにもあっさりと言った。
「え?」
「なによ。破門と言われるとでも思った?」
「いや……」
ユウリが言葉を濁す。
アリーシャは肩をすくめた。
「これは直感だけど」
一拍。
「あなたの戦い方に合ってるわよ、多分」
「迎撃狩猟型が?」
「そう」
短い沈黙。
訓練広場から、剣のぶつかる音が響いてくる。
その時。
ポケットの霊触媒が、ほんの一瞬だけ温かくなった。
ユウリの指が止まる。
「……?」
「どうしたの」
「いや」
手を離す。
桃色の結晶は、静かに光っているだけだった。
アリーシャが、じっとユウリを見ている。
「……何か隠してる?」
「別に」
「顔に出てるわよ」
容赦がない。
ユウリは苦笑した。
「気のせいだ」
アリーシャは少しだけ目を細める。
だが、それ以上は追及しなかった。
「まあいいわ」
くるりと背を向ける。
「用事を思い出したから、もう行くわね」
「また明日」
軽く手を振った。
「帰り道、気を付けて」
そう言って歩き出す。
金の髪が、秋の風に揺れた。
ユウリは少しだけその背中を見届けて。
「……アリーシャ!」
少女が足を止める。
「騎士学院の選抜剣術大会」
「出るんだろ」
振り向かないまま、肩越しに答えが返ってきた。
「当然」
少しだけ間を置いて。
「応援してるぞ」
ほんのわずかに、肩が動いた気がした。
だがアリーシャは振り向かない。
そのまま騎士学院の門の中へ消えていった。
ユウリも踵を返す。
「……相変わらずだな」
そう呟き、中央大通りへ歩き出した。
そのやり取りを、
遠くから――
一人の少年が見ていた。
騎士学院の訓練服。
まだ新しい胸当て。
袖には一年生を示す細い紋章。
少年は腕を組み、広場の端に立っていた。
青い瞳が、門の向こうへ消えていくアリーシャの背を追う。
「……あれが、噂の」
小さく呟く。
最近、騎士学院の中で妙な話が広まっていた。
飛び級で入学した天才剣士――アリーシャ。
同年代では相手になる者がいない。
そんな彼女が。
魔法学院の学生と、剣の特訓をしているらしい。
最初は誰も信じなかった。
そして今。
少年の視線が、遠ざかるユウリの背中へ向く。
「……あんなのが?」
納得できない、という顔だった。
魔法学院の制服。
腰には短刀。
騎士でもない。
剣士にすら見えない。
少年は鼻で笑った。
「どうせ噂だろ」
そう言いながらも、視線は離れない。
「……あいつが相手?」
面白くなさそうに舌打ちする。
訓練広場では、まだ剣の音が響いている。
少年は木剣を肩に担いだ。
「……少し、確認するだけだ」
誰に言うでもなく呟く。
その口元には、
わずかに歪んだ笑みが浮かんでいた。
◇
騎士学院からの帰り道。
ユウリは、アリーシャの言葉を思い出しながら中央通りを歩いていた。
『あなたの戦い方に合ってる』
二刀流。
鍛冶屋のガラムに言われてから、ずっと考えていた。
腰元の短刀は、元の形よりも小さく取り回しやすく生まれ変わった。
そして――
『防御はもう一振りでやれ』
ガラムの言葉。
攻めと、守り。
左手で受けて、崩す。
右手で刺す。
イメージは出来上がっていた。
そこに、ピクルのサポート――
感覚共有と物理障壁が加わる。
(頼もしいな)
かつての自分では、こうは考えられなかっただろう。
サポート特化のピクルに火力を求めていた。
だが、今は違う。
(全部俺が、狩る)
短刀の柄を強く握りしめる。
その時だった。
「――随分と余裕だな」
背後から声が飛んできた。
ユウリは足を止め、振り返る。
そこにいたのは、騎士学院の訓練服を着た少年だった。
見覚えはない。
だが――
さっきの広場にいた気配だ。
「……誰だ?」
ユウリが淡々と問う。
少年は一歩、距離を詰める。
「騎士学院一年」
それだけ言って、木剣を肩から下ろした。
「グレンだ」
名乗りながら、じっとユウリを見据える。
視線が鋭い。
だが、その奥にあるのは――明らかな苛立ち。
「お前」
一拍。
「アリーシャが認めたらしいな」
ユウリは少しだけ目を細めた。
「……」
「違うのか?」
「まあ、そうかもな」
あっさりと肯定する。
その態度が気に入らなかったのか、グレンの眉がぴくりと動いた。
「……そうかよ」
木剣を軽く振る。
「なら、ちょうどいい」
ユウリは動かない。
ただ、視線だけで相手を測る。
「何がだ」
「どれだけのもんか」
一歩踏み込む。
「試させろ」
空気が変わる。
通りのざわめきが、少し遠くなる。
ユウリは小さく息を吐いた。
「……場所、選べよ」
「逃げるのか?」
即座に挑発。
ユウリは肩をすくめる。
「面倒なだけだ」
少しだけ間を置いて。
「まあいい」
腰の短刀を鞘ごと持つ。
左手、逆手に鞘。
右手は短刀を抜く。
「遊んでやるよ」
その一言。
グレンの口元が歪む。
「言うじゃねえか」
次の瞬間。
グレンが地面を蹴った。
踏み込みが速い。
騎士学院仕込みの、無駄のない直線的な加速。
木剣が振り下ろされる。
ユウリは――
構えたまま動かない。
ギリギリまで引きつける。
(速いな)
だが。
(見えている)
刃が届く寸前。
わずかに体をずらす。
同時に。
左手が、流れるように動いた。
――受け流し。
短刀の鞘が、木剣の軌道を逸らす。
「……っ!?」
グレンの目が見開かれる。
次の瞬間。
ユウリの足が一歩、内側へ入った。
間合いの内。
死角。
短刀が喉元に届く――
寸前で止まる。
静止。
風だけが通り過ぎた。
「……俺の勝ちだな」
ユウリの声は低い。
グレンの動きが止まる。
理解が、追いついていない顔だった。
「な……」
言葉にならない。
ユウリは短刀を引いた。
そのまま背を向ける。
「悪いな」
一拍。
「少ししか遊んでやれなくて」
グレンの拳が震える。
「……くそっ!」
悔しさが滲む声。
ユウリは足を止めない。
その背中を、グレンは睨みつける。
さっきまでの軽い敵意ではない。
もっと重い感情。
だが――
同時に。
「……なんだよ、今の」
小さく呟く。
自分の剣が、まるで通じなかった。
あれは偶然じゃない。
完全に見切られていた。
グレンは歯を食いしばる。
「……もう一回だ」
誰に言うでもなく、そう呟いた。
一方その頃。
ユウリは、夕陽に染まる帰り道を歩いていた。
さっきの一瞬を思い返す。
踏み込み。
間合い。
崩し。
すべてが、噛み合っていた。
(悪くない)
無意識に、短刀の柄を握る。
「……いける」
一拍。
「カミナギ流剣術……なんてな」
夕陽が、長い影を地面に落としていた。




