32話 王都デートと梟の影
「短刀カミナギ――」
「新しい、“お前の刃”だ」
炉の火が、静かに揺れる。
ユウリは手を伸ばし、慎重に短刀を受け取る。
冷たくも、確かな重みが掌に伝わった。
見慣れた柄の木肌が、指先にぴたりと馴染む。
刃先を軽く空中で振る。
まだ刀身は研ぎたてで、触れるだけで微かに震えるようだ。
息を整える。
手に伝わる感覚――反り、重心、鋭さ。
すべてが、以前の短剣とは違う。
新しい命が、確かにここにある。
ユウリは小さく息を吐いた。
老人は黙って頷き、火床の側で短刀を見つめる。
ユウリもまた、刃を握ったまま、視線を炉の炎に落とす。
「お前さん、名前は?」
炉の前で静かに立つ老人が、ユウリの握る短刀を見つめる。
「……ユウリです」
「ユウリ・カミナギ」
ユウリは小さく答えた。
「ふむ……」
老人は頷き、手元の火床へ目を落とす。
短刀を掌で軽く転がしながら、低く呟いた。
「いい刃になったな」
ユウリは、ふとポーチに手をかける。
「……あの、これ、いくらになりますか?」
老人は静かに首を振った。
「いらん」
即答。
ユウリは驚き、ポーチから目を離す。
「え、いいんですか?」
「ただし――」
老人の目が、わずかに光った。
「もう一振り、ワシに鍛えさせてくれ」
ユウリは短刀を握り直す。
ポーチの中身を差し出した。
「……これで、お願いします」
老人はゆっくり手を伸ばし、受け取る。
表情は真剣そのものだった。
「……来週また来なさい。それまでに仕上げておく」
「お爺さんの名前は?」
ユウリが尋ねる。
少しの間。
「わしの名は、ガラム」
ゆっくり振り向き、短刀を見つめたまま言う。
「余生を趣味に費やす、ただの鍛冶好きの老人じゃ」
ユウリは短刀を握り直し、小さく頷く。
炉の火が二人を照らす。
外の喧騒は、まるで届かない。
聞こえるのは、火のはぜる音と呼吸だけだった。
ユウリの手元で短刀がわずかに光る。
手に伝わる重心。
鋭さ。
反り。
すべてが、以前の刃とは違った。
「……来週、また来ます」
ユウリが小さく呟く。
「ありがとうございました」
お礼を言うと、二人は鍛冶屋を後にした。
◇
工房の扉を押し開けると、眩しい昼の光が二人を迎えた。
煙と鉄の匂いは、少し薄れていた。
「……外、眩しいな」
ユウリが小さく息を吐く。
腰の短剣を確かめる。刃は、新しく生まれ変わっていた。
軽く握るだけで、重心が手に馴染む。
リナは嬉しそうに笑った。
「さっきの工房、すごかったね。絶対すごい人だよ」
二人はゆっくりと歩き出す。
通りは、昼の喧騒に変わっていた。
露店は活気を増し、冒険者や商人、学生や旅人が行き交う。
焼き菓子の甘い香り。
鉄と炭の匂い。
人々の声が、重なり合う。
「お腹すいたな」
リナが小さく呟く。
そういえば、朝は歩きながら軽く口にしただけだった。
ユウリも同意する。
(……もうお昼か)
鍛冶屋にいた時間を考えると、もう昼近い。
通りを少し歩くと、角に小さな食堂が見えた。
木製の看板には、《ランチと軽食 ミルフェ》とある。
窓からは、香ばしい匂いとともに、湯気が立ち上っていた。
「ここ、入ろう」
リナが言い、自然と扉を押す。
中は、木の温もりに包まれていた。
昼時で少し混んでいるが、空席はある。
窓際の席に座り、二人は肩を並べる。
メニューを見る。
サラダ、スープ、肉料理、パン。
値段は手頃。学生でも困らない範囲だった。
ユウリはポーチの中を軽く探ろうとして気付いた。
ユウリの所持金は、全て鍛冶屋に預けてきたのだった。
(……リナに、借りだな)
「悪いんだけど、リナ……」
「いいよ、何にする?」
リナが笑う。
ユウリはスープとパン、リナは肉料理とサラダを頼んだ。
「その代わり、今度は奢ってね」
「ありがとう、約束するよ」
料理が運ばれてくる。
湯気が立ち上り、香りが二人の鼻をくすぐる。
思わず、顔がほころぶ。
「……うまい」
ユウリは短く呟く。
温かい昼食。
身体も心も、少し軽くなる。
リナは笑いながらスープをすする。
「鍛冶屋で見たものもすごかったけど、こういうお店も悪くないね」
外の街の喧騒が、窓越しに聞こえる。
ギルド経済の熱気。人々の生活の匂い。
そして、自分たちの時間。
「昼ごはん食べたら、次はどうする?」
ユウリが短く聞く。
リナは少し考えてから、目を輝かせた。
「古書屋に行きたいな。地図とか、歴史関係の本があるらしいの」
ユウリは頷いた。
昼食の余韻に包まれ、新しい刃を腰に収める。
窓の外、王都の人々は今日も街を動かす。
その中で、自分たちの時間は、確かに流れていく。
二人は立ち上がった。
リナが扉を開ける。
昼下がりの王都――
散策の続きが、待っている。
二人は食堂を出ると、通りを東へ向かった。
次は南大通りを挟んで、職人街とは反対側の路地へ進む。
日差しは高く、石畳は白く光っている。
人通りは相変わらず多いが、大通りほどの喧騒ではない。
「この先が目的地」
「書店が集まってる通りがあるらしいの。
古地図とか、古代遺跡の記録とか、そういう学術的なものから、絵本や小説なんかの娯楽用まで、なんでもあるんだって」
「へえ」
ユウリは肩をすくめた。
「それはまた、この国らしいな」
「うん。最初はすごく不思議だった」
「カード一つで生きられるなら、他に働く必要無いって思ってた」
歩きながら、二人は大通りを外れる。
「でも違った。自分のやりたい事で、それぞれが社会に貢献してる」
少し路地に入っただけで、また街の空気が変わった。
露店は減り、代わりに小さな店が並んでいる。
古い本。
巻物。
魔導書の複製。
地図屋。
木の看板が、軒先で静かに揺れていた。
「この辺りだね」
リナが嬉しそうに言う。
「静かだな」
ユウリは周囲を見回した。
人通りはあるが、大通りほど騒がしくない。
学生や研究者らしき人影が、本を抱えて歩いている。
古書の匂いが、ほんのりと漂っていた。
二人は通りをゆっくり歩く。
その時。
視界の端に――
見覚えのある色が入った。
紺と金。
「……」
ユウリの足が、ほんの一瞬だけ止まる。
通りの角。
古書店の並びの中に、少しだけ大きな建物があった。
石造りの三階建て。
入口の上には、紺色の旗。
そこに描かれているのは、梟の紋章――
開いた本の上に、片目が魔法陣になっている梟が止まっている。
看板には、落ち着いた文字。
【アルマリア教団 王都南支部】
閑静な通りの中、人の出入りの激しさが異様に浮いていた。
「……あ」
ユウリが小さく漏らした。
胸の奥で、嫌な記憶が蘇る。
紺と金の布。
テンションの高い勧誘。
分厚い冊子。
――三分だけ!
(……あれか)
思わず視線を逸らす。
「どうしたの?」
リナが首を傾げた。
ユウリは少しだけ苦い顔をした。
「いや……前に、似たような連中に捕まってな」
「捕まって?」
「三分で終わるって言われて、結局一時間……」
「え?」
リナが小さく笑う。
「何それ」
「魂がどうとか、世界の真理がどうとか」
ユウリは肩をすくめた。
「やたら分厚い冊子もらった」
リナの動きが、そこで止まる。
「……魂?」
「なんかそんな感じ」
ユウリは軽く言う。
「真理がどうとか言ってたな」
沈黙。
リナの灰色の瞳が、看板に向いた。
【アルマリア教団】
梟の紋章が、静かに揺れている。
「……アルマリア」
小さく呟く。
どこかで聞いた名前。
思考が、無意識に引っかかる。
(……先生の名前)
研究棟の、だるそうな教師。
紫の半目。
アルマリア。
「……偶然?」
リナは小さく呟いた。
「ああ、学院にもいるな。アルマリアって先生」
「いや――その時の冊子って、まだ持ってる?」
軽く聞く。
「まだ部屋のどこかにあるはずだけど……」
「それより古書屋探そう」
ユウリは心底そう言った。
「また捕まるのは勘弁だ」
「そうね、捕まったら大変」
二人はそのまま通りを歩いていく。
古書店の軒先には、古地図や古い巻物が並んでいる。
リナは楽しそうに足を止めた。
「見て、ユウリ。これ古代航路図だって」
「へえ」
ユウリは適当に相槌を打つ。
その時。
通りの向こうから、一人の女性が歩いてきた。
背の高い、細身の女性だった。
金色の長い髪を後ろでまとめ、細いフレームの眼鏡をかけている。
黒いジャケットに、丈の短いスカート。
革のロングブーツが石畳を静かに鳴らす。
歩きながら、通りを観察するように眺めていた。
そして――
ほんの一瞬だけ、ユウリの方へ視線が向く。
――観察するような、温度の無い視線。
灰色の瞳。
その拍子に、耳元の小さなピアスが光った。
梟を模した、銀の飾りだった。
女はそのまま、教団支部の方へと歩いていく。
微かに、甘い香水の匂いを残して。
「ユウリ、こっちこっち」
リナが手招きする。
「ああ」
ユウリは振り向く。
もう女の姿は、人の流れの中に消えていた。
通りの角。
紺と金の旗が、ゆっくり揺れていた。
梟の紋章は、昼の光の中で静かに輝いている。
◇
古書店の中。
カウンターの向こうに、男の姿がある。
この店の店主だろうか。
こちらに興味の無い様子で本を読み続けている。
棚の一角に、古い地図が広げられていた。
「……これ」
リナが足を止める。
指先が、地図の端をなぞる。
「どうした?」
「この地図」
小さく笑う。
「私の国は、この島かな」
ユウリは少し驚く。
「そんな遠くから来たのか」
「うん」
リナは肩をすくめた。
「家出みたいなものだけど……」
「ユウリは北の辺境だったよね」
「ここら辺かな」
王国の北の端を指す。
「俺のいた村より北に、人は住んでいないからな」
「ユウリの故郷ってさ」
「どんなところ?」
「そうだな……王国のはずれにあって」
「魔獣も出るし、冬は長くて厳しい。そして何より――生活の中に戦いが溶け込んでいた」
「王都とは全然違うね」
「そうだな」
「ユウリの腕の刺青、あれはみんな掘るの?」
「これか」
そう言って袖を捲る。
「そうだな、大人になると全員」
「掘る場所は色々だけどな」
「へぇ、そうなんだ」
まじまじと見つめるリナ。
「柄の模様と一緒だね」
腰の短刀を見る。
ユウリは短刀を半分だけ鞘から抜き構える。
短刀の柄と、腕の幾何学模様が繋がった。
本を読んでいた男が、一瞬視線を向ける。
その視線は、短刀ではなく――
ユウリの腕の刺青に向けられていた。
しかしすぐに、興味を失ったのか読んでいた本に視線が戻る。
「一人前の証なんだ。刺青を入れる時に一緒に貰う」
「大切な物なんだね」
二人は、古書店の中を見て回る。
やがて、世界の神話を集めた一角に辿り着く。
リナが小さな本を持つ。
「これ買おうかな」
「絵本?」
「建国神話」
「子供用じゃないのか?」
「……いいの」
店主に声をかける。
男は、読んでいた本に栞を挟むと、小さく言った。
「店の中で武器を振り回さないでくれよ」
「200エレンだ」
リナは銀貨を2枚手渡す。
「毎度あり。またのお越しを」
男は再び本を開く。
栞には、小さくこう刻まれていた。
【疑え】
木製の栞だった。
梟の形をしている。
二人は、それに気付く事なく店を出た。
店の扉を押すと、外の空気が流れ込んできた。
通りは少しだけ人が増えていた。
秋の風がひんやりと心地よい。
「そろそろ帰るか」
南大通りを城壁に向かって歩くと、環状線の駅がある。東回りで帰れば40分。
「遠回りしよ」
「遠回り?」
「逆回りで帰れば西の方も観れるでしょ」
リナは本を軽く振る。
「その間にこれも読めるし」
西回りでで北東まで行くと1時間。
列車内で先ほど買った本を読むつもりだ。
ユウリは、ふっと笑った。
「そうだな、ゆっくり帰ろう」
◇
列車の心地良い揺れが、二人を包み込んでいる。
ペアシート。
リナは本を開く。
「読むんじゃなかったのか」
「読むよ」
ページをめくる。
数分後。
――こくん。
リナの頭が、ユウリの肩に落ちた。
柔らかい亜麻色の髪が、頬に触れる。
寝息。
ユウリは誤魔化すように小さくため息をつく。
「……読んでないじゃないか」
ユウリはそっと、本が落ちないように手に取った。
(見てみるか)
《王国建国物語》
表紙には、五人の英雄が巨大な龍に立ち向かう挿絵が描かれている。
子供向けの本らしく、少し誇張された勇ましい絵だった。
ページを開く。
――王国建国物語――
世界がまだ混沌に包まれていた頃。
天より一つの高貴なる魂が地上へ降り立った。
後に王家の祖となる者――
スメラギの血統の始まりである。
その魂は人の姿を取り、一人の女と結ばれた。
やがて五人の子が生まれる。
長子は王の資質を持ち、
残る四人はそれぞれ異なる力を授かっていた。
五人は互いに助け合い、荒れ狂う世界を旅した。
大地を整え、魔を払い、
混沌に沈んだ人々を導いたという。
そして最後に。
この地に巣くっていた邪悪なる龍を討ち滅ぼした。
龍の骸は大河へと姿を変え、
その流れは王都の地に豊かな恵みをもたらした。
こうして世界は秩序を取り戻し、
長子は王となり国を興した。
残る四人は王を支え、
人の世を守る柱となったという。
それが王国の始まりである。
「――それが王国の始まり……ね」
ユウリはページを閉じた。
「……ずいぶん都合のいい話だな」
小さく呟く。
肩では、リナが静かに眠っている。
列車はゆっくりと環状線を進んでいた。
窓の外、街並みの向こうに太陽が沈みかけている。
赤い光が、王都の屋根を染めていた。
ユウリは本を閉じ、膝の上に置く。
裏表紙には、十二芒星が刻まれている。
その中央には、小さくこう書かれていた。
――王家の血は、天より授かったものなり。
「……着いたら、起こすか」
小さく呟く。
リナの寝息は、相変わらず規則正しい。
列車は夕暮れの街を静かに走り続けていた。
北東の駅に到着するときには、空はすっかり夕闇に染まっていた。
ホームの灯りが、ぽつぽつと点り始めている。
ユウリは肩を軽く揺らした。
「……着いたぞ」
「ん……?」
リナがゆっくり目を開く。
状況を理解した瞬間、頬が赤くなった。
「……ごめんなさい、私だけ寝ちゃって」
「わかるよ、列車って眠くなるよな」
ユウリは軽く肩をすくめる。
「揺れが一定だし」
「あーもう!」
リナは軽くユウリの腕を叩いた。
「そういう時はユウリも一緒に寝るの!」
「寝過ごしたらどうするんだよ」
ユウリが呆れたように言うと、
リナは少しだけ視線を逸らした。
「……行くから」
「ん?」
リナは顔を上げる。
「次も一緒に行くから!」
「その時は、ユウリが寝るんだよ」
街灯の光が、その笑顔を照らしていた。
ユウリは少しだけ言葉に詰まる。
「……ああ」
「次は俺が奢るんだったな」
二人は列車を降りる。
夜の駅は、昼とは違う静けさに包まれていた。
ホームの灯りが、淡く石畳を照らしている。
改札を抜けると、冷たい夜風が頬を撫でた。
「寒くなってきたね」
リナが肩をすくめる。
「秋だからな」
ユウリは短く答える。
二人は並んで歩き出す。
寮へ続く道は、街灯が等間隔に並んでいた。
「今日は楽しかった」
リナがぽつりと言う。
ユウリは少しだけ笑う。
「そうだな」
しばらく無言で歩く。
城壁を抜けると、やがて学院の寮の灯りが見えてきた。
「じゃあ、また明日」
「ああ」
リナは軽く手を振り、女子寮の方へ走っていく。
ユウリはその背中を少しだけ見送った。
夜空には、静かな星が浮かんでいる。
――梟の影は、まだ誰も気付かない。




