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竜輝士 ~Legend of Dragoon~  作者: 天川しずく
第2話 島に鳴り響く鐘の音
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PART7. シャロン・ストライブス【1】

 


 気分転換──その方法に明確な定義は存在せず、睡眠、食事、運動、音楽鑑賞だったりと、人それぞれ自分なりの方法を持ち合わせていることだろう。


 あたしなりの気分転換としては、バイク、ギター、ショッピング、ギャンブル等々様々あるが、強いて挙げるとすれば、やっぱり〝喫茶店通い〟になるのかな?


 日替わりスイーツに舌鼓を打ち、淹れたての珈琲の味と香りを堪能しながら煙草を燻らせる。それでもって、馴染みの店員と世間話をして、気の合う友人と馬鹿話をして、平和な日常の雰囲気を存分に味わうんだ。たまには時間を忘れてファッション雑誌を読み耽ったり、クロスワードに没頭するのもいいな。


 自他共に認める浪費家なあたしにしては、えらく庶民的な方法だと自分でも思うが、やっぱりこれが一番合っているような気がする。その理由は……………わからない。と言うか、考えたくもない。そもそも気分転換とは脳の休息の様なもの。余計なことを考えること自体がナンセンスだ。休む時は全力で休んで、遊ぶ時は全力で遊ぶ、そうでなければリフレッシュとは言えないし──ならない、だろ?


 そんなわけで遠方での仕事を終え、四日ぶりにブルーベルに戻ったばかりのあたしの足は、自然とフレッシュフィールドへ向かって歩を進めていた。


 フレッシュフィールドは第二西地区の一等地に店を構え、オーガニック素材を使った美味しいコーヒーや紅茶、軽食を提供している喫茶店だ。提供される料理やスタッフサービスの良さは言うまでもなく、店の造り、雰囲気なども高く評価され、喫茶店でありながらレストランガイドの最高峰勲章〝キングス・スプーン〟を七年も連続で獲得しており、ブルーベル屈指の人気店なのだ。それ故、入店する際には結構な待ち時間を強要されることが多いのだが、現在時刻は一七時三〇分ジャスト。たぶん大丈夫、余裕で座れるだろう。


 しかし、いざ店の前に到着してみると、空席どころか腹ただしい程の行列ができていた。そう言えば、今日は竜騎士祭りだったか……どうりで街を歩く人間がいつもより多いわけだ。


 あたしは思いっきり舌打ちをくれてやった。それはマイオアシスに群がる連中に対してもそうだが、竜騎士祭りなんてくだらないドンチャン騒ぎを考えたあのクサレ王子に対しては特にだ。いつも余計なことばかりしくさりやがって。マジ△△△以下の○○○○野郎だな、あいつは。


「ああ、ムシャクシャすんなぁ、もう!」


 レンガ畳の歩道にブーツの踵で軽く蹴りを入れたあたしは、ジャケットの内ポケットから煙草を取り出して火を点けた。嫌煙厨のアホ共が胸糞悪い視線を向けてきたので、あたしは心の中で一言「××!」と罵倒してやった。


「おや? どうしたんです、シャロンさん? 随分とご機嫌斜めみたいですけど」


 後ろを振り返ると、フレッシュフィールドの店長が立っていた。ウェイター服の上に黒のナイロンジャンパーを着込んで、左手には黒革のセカンドバッグを携えている。おそらくは、所用で外出していたというところだろう。


「いよぉ、店長。商売繁盛で良かったな、ええ? 早く二号店をオープンした方がいいんじゃないか? そうすれば、せっかく来店した常連客をないがしろにしなくて済むと思うぜ?」


 あたしが嫌味ったらしい皮肉を口にしても、店長は営業スマイルを崩さなかった。


「ハッハッハ、少し棘がありますね、その言い方。……わかりました。僕に付いて来てください。席、用意しますよ」


 店長はにこやかに笑って、あたしをフレッシュフィールドの裏口へと案内してくれた。他の客に見つからないように、そこから厨房へ入り、客席へと通される。


 特別扱いされるこの優越感……いいね、悪くない。


 テラスの一番右隅に着席したあたしは、早速アイスコーヒーを注文した。まずはアイスコーヒーを味わいながら煙草を一服し、次に頼むものをゆっくりと考える──それがいつものパターンである。あたしは煙草に火を点け、テラス内に咲き誇る色鮮やかな南国の花々を愛でながら、注文したアイスコーヒーを待った。


 注文してから約三分後、ウェイトレスがアイスコーヒーを運んできた。彼女は慣れた手付きでテーブルの上にコースター、コーヒーグラス、ミルクピッチャー、シロップピッチャー、ストローを順に置いていく。全てを置き終えると、彼女は一言一礼して席を離れて行った。


 あたしはコーヒーグラスにストローを挿し、グラスの縁をなぞる様に一回転させた。そして、グラスと氷が軽くぶつかり合う涼しげな音に耳を傾けながら、おもむろにストローを啄ばみ、アイスコーヒーを口内へと運ぶ。


 程好い苦味と酸味が口の中いっぱいに広がり、遅れて顔を出す深いコク。そして、鼻から抜けるこの芳醇な香り……うん、やっぱりここのコーヒーは最高に美味い。あたしはアイスコーヒーを半分程飲み終えたところで煙草を燻らせた。カフェインとニコチンが体の中を駆け巡り、思わず至福の溜息が出る。そんな法悦に浸るあたしに声をかけてきたのは、フレッシュフィールドのホールスタッフリーダー、シズネだった。


「いらっしゃい。はい、これ。店長がサービスだって」


 テーブルに給仕されたのは、生クリーム、チーズ、フルーツをふんだんに使用したフレッシュフィールド名物のロールケーキ。あたしの大好物だ。


「サンキュー。いつも悪いね」


「出張から帰って来てたんだ? ハインランドの街はどうだったの?」


「超最悪だった。飯は不味い。酒は自由に買えない。おまけに禁煙法がクッソ厳しい。な~にが〝美しい(いにしえ)の都〟だ。何の娯楽もないただの古臭い街じゃねえか!」


「ええぇ、そうなの? 私は一度ハインランドに行ってみたいと思ってたんだけどなぁ」


「絶ッッッ対に止めとけ! 金と時間の無駄だから。それよりさぁ、コーヒーのおかわりちょうだいよ。次はホットにしてね。ああ、それとマスカットパフェを追加でお願い」


「はいはい、今持ってくるわ」


 そう言って、シズネが踵を返した瞬間、聞き慣れた鐘音がブルーベル全体を包み込み、まるで時が止まったかのように辺り一帯が静寂に満たされた。が、それも束の間の事だった。鐘音に次いで災害対策本部から一時非難勧告が発せられると、客たちは何事もなかったかのように食事と会話の続きを楽しみ、従業員たちは仕事を再開した。気付けば、いつも通りの日常、いつも通りのブルーベルがそこにあった。


 相変わらず平和ボケした連中だ。いつも竜騎士が何とかしてくれるなんて、甘い考えをしていたらいつか痛い目を見るぞ。竜騎士だって人間だ。死ぬ時はコロっと死んじまう。決して漫画やアニメに出てくるような無敵のヒーローなんかじゃないんだ。


 だからこそ……いや、これは余計なお世話だな。大昔から幾度となく警鐘は鳴らされている。その音色に耳を傾けるのも、逆に耳を塞ぐのも、全ては個人の判断──自己責任の範疇だ。


「まあ、好きにすればいいさ」


 あたしはアイスコーヒーを一気に飲み乾した。心なしか、さっきより苦味と酸味が増したような味がするが……単なる気のせいか。


「おら! 早く土下座しろっつってんだろ! ボコにされてえのか、ああん⁉」


 あたしはロールケーキを口に頬張りながら、目抜き通りの方へ視線を向けた。そこに居たのは、この街には掃いて捨てる程いる量産型のチンピラが数名と、黒いロングコートに身を包んだ見るからに怪しい二人組だった。一見すると、因縁をつけているのはチンピラ集団で、つけられているのはロングコートの二人組といったところか。


「へぇ、こいつは面白そうだ」


 あたしはロールケーキの残りを口に運びながら、チンピラ共と二人組の動向を静観した。


 ──チンピラAが左手でロングコートAの胸倉を掴む。

 ──全く動じないロングコートA。

 ──その傲然とした態度にキレるチンピラA。

 ──野次馬根性丸出しの群衆がチンピラAとロングコートAを煽り始める。

 ──あたしもそれに続く。思わず拳に力が入った。

 ──そして、異様な盛り上がりを見せるその場の雰囲気に、引くに引けなくなったチンピラAは右拳を大きく引く。

 ──次の瞬間、車に撥ねられたような低く鈍い音が響き渡り、チンピラAが宙を舞った。

 ──沸き起こる歓声と悲鳴の大合唱。

 ──勝者(ウィナー)、ロングコートA!


 結果的に言えば、殴りかかったチンピラAがロングコートAの後ろ回し蹴りを喰らって、盛大な返り討ちに遭ったわけだが……あたしが見たかったのはこんな()()()()()()()()じゃない。


「なぁんだ。あいつ醒心力(パルス)が使えんのかよ……つまんね」


 一瞬にして興味を失ったあたしがそっぽを向くと、そこには先程注文した品を運んできたシズネが佇んでいた。


「つまらないって言うぐらいだったら、止めてあげればいいのに。シャロンなら簡単でしょ?」


 シズネはコーヒーとパフェを給仕しながら困った様に微笑んだ。


「やらせとけばいいんだよ。こんなクソ祭り如きで、熱くなるようなド低能共には良い薬だ。牢屋に入るなり、病院に入るなり、好きにさせとけばいいのさ」


「辛辣ねぇ……ま、いいわ。はい、これ。」


 シズネは脇に挟んでいた雑誌とボールペンをあたしの目の前に置いた──クロスワード雑誌〝ジーニアス〟四月号だ。


「ええ、何? あたしの為にわざわざ買っておいてくれたの?」


 フレッシュフィールドからはこれまでに色々なサービスを受けてきたが、遂にあたしの購読雑誌まで用意してくれるようになるとは思いもよらなかったことだ。これはシズネのアイデアか、それとも店長のアイデアか、どちらにしても……ちくしょう、味な真似しやがる。


 天井知らずのサービス精神にあたしは思わず相好を崩した。多分、その時の笑顔は心底晴れやかで満ち足りたものだったと思う。


 そんなあたしを見て、シズネが優しく微笑んだ。


「お礼は結構よ。それね、ザックさんとユーイちゃんに頼まれたの。『この雑誌をシャロンに読ませとけば、少しは大人しくなると思うから、これからは店に常備しておいてくれないか』ってね。それに本のお代も貰っているから、何も気にすることはないわ」


「……ふ~ん、なるほど。これはサービスの一環などではなく、あたし用の鎮静剤ってわけか。……おまえら、揃いも揃ってふざけやがって。後で覚えていろよ」


「フフフ、どうやらお気に召してもらえたようね。私はこれからお客たちをシェルターに案内しないといけないから、もう行くね。コーヒーはポットごと持ってきたから、自由に飲んでちょうだい」


 そう言い残し、足早に店内へと戻って行くシズネの後姿を見送った後、あたしはクロスワード雑誌のページを捲りながら、未だ喧噪止まぬ目抜き通りの方へと首を巡らせた。


「ギャアギャアうるせえなぁ! どっか他でやれよ!」




 一八時二〇分、閑散としたテラス内で、あたしは一人クロスワードパズルに没頭していた。

 他の客がどうしたのかは知らない。多分、従業員の誘導で店のシェルターに避難したか、会計を済ませて退店したか、そのいずれかだろう。


 最早、店として機能していないフレッシュフィールドに居座っていても仕方がないが、どうせ河岸(かし)を変えても同じ状況に違いない。だから、避難勧告が解除されるまで、ここで暇を潰すことにした。幸い、暇潰しのアイテムもあることだし、煙草の手持ちにもまだ余裕がある。堪え性のないあたしでも、小一時間程度ならなんとか我慢できるだろう。


 あたしは冷めたコーヒーを口にしながら、問題の続きに目を遣った。


 ──その時だった。

 突如として、あたしの左手が何かに取り憑かれたように震え出し、視界中央に〝緊急連絡‼〟の文字が浮び上がった。次いで、携帯電話(AIフォン)のオペレーターであるミイが何処からともなく現れる。


「お、おい。おまえ、なんで……」


 ミイは、状況が理解できず慌てふためくあたしを無視して、テレビ電話のモニターを目の前に展開させた。そして、モニターに〝SOUND ONLY〟の文字が映し出された後、聞き覚えのある声があたしの鼓膜を激しく揺らした。


『シーちゃん! 大変なの! さっきマイから連絡があったんだけど──』


「声! 声がデカいって!」


『ご、ごめん。つい……』


 電源をオフにしていた携帯電話を強制的に起動させるという、中々ブッ飛んだ方法で連絡を寄こしてきたのは、ユーイの実妹だった。


「おまえ、こういうのマジやめろよなぁ。心臓の悪いジジババだったらショック死してるぞ?」


 あたしは深い嘆息をついて天才少女の非常識さを咎めたが、アイは謝辞を述べる時間さえ惜しむかのように、声を荒げて連絡してきた経緯を説明し始めた。


 ──説明から僅か二〇秒後、あたしはもう耳を塞ぎたくなっていた。


 今日はもう働かないと決めていたのに……更には依頼案件があのクサレ王子の救出だと言うのだから当然である。しかも、当の本人は泥酔しきっており、拉致されたことにすら気付いてない愚図っぷり。相変わらず肝心な時に役に立たない×××野郎だ。


 ……だが、助けないわけにもいかないのが非常に癪である。王子だけならまだしも、アイやマイ、それに五五支所に加わる予定の新たな仲間が事件に巻き込まれていると言うのだから。


 それにしても、あたしがクロスワードに没頭している最中、すぐ近くでそんなことが起きていようとは思いも寄らなかった。()()()()の話であるが、あの時シズネの助言に従って仲裁に入っておけば、こんな大事にはなっていなかったということか……。


 あたしは手にしていたクロスワード雑誌をテーブルの上に放り投げ、新しい煙草に火を点した。


「わかったよ。やるよ。要は王子を助け出せば良いんだろ? だったら、マイたちの追跡はもう必要ないから、撤退しとけって伝えておけよ」


『それがさ、マイに連絡が繋がらないんだよ』


「なんだよ? まさか、やられちまったのか?」


『ううん、そうじゃないんだけど……。多分、ウイルスの影響で色々な不具合が発生しているからだと思う』


「ウイルス? 不具合? 何のことだかよくわからないが、つまり救出リストにお二人様追加ってことでオーケー?」


『うん、お願い。必要な情報はシーちゃんの携帯に送信しておくから、わからないことがあったらミイに聞いて』


「了解。それにしても……防衛任務を億劫がった結果がこれか。は~あ、近道が遠道になるってやつだな、まったく」


『シーちゃんの場合、身から出た錆。もしくは因果応報ってやつなのでは?』


「……」




 時刻は一八時三二分、場所は第二二港湾商業区内。それは犯人と王子の姿を肉眼に捉える寸前の出来事だった。突然、マップ上で不可解な動きを見せる携帯電話の信号に、あたしは思わず首を傾げた。


「犯人の奴、一体何を考えているんだろうな?」


 ミイが不思議そうな顔であたしを見つめる。


『何ってそりゃあ、追跡を撒くかマイたちを始末する為に、王子の携帯電話を海に放り投げたってところじゃないの? どちらかと言えば、後者が本命だとボクは思うけど』


「だから解せないんだよ。こいつ、本当に王子を拉致する気があるのか? 疑ってくれと言わんばかりのバカ丸出しの格好、衆人環視の中で一般人への暴行、それ以外にも稚拙で計画性のない行動の数々……もし、これで拉致が成功すると思っているのなら、哀れとしか言いようのないおつむの出来だぜ」


『じゃあ、犯人の本当の目的は別にあるとでも?』


「さあ? そこまではわからんね。ただ最初(はな)っから、失敗して当然、成功すれば儲けものぐらいの考えでやってんのかもな」


『失敗して当然って……こんなことを仕出かせば極刑か終身刑は確実なのに……』


「世の中には、金、物、理想、志、愛、快楽、条件次第で何でもする奴がいるんだよ。自分の命より尊いものがある、自分の命ほど軽いものはない、なんて偏執的な考え方をしている奴らは特にそれをやりがちなんだ。そういう人間は……」


 ──と言いかけて、あたしは口を噤んだ。

 何を偉そうにペラペラと……そんな資格があるってのかよ、このあたしに。


『そういう人間は──何?』


 ミイが嬉々として興味深げな顔を向けてきたが、最早続きを話す気にもなれなかったあたしは、勤勉振りを装うことで無理矢理その場を誤魔化した。


「お喋りはここで終わり。一先ずは、携帯の信号点付近まで行くぞ」


『……はぁい』


 商業区を抜けてすぐ、あたしは倉庫区内を一望できる高さまで跳躍した。

 俯瞰の位置から桟橋付近を見渡す。が、特に不審な点は見当たらない。

 続いて埠頭の方を見遣る──その時だった。

 埠頭横に建て並ぶ倉庫群の一角で光が瞬き、それに少し遅れて発破音が轟く。

 倉庫の向う側で何が起こったのかは、あたしにもミイにも容易に想像がついた。


『まさか』


「おっと、それ以上は言うな。まだ、わかんねえだろ?」


 気休めを口にしつつ、建物の屋根を移動する足場にして大急ぎで現場に向かうが、実のところ、もう手遅れだろうと思っていた。マイは残機無限のチート持ちだから、何度でも蘇ることができるが、レオって子供(ガキ)はおそらく……。

 

 あたしは無意識的に発現させていた醒心武具(ドラゴンキラー)の銃把を強く握り締めた。


 現場から少し距離を空けて、埠頭側を見渡せる倉庫の屋根に降り立ったあたしは、目の前の光景に言葉を失った──それほど、あたしにとってはおぞましくも許し難い光景だった。


 涙で顔を濡らし、虚な表情で横たわる少年に黒いロングコートに身を包んだ男が馬乗りになっている。そして、男の振りかざした右手には軍用のフォールディングナイフが握られており、今まさに、その凶刃を少年に突き立てようとしていた瞬間だった。


 不意に、あたしは体中の血液が沸騰するような感覚に襲われた。頭の芯が痺れ、目の前が真っ白に塗り潰されてゆく。心の奥底から込み上げてくるのは形容し難い程の憤激と殺意、そして……忌むべき過去と慙愧の念──全てが許せなかった。


 あたしは何の躊躇いもなく銃の引き金を引いた。


 銃口が蒼い火を吹くと同時に、紅に染まる空の下で、雷鳴にも似た銃声が轟き渡る。


 その残響と、右手を押さえて地面をのたうち回る男の悲鳴を聞きながら、あたしは再び引き金を引く。倉庫の屋根から飛び降りて、無造作に近づきながら何度も、何度も引き金を引いた。しかし、奴の両手、両肘、両肩、両腿、両膝に計一〇発の弾丸を撃ち込んでも、あたしの気は収まらなかった──いっそのこと……。


『シーちゃん!』


 ミイの声で我に返ったあたしは、ボロ雑巾のように転がる男の頭部に突き付けていた銃口をゆっくりと引き離した。


『どうしたの? 少し……その…変だよ?』


 ミイは血だらけで地に伏した男と、その傍らで気を失っているレオを一瞥した後、心配げな眼差しをあたしに向けた。


 あたしは大きく息を吸いながら左掌(ひだりて)で顔を拭った。もちろん、そんなことで心の底にこびり付いた不快感と自己嫌悪を拭い去ることはできなかったが、この行為によって僅かな余裕を取り戻すことに成功したあたしは、平静を装った素振りでミイに応えた。


「変? どこがよ? こいつは一応覚醒者(パルサー)だぜ? それに標的(王子)どころかそこらの有象無象に牙を向ける狂犬だ。ダルマにでもしておかなきゃ安心できないだろう?」


 数瞬の間を空けて、ミイが口を開きかけた時、あたしは振り向き様に銃を構えた。それは後方から何者かが忍び寄る気配を感じた故の反射的行動だった。


「わっ! ちょっとストップ、ストップ! 撃たないで! 話せばわかる! 話せばわかるからぁ! お願い、私の話を聞いてぇ!」


 銃口の先に居たのは、黒のビジネススーツに身を包んだ女だった。


 スーツの似合う均整の取れた肢体。少し垂れ目の温和そうな顔。腰まで届くライトグリーンの長髪を後ろで結って、口元の左下にある黒子とソフトフォックス型の縁なし眼鏡が印象的だ。年頃はあたしと同じか少し上ぐらいで、背丈はあたしより少し低いぐらい──およそ一七〇センチといったところか。


 両手を上げて涙ながらに弁明しようとしているところを見ると、あたしに対する敵意と害意はないようだが……まだ油断はできない。そう思わせる程、こいつの気配の殺し方は見事なものだった。


「あんたは? ここへ何しにきた?」


「私は三〇一支所のグリン! ふ……じゃなくて、アイちゃんに事件の事後処理を頼まれた者よ! 私の竜騎士証を見る? て言うか見て! そうしたら信じてくれるでしょ⁉」


 秘匿にされているこの事件とアイの名前を知っているところを見ると、どうやら嘘はついていないようだ。


 あたしが銃を下ろすと、グリンと名乗る女は眼鏡のブリッジを押し上げて安堵の溜息をついた。


「あ~、怖かったぁ。ガンスリンガーの背後から不用意に近づいちゃダメって、なんかの漫画で読んだことあるけど、どうやら本当だったみたいね。これがきっと『俺の背後に立つな!』ってやつよね、多分。まあ、とにかく勉強になったわ。でも、こういう時どうするのが正解なのかしら? きっと声をかけても銃を向けられるでしょ? と言うことは、いちいち真正面まで周ってから『ハロー、私は怪しい者ではありませんよぉ』って挨拶でもしないとダメなのかなぁ?」


 グリンは軽口を叩きながらあたしの前に歩み寄ると、おもむろに右手を差し出してきた。


「あなたがシャロン・ストライブスさんね。お会いできて光栄だわ」


 さっきとは打って変わって満面の笑みを浮かべるグリン。

 臆病なのか豪胆なのか正直掴みどころのない女だ。

 あたしは半分呆れ気味に、もう半分は感嘆を込めてグリンの右手を握った。


「〝さん〟付けは止してよ。あたしは敬称で呼ばれることにも、呼ぶことにも慣れていないんだ。だから呼び捨てでいいよ。あたしもそうさせてもらうからさ」


「オッケー。私も敬語は苦手だからその方が助かるわ。今後ともよろしくね、シャロン」


 握手を交わしたところで、遠くからパトカーのサイレン音が聞こえてきた。その音が徐々にこちらに近づいてきていることを察したグリンは、口を尖らせて溜息をついた。


「どうやら、ガールズトークに興じている時間はなさそうね。じゃあ、あとは私が引き受けるから、シャロンはほとぼりが冷めるまで、そのレオって子と何処かに隠れて居てくれる? 色々事情があって、今は警察や病院には連れて行けないらしいからさ」


「わかった。でも、いいのかよ? まだ王子も見つけていないし、マイも……」


 ──と言いかけて、あたしはグリンの後方に視線を移した。そこには倉庫のシャッターに背を預けて物言わぬ人形と化していたマイの姿があった。手足は明後日の方向を向き、腹部は割かれ、左側頭部が原型を留めない程破壊されている。


 普段、悪態ばかりついてくるこまっしゃくれたロボットだが、それでも見知った顔がこうも無残に、こうも無慈悲に嬲られるのは、やはり不愉快……いや、憤慨の極みだった。


 あたしは下唇を噛んだ。そして、激情に駆られて再び銃を握り締める。が、グリンの静かで力強い声があたしの凶行を思い留まらせた。


「あなたが手を下す必要はない。これだけの大逆罪を犯したんだもの、こいつはもう死んだも同然よ。尋問という名の拷問を徹底的に受けた後、運が良くて一生牢獄暮らし、運が悪ければ即あの世行き──あっ、逆か。楽に殺してもらった方が幸せよね、きっと」


 あたしは右手の力を抜いて、足元で横たわるロングコートの男へ視線を向けた。


「たしかにあんたの言う通りだな。このゴミ野郎……どうせ死ぬんなら、より苦しんでから死んでもらった方があたしとしてもいい。止めてくれて礼を言うよ」


「どういたしまして。あっ、そうそう、王子のことは心配しないでいいからね。さっき、そこの倉庫裏で見つけたから。あの人、こんな状況にも関わらず、呑気に鼾をかいて眠っていたわ。さすがよね、まったく………さあ、それよりも早くここを離れて」


「オーケイ。じゃあ、後は頼むよ」


「任せといて。また会いましょう、シャロン」


 あたしはグリンとハイタッチを交わした後、レオを肩に担いでその場を離れた。


 時刻は一八時四〇分だったと思う──竜の討伐完了を報せるアナウンスが第二二港湾内にも響き渡っていた頃だったから多分間違いないはずだ。




 第二二港湾を離れ、第三西地区まで戻って来たあたしは、どこに身を隠すかで頭を悩ませていた。


 祭りの影響で近場のホテルは満杯だったし、カラオケ屋、漫画喫茶など、個室の取れそうな場所はいずれも同様だった。となれば、このまま東区にある自宅に帰るのが正解なのだろうけど、ここからだと街を横断するかたちになる。それははっきり言って面倒だし、長時間、この()()()()()を衆人の目に晒すことになりかねない。


「さて、どうすっかなぁ」


 あたしがレオをおぶって、できるだけ人目のつかない裏路地を歩いていると、下品なイルミネーションに彩られたラブホテルが目に映った。ホテル名はホテル・ブルーシーサイドヘブンというらしい。


「たしかこのホテルは……」


 あたしはあることを思い出して一本の電話をかけた。連絡した相手は、この界隈で風俗関係の事業を展開している、通称〝ピンク野郎のスティーブ〟だった。


「よぉ、スティーブ。久しぶりだな」


『ご無沙汰してました。(あね)さん! 最近、カジノにも来ないから心配してたんスよ。やっぱ竜騎士の仕事が忙しいんスか?』


「まあ、ボチボチってところだな。それよりおまえ、第三西地区に新しいラブホテルを建てたって言ってたよな?」


『ええ、そうなんスよ! 最高のラブホを建てました! 一番の売りは室内に作った砂浜ッス。体に潮水と砂をくっつけたまま、プレイできるって中々乙だと思いやせんか? それにコスプレの衣装も──』


 このまま好きに喋らせて置くと、毎度の如く胸焼けするレベルの下ネタを乱発してきそうだったので、あたしはスティーブの言葉を遮って、単刀直入に用件のみを伝えた。


「おい、今から一室確保しろ」


『え、ええ⁉……今からですか? そいつぁ、ちょっと……」


「うるせぇ、何とかしろ。あと一分で着くからな。急げよ、コラ!」


『……わかりました。姐さんたっての頼みです、何とかしますよ。しかし、姐さんのお相手できる野郎は幸せもんですねえ。まったく、羨ましい限りスよ。まあ、とにかく楽しんじゃってください。最高の部屋を用意させときますから!」


 よし!──あたしはガッツポーズを取って電話を切った。するとミイが……と言うより、やはりミイが……横から口を挟んできた。


『シーちゃん? まさかとは思うけど、レオに良からぬことをするつもりじゃないよね?』


「ば、ばば、馬鹿を言うな! あたしはだな、その……なんていうか…そう、ただ純粋な善意からレオを解放できる場所を確保しただけなんだぞ? そ、それなのにおまえという奴は、なんというハレンチな妄言を……」


『だって、美少年好きアンド年下好きのシーちゃんにとって、レオは()()()()()()でしょ? それらしい理由にかこつけてレオを手籠めにするつもりじゃないの? これは一度マスターやお姉ちゃんに連絡をしておいた方が──』


「ア、アルファAI、電源オフ‼」


 あたしは携帯の電源を切った後、安堵の……じゃなくて、傷心の溜息をついた。


 たしかにあたしは口も素行も悪い。それ故、普段から色眼鏡で見られることには慣れている。だが、さすがに今の心無い暴言には傷ついた。繰り返して明言するが、これは純粋な善意からの行動であり、決して低劣な色欲によるものなどではない。


 それにあたしも子供の時分、幾度となく辛い経験をした。だからこそ、レオのような暗い過去を抱えていそうな子供には優しくしてあげたいだけなのだ──言うなれば、これは真っ当な大人の義務であり、母性にも近い感情である。それなのに、どいつもこいつも人のことを犯罪者予備軍の筆頭みたいに言いやがって……ミイもアイも、ユーイもザックも、みんな邪推が過ぎるんだよ、まったく。


 ……まあいい。この際、心が汚れきった奴らのことなど放っておこう。それよりも今は、レオをゆっくりと休ませてやらねば。


「せめて、夢の中だけでもひとときの安らぎがあらんことを……ってか。フッ、あたしには似合わない台詞だな」


 あたしはブルーベルの夜空に咲き誇る大輪の花々を見上げながら、誰に言うともなくそう呟いた。



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