PART8. 記憶喪失の少年 レオ【1】
眠れないのはどうしてだろう?──わかっている。それは不安で仕方がないから。
胸がざわめくのはどうしてだろう?──わかっている。それは怖くて仕方がないから。
涙が止まらないのはどうしてだろう?──わかっている。それは不安で怖くて仕方がないから。
じゃあ、何が不安なの?──たぶん、それはぼくに記憶がないから。
じゃあ、何が怖いの?──たぶん、それは自分のことがわからないから。
「誰か助けてよ」
ぼくはベッドの中で、何度も何度もその言葉を口にした。
それは神様に向けての言葉なのか、家族に向けての言葉なのか、友達に向けての言葉なのか、自分でもわからない……でも、ユーイたちに向けた言葉ではないのはたしかだ。
ぼくの命の恩人たち──みんな優しくて温かくて、一緒にいると凄く楽しい気分にさせてくれる人たち。
だからこそ、話したくない……竜を斬った時に頭の中に流れ込んだ記憶のことを。埠頭であの黒い服を着た人になんて言われたのかを。
話したら、きっとみんなに嫌われる。
話したら、きっとみんなともう一緒にいられない。
だって、ぼくは……。
「違う! ぼくは人殺しなんかじゃない……ぼくの名前はレオだ…………アルマなんて名前なんかじゃない」
ぼくはベッドの中で、何度も何度もその言葉を自分に言い聞かせた。
──ここはユーイが所有しているマンションの一室。
数時間前にここで目を覚ましたぼくは、ユーイから事の顛末を簡単に説明された。
あの埠頭でぼくが気を失ってしまったこと。
シャロンという人がぼくを助けてくれたこと。
ユーイがここまでぼくを運んでくれたこと。
マイや王子が無事であること。
そして、あの黒い服の人たちが逮捕されたことを。
ユーイは他にも色々と話してくれた。でも、何を話していたかよく覚えていない。オツェアノ島でのことや、あの埠頭でのことで頭が一杯でずっと上の空だったからだ。
その後、ぼくはユーイが作ってくれた晩ご飯を食べ、シャワーを浴び、すぐにベッドに入った。それから約三時間も眠れずに、ずっと同じことを考えて、ずっと同じことで悩んでいる。
「……気持ち悪い」
ぼくは急に吐き気を感じてベッドを飛び降りた。
口元を押さえながら部屋を出てトイレに向かう。間一髪で事無きを得たぼくは、口を濯いで部屋へと戻り、ベッドの中に潜り込んで一秒でも早く朝がきますようにと願いながらもう一度目を瞑った。
「レオ? 起きてる?」
「さっき洗面所に行っていたみたいだから、きっとまだ起きてるよ」
ユーイとマイの声……部屋の前にいるみたいだ。
ぼくは湿った声を悟られないように「うん」と短い返事をした。
「入ってもいい?」
その質問にぼくがまた同じように返事をすると、パジャマ姿のユーイと新しい体になったマイがドアを静かに開けて部屋に入って来た。
「さぁ、マイ。用意して」
「イエッサー!」
二人は部屋に入るなり、いそいそと何かを準備し始めた。
ユーイは両手に持っていた二つのマグをリビングテーブルの上に置いて、クローゼットからタオルケットを取り出そうとしていた。マグからは甘くて良い香りが──中に入っているのはホットミルク?
マイはテーブル周りに設置されたL字型のソファに座って、部屋のあちこちを指差している。最初は何をしているのかわからなかったけど、エアコンや間接照明などの電源が点いてゆくところを見ると、部屋中の家電品を遠隔操作しているようだ。
「準備完了ね。レオ、こっちに来て座って」
ぼくはユーイの指示に従ってソファに腰かけた。
ユーイがタオルケットをひざ掛け代わりにしていたので、ぼくもそれに倣う。
「じゃあ、上映を開始しま~す」
マイの一声で部屋の照明が落ちて、テレビにモノクロのアニメ映画が映し出された。
題名は〝アリーとエリーの大冒険2 ~おばけ村を救え~〟というものらしく、ギャグテイストが濃い子供向けの作品のようで、何て言うかその……率直な感想を言わせてもらえば、古くさい感じがするアニメだなぁと思った。
そして、少し経ってから気付いたのだが、このアニメには音楽も音声も字幕も無いみたいだった。単純明快なストーリーみたいだから、見るのには全然支障はないけれど……どうして二人はこのアニメをぼくに見せようとしたのだろう──ぼくは気になって、隣に座っていたマイに小声で聞いてみた。すると、マイはぼくの膝の上に飛び乗ってこう答えた。
「まあ、そんなことより今は……ほれ、存分に抱きしめるがよい。遠慮せずに、さあ!」
マイの言いたい事がよくわからなくて困惑するぼくだったけど、ユーイがタオルケットをマイに見立ててどうすれば良いのかを教えてくれた。
「ほら、こうやってギュ~ってマイを抱きしめてみて」
ユーイに言われるがまま、ぼくはマイを後ろからそっと抱きしめてみた──フワフワで、サラサラで、柔らかくて温かい。まるで上質の毛並みを持つ猫か兎を抱いているみたいだ。こうしているとすごく気持ちが良いし、不思議と心が落ち着いてゆくような気がする。
「フフン、人をダメにするクッションならぬ、人をダメにするロボットの抱き心地はどうだい? 今日、君はがんばってくれたからね。そのお礼と言ってはなんだけど、今晩だけは特別にボクのカラダを好きにさせてあげるよ」
そう言って、マイは得意満面の笑みを浮かべたが、ユーイに冷ややかな視線を向けられた途端、長い両耳で目元を隠して口を噤んでしまった。どうやらマイは、ユーイに怒られることを口にしていたようだ。
──それから暫くの間、ぼくたちはホットミルクを飲みながら映画を鑑賞した。
物語の序盤、主人公のアリーとエリーがおばけ村に向かう為、マッド博士の作った魂分離機〝ゴートゥーヘル(ただのフライパン)〟で幽体離脱に試みるシーンがあった。結果は見事に成功。アリーとエリーはマッド博士の一撃を喰らって頭に大きなたんこぶを作ってしまったが、無事あの世へ旅立つことができた。
そのシーンを笑いながら見ていたユーイは、ふと思い出したように口を開いた。それは、先程ぼくがマイに投げかけた質問についての答えだった。
「私が小さかった頃、人はどうして死んじゃうんだろうって深く考えたことがあってね……大好きな家族と会えなくなる日がいつか必ず来るんだなって思うと、悲しくなって寂しくなって、怖くて不安で眠れなくなった日があったの。その時の私、真夜中にわんわん泣いてさ、隣で寝ていた妹もそんな私を見て泣き出しちゃったんだ。それでね、見るに見兼ねた私のお姉ちゃんが、今と同じようにしてくれたの。三人でホットミルクを飲んで、ヌイグルミを抱きながら音のない映画をぼうっと見て、他愛のないお喋りをしたんだよ。……そうしたら不安とか恐怖とかはどっかに飛んでっちゃった」
胸の奥がキュっと締め付けられるように痛み、ぼくは思わずマイを強く抱きしめた。
心配されることが、優しくされることが、今は何より辛くて苦しい。
「ユーイ、あまりぼくに優しくしないで……それにぼくは……本当はね……」
後ろめたさに耐え切れず、全て正直に話してしまおうと思った。でも、最後の言葉がどうしても出てこない。
──ぼくは人を斬ったことがある。その時のぼくは、血だらけの剣を握っていた。
──あの黒い服の人がぼくをアルマと呼び、「全部おまえのせいだ」と言った。
そう言え!
打ち明ければきっと楽になる!
ユーイたちに迷惑をかけなくて済む!
ぼくはなけなしの勇気を言葉に変えた。
「本当は──」
「レオ、心配しないで。大丈夫、私が必ずなんとかしてみせるから」
その優しくて力強い言葉に、ぼくの自供にも似た告白は遮られた。
胸の奥で何かが爆発して、体中に熱い何かが広がって行ったと思ったら、急激に視界が滲んでユーイの顔が見えなくなった。
ぼくのことを本気で心配してくれている──それはもちろん嬉しかった。でも、それ以上に嬉しかったのは、今ぼくが何に悩んでいるのか、何に苦しんでいるのかを彼女が理解してくれている、言いたくても言えないことを理解してくれていることだった。
これは決して都合の良い思い込みなんかじゃない。
サックが言っていたとおり、この人には不思議な力がある。それがぼくにもわかった。
世界中でこの人だけがいまのぼくをわかってくれる。そう思えば思うほど涙は止まらなくなって……もう自分の意志ではどうすることもできなくて……どうしていいのかわからなくなって……ついには大声を出して泣いてしまった。
そんなぼくをユーイは何も言わずに優しく抱きしめてくれた。
ぼくが泣き疲れて眠るまでずっと……。
その日、ぼくは初めての夢を見た。
それはぼくが竜騎士になって、ユーイたちと世界中を旅する夢。
みんなで海に行った。
みんなで山に行った。
みんなで砂漠に行った。
みんなで空の上に行った。
みんなでご飯を食べて、みんなでお喋りをして、みんなで笑い合った。
みんなで困っている人たちを助けて笑顔にした。
そして、最後にぼくは金色の雪が舞う幻想的な世界で大好きなあの人と再会をする。
あの人の顔は思い出せない。でも、会えて嬉しかった。心の底からそう思えた。それだけははっきりと覚えている。
──そんな少し儚いけれど、とても楽しくて、とても素敵な夢をぼくは見た……。




