PART6. ユーイ・アルファナ【3】
「シャロンの奴! なんで出ないのよ!」
『はは……本当にどうしてだろうねぇ』
苛立ちを含んだ私の声に、ミイは作り笑いを浮かべて反応した。
画面上に赤い文字で〝呼び出し中(緊急)〟と表示されてから既に三分が経過していたが、電話は一向に繋がる気配を見せず、単調な呼び出し音が虚しく鳴り続けるだけだった。
「あいつ、きっと説教が聞くのが嫌でだんまりを決め込んでいるんだわ! ほんと、なんて奴なの! はぁ……もういい。ミイ、シャロンの居場所を教えて。私が直接会いに行くから」
『い、居場所? それは……その……』
「何よ? 何で言えないのよ?」
『言えなくはないけど、言い辛いっていうかさ……』
ミイはそう言って第三西地区近辺のマップを表示した。マップ内に赤い点滅信号でマーキングされた建物がある。おそらくそこがシャロンの居場所だろう。私はその地点を拡大表示して建物の名称を読み上げた。
「ホテル……ブルーシーサイドヘヴン?」
マップに添付された写真で確認すると、そこはお世辞にも品が良いとは言えないホテルだった。そう感じてしまうのは、おそらく立地場所が薄暗い路地裏に位置しているからだろう。そして、それに付け加えると、ホテルの外観を飾り付けしている異様な数のイルミネーションが原因であることは疑いようもない。だが、身を隠す場所としては打って付けと言えた。きっとシャロンは事件が解決してからまだ間もないことを憂慮して、人目の少ないこのホテルを選んだのだろう。
「さすが、こういうところは本当に抜け目がないわね」
私がシャロンの冷静かつ的確な判断を称賛していると、ミイがここも読んでみろと言わんばかりにホテルの概要欄を拡大させた。
「え~と、なになに?『愛する二人のイキ着く先はきっと楽園ベイベー‼ 当ホテルは全室でエンジェルプレイ可! 疑似野外プレイ可! お好きなコスプレ衣装を一着無料貸し出し! そして、今なら当ホテルをご利用のお客様全員に禁断の果実〝絶倫楽園バナナ〟を一本サービス中!』ってここ……」
下衆なキャッチコピーを音読させられ、シャロンの居場所がラブホテルだと気付いた私は、急に強い眩暈を感じて眉間を押さえた。
「あいつ、なんてことを……」
『か、考えすぎじゃない? いくらシーちゃんだからって、出会ったばかりの少年をそういう目的でラブホテルに連れ込んだりするかなぁ?』
私はミイの浅薄さを鼻で笑った。
「青い、そして甘いわね、ミイ。そろそろシャロンという人間を学びなさいよ。いつも言っているでしょう。シャロンの悪い噂を耳にしたり、疑わしい言動を目にしたら、常にこう思えって──」
「あいつならやりかねない」
ザックが完璧なタイミングで私の言葉を引き継いだ。
正しくその通り。良くも悪くも周囲の期待を裏切らない、それがシャロン・ストライブスという人間なのだ。
ザックは新しい煙草に火を点けると、喫い込んだ紫煙を溜息交じりに吐き出した。
「まあ、ここであのバカの狂行を嘆いていても仕方がない。とりあえず今は、最悪の事態になっていないことを天に祈りながら、そのラブホに行ってみるほかないな」
「たしかにその通りね……でも、もし本当に最悪の事態になっていたらどうしよう?」
ザックは自暴気味に笑いながら答える。
「はっはっは、どうもこうもないだろう? 純真無垢な少年は心に深い傷を負い、抑制の効かない獣は檻に入れられるだけだ。そして、俺は使用者責任を問われ、涙ながらの謝罪会見をする羽目になる。きっと、机に額を擦り付ける不様な姿を世界中に晒されるのさ。ふふっ、これで俺も一躍有名人ってわけだ。最高だぜ、まったくよぉ」
昨今、様々な不祥事による謝罪会見を目にしているせいもあってか、ザックが思い描く暗然たる未来予想図が妙に現実的なものに感じた。想像したくもない未来の光景が次々と目に浮かび、私は思わず頭を横に振る。
「ダメダメダメ! こうしちゃいられない! 一刻も早くシャロンのところに行かなきゃ! ザック、私もう行くよ?」
力無く頷いたザックは後方を振り返り、私たちの内緒話が終えるのを遠目で待っているフランさんたちに目を向けた。
「マムたちには上手く話しておく。そっちは任せたぞ」
時刻は一九時一五分、気付けば辺りは既に宵の口。
空は赤色から黒色へと塗り替えられ、ブルーベルの街並みを彩る無数のイルミネーションがその存在を主張し始める時間帯となっていた。
それに合わせて竜騎士祭りの賑わいも最高潮に達し、ブルーベルの夜空に花火が打ち上げられた。毎秒平均一二発打上、総数八万発を超える光と音のイリュージョンが島全体を真昼のように明るく照らし、人々の心を感動で打ち振るわせる。そして、各区のイベント会場では有名アーティストのライブコンサートやパフォーマーたちによる様々な興行が開催され、ブルーベルの夜は更なる熱気と興奮に包まれていった。
そんな中、私は西地区の外れの裏路地で一人寂しく羞恥心と闘っていた。数十メートル先に目的地であるホテル・ブルーシーサイドヘヴンが見えるのだが……その、なんて言うか……とても入り辛い。
『お姉ちゃん、何してんのさ? 早く行かなきゃ! ほら、早くぅ! ゴーゴー!』
ミイが意地の悪い微笑みを浮かべて私を急かすが、どうにも決心がつかない。
別に純情ぶっているわけではなかった。誰だってこんなシチュエーションを前にしたら二の足を踏むに決まっている。私はその原因を作っている人たちに怒気を込めた眼差しを向けた。
「ちょっとぉ、まだ一九時を回ったばっかりだよ? だいたい普通並ぶ? 並んでまで……その……し、したいわけ? もう勘弁してよ!」
『まあ、祭りそっちのけで事に励もうとする連中も大概だけど、お姉ちゃんの言い分も随分身勝手と言うか何と言うか、単なる恨み節にしか聞こえないけどねぇ』
「ミイ? あんた、どっちの味方なの?」
私はミイにとびっきり冷ややかな視線を浴びせてやった。そして、凄みを利かせた声で問うと、この風見鶏は態度を急変させ、ホテル前に長蛇の列をつくるカップルたちを容赦なく罵倒し始めた。
『あいつら本当にクズだね。祭りの熱に当てられておっぱじめようとするなんて、品性の欠片もない野獣そのものじゃないか。ああいう連中は、きっとイベントイコール合体チャンスだと思い込んでいるんだろうなぁ。嫌だねえ、悲しいねえ、理性や悟性が欠落した人間はさ。ねえ、お姉ちゃんもそう思うでしょ?』
「思ってないっての! 私はただ単にあのカップルたちが邪魔に思えるだけ。別に彼らの人間性まで否定しているつもりはないから! そんなことより何か良いアイデア出してよ!」
『アイデアってあのホテルに入る方法? お姉ちゃんの顔を誰にも見られないように?』
ミイが不思議そうな顔で質問の意図を尋ねてきた。
「そうよ! 当たり前でしょ!」
私がそう言い放つと、ミイは両手の掌を上に向けて肩を竦めた。そして、腹ただしいほどに首を何回も横に振る。何なの? この人を小馬鹿にした態度……ムカつく。
『じゃあ、正面入口以外のところから入ればいいじゃん』
「……」
ぐうの音が出ない程の正論に、返す言葉が見つからない。
どうやら私は本当の馬鹿だったようだ。
『裏口からでも、屋上からでも、何なら壁に穴を空けてでも、お姉ちゃんならどこからだってホテル内に侵入できるでしょ?』
「だ、だって、それは不法侵入なわけで……」
『あのさぁ、元々鍵を壊してでもシーちゃんの居る部屋に踏み込むつもりだったんでしょ? それなのに器物損壊や不法侵入を気にしてどうするの? それにお姉ちゃんは正当な理由さえあれば、大抵のことを許してくれる免罪符を持っているでしょ? 今それを使わないでいつ使うのさ?』
ミイは心底呆れた表情を浮かべて、私の言い訳を容易く論破した。
私は左手のリストバンドを捲り、その下に巻いていたカーボンバンクルに目を遣った──ミイが言うところの免罪符〝竜騎士証〟に。
……駄目だな、今日の私は。こんな簡単なことに頭が回らないなんて気が焦り過ぎている証拠だ。もう少し冷静にならないと。
「ミイ? シャロンの居る部屋はどこかわかる?」
『そうだねぇ、多分……』
ミイはホテル内の構造を仮想3D化すると、シャロンの携帯電話が放つ信号点をそれに当てはめて予測を出した。
『この位置だと最上階の右端の部屋じゃないかな?』
「じゃあ、屋上から入った方が良さそうね」
私は周りを見渡し、手頃な高さの建物を探した。該当したのはホテル・ブルーシーサイドヘヴンの右隣に在る雑居ビルだった。その雑居ビルは六階建で高さは二五メートル程。テナントは十数件程入っているようだが、外から見て明かりを灯している部屋は無い。ビル看板から察するに、ほとんどが風俗法に規定される店のようで、どうやらまだ開店していないようだ。
「オーナーさん、ごめんなさい。少しお邪魔しますね」
無意味ではあるが、一応簡単な謝罪と断りを入れた後、私は一跳びで雑居ビルの屋上まで上がり、そこからホテル・ブルーシーサイドヘヴンの屋上を見渡した。
平らな屋上の外周部は肩ほどの高さの鉄柵に囲まれており、その柵の中にはホテル名とビーチの絵が描かれた七色に煌めく巨大なネオンサイン、二つの貯水槽、そして、おそらく階下に繋がっていると思われる小さな塔屋があった。
念の為、周囲を見渡し、目撃者がいないことを確認してから、私はホテル・ブルーシーサイドヘヴンの屋上に跳び移った。なるべく音を立てないように着地し、抜き足差し足で塔屋に近づく。が、途中で馬鹿らしくなって止めた。
よくよく考えてみれば、ホテル内には監視カメラが設置されているはずだ──それこそ普通のホテル同様、フロントやエントランス、エレベーター、各階通路、客室以外の至るところに。つまり、ホテル側の監視の目を掻い潜ってシャロンたちの居る部屋に辿り着くことはほぼ不可能に近い。であれば、コソ泥のような真似をする必要はない。それどころか、堂々とホテル内に入って行った方が見つかった時の弁明もし易いはずだ。
そう思い込むことによって吹っ切れた気分になった私は、塔屋のドアノブを力強く握り締めた。そして、捩じり壊すつもりで握り玉式のドアノブをゆっくりと右に回した。
「あれ?」
塔屋のドアが施錠されておらず、思わず声を上げてしまった。
私は今更ながらのノックをした後、扉の向うに声をかけてみる。
「す、すみませ~ん。そこにどなたかいらっしゃいます? 私、竜騎士機関五五支所のユーイ・アルファナと申しまして……ああ…ええと、まずはこのような場所からご訪問させていただく無礼をお許しください。実はですね、先方当機関本部と警察より連絡がありまして……貴館に凶悪犯が入り込んだかも知れないとのことだったのです。その凶悪犯は年端もいかない子供にまで手をかけるような許し難い性癖の持ち主で、今まさに鬼畜の如き所業が貴館で行われようとしているようです。それで私が特命を受けて犯人を捕縛しに参った次第でして……あの、聞こえていますか?」
呼びかけに反応はなかった。いや、私の作り話が胡散臭過ぎて返事をするのを躊躇っているだけかも知れない。
私は身構えつつゆっくりとドアを開け、塔屋の中を覗き込んだ。
塔屋の中は電灯が付いておらず、緑色の避難口誘導灯が出入り口付近を薄らと照らすばかりで、辛うじて識別できるのは下り階段と手摺壁だけ。もちろん誰も人は居なかった。
薄暗闇の中、私は足を踏み外さないように一歩一歩ゆっくりと階段を下りて行く。踊り場らしき場所に下りると、壁側から僅かな光が漏れていることに気付いた──目を凝らしてみるとそこにはドアがある。おそらく客室通路に繋がっているはずだ。
サムターンを回して重厚な鉄製のドアを押し開けると、電球色の優しい明かりと共に驚嘆に値する光景が私の眼に飛び込んできた。
「うわぁ、すっご!」
通路は一般的なホテルの倍の広さがあった。床には踏み込んだ足を適度に押し返す弾力を持つ見事な白絨毯が敷かれ、余裕のある天井には煌びやかなシャンデリアが何点も吊り下げられている。壁は鏡のように磨き上げられた大理石だ。白と黒の絶妙な色合い比率のマーブル模様が全体の高級感を更に底上げしている。ホテルの外装とあの品の無い概要欄からはとても想像がつかない程の見事な造りだ。
「へぇ~、なるほど、あれだけ行列をつくるのにはそれなりの理由があったというわけね。ということは、やっぱ部屋の中も色々と凄いのかな?」
ミイは何も答えず、私に白い目を向けた。時と場合を弁えろ、と言いたげである。
「あはは……ですよね」
私は愛想笑いを浮かべた後、その場で回れ右をして、最上階右端に位置する部屋の方を向いた。金文字で五〇五と部屋番号が記された純白の扉はとても頑丈そうだった。しかも、レバーハンドル式のドアノブ上部にカードキーの差込口があるということは、間違いなくオートロックタイプ。先程の塔屋のように何かの手違いで施錠されていなかったということはまず有り得ないだろう。
やはりここは破壊せざるを得ないか。と思ったが、無用な器物破壊はできるだけ避けたいので、一応ノックをして呼びかけてみることにした。
「シャロン! 私! ユーイよ! ここに居るんでしょ? 開けてちょうだい!」
わかりきっていたことだったが、もちろん反応はなかった。
「ふふふ、ほんと最後の最後まで手間をかけさせてくれるのね」
私は溜まりに溜まった鬱憤と苛立ちを右脚に込めて、ドアノブの上部付近に後ろ回し蹴りを放った。蹴り込んだ箇所から落雷にも似た轟音が響くと同時に、デッドロック付近と蝶番部分が爆ぜるように壊れ、純白の扉が勢い良く開いた。
入室すると、正面に摺りガラスのついたドアがあり、その向うから薄らと明かりが見えた。中から声や物音は聞こえない。しかし、漠然とではあるが人の気配を感じる。
私はドアノブに手をかけて瞑目した。
「どうかトラウマものの光景はご勘弁を!」
そして、覚悟を決めて勢い良く部屋に踏み込んだ。
真っ先に目に飛び込んできたのは部屋の中央にある豪奢な天蓋付のベッドだった。薄紫色のカーテンが引かれ、その中で誰かが横たわっている。ここから顔は見えないが、着ている衣服が上下とも黒い。多分レオだ。
私は確認の為、ベッドに近づいてカーテンを開けようとした──その時。
「ヘイ。動くんじゃねえぞ、この出歯亀野郎」
突如、後頭部に突き付けられた銃口と尋常ならざる凄みを纏った低い声が、私の全身を凍りつかせた。身動き一つどころか声をあげることすらできない。それ程までに私の背後で銃を構える死神の殺意は圧倒的だった。
「扉をブッ壊してまで人様の情事を見物したかったってか? ド変態にも程があんぞ、コラ!」
私が動けないことを良いことに、口汚く罵ってくるガラの悪い死神。その後も、やれ土下座をしろだとか、やれ落とし前をつけろだとか、やれ誠意を見せろだとか、輩紛いの恫喝を加えてきた。更には言うに事欠いて、ブルーベルの真の支配者は自分なのだと大法螺を吹く始末。
もう我慢の限界だった。
「黙って聞いていれば……あんたねぇ、いい加減にしなさいよ!」
「え? あれ? おまえ……」
私はゆっくりと首を巡らし、後目でシャロンを睨み付けた。
先程まで入浴中だったのか、シャロンの白金色の髪からは水が滴っており、身に付けていたのはバスタオル一枚だけだった。豊満な胸元からずり落ちそうになるバスタオルを左手で押さえながら、シャロンは大袈裟に驚いた仕草で私の名前を口にする。
「ユーイじゃん!」
「気付くのが遅い! て言うか、なんで気付かなかったのよ! もう! 早く銃を下ろしてよ!」
「わかったって。わかったからあんまり大きな声だすなよぉ」
煩わしげに長い髪を掻き揚げたシャロンは手にしていた銃を空中に放り投げた。オートマチック型の拳銃に酷似したシャロンの醒心武具は、重力の影響を受ける前に無数の青白い光子となって霧消した。
「どうして私がここに来たかわかっているよね?」
ドレッサーチェアに腰かけたシャロンは長い脚を妖艶な仕草で組むと、その上に右肘、順に顎を乗せた。そして、不貞腐れた表情で私を見つめ、説得力に欠けた言い訳をしはじめる。
「先に言っておくぞ! あたしは、おまえが思っているようなことは何にもしてねえし、する気すらなかったんだからな。下衆の勘繰りはやめてもらいたい、マジで」
……こいつ、この期に及んで抜け抜けと何を言うか。
「じゃあ、なんでこんなところにレオを連れてきたのよ?」
「ええ……それはさぁ、なんつうかさぁ、話せば長くなるんだけどさぁ……それでも聞く?」
「聞くから早く話しなさいよ」
シャロンは床に脱ぎ散らかしていた衣服を拾い上げ、おもむろに着替えをはじめた。下着、白のハイソックス、黒のミニスカート、白のキャミソール、その上に丈が短めの黒のテーラードジャケットを着込み、いつもの格好に戻ったシャロンは冷蔵庫の中から缶ビールを二本取り出した。一本を私に放り投げ、もう一本を手に携えて元の場所に戻ってくる。そして、再びドレッサーチェアに座ったシャロンは虚空を見つめながら言い訳の続きを語り始めた。




