PART5. ユーイ・アルファナ【2】
『ユーイ、最後の一匹はアンタにまかせるよ。ジェシカとテオはユーイのフォローだ。さあ、気合入れていきな!』
本防衛作戦の総指揮をとるフランソワ・シールズが無線越しに檄を飛ばした。指示を受けた各々が敬意と緊張を滲ませた声で了解の言葉を返す。
第八港湾一帯に配置された〝空中浮遊ボード〟を飛び移るようにして、私は紅に染まる空へと駆け上った。およそ地上六〇メートル──最高度に浮かぶザブトンに辿り着くと同時に第一七支所のテオさんから無線が入る。
『ユーイ・アルファナ、俺とジェシカが奴の注意を引いておく。やるタイミングが決まったら一声かけてくれ』
「了解です」
私はザブトンの上から今一度標的の位置を確認した。眼下に映るのは無彩色に彩られた鋼鉄の大地と宙を舞う無数の青いザブトン、その中にそいつはいた。
巨大な蝙蝠にも似た翅を広げ、長くしなやかな首と尻尾をうねらせながら、地上三〇メートル程の高さを泳ぐように飛び回る有翼型の竜──ギーブル。
全身は鮮やかな緑色の鱗で覆われ、鋭い牙と爪を持ち、頭部には鶏冠のような形状の角が生えている。蛇の様な顔をしているが下顎が上顎より長く、その異形な相貌がギーブルの恐ろしさを更に際立たせているように見えた。
全長は約四メートル。全竜種の中でも小型な部類だが、翼開長時は優に一〇メートルを超し、その巨大な姿を間近で見ると巨人型にも引けを取らないぐらいの迫力がある。
ギーブルの個体レベルはダブル。竜言語魔法を使えるわけでもなく、ずば抜けた怪力や俊敏さを持っているわけでもないが、自由に空を動き回れる点においては非常に厄介であり、竜核を破壊するための手段が近接攻撃しかない竜騎士(私もその一人)にとっては、比較的苦手な相手と言えるだろう。一人で闘えば苦戦は必至だが、今はテオさんとジェシカがギーブルの注意を引いて行動を大幅に制限してくれている。今なら苦も無く仕留めることができる──そう判断した私はテオさんとジェシカに無線を飛ばした。
「テオさん、ジェシカ、バックアップをお願いします」
『了解。いつでもオーケーだ! ジェシカも準備はいいな?』
『問題ない』
「いきます!」
私はその掛け声とともに、ザブトンの上から標的目掛けて勢い良く飛び降りた。そんな私に合わせるように、ジェシカがギーブルに援護攻撃を仕掛ける。軽やかな動きでザブトンの上を移動し、瞬く間にギーブルの懐に飛び込んだジェシカは、すれ違いざま、可愛らしく装飾された桃色の双剣で巨大な右翅を十字に切り裂いた。疾風の如き斬撃がギーブルの右翅を四等分にし、悲鳴にも似た甲高い獣声が響き渡る。
片翅を失い、バランスを崩したギーブルはすぐさま空中で再生行為に及んだ。背中に青白い光が浮かび上がり、竜核が体外に露出してゆく。
その様を確認した私は、降下途中、一度ザブトンを蹴って進行方向を微調整し、右拳を固く握り締めた。そして、降下の勢いをそのままに渾身の力を込めた右拳を竜核に叩き込む。拳の基節骨辺りに伝わる確かな手応え──その瞬間、私は標的の討伐を確信した。
竜核が乾いた音を立てて真っ二つに割れると、ギーブルの全身が生命活動の終わりを告げる眩い青白色の光に包まれた。光が消えた後に残ったのは、空色の美しい輝きを宿した竜命石と少量の塩と灰。竜命石はそのまま地面に落下し、白い命の燃えさしは夕風に吹かれて霧散していった。
『よくやったね、アンタたち。さあ、みんな竜命石を回収して集まっとくれ』
遠目から私たちの仕事振りを検分していた指揮官の声は、大勢の命を預かる重責から解放され、普段通りの明るくて優しい響きを取り戻していたように聞こえた。豪放な性格のフランさんにもそういった一面があったのかと思うと自然と頬が緩む。
私は水平線に沈みかけた太陽を眺めながら大きく背伸びをして、誰に言うでもなく呟いた。
「今日はこれで終わり……だよね?」
一八時三五分、第八港湾中央付近において、地面に置かれた八つの竜命石を取り囲むように、本防衛任務に参加した一二名の竜騎士が再び一堂に会した。
各々が互いの健闘を讃え合う中、指揮官は全員の姿を確認し終えると、柏手を一つ打って皆の注目を集めた。
「お疲れだったね、みんな。良い連携だったよ。次もこの調子で行こうじゃないのさ」
ブルーベル島に身を置く竜騎士たちにとってフランさんは〝顔役〟的存在である。経験、実力、信頼、全てが申し分なしの現役最年長の竜騎士であり、皆は尊敬と親しみを込めて彼女のことを〝マム〟と呼んでいた。そんな人から称賛と労いの言葉をいただいて喜ばない竜騎士はこのブルーベルにはいない(二人を除いて)。皆の顔から笑みが零れ、歓呼の声が次々と上がった。
予想以上の盛り上がり振りに少し照れ臭くなったのか、フランさんは困り顔で鼻を掻いた。そして、その場を収拾するように柏手を打ちながら皆に解散を命じる。
「はいはい、それじゃあ解散! アンタたち、今日は祭りだからってあんまり馬鹿騒ぎするんじゃないよ。体を休ませることも大事な仕事なんだからね。わかったかい?」
「「イエス、マム‼」」
一同は声を揃えてフランさんに敬礼した。そして、私、ザック、フランさん、ジェシカ以外の竜騎士たちは晴れやかな笑声を発しながら各自帰路に就いていった。
「まったく、返事だけは良いんだからねえ……困った連中だよ」
彼らの後姿を見送ったフランさんは、おもむろに戦果品である八つの竜命石をショルダーバックに詰め込むと、それをザックへ放り投げた。ショルダーバッグを受け取ったザックはフランさんにその意図を確認する。
「なんだよ、これ?」
「今日は何もしなかっただろ? 任務完了の報告と竜命石の提出はアンタがやりな」
「ちょっと待て。何もしなかったって……あんたの指示だったろうが。『できるだけ若い奴に経験を積ませたいからアンタは後方で控えていろ』ってよぉ。それに任務完了の報告や竜命石の届け出は、指揮官か副官に任命された奴がやらなきゃ駄目だろ」
「心配しなさんな。副官はアンタにしといたから問題ないよ」
「は? 初耳だぞ?」
「おや? そうだったかい? 駄目だねぇ、歳を取ると物忘れが激しくていけないよ」
「ぬけぬけと……この狸ババア」
「何か言ったかい?」
「いえ、何も! 副官ミハイル・ザックバーランド、喜んで指揮官殿のご命令に従います!」
フランさんの凄みのある声に気圧され、ザックはそそくさとその場を離れた。少し離れた場所で頭を掻きながら虚空に向かって何か呟いている。おそらく電話で竜騎士本部に任務完了の報告でもしているのだろう。
フランソワ・シールズ、御年七六歳。一八歳で竜騎士になってから今尚現役で居続ける竜騎士界の生きた伝説。世界中を渡り歩き、請け負った任務は優に四桁を超え、討伐した竜の数は五桁に迫ると言われている。
その他にも、セプタ級の竜を単独で撃破したとか、一日で一〇〇匹の竜を屠り去ったとか、現竜騎士機関長がフランさんの昔の恋人で、未だに彼女の尻に敷かれているとか、かの大英雄ディスティン・ラリービルトンの最後の弟子だったなんて噂話もある。もちろん、その全てが全て真実ではないとは思うが、彼女にまつわる武勇伝は当然龍鱗の如し数が存在した。
そんな竜騎士稼業の表も裏も知り尽くした彼女の前では、歴戦の勇者であるザックですら若造の扱いだ。ザックがこの島で唯一頭の上がらない人物と言えよう。
「まったく……やれやれだよ」
そう嘆息するフランさんの顔は、言葉とは裏腹に慈愛に満ち溢れていた。手のかかる子供ほど可愛いとは良く言ったもので、きっとフランさんにとってザックはそういった存在なのだろう。そして、逆もまた然りだ。そんな二人の関係性が私には羨ましく思える。
「そういえば…」
と言いかけてフランさんは私の方を向いた。
腰まで届く真っ白な総髪、それを後ろで一本に束ねた三つ編みおさげが大きく揺れる。彼女はネコ科の動物のようにしなやかな足取りでこちらに歩み寄って来た。その身のこなしはどこかエレガントでありながらチャーミングでもある。
彼女は大柄な女性だった。体格は長身で筋骨隆々、プロフィール上ではザックと同じく一八五センチと記載されているはずだが、威風堂々とした佇まいが彼女を数字以上に大きく見せているのかも知れない。顔には年相応の皺が刻み込まれているが、恐ろしく精力的な皮膚感を有していて、とても齢七〇を超える老女とは思えないほど若々しく見えた。
服装はクリーム色の七分丈シャツ、その上に藍色のコンバットベストを着込み、同色のコンバットパンツ、コンバットブーツを履いている。ファッションを意図した服装ではないのに、どこか惹かれてしまう佇まいは機能美を追及した結果なのか、それとも彼女自身が持つ魅力のせいなのか……いや、考えるまでもなく後者だろう。
彼女は大きな手を私の肩に乗せ、優しく微笑んだ。
「今日はお手柄だったね、ユーイ。良い動きだったじゃないか。しばらく見ない内にまた腕を上げたようだね」
「そう言ってもらえてホッとしました。だってほら、今日のメンバーがメンバーだったでしょう? 私、凄く緊張していて、何かヘマでもしたらどうしようって不安で不安でしかたなかったんですから。まあ、凄く良い経験をさせてもらいましたけどね」
「ふふ、これからもその調子で色々な経験をお積み。それが人を成長させる一番の近道なんだからさ。ところでアンタ、この後予定はあるのかい? もしよかったら久しぶりに夕ご飯でも一緒にどうだい?」
ザックとまではいかないかも知れないが、私は光栄にもフランさんと彼女の孫娘であるジェシカから好感を持たれており、第一七支所との共同任務の度に食事に誘われるのは、もはや恒例行事となっていた。いつもなら二つ返事で誘いを受けるところだが、今日は残念ながら都合が悪い。フランさんとジェシカには申し訳ないが今回はお断りさせてもらうとしよう。
「ごめんね、フランさん。今日は連れを待たしているの。また今度誘ってもらえたら嬉しいな」
「おや、そうなのかい? そいつは残念だねぇ……。ん? アンタまさか、彼氏とかじゃないだろうね? もし、そうだったら今度あたしに会わせな。アンタに釣り合う男かどうかあたしが見定めてやるから!」
「あはは、その時はよろしくお願いしますね。でも、今回は残念ながら違うんですよ。私が待たせているのは──」
突如鳴り響いた鉄琴のチャイム音が私の語尾をかき消した。アナウンス前によく使われる低音から高音に上がっていく単調なメロディが大音量で響き渡り、次いで聞き慣れた女性アナウンサーの声が島内にこだました。
≪こちらはブルーベル災害対策本部です。一八時四〇分、第八港湾区域において竜の駆除が完了いたしました。つきましては、現時刻をもって避難勧告を解除いたします≫
二回繰り返されたその放送から数秒後、遠く至る所で歓声が上がった。
ブルーベルの人たちが喜んでくれている──やっぱり嬉しいな、誰かの役に立てるって。
単なる自己満足かも知れないけれど、私にとってこの声を聞くことが竜騎士という仕事をしていて良かったと思える一番の瞬間なのかも知れない。暫しブルーベルの人たちが上げる歓呼の声に耳を傾けていると、ザックが私とフランさんの途切れていた会話を再び繋いだ。
「ユーイが待たせているのは今度五五支所に入る新人さ」
フランさんは腕を胸の前で組んでザックの方を向いた。彼女はいかにも興味津々といった顔をしている。
「ほぉ、アンタが新人を雇うなんて何年振りだい? こいつはブルーベルの竜騎士たちにとってはビッグニュースになるねぇ。それにアンタの眼鏡にかなうってことは、その新人も中々の有望株ってことだね?」
「……まあそんなところさ」
ザックはレオのことを深くは語らなかった。何かと五五支所を気にかけてくれているフランさんのことだ。素性不明の少年を引き入れたと聞けば、十中八九反対してくるに違いない。ザックもそれがわかっているから、今はあえて言葉を控えたのだろう。
「今度マムにも紹介するよ」
その一言で話を上手く切り上げたザックは私の方を向いて顎をしゃくった──内密の話があるから少し離れたところに移動しよう、という合図のようだ。おそらくレオのことについて質問された時、ぼろを出さないように口裏を合わせておきたいのだろう。
うん、たしかにそうしておいた方が良さそうだ。ザックはともかく、世慣れたフランさんの誘導尋問に引っかかって、私がついうっかり口を滑らしてしまうことは大いに有り得る。もし、そうなったらマイやシャロンになんて言われるか……きっと当分の間、鬼の首を獲ったようにネチネチグチグチ嫌味を聞かされ続けるに違いない──嫌だ、それだけは絶対に避けなければ!
私は大きく頷いてザックに了解の意志を伝えた。だが、私たちがフランさんとジェシカに会話が聞こえない程度の場所まで移動した後、ザックが口にした用件は私が予想していた事とはまったく別の事だった。どうやら世の中は、私が思っているほど単純には動いていないようである。
「おまえ、任務が終わってから携帯のモードを元に戻したか?」
「モード? ああ、そういえばまだ〝無線モード〟にしたままだったね。……ん? その顔、ひょっとして何かあったの?」
「それがな……俺たちが任務をこなしている間に結構とんでもない事が起きていたみたいでよ……う~ん、まぁ、俺の口から説明するよりおまえさんの妹に話を聞いた方が早いかもな」
「え? どうして?」
「まあいいからよ、早く連絡してみな」
ザックの意味深な言い回しが私の不安を煽る。
一体何があったのだろう。
「ミイ、携帯を通常モードに戻してちょうだい」
『了解!』
携帯電話を通常モードに戻すと、すぐに件の相手から着信が入った。
相変わらずこの子は……常にこちらの動向を把握しているようなタイミングで電話をかけてくるわね。まさか携帯に盗聴器の類でも仕込んでいるんじゃないでしょうね。
高性能過ぎる妹と携帯電話に多少の疑念を抱きつつ、私はミイに電話を取るように命じた。テレビ電話のモニターに〝SOUND ONLY〟の文字が映し出された。カメラ機能が強制的に無効化される場所——おそらく会社の研究施設から連絡しているのだろう。
「……」
『……』
電話に出てから暫くの間、私とアイは一言も喋らなかった。いや、喋れなかったという方が正しい。
私は何を聞いたら良いのかわからず言葉が上手く出てこない。アイの方も私に言いたいことが多すぎて言葉が上手く出てこない。例えるならそんな感じだった。
だが、不毛と思える長い沈黙の中で判明したことが一つあった。それは、いまアイが怒っていると言うかなんと言うか……少なくとも私に対して何かしらの不満を募らせていることだけは間違いない。会話を交わさなくてもそれぐらいはわかる。なんてったって、私はこの子の姉だから。しかし、腑に落ちない。いくら思い返しても妹の機嫌を損ねることをした覚えはないのだが……。
「ね、ねえ、アイ? なんで怒ってるの?」
『怒ってないよ……怒ってないけどさぁ……んむぅ~!』
言葉とは裏腹に明らかに怒気を含んだ口調だった。電話の向う側で河豚のように頬を膨らませているアイの顔が容易に想像できる。私はこれ以上アイを刺激しないように、できるだけ柔らかな口調で再度問いかけてみた。
「ほら、私もさっきまで仕事だったから何が何だかさっぱりでさぁ……ねえ、何があったか教えてくれない?」
電話の向うでアイが深々と溜息をついた。どうやら自らの興奮を落ち着かせるために行った深呼吸のようで、それを数回繰り返した後、アイは事のあらまし……ではなく、裡に募る不満を吐き出し始めた。
『ついさっきまでね、ブルーベルでとんでもない事件が起きてたの。事件そのものはある人たちにお願いして、もう解決してもらったから良いんだけどさぁ。後始末とかが凄く大変だったんだよ? フェリックス家やエクステリア政府高官の人たちが今回の事件を表に出さないでくれって言うものだから、市街に設置された防犯カメラの映像をすり替えたり、ネット上に出回った事件の情報を操作したり……て言うか、何であたしがこんなことをしなきゃいけないの? それに信じられる? あの人たちったら『カヴァーストーリーもそちらで考えてください』って偉そうに言うんだよ? 他人に尻拭いさせることが当たり前だと思っているのかな? もう、ふざけないでって感じ! 大体さぁ──』
語るに連れて再びヒートアップしてゆくアイ。どうやら、お偉方の尊大な態度が相当腹に据えかねたようだ。まあ、その気持ちはわからなくもない。私も経験がある。しかし、いま聞きたいのはそんなことではなく、アイやザックが勿体ぶったように話す〝とんでもない事件〟とやらの真相についてだ。
アイの口から発せられた言葉の節々から推測するに、おそらく先輩が絡んでいることは疑いようもないけれど……あんな酔い潰れた状態からどんな騒動を巻き起こしたというのだろう。
私は未だ怒りが収まらないアイを一度制止して、事件の核心に迫ることにした。
「ちょ、ちょっとストップ! 警察? フェリックス家? ねえ、その事件ってまさか、グレイ先輩が関係しているの?」
『関係しているもなにも、今回起きた拉致事件の被害者がグレイ王子なの!』
「……」
予想を遥に超える大事件を告げられ、目の前が真っ白になった。
王族拉致事件?
このブルーベルで?
超展開過ぎる話に理解が追いつかなかったので、もう一度アイに順を追って説明してもらうことにしたが、私個人ではこの大事件の全容を受け止めきれるか正直不安だ。
そこで私は頼れる上司に横目でSOSサインを送った。ザックは私の意を察したようで、耳元を指で二回叩くゼスチャーを見せた──どうやら一緒に話を聞いてくれるらしい。少しだけ気が楽になった私は、この通信をザックと共有するようにミイに命じた後、アイの話に耳を傾けた。
『──と言う訳なのよ』
アイ曰く、私が任務先に向かった後、グレイ先輩が二人組の男たちに連れ去られたのだと言う。そんな先輩を助ける為に、現場に居合わせたマイとレオ、そしてアイが緊急で用意した二人の助っ人が犯人の後を追ったそうだ。
結果、不運にもマイは大破し、レオは軽傷を負ったが、優秀な助っ人たちが犯人の捕縛に見事成功したらしい。その後、渦中の人物である先輩は無事に保護され、今はブルーベルでも指折りの高級ホテルの一室で夢の続きを見ているとのことである。
「大事を知らぬは本人ばかりなり、か。寝ても覚めてもトラブルを呼び込むその運命力……さすが、としか言いようがないな」
苦笑いを浮かべながら皮肉の言葉を口にしたザックは、おもむろに煙草を咥えてそれに火を点けると、夕日に向かって吸い込んだ紫煙を大きく吐き出した。
「オーケイ、話の大筋は理解できた。王子は今日も今日とて火の粉を撒き散らし、そして、火消し役たちはまた当分の間、眠れぬ日々を過ごす羽目になった。要は話の規模が大きくなっただけで、基本的にはいつも通りってことだろ?」
話を無理矢理まとめようとしているザックの言い様は、暗に深く首を突っ込み過ぎるなと言っているようだった。これまでに先輩絡みの騒動に関わって、幾度となく痛い目を見てきた人ならそう思うのは当然だろう。それに今回の事件は、言わば国家の大事である。私たち一般人がいたずらに介入して良い話ではない。
ザックに言われるまでもない。私だってそれぐらいの常識は弁えているつもりだ。アイも私と同意見らしく、いつも通りで片付けようしているザックの発言に対して何一つツッコミを入れることなく、彼の言葉に隠された忠言を聞き入れるように「そうだね」とだけ小さく呟いた。
その言葉を聞いた後、暫くの間、ザックはオレンジ色に燻る煙草の先を見つめていた。やがてその火が消えると、ズボンから取り出した携帯灰皿に吸殻を押し込んで何の気なしに口を開いた。
「……まあ、それよりもだ。レオは今どうしているんだ? マイは壊れちまって、いま一緒に居ないんだろう? 一人にして大丈夫なのか?」
「あっ!」
私は思わず声をあげた。
それはもちろん、レオの存在を失念していたからではない。今現在におけるレオの社会的立場を危惧してのことだった。
アイの話を聞く限り、レオは勇敢にも犯人と交戦し、軽傷を負ったようだが、その後はどうしているのだろうか。ひょっとしたら、警察や病院に連れて行かれたのかも知れない。もしそうなら少し面倒なことになり兼ねない。
私の狼狽振りがアイに伝わったのか、電話の向う側で溜息が聞こえた。まるで仕方のない姉だと言わんばかりの大きな溜息だった。
『心配しないで、お姉ちゃん。そのレオって子はあたしが呼んだ竜騎士に保護されたよ。もちろん、警察や病院には連れて行っていないから安心していいよ』
アイの口ぶりから察するに、マイから事情を全て聞いていたのだろう。どうやらアイは、身分証を持たないレオを案じて上手く配慮してくれていたようだった。
本日ベルーベルで逮捕される拉致犯の一人に追加されずに済み、私は心の底から安堵した。やはり持つべきものは優秀な妹である。
「さっすがアイ! ほんと助かったよぉ! それでさ、気になっていたんだけどアイが助勢を依頼した竜騎士って誰なの? その人たちにも後でお礼しなきゃ」
『第三〇一支所のグリンって人と……シーちゃん』
今日この島にいるはずのない人物の名前をだされて、私とザックは思わず顔を見合わせた。私の記憶が確かならば、シャロンは先週から遠方での任務に従事しており、帰島予定日はどんなに早くても明後日のはずなのだが……。
「ええ⁉ シャロンってブルーベルに帰って来ているの?」
『うん、本当は明日か明後日にブルーベルに戻る予定みたいだったけど、仕事も早く片付いたみたいだし、逗留先の食事があまり好きになれないからって急遽今日帰って来たらしいよ』
「それはいいとしてさ……帰って来ているなら、なんでさっきの防衛任務に召集されなかったの? シャロンだったら絶対に声をかけられるでしょ。おかしくない?」
『それがね……出張から帰って来たばかりなのに、直ぐ任務に召集されたら嫌だからって携帯電話の電源を切っていたんだよ』
「……最悪だな、あいつ」
額に手を当てて呆れるザックに、私は激しく同意した。
この電話を切った後、サボタージュを決め込んだ同僚をどのような辛辣な言葉で罵ってやろうかと考えたが、それは突如脳裏に浮かんだある疑問によって打ち消された。
「ん? どうしてアイにはシャロンがブルーベルに帰って来ているってわかったのよ? それにどうやってシャロンに連絡を取ったの?」
『え? どうって……携帯の発信源を調べてこちらから強制的に電源をオンにしただけだよ』
「だけって……まさか私の携帯にもそれと同じことできるわけ?」
『もっちろん! それくらいは朝飯前だよ!』
「こら! 自慢するような事じゃないでしょ! あんたねぇ、プライバシーって言葉知ってる?」
『だから今かけてる電話だって、お姉ちゃんの任務が終わるまで待っててあげたんじゃない。余計な心配事を抱えたまま任務について欲しくないって思う健気な妹の心遣いがどうしてわからないかなぁ。それにさ、別にいいじゃん。四六時中、監視しているわけじゃないんだよ。これぐらい開発者の特権ってやつでしょ?』
悪びれもなく自らの行為を誇らしげに語る妹だった。やはりこの子の倫理観は少しずれていると言わざるを得ない。姉として、いずれその思考の歪みを何とか修正してあげないといけないが、今それを指摘したら、いつものようにくだらない舌戦が勃発してしまうのは火を見るよりも明らかだ。
私は喉まで出かかった訓戒の言葉を呑み込み、脱線しかけた話題を戻した。
「……いいわ。じゃあ、今レオと一緒にいるのはシャロンなのね? わかった、早速シャロンと連絡取ってみる」
『それはいいけど……シーちゃん、また電源切ってるよ』
「はぁ⁉ 何で?」
『いや、何でって言われても……そんなことはシーちゃんに直接聞いてよ』
「もちろん直接聞くわよ。でも、私にはアイみたく無理矢理連絡を取る手段なんてないんだから、どうにかしてシャロンに連絡を繋げてちょうだい」
『じゃあ、それはミイに頼めばいいよ。アルファAIへの命令権レベルはあたしの次にお姉ちゃんを高く設定しているから、余程理不尽な命令でない限り何でも言うことを聞いてくれるはずだよ』
そんな裏設定があったとは今の今まで知らなかった。でも、本当かな? マイもミイも結構な頻度で私の命令に背いている様な気がするけど……まあ、とりあえず試してみるとしよう。
「色々ありがとうね、アイ。お礼は今度するから。じゃあ、またね」
『ああ、ちょっと待って!』
アイは電話を切ろうとした私を慌てて引き留めた。
『さっきマイのスペアボディにデータを転送したから、家に帰ったら起動してあげてね。それから…………ねぇ、お姉ちゃん。少しだけ聞いて。お姉ちゃんが夢を叶えるために凄く努力しているのを知っているし、あたしもレイ姉さまもそれを応援している。でもさ、やっぱりお姉ちゃんが危ない目に遭うのは嫌だよ……だからお願い、あまり無茶はしないでね』
なるほど、アイが怒っていた本当の理由はそれか。
相変わらず過保護な妹だ。これではどっちが姉だかわからなくなる。でも、決してそれを煩わしいとは思わない。だって、この子は心から私を心配してくれているのだから。お目付け役としてマイを私の傍に置くのも、アルファー社の様々な最新技術を五五支所に提供するのも、全ては私のため──アイなりに私を守るためだ。
それにさ……ずるいよね。いつも悪態ばかりついてくるくせに、時折こんな甲斐甲斐しくもしおらしい一面を見せるんだから……まったく、今この場に居たら、抱きついて頬擦りして一ダースのキスもしているところだよ。
「ありがと。大好きだよ、アイ」
『はぁ? 何それ? 意味わかんない……全然意味わかんないんだけど! うぅぅ……ん~もう! とにかく今日みたいに危ない事しちゃダメだからね! じゃあね!』
そう言って、アイは一方的に電話を切った。
今頃、顔を赤らめながら私の文句を口にしていることだろう。そんなアイを想像すると、自然に笑みが零れた。
そういえば、ここ最近アイやレイ姉に会っていないなぁ……この前実家に帰省したのはいつ頃だっただろう──ふとそのようなことを思い返しながら、水平線に沈みかけた半円の夕日を眺めていると、突如胸の奥で微かな痛みが生じた。その痛みが全身に拡がってゆくのに気付いた私は、慌てて両手で自分の頬を叩いた。そのままさり気無く顔を拭って大きく深呼吸をつく。必死に心を落ち着かせ、すんでのところで事無きを得た私は、安堵するとともに自らを叱咤した。
「……バカ、弱虫」
その声に反応してザックがこちらを向いた。
「ん? 何か言ったか?」
私は僅かに赤くなっている(だろう)瞳をザックに悟られない様、俯き加減で言葉を返す。
「ううん、ただの独り言……それよりも、アイが言うにはそういうことらしいし……シャロンには私が連絡してレオを迎えに行くから、ザックは任務報告の方をやっといていいよ」
「そうか。じゃあ頼むな。俺はこれが終わったら、グリンに連絡を取ってみるわ。レオのことで口止めしとかなきゃならないこともあるしな」
その言い様だと三〇一支所のグリンって人はザックの知り合いに聞こえる。たしか三〇一支所はつい二日前に新設されたばかりで、所員の人たちもこの島に来て日が浅かったはずだが……まあ、顔の広いザックのことだ。誰と知り合いでも不思議ではないか。それに今回の事件には少なからずレオも絡んでいることだし、初対面の人間がしゃしゃり出て話をややこしくしないためにも、ここは三〇一支所の人たちと面識のあるザックに任せた方が得策かも知れない。
「オーケイ。じゃあそっちはお願い。あっ、くれぐれもお礼を言うのを忘れないでね」
「はいはい、わかっているよ。マムみたいなこと言うなって。ほら、早くシャロンに電話しろよ」
さて……では気を取り直して、私の言うことを何でも聞いてくれるらしい携帯電話の精を呼び出してみるとしよう。
「ミイ、ちょっといい?」
『……』
呼ばれて飛び出てきた携帯の精は、手を腰に当て何か言いたげな顔をしていた。
ミイが何を言いたいかは大体予想できる。どうせこういう時だけまともな正論を振りかざして『こんなことだと立派な大人になれないよ』とか『犯罪者ってこういうことがきっかけで生まれるんだよね』とか、いちいち癇に障るようなことをほざくに違いない。
だめだ。これではいつも通りのやり取りになる──そう感じた私は、初めからミイに有無を言わせぬ物言いで命令を下した。
「ミイ、シャロンに連絡をとって。いい? 無理矢理にでもいいから連絡を取るのよ? わかった? わかったら返事!」
『りょ、了解!』
ミイは戦々恐々といった態ですぐさまシャロンに連絡を取り始めた。
なるほど、少し語気を強めるのがコツか……これは色々利用できるかも──私は胸中で不埒な考えを浮かべながらほくそ笑んだ。




