PART3. マイ(αAI Type O ver.1.03)【1】
『食べ物を粗末にしてはいけません!』
『食べ物を粗末にする人は問答無用で地獄行きです!』
これはブルーベル最強の健啖家と噂される某竜騎士の口癖である。
経口摂取によるエネルギー補給を必要としないボクには食事のありがたみというやつがいまいち理解できないけれど、食料に限らず、ものを粗末にしてはいけないという点に関しては大いに賛同できる。なぜなら、この世の真理として、無から有が生じることは決してあり得ない。なればこそ、限り有る資源を大切にしなければならないと思うのは、アークスに生きとし生けるものにとって至極当然のことではなかろうか? ボクはそう信じているし、そう考えている。ちなみに、地獄行き云々に関しては、完全に某氏の妄言である。自らの大食いを無理矢理正当化する為の苦しい言い訳に過ぎない。ボクはそう断言する。
……さて、それらを踏まえた上で、目の前の料理をどうするべきだろうか?
ボクは呆れ顔で、レオは困り顔で現在思案中である。
緊急任務の為、お姉ちゃんが現場へ向かってから一分後、鈴猫亭名物の〝デラックスワンプレート〟がボクたちのテーブルに給仕された。
お姉ちゃんの言葉を借りるとデラックスワンプレートとはこのような料理である。
『サラダ、ハンバーグ、エビフライ、チキンレッグ、アボカドオムレツ、ビーフシチュー、チーズと燻製ハムのサンドウィッチが一度に愉しめるとてもお得な一品。みんな大好き最強メンバーの揃い踏みだよ。そして大衆料理と思って侮ることなかれ、そのどれもこれもが手間暇をかけた下処理と技巧の限りを尽くした調理法によって、極上の逸品に仕上がっているの! 信じられる? このボリュームとこの値段でこの味よ! でもね、この料理を食べる際には気を付けなければならないことが一つあるわ……それはハマり過ぎに注意することね』
うん、たしかに否定はできない。一般客が頼んだものであればその通りかも知れない。だが、目の前に置かれた料理は、遊び心溢れる鈴猫亭の店主がブルーベル最強の健啖家と噂される某氏の為に誂えたスペシャルデラックスワンプレート。その馬鹿げた量たるや、メニュー表に記載されている一般客用のデラックスワンプレートがミニチュアサイズに見える程である。たらいのような特注の大皿には、ざっと目算しても通常の一五倍から一八倍の量が盛られているのは間違いないだろう。大変失礼な言い草だが、これは人間の食事と言うよりは、もはや象の食事と言った方が近い。
そんな人外レベルのデカ盛り料理を見て、暫くの間フォークとナイフを持ったまま呆然としていたレオだったが、せっかくお姉ちゃんが注文してくれた料理とあっては、手を付けないのも失礼にあたるとでも思ったのだろう。やがて、彼は覚悟を決めて目の前の料理と格闘し始めた。
最初は猛烈な勢いで食べ進めたレオだったが、半分を食べ終えたあたりで失速し、五分の四を超えたところで完全に停止した。フォークとナイフをナプキンの上にそっと置いて、テーブルの上に身を預けたレオは掠れ声で呻吟した。
「……も…う……無理」
「いや、むしろよくそこまで食べたよ。凄いな、君」
ボクは心から敬意を表した。おね……もとい、ブルーベル最強の健啖家と噂される某氏がレオの食べっぷりを知ったら、きっと『やっと本物の同士と出会えた』と言って狂喜するに違いない。
レオくん、おめでとう──そして、お気の毒に。今後、君は某氏にありとあらゆる大食いツアーに連れ回されることになるだろう。今後、胃腸薬だけは欠かさず持ち歩いた方が良いと思うぞ。
ボクは心の中で他人事のように呟いた。
それから数分後、未だグロッキー状態のレオはテーブルに突っ伏したまま、顔だけをこちらに向けた。そして、妊婦が行う複式呼吸のような息遣いを無理矢理抑え込んで、二十数分前と同じ質問をボクに投げかけてきた──お姉ちゃんが任務先に出かけた後、すぐにレオがボクにした質問である。
「……ね…ねえ、マイ? ご飯を食べる前にも聞いたけどさ……ぼくたち本当にこんなことしてていいの? もうすぐブルーベル島に……避難勧告が出されるんでしょ? 逃げる準備とかしなくてもいいのかな?」
同じ質問を繰り返す心配性な少年に、ボクは二十数分前より少しだけ詳しく説明してあげた。
「大丈夫だって。いま迎撃任務に就いている竜騎士たちがギーブル如きを討ち漏らすことなんて、億が一にもあり得ないから。それにエクステリアが定めた建築基準法によって、ブルーベルの建物には一戸ごとに避難シェルターが必ず設置されているんだ。もちろん、このお店にもある。だからそんなに焦らなくてもいいんだよ」
「でも、それはマイがこの状況に慣れているから言えることなんじゃないの? 一般の人たちも同じってわけじゃないでしょ? パニックになったりしない?」
「なんて説明すれば良いのやら……まあ、百聞は一見に如かずってね。もう少し経てばレオにもわかるよ。ブルーベルがどんなところで、どんな人たちが住んでいるのかを、ね」
そう言い終えるや否や、美しくもどこか不安を煽るようなアップテンポの鐘音が街中に響き渡った。それに少し遅れて、街中の至る所に設置された街頭スピーカーから一時避難勧告のアナウンスが流れる。時刻は一七時五八分のことだった。
≪こちらはブルーベル災害対策本部です。現在本島に竜が接近中です。つきましては、竜騎士たちが竜の駆除を終えるまで、全島民並びに来島者の皆様は街路に設置された誘導灯に従い、最寄りのシェルターに一時避難をお願い致します。繰り返します。こちらは──≫
〝橋頭堡計画Ⅲ〟によってブルーベル島がテコ入れされたAC二〇四二年から今日現在に至るまでの七七年間、巨鐘ビッグ・ベルが奏でた〝鐘の音にはご用心〟はこれでちょうど一五〇〇回目となった。この記念すべき日に立ち会えたことを幸運と思うべきか、不運と思うべきかは各自で判断していただきたいところだ。まあ、今日の竜騎士祭りを楽しみにしていた人たちにとっては後者でしかないと思うけれど……。
だがそれでも、ブルーベルに住まう大半の人たちに動揺した様子は見られない。避難行動を煩わしく思い、災害対策本部と竜騎士たち、そして招かざる来祭者たちの不満を口にする者が多少なりとはいたが、不安や恐怖に狼狽する者はほとんどいなかった。きっと彼らにとってビッグ・ベルの鐘音は、不定期的に奏でられるブルーベル固有の郷土音楽程度のものでしかないのだろう。
極当たり前のように竜の来襲を甘受する彼らの豪胆さは見事と言うべきか、それとも呆れ果てると言うべきか……とにもかくにも、これがいつも通りの光景──いつも通りのブルーベルなのである。
そんなブルーベルの人たちの動向を注意深く観察していたレオは感嘆の声をあげた。
「ふぇぇ、みんな竜が怖くないんだ? それだけブルーベルの竜騎士たちを信頼しているってことなんだねぇ」
信頼、その言葉に反応したボクは笑って首を横に振る。
「竜騎士たちへの信頼の表れって言えば聞こえは良いけど、単にブルーベルの人たちの危険察知能力が低下したとも言えるね。みんな慣れっこになっているんだ。いや、感覚が麻痺していると言った方がいいのかな? とにかく、これはあまり褒められたことじゃないよ」
なんて偉そうなことを言ったけど、ボクもその感覚が麻痺している一人(一機)だということに気付いて思わず苦笑した。これは滑稽だ。こんなボクに他人をとやかく言う資格なんてあるわけがない。……でも、この自己嫌悪に近い感覚が愛おしいものに感じるのはどうしてだろう? どこか故障でもしたかな? まあ、いいや。不思議と悪い感覚じゃないし、あとで開発者に相談でもしてみよう。
「マイ、どうかした?」
レオは突然笑い出したボクを怪訝そうに見つめてきた。ボクは胸中にあるこの不思議な感覚をどう説明すれば良いのかわからなかったので、適当な言葉でその場を取り繕い、半ば無理矢理に話を本題へと戻した。
「さて、これからボクたちはこのお店のシェルターに避難させてもらうわけだけれど、レオも避難に関する一通りのことは覚えておいてね。まあ、君はこれから竜を退治する側になるから、あまり必要のないことかも知れないけれど、何事も経験するに越したことはないからね」
「避難の仕方かぁ。難しいの?」
「簡単だよ。今みたいにお店に入っている時に避難勧告が出された場合は、従業員がシェルターまで誘導してくれる。街を歩いていた場合は、避難誘導灯に従って地下にある公共シェルターへ向かう。自宅にいた場合は……言うまでもないよね。それだけさ」
コップに入った冷水を啜りながら説明を聞いていたレオは、突然思い立ったように手を挙げた。
「じゃあ、一つ質問。公共シェルターが満杯だったらその時はどうするの?」
「大丈夫、満杯になることはあり得ないよ。公共シェルターの最大収容人数は三〇〇万人だもん」
「三〇〇万⁉ ……ええ、何それ? どれだけ大きいシェルターなのさ?」
「もちろん一か所で三〇〇万人ってわけじゃないよ。シェルター一つに付き、収容できる定員は一〇〇〇人、それがブルーベルの地下には合計で三〇〇〇もあるんだ。地下の断面図を見ると面白いよ。まるでアリの巣みたいだから。それに出入り口数も一二〇〇〇ヶ所あるから、街のどこからでも入れるし、避難時にパニックになることもあまりないんだよ」
腕を組んで虚空を見つめるレオ。片手の指を折ったり伸ばしたりしているところを見ると、頭の中で何やら計算をしているようだ。
「う~ん、話の規模が大きすぎて想像し難いけど、とりあえず避難勧告に従っておけば特に問題は──」
と言いかけて、レオは目抜き通りの方へと視線を向けた。
「なんだ、あの人たち?」
目を瞬かせて胡乱気な声を漏らすレオに釣られ、ボクも目抜き通りの方へと視線を向ける。そこに居たのは漆黒のロングコートに身を包んだ長身の二人組と、その周りで何かを喚き散らす若者の集団だった。
ロングコートの二人組はフードを深く被り、露出している肌の部分はほぼ無いに等しかった。両手の手袋も、コートの裾から見えるスラックスも、履いている靴も、全てが黒色で統一されており、常夏のブルーベルでは場違いすぎるその風体が周囲の人目を集めていた。
一方、若者たちは各自がド派手な髪型と服装をしていた。しかし、彼らに注目が集まったのはそのファッションスタイルのせいではなく、ロングコートの二人組に大声で罵詈雑言を浴びせていたからだろう。彼らをよく観察してみると、全員の手には酒瓶が握られていた。大方、祭りの熱にあてられて己の酒量を弁えず痛飲、そしてたちの悪い酔っ払いと化してしまったというところか。
それらを踏まえた上で考察すると、ロングコートの二人組が、酩酊した若者の集団に因縁を付けられているように見える。ブルーベルでは年に一万回はある光景で、なんの変哲もない有り触れた事件だ。
くだらない。低俗な争いだ。と、思った時だった。
突然、若者たちの一人が宙を舞った──赤い頭髪の男が、身体を旋回させながら一〇メートル程宙を飛んで人混みの中に消えていったのだ。その光景に愕然とする若者たちと呆然とする観衆。沈黙と静寂の波紋が広がったのち、数瞬の間を空けて悲鳴と歓声がほぼ同声量で沸き起こった。
「ね、ねえ、いま何が起こったの⁉」
肝心の瞬間を見逃していたレオが一部始終を見ていたボクに尋ねてきた。
「ロングコートの片割れが赤頭の若者を蹴ったんだよ。後ろ回し蹴りで胸元をズドン、さ。しかもあの威力、醒心力を使ったのは間違いないだろうね」
いくら若者たちに挑発されたとは言え、あのロングコートの男も馬鹿なことをしたものだ。醒心力を使える人間が理由もなく一般人に暴力を振るったら、どうなるか知らないわけでもあるまいし……五年以下の懲役及び一〇〇〇万ジュエルの罰金だぞ。そして、故意ではないにしろ相手を殺害でもしてしまったら終身刑は免れないんだ。力ある者にはそれなりの責任が伴う、これは当たり前のことじゃないか。
まあ、いいか。ボクたちには関係のないことだ。
さようなら、紳士諸君。せいぜい楽しい祭りの思い出を作ってくれたまえ。
「ほら、レオ。あまりじろじろ見るんじゃないの。そろそろウェイトレスがお店のシェルターに案内してくれるはずだから、そこの酔っ払いを担ぐのを手伝って」
そう言って、興味津々にいざこざを眺めるレオの肩を叩いた。が、彼は固まったように動かない、声も発しなかった。ボクはレオのよそ見に釣られて、条件反射的に視線を再び街通りの方へと向けた。そしてロングコートの二人組を見た瞬間、緊張を伝える不快な電流が身体を貫き、ボクは思わず独語した。
「……やばい! 目が合った!」
フードを目深に被る人間と目が合ったという表現は適切ではないと思う。だが、それ以外には例えようがなかった。それほどまでに、あの二人がボクたちを強く意識しているのが伝わってくるのだ。レオが固まってしまったのにも合点がいった。
二人組は耳打ちを交わした後、ゆっくりとした足取りでこちらに向かってきた。彼らの異様な風采と行動に恐れをなしたのか、野次馬好きの群衆が蜘蛛の子を散らしたように逃げ去って行く。気が付けば、黒衣の二人組の三〇メートル圏内にはボクたちしか残っていない状況だった。
もうこれは確実だ。明らかな敵意と害意がボクたちに向けられているのがわかる。この二人なんのつもりだ。まさか目が合ったから、なんて輩紛いの因縁をつけるつもりじゃないだろうな? だとしたら、どいつもこいつも怒りの沸点が低すぎるぞ。そんな暑苦しい格好をしているせいで脳細胞がやられてしまったんじゃないのか!
黒衣の二人組がボクたちに一〇メートルまで近づいた時、レオがゆっくりと席を立ち、とても静かな声で囁いた。
「……マイ、離れていて」
その言葉はボクの緊張と不安を増大させた。不可避のビッグトラブルが目の前に迫ってきている、そう告げられているような気がした。ボクはレオの忠告に従い、この非常時にも関わらず呑気に爆睡している王子を引き摺って数メートル程離れた。
そして数瞬後、レオの予感は的中する。一度歩を止めた二人組は互いに無言で頷き合うと、コートの裾をはためかせ、疾風の如き速さでレオに襲いかかってきた。
地面を這う様に突進してくる相手に、レオは椅子を蹴飛ばして牽制する。しかし、二人組は蛇の様に精密且つ滑らかな動きで椅子を躱し、間合いを一気に詰め寄った。
三者が攻撃射程圏内に侵入し合った超危険区域の中、重心を落とし右脇構えより更に身を捩らせるレオ。そして、彼の両手から眩い青白色の光が輝き始めた瞬間、二つの黒い影が踊る様に交差してその光を覆い隠した。
次の刹那、三つの異なる鈍く重い音が同時に轟き、二つの身体が正反対の方向へ弾け飛んだ。
一人は街通りの方へ──まるで水切りの石のように地面を数回跳ねて、筋向いにある雑居ビルの壁に激突した。二人組の片割れだった。右腕で左腕を押さえ込んで蹲り、苦悶しているようだ。おそらく、レオが醒心武具で繰り出した右薙ぎの直撃を被ったのだろう。しかし、フンバーバを一刀のもとに葬り去ったレオの斬撃を受けて、よくそれだけの傷で済んだものだ。コートの下にミスリル合金製の防具でも仕込んでいたのか。それとも、相当修練を積んだ覚醒者だったのか。いずれにせよ、そのタフネスぶりは驚嘆に値することだ。
もう一人はテラスの机や椅子を薙ぎ倒し、鈴猫亭の店内に突っ込んだ。こちらは確認するまでもなかった。……なぜなら、ボクの目の前に漆黒のロングコートに身を包んだ男が佇立していたからだ。
黒衣の男は自分の仲間と鈴猫亭の店内を一瞥した後、こちらへ歩み寄ってきた。この瞬間、ボクは戦慄を覚えると同時に理解した。こいつらは遊びでこんなことをやっているのではない。どんな理由かはわからないけれど、最初からボクたちが……いや、ボクの傍らにいるこのグレイ・フォンザウト・フェリックスが目的だったのだ。
──なぜ?
──どうして?
──まさか?
ボクの頭の中で無数の疑問と憶測が生じた。しかし、いまそれらについて検証している場合ではないことに気付き、大急ぎで眠りの世界に囚われている酔いどれ王子さまを叩き起こすことにした。こんな人でも、その実力はお姉ちゃんやザックが認めた程だ。この窮状を打開できるのはこの人しかいない。そう判断したボクは無礼を承知で、御就寝あそばされるエクステリア王太子殿下の御尊顔に、高々と上げた右手を振り下ろした。
──が、突如ボクの腹部に凄まじい衝撃が走り、視界が高速で回転し始めた。僅かに赤みを帯びた空、路上からボクを見上げる人々、天と地が交互に視界に映る。どうやらボクは黒衣の男に蹴り飛ばされてしまったようで、距離にして約二〇メートルの空中遊泳をしたのち、路上に停めてあった高級車のボンネットの上に派手な音を立てて落ちた。
≪重大な損傷が複数箇所に発生。既存データのバックアップ作業を最優先する為、【Alpha Artificial Intelligence Type Origin Version.1.03】を一時停止します。バックアップ終了後、緊急自己診断と簡易修復を開始。再起動は五〇秒後を予定≫
頭の奥で開発者の声が響いた後、まもなくボクはブラックアウトした。




