148 療養所としての看護
「まぁ、お腹が空いたら戻ってくるでしょ」
と、シスター・テレサがペットが脱走した様な皮肉った言葉を残して、東方へと出立して行った。
あんなじゃじゃ馬は、犬や猫などの愛玩動物に向いてないから! と、ツッコミしたくて喉元まで出かかったが、なんとか飲み込んだのだ。
クレハは「言っちゃえば良かったのよ。無理に我慢しなくても良かったんだから」と言いたそうな表情をしていた。
とりあえず、同じ気持ちだというのが分かったよ。
少女3人組が『お手伝い』先へ報告が済んで戻って来たので、駆けつけて来たメイドのサララは、修道院の地域に病で伏せている人が居ないか巡回へと去って行った。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
一両日が過ぎた頃、症状が重い人達が搬送されて来た。
特に閉鎖区域に近い南東部方面の人達が殆どだった。
体力が無いのか、病への抵抗力が弱い老人と、私かそれよりも幼い子供達が目立った。
替えの衣類の代わりなのだろう。雑巾一歩手前なクレジーキルトの衣服とシーツも一緒に届けられたのは有り難かった。
修道院では衣類と寝具は暮らす必要最低限のしか無いので、こういった援助はとても助かる。
同じ頃、外には排泄物を納める瓶壺と、特別に組み立てられた荷車が用意されていた。
流行病に関わる排泄物等は、普段のモノと一緒にできなくて、炎の魔力で浄化しなくてはならないのだそうだ。現代社会的に言い換えるなら焼土消毒というのだろうか? 病気の原因の細菌を焼き殺す事で消毒するという訳だ。細菌の知識があるのかどうかは分からないが。
そして、こういう汚れ仕事は『草の根街』と呼ぶ貧民街の人達が担ってくれている。
何時も不思議に思っているのだが、彼らは人が嫌がる汚れ仕事を務める事に誇りを抱いている。
この国の土台を支えているという自信と、自分達では出来ない人達からは感謝の気持ちを受け取れる喜びがあるからなのかもしれない。
総中流社会をうたっている日本では、階級という響きは難しい環境が思い浮かんでしまう。
しかし、全ての国民のは…、というと微妙な所はあるが、働き方や暮らし方に差別、偏見が無いのだ。そんな生活からイギリスの階級制度を連想する事がある。
それぞれの階級の人達は自分の立場を誇り持ち、違う階級の人達をお互いに認め合っている。
だからだろうな。富裕層の階級だからといって『草の根街』等の労働者階級を見下したりはせず、違う生き方をしている人達として敬意をもって接しているのを何度も見かけていた。
侮蔑の無い人々の暮らしは、社畜として荒んだ心に癒やしをもたらしてくれる。これが幸せの一つではないだろうか。
だからこそ、看病という形ではあるが、心優しい国民を助けられる事が嬉しくて、その喜びが体力的に辛い看病の原動力となっているのだ。
そして日々が過ぎる毎に療養所にあつまる患者と、中後から夕刻にかけて塀の外で立ち上る黒煙が増えていった。
黒煙は特に南東部が多く、西方は余り立ち上らない。
そう、あの煙は火葬によるものだ。
汚物と同じく、流行病で亡くなった人達は従来の土葬ではなく、炎の魔力で病と死の穢れを祓うのだと、看病の手伝いに来ている兵士やメイドから教えて頂いた。
黒煙の数は犠牲者の数に比例する。そういう現実が、無自覚に心を疲弊し蝕んでいった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「この世に御座す、かしこき聖霊達よ。ここに集う病める者達へ凍える者達へ、安らぎと温もりを与え縷々(るる)べく御手を添えしめ賜ゐて、あらゆる災いが去らん事を願い白す」
毎朝、トキザミ様が胸元で手を組んで祈りを捧げると、礼拝堂の中が柔らかい光に満たされた。
さぁ、今日も看病の始まりだ。
礼拝堂の中は老若男女に関わらず集まってしまい、8歳未満の子供と、それ以上の男女別々の3区画に仕切りる事になった。
礼拝堂だけで収容できたのは不幸中の幸いだとは思うが、この光景は物語で描かれた野戦病院を彷彿させた。
息苦しく鳴り響くザラザラとした呼吸の音が、看病する私達の精神を削るヤスリの様に削ぎ落としていく。
ここでこの人数なのだから、南東部はいったいどんな状態になっているのだろうか。
恐ろしくて想像する気にはなれなかった。
その様な中で、患者の汗を拭って着替えを手伝い、食事を運ぶ。
食事といっても、麦と芋を主として他には食べられる野草も入れて煮溶かしたスープを、各自がココに来る時に持ってきた食器を使って与えている。
体力が残っている人はパンとスープをそのまま与え、人によっては水団みたいな麦団子もスープに入れて、体力回復を促進させる。
体力が無い人へは、パンをスポンジの代わりにしてスープを口腔へと注ぎ入れた。
量が量なので、物置になっていた礼拝堂の大きな厨房を早急に掃除をして、煮炊き出来る様にしたのは言うまでも無いだろう。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
子供室は少女3人組が受け持ち、私はナーガと兵士で男性室、クレハはトキザミ様とメイドと一緒に女性室へと自然に振り分けられた。自然と云うよりは当然の振り分けだと思うけど。
礼拝堂の中ならば、クレハは私と離れていても大丈夫だけど、あまり離れすぎるとクレハの『機能』が停止してしまうので、お互いにトラブルにならない様に注意はしている。
そもそも、2つ混ざり合った私達の魂をメフィストが中途半端に別けたのが悪い。
まるで呪いの様になっているじゃないか! って思うよ。「絡み合いすぎて、これ以上別けると魂が崩壊する~」とか言い訳していたが、真偽は不明だ。
どんなに言い訳されても、だいたい魂について何たるかなど、私が分かるはずも無い。
看病について、クレハの5歳という年齢的では体力不足なのは明白だった。
出来る事はというと、手を握っているとか背中を擦る程度しかないが、「小さい子供が一生懸命に看病している姿を見ていると、とても元気づけられるわ。早く治さないとね」と、頑張る姿が生きる活力なのだと喜んでいたそうだ。
その喜びがあるからこそ、私達も頑張れる。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
療養所として解放してから7つ日が経っただろうか。
汗を拭い着替えを手伝うのは、始めの頃は力任せにしていたので苦労したが、今では要領を覚えられたので結構慣れてきたと思う。
そんなある時に、最初に運び込まれた老人の着替が終わると、老人は突然正座をして虚ろのな視線で私を見つめだした。
いきなりの行動に驚き、定まっていない視線は虚ろに思えたが、よく見たらどうも違う。
私の『その先』を見つめている様な表情をして手を伸ばしていたのだ。
そしてボソボソと独り言を呟き始めた。なんと言っているのか聞き取れなかった。というより、言葉が解らなかった。
高熱により朦朧としているのだろう。だから思いついた言葉を、ただただ口にしているだけなんだと、その時は思った。
しかし、私の後ろに居る(はずのない)誰かと話している仕草がとても気になって、必死に独り言を聞き取ろうと耳を傾けた。
「た・いま…。ちち・え。はは・え…。にい…」
一瞬、耳を疑った。昔に聞き覚えがある言葉かと思った。
幻聴かと思った。
気のせいかと思った。
それは壊れたレコード、今なら音声データーをループ再生している様に、何度も何度も繰り返している声に、もう一度耳を傾けた。
「ただいま、戻りました。父上、母上、そして兄さん。サチエはまだ帰っていないのですか」
日本語だった!
てっきり、病が治って家に帰った幻覚を見ているのかと思った。
いや、もしも本当に家に帰った幻覚を見ているのなら、どうして日本語を語っているのだろうか?
沢山の疑問が一斉に思い浮かんでは弾け散った。
心の中に沢山の自分が居て、その全員が同時に全く違う訴えているかの様に、沢山の思考がビリヤードのボールの様に当たっては弾け飛ぶかの様に、考えが浮かんだ矢先にぶつかり合って泡沫の様に弾け飛び、形を成せないでいた。
思考が空回りしていて、あたかも停止しているみたいだった。
今できる事…。
それは老人の言葉を聞き続けるしかなかった。
「…父上も、母上も、…髪が白くなって…、さぞご苦労なさったのでしょうか…」
「でも…ご健在でなにより…です…」
「そうですか。サチエは嫁ぎましたか。さぞ…きれいに…なったのでしょう。立ち会えなかったのは残念で…」
「え、いいえ、立派だなんて、自分は思っておりません。だた…、皆の無事を願うばかり…でした…」
「あ、その声は兄上ですか。お傍の方は…お嫁さんですか…」
「式に立ち会えず…申し訳なく…、あ、いいえそんな事はありません…」
「そちらの少年はもしかして…。やはり後継ぎですか。兄上に似た顔立ちだ」
「ぼうや。年はいくつだい。…そうか6つか。兄上と義姉上は優しいか」
「…そんなに恥ずかしがらないでおくれ。…近寄ってくないか。もっと顔を見せておくれ…」
誰と話しているのだろうか? 家族? それにしては言い方が少々古めかしい様な…。
老人が眺めている風景を『独り言』から想像していると…、
突然! 私の胸ぐらを掴み出した。そして…
「兄上の様に立派になるんだよ…」
そう言うや否や、激しく咳き込み始めた。残る片手で口を塞いだのだが、指の隙間から血の塊が粘る様に伸び、正座している膝を赤く染め始めた。
ゴフッゴフッ!!
更に大きく咳き込むと、事切れてしまったのか、土下座の様な格好へと倒れ込んでしまった。
胸元を握られていた私は、その倒れ込む勢いに引っぱられてしまった。
駄目だ! このままではこの方にのし掛かって、苦しめてしまう。倒れ込むなら、せめて床へ落ちなければ!
とっさに体を捻った瞬間に、激しい閃光と焼けた鉄の臭によって握りつぶされた様な錯覚に陥り、動けなくなったまま、老人の上に覆い被さる様に倒れ込んでしまった。




