第七十六話 売り飛ばした女は怖い
空を飛ぶ。
昔からの人類の夢であり今尚生身で空を飛ぶ為に様々な技術が研究され開発されている。私は今そんな人類の誰もが体験した事がない「ドラゴンの背に乗る」という聞けば誰もが羨ましがるような貴重な体験をしているのだけどそれどころではない。
「え? あれ何でそういうことになっちゃってるの? 何で??」
「うるさいぞ。先程から何を騒いでおる」
流石に背中でブツブツ喋られてたら結構気になるのか足元から苦情が飛んでくる。空を飛ぶのにどれだけ労力を使うか分からないので内心申し訳なく思うがそれでも混乱は収まらない。
「いや、だって。神の花嫁っていつ私がそんなものになったのか全然心当たりないんですけど! 一体全体どーゆーことですかっ!」
これはどう考えてもヴェルト様のせいだ。そう確信して天を睨む。けどその答えは思っていたものとは全く違っていた。
≪花嫁とは、遥が我が元に参るという事か? そのような要求をした記憶はない≫
「でも他に対象者いないじゃないですか! どっかで火の精霊相手に変な事言ってそれが回り回っておかしな伝わり方したとかそういうんじゃないでしょうね?」
≪何と言われようと神の記憶にすらない事象を問うて答えがあると思うのか≫
ドラゴン封印したの忘れてたくせに。しかし今ここでそれを突っ込んでも容疑者は認めないと思われたので平行線だ。このままうやむやになりそうなところを割り込んだのは旅のメンバーに入ったばかりのドラゴンだ。今までは存在しなかった第三者からの客観的な意見に期待が掛かる。
「お主のその身は全てが天神の為であると言ってのけたであろう。あれではどう解釈しても生涯神に仕える為清らかな乙女である事を強いているようにしか思えん」
「はぁーっ!?」
「……頭上でそう喚くな。それがそうまで驚く事か」
「そりゃそうですよ!」
悲鳴に近い叫びを上げると足元から苦情が飛んできた。全く想定していなかった誤解はもしかしたら他の場所でもされてたんだろうか。思い返しても細かな会話の一つ一つまで覚えている筈もないから例えそうであったとしても分からないけど。
しかしこれからはどうしたものか、誤解はされたくないけど初対面で「私は神のものではありません」なんて言われた方も困惑するだろう。頭を悩ませている私の元へその元凶から不意に声が届いた。
≪我が花嫁と認識されたとて不都合があるのか≫
そう言われると具体的な事柄は何も思い浮かばない。単に私が結婚どころか恋人すらいないのに誰かの花嫁扱いされるのに心理的抵抗を覚えるだけだ。
≪我の為に働く者を花嫁と呼称しようと他の何であろうと為すべき事に何の変りもない。気に掛けるだけ無為というもの≫
確かに活動自体は何も変わっていないし自分から名乗る時はこれまで通り「神の使い」で事足りる。花嫁という言葉のインパクトに、それもよりによって相手がヴェルト様だということに混乱し過ぎて冷静になれていなかった。が、素直に引き下がるのも何だか癪だ。
「そーですね! どうせヴェルト様にとっちゃ後からいくらでも増やせるものですしね!」
恐らく伝わらない小さな嫌味をぶつけてこの場で溜飲を下げた。
「時に、旅立ったはよいがお主らはどこを目指しているのか」
「あ、ごめんなさい。ちゃんと言ってなかったですね」
さっきまで頭上の声に対応していたら今度は足元からだ。飛び立ってからまだ十分も経過していないけど流れる景色の様子にあちこちを彷徨っていたことが察せられた。
一番最初の計画ではこのまま水の精霊、風の精霊の元へ運んでもらうつもりだったけどその前に立ち寄る場所ができた。ヴェルト様を通じドラゴンへ目指す場所を示した地図を展開させる。
「それならば瞬きする間もなく辿り着けよう」
「はい、お願いします」
「よかろう。行くぞ」
それからは本当にあっという間に目的地へと辿り着いた。火の精霊の里の麓にある村、アヒムを始めとした何人かの故郷。
着地するだけで地震のような衝撃が起こるので村から離れた場所に降りてもらう……ということはせずに敢えて堂々と、村の入口目の前に降りてもらった。早速家の中から驚いた村人が飛び出してくる。私は背後に立ったままのドラゴン相手に呟いた。
「先に少しだけ、ドラゴン信仰のお手伝いしてあげますよ」
避難してきた村人がこぞって入口に押し寄せる。その中には村長もいて私の姿を確認すると指差して大声を上げた。そのせいで周囲の注目を一身に集めてしまうがそれも今の私にとっては好都合だ。
「あ、あんたは!」
「どうも。売られたけどこうして戻って来れましたよ」
嫌味全開の笑顔で言ってやるとそっと目を逸らされた。多少の罪悪感はあったらしいことに驚きだ。
≪この地の者共に我の力を見せればよいのか≫
ヴェルト様がいつもの事として待ち構えているが今日は違う。ヴェルト様の布教は今日はお預け、代わりに出番があるのはドラゴンの方だ。目の前にいるのに村人は誰も気づいていないそんな状況がおかしく思えて小さく笑いを零しつつ背後のドラゴンへ視線を送った。
「私が山の人の所へ売られても戻ってこれたのはちゃんと理由があるんですよ」
途端にどよめきが沸き起こる。今まで誰一人として生存が確認できなかったのに、それが無傷で帰ってきたのだ。驚かない訳はない。注目を十分に集めたところで堂々と宣言した。
「それは、ドラゴンという偉大な存在が私を守ってくれていたからです!」
辺りがしんと静まり返る。後ろの方では「何の話だ」「意味がわからん」と聞こえてくるけどとりあえず今は無視だ。
「……ドラゴンって、なに?」
静寂の中村長の陰からおずおずと声が上がった。村に滞在中に仲良くなった村長の孫のクルトだ。当然だがこの場の誰も知らない為に答は出てこない。その反応を確認してドラゴンについて説明する。
「ドラゴンとは、山のように大きな身体を持ち、全身を硬い鱗で覆った異形の姿です。鋭い爪と牙は鉄を切り裂く程で、絶大な力を持ちながら世界と人々を何百年何千年と見守ってくれています。」
「儂はほんの少し前に目覚めたばかりなのだが」
背後がうるさい。今はそういうことにしてるんだから取りあえず黙って待っててほしい。
「実は今この場にもいらっしゃるんですが心から実在を信じる者にしか見ることはできません。どうか私の言葉を信じてみてください」
私を見る村人の目は胡散臭いものを見たようなそれであったり、馬鹿にしたようなものだったり様々で未だドラゴンが見えたという声は聞こえない。周囲の一人一人を見渡しているとクルトと目が合った。私が無言で頷いたその瞬間だった。
「う、うわぁぁぁ! 大きなトカゲがいる! すごい!」
私の背後に目を向けながらクルトが大声で叫んだ。彼は足元から頭のてっぺんまで見上げると好奇心丸出しの顔で母親の手を振り払って駆け寄ってくる。
「ねぇねぇ、このおっきなのがドラゴン? さわってもへいき?」
流石は子供。私がすぐ側にいるというのもあるだろうけど初めて見る巨大生物に臆することなく近づいていく。ドラゴンの方を見ると仕方がないといった風情で口を開いた。
「……仕方あるまい。幼子の振る舞いに腹を立てる程狭量ではないから心配は無用」
「しゃべった!」
キラキラした子供の純粋な眼差しが直撃して妙に居心地悪そうなのが笑えてくる。そんなクルトの様子に他の子供が一人、また一人と近寄ってきた。
「ほんとに何かいるの?」
「ほんとだって! ここにいるって思ったら見えたんだ」
「……あっ! 見えた!」
「ほら!」
「かみついたりしない?」
二、三人でも子供が集まればその賑やかさは相当で。会話を耳にした大人達の間に動揺が広がっていく。まさか本当に、少しずつ私の言葉に信憑性を感じて、そしてとうとう大人達からも驚きの声が上がるようになった。
「う、うわっ! 化け物!?」
「俺達を食うのか?」
「売られたからってこれをけしかけて復讐する気か!」
……子供と違って大人の発言はヤな感じだなぁ。姿を確認した者から腰を抜かしたり悲鳴を上げたり恐怖心が伝わってくる。それは簡単に周囲に伝染して軽い恐慌状態に陥った。
村長の方はとそちらを見ればこの場の誰よりも青い顔をして震えている。私の恨みを買っている自覚は流石にあったようだ。
さてと、村人への脅しはもう十分かな。
「……何を企んでいる」
「人聞きの悪いことを言わないでくださいよ。これも信仰の為なんですから」
≪遥に考えあっての事なれば黒竜はそれを妨げるべきではない。遥に全てを任せよ≫
小声で問われてすかさずヴェルト様のフォローが入る。もう大体の人に見えるようになったんだからここで変な事を言われたら台無しだから助かる。これから私主催の茶番が開幕だ。
「今皆さんの目の前にいるこのドラゴン様は、この村が何をしてきたかお見通しです」
ですよね、と振り返ると困惑しつつ頷いてくれた。
「ドラゴン様は若い女性の守り手です。この村で女性を浚っては売り飛ばすことに心を痛めていたのに誰にも声は届かないままでした。こうして私が直接対話できるようにしたのはその為です。もう人さらいなんてやめてください!」




