第七十二話 濡れ馬に泥
うん、色々考えて有効な方法を取ってくれたのは分かる。現に何が起こったか分からない状態のユーマは大人しくなったし効果はあった。けどこれ、元に戻せるの? 温泉失くしちゃって里の人達に怒られない? そっちばかりが頭に浮かんでお礼を言うどころじゃなかった。
≪して、あの者らを放置していてもよいのか≫
一番無関係で外野なヴェルト様の言葉でようやく我に返った。泥水でぬかるんだ中へ駆け寄りユーマの手綱を強く引いて引き離す。自慢の白い馬体もマーブル模様の悲しい有様だ。
「ごめんねアヒム。もう捕まえたから」
私が声を掛けるとずぶ濡れのままだった彼が激しく頭を振り意識を覚醒させていた。飛び散る水滴を防ぎつつ近寄ろうとしたがまた隣から怪しい気配がしてくるので振り返ると、ユーマが機嫌を悪化させている。昨日までは平気でアヒムを受け入れてたくせにどうしたというのだろう。
「ったく、なんだそいつ。昨日から妙に喧嘩売ってきやがって……」
「何か意地悪したんじゃない……って、何で脱いでるの!」
アヒムの声に振り返ると悲鳴に近い声を上げてしまった。目を離したほんの一瞬で上半身裸になっていたのだから。
「お前こそ何だよいちいち叫ぶな」
当の本人は平然と濡れた服を絞って水気を切っている。確かにびしょ濡れのまま着替えるよりはそうした方がいいだろう、けどそれを私の目の前ですることはないでしょうが!
既に一度は上半身どころでない部分まで不可抗力ながら見てしまっているのだけどそんなもの慣れる筈もなく見ていられない。それこそ横目でしか。
「別に悪さした覚えはねぇけどな。昨日の午後からか俺が近付くと今みたいに攻撃してくるんだよ」
服で身体を拭いては水気を絞りと何度も繰り返しながら私の問いに答えるものの、本人にも心当たりがないようで心底不思議そうにしている。アヒムに思い当たることがなくても私にはあった、他に理由がないなら馬小屋でのアヒムの独り言しかない。
嫁に来れば、と聞いてユーマは私がここに無理矢理縛り付けられることを心配したのだろう。それはありがたいのだけどこうやって敵視するのは困る。
「うーん……嫌われちゃったみたいだから出発まで近づかない方がいいかも」
「ま、動物ってもんは気まぐれだしなぁ」
この誤解を解いておくかとも考えたけど、いずれここを去るのだし今更仲直りに手間を掛けることもないかと思い直して手っ取り早い解決方法を選択した。幸い彼もあまり怒っておらずそれで納得してくれたのでホッと息を吐いた。
「ほんとごめん。怪我とかしなかった?」
ちらちら様子を窺っていると自分の身体を確認しているのが見えた。確認するように触れては時々顔を顰めている。
「ん、ああ。何でか変な切り傷ができてるんだよ……妙だよな、こいつには牙も爪もないってのに」
ごめん、角はあるんです。やはり無傷とはいかなかったようで僅かに掠めた部位に小さな傷があったらしい。一応主人として責任を感じたので腕や肩にうっすら浮かぶ傷に手を当てた。
空に目線を投げかけてから頷くと治癒の力が発揮されてたちまち傷が消え去っていく。ヴェルト様も出来ることは多少増えたけど怪我の治療だけはやることが単純明快なせいか安心して使える種類のものだ。
余計な事は絶対しない! 傷付く前の状態にする! と徹底して言い含めてあるからだけど。
そうやって何か所かの傷を消すとアヒムは湿ったままの服を肩に掛けて私から距離を取る。
「悪いな。じゃ俺は手出しできないからそいつを頼む……あと風呂入っとけよ」
指摘されて自分の姿を見下ろしたら私もマーブル模様の仲間入りを果たしていたことに初めて気付いた。足元なんか特にひどい。自分の汚れ具合を確認している内にアヒムはさっさとこの場を立ち去ってしまった。
多分ユーマがまた暴れそうな気配を察したせいだ。離れていく彼の背を見送りながら思わず呟いた。
「……なんか、ものすごーく普通なんだけど」
朝も今もアヒムの態度には全く何の変化がない。ちょっと粗野でガサツだけど割といいやつな彼のままだ。それこそ、昨日の発言が私の勘違いなんじゃないかって思うくらいに。
「いや、確かに聞いたし。嫁に来ればって……」
そこまで思い出して端と止まった。よく考えてみればアヒムは私が好きとかそういう言葉は一切口にしていない。別に恋愛的な好意が無くても結婚はできるんだし、私の境遇に同情して言ってくれた可能性が高い。いや、その前にしていた会話からしたらそっちの方が濃厚?
「うわぁ……恥ずかし……」
つまり全部私の勘違いだったと。勝手に一人思い悩んで八つ当たりして、自意識過剰だった自分の行いを思い出しては頭を抱えて座り込んだ。
というか何で私はアヒムに好かれてると思ったんだ。まともにお互いを認識したのがろくでもない場面だったし、仲良くなってからも女扱いされた覚えもないし! そもそも私自身モテた経験すらなかったのに。
冷静に考えれば考える程ドツボに嵌って妙な呻き声が洩れていく。
この後ユーマを洗って着替えて温泉の件をフレスに謝って元に戻してもらってと忙しくしている内に、あっという間に長との約束の時間になった。
…………
「それでお話があるようですが、どういった内容でしょう」
昼食後、長との話し合いの時間だ。テーマは「火石を使った人身売買」について。
麓の村の村長に話をつけてくると約束した話ではあるけど、ここに来て知った実態は売られた本人が平然とそれを受け止め且つ幸せそうにしているのだから私が止めるべきじゃないかもしれない。でも物と引き換えにというのはどうかと思うしせめて何も知らない子供の内に連れてきて洗脳まがいなことを里全体で行うのはやめるべきだと思う。
私はそれを熱心に長へと語りかけた。
「……ふむ、そちらの言い分は理解しました」
「それなら」
「しかし、この取引をやめることは出来ませんね」
私が話している間、口を挟まず神妙な顔で聞いていたので納得してくれたものと思っていたのに当てが外れた。私が提案したのは人間ではなく、別の物と引き換えに火石を渡してはどうかというもの。それをあっさりと切り捨てた。
「この取引は我々の慈悲なのですよ」
「慈悲? ……どういうことですか?」
非道ではなく慈悲という、正反対の理由に戸惑いが隠せない。そのせいか話の主導権を長に握られたのを感じ失敗を悟った。仕方がないので黙って長の話に耳を傾ける。
「本来フレス様の力に満ちた豊かなこの地には足りない物などありません。強いて言うなら血が濃くなりすぎるのを防ぐ為の外部の血……そのようなもの、年頃の娘が人里へ降りて子種だけ持ち帰ればそれで十分可能です。いざとなったら彷徨う旅人でもここへ留めさせることもできます」
効率を重視すればそうなるのだけど肝心の子供を宿す女性のことは丸無視な考えに戦慄が走る。あとソフトに言ってるけど旅人を留めさせるというのに本人の意志はあるのだろうか。隠すでもなく堂々と言ってのけるのが恐ろしい。
「火石もあちらが望んでいるからこうして取引をしているだけで、取引ならば代価が必要となるでしょう? ……どれだけ貧しい村であろうとも人間だけは簡単に増やせますからね」
理解して背筋に悪寒が走った。人間をまるで畑で採れる作物のように見ている。例えるなら外部からさらってくるのが猟や漁でこの場合は火石を与えることで環境を整え、それで増えた分を収穫する養殖に近い。それにこの取引を失くしてもこの里は痛くも痒くもないだろう。苦労するのは火石が手に入らなくなる麓の村の人達だけだ。
最初取引用の子供を産んでは引き渡す麓の村の人間に嫌悪を感じた。アヒムの話でそれはより強まった。だけどこの里も同じレベルだった。
……よくよく考えればその片鱗は最初から見えていた。
ろくに説明せずに火の精霊の元へ連れて行ったこととか私をここへ留めようとしたこととか、それが善行であると信じてやっていた。
私とちゃんと会話しているのも私が火の精霊から一目置かれているからでそうでなければ相手にすらされてなかっただろう。ヴェルト様への信仰より火の精霊信仰が強いからやめろと言っても素直に聞き入れてくれない。
……どう説得すればいいんだろう。利益の方面からも駄目、倫理感の方からも駄目、神の命令も駄目、手の打ちようがない。
「話とはこれでおしまいですか? ……例え我々が取引をしなくとも、向こうが望んで差し出してくると思うのですがね」
そりゃそうだ。一度楽な環境を知ったら火石無しの生活に戻れる訳が無い。その為に子供を産んでいるんだし……せめて本人に選択肢があれば……。
「あ」
現状を言い表した長の一言に頭を抱えて考え込んだところで思い出した。何故麓の人達はこの里の人のことを「山の人」と呼んで恐れているかを。




