第七十一話 好きとかいうものよ冗談であれ
「おはようございます。……何か寝床に問題でもありましたかな」
翌朝、食卓に現れた私を見て長が思わず尋ねてしまうくらい私の隈は酷かった。
それもこれも全部アヒムのせいである。結局あれから妙に寝付けず明け方になってうとうとした程度で眠れた気がしない。その原因がいないのはホッとした反面腹立たしい。
「あ、ちょっと夜更かししてて。大丈夫です」
それを誤魔化すように笑って席に着く。話している間に整えられたのは搾りたての牛乳……じゃなくて何かのミルク、新鮮な生野菜、そこに焼きたてのパン。ここでは熱源に苦労しないせいかパンと言えば焼きたてふんわりが当たり前という、ある意味日本にいた時より恵まれた食環境だ。
空腹が満たされると頭に上った血が胃に廻されて苛立ちも治まり、今日やるべきことを思い浮かべる。昨日はアヒムのあれで吹っ飛んだけど元々は昨夜に話す予定だったものだ。
「あの、今日少しお時間もらっていいですか」
「何なりと。今からでも構いませんが……」
私の言葉に即応する長。仕事もあるだろうに私の希望を最優先するつもりなのはこっちだって気を遣うからやめてほしい。慌てて長の言葉を遮り断りを口にする。
「いえ! 空いている時間があったらのつもりなので……今日の昼食後なんてどうですか?」
この里の人は昼食後に軽く昼寝をする人も多い、いわゆる「シェスタ」ってやつだ。それができるくらい日々の暮らしに困らない環境なのを証明している。
「分かりました。では後程……アヒム、また飯を集りに来たか」
「いいじゃねぇか。一人分用意するのが面倒なんだよ」
話がまとまりかけたところで現れたのは全ての元凶だ。声を聞いた瞬間に肩が思わず跳ねた。里で唯一の独り身なアヒムは時々こうやって食事を食べに来るのは何度もあったこと。毎回来る訳じゃないからと油断してたのが敗因だ。昨日の言葉が甦り彼を直視できない。
そんな私の気も知らず呑気なアヒムは長と軽く言葉を交わし勝手にそれぞれの皿に手を伸ばしパンに野菜を挟んでその場で食べ始めた。肩越しに私の皿からも持って行こうとしたので阻止するべく手を伸ばす。当然手が重なり合ってしまいハッとして見上げると目が合った。
「!!」
慌てて手を引き、見ていられなくて勢いよく顔を背けてしまう。あからさまに変な態度を取るのはよくないと分かっていてもついやってしまったのだからしょうがない。ここはアヒムにも空気を読んでさっさと離れてほしい。
「……悪い」
願いが通じたのか彼は詫びの言葉を口にしてそっと距離を取った。こんな拒絶は流石に彼も傷付くだろうか。だけどそんな心配は全くの無駄に終わった。
「そんなに腹減ってたんだな。食うのはいいけどそれ以上腹肉つけるなよ」
違う、そうじゃない!! 不名誉な認定を正すべく叫びたかったけど当人は早々に出て行ってしまったのでぶつけようがない。その怒りを残っていた朝食にぶつけるよう食べていると長が申し訳そうな顔で呟いた。
「……今までの食事では足りなかったのですね。次からはもう少し量を増やすよう言っておきます」
だから違うのに! 結局妙な誤解を与えただけで散々悩んでいたアヒムとの接触は終わってしまった……何か思った以上にいつも通りだ。
…………
朝食を終えて昨日できなかったことその二、ユーマの世話をするべく私は馬小屋へ向かっていた。暴れてたから機嫌悪いかもしれないし少しでも宥めておかないと世話をする人が危ない。私が馬小屋へ顔を出すとそれに気付いたユーマが物理的にも首を長くして待っていた。ぶるぶると首を振り喜んでいるのが伝わってくる。
「あー、しばらく顔出さなくてごめんねー」
首筋を撫でるとうっとりと顔を寄せて目を閉じる。彼のお気に入りの一つだ。二、三度往復させてから手綱を取り外へ連れ出すと軽快な音を立てて歩き始めた。道すがら隣のユーマへ声を掛ける。
「次の出発の日決まったよ。八日後だからよろしくね」
鳴き声の返事が聞こえる。ここまではまだいい、問題はこれからだ。
「それで火の精霊から他の精霊の所へ行くように頼み事されちゃってさ、その場所がめちゃくちゃ遠くて……」
次の目的地、そこへ向かう理由、そこまでの移動の困難さを説明する。特に移動については海を渡る能力なんてユーマも持っていない為首を振っていた。
「だからこの前のドラゴンの力を借りようと思ってるんだ。いいでしょ」
言った瞬間ユーマから距離を取り身構える。
……何も起こらない。あの嫌いようからしててっきり大暴れして拒否してくるかと思ったのに、その予想に反して悲しそうに一声鳴いた後しょぼくれて立ちすくんでいる。
ぎょっとして空を見上げ通訳を促すとすかさずメッセージが届けられた。
≪今後は必要無いと言うのか、見捨てるのかと問うている≫
「ああ、そういう……」
激しい誤解があったらしい。だけどそう思われるのは心外だ。結構付き合いも長くなってきたし人間になりたいというユーマの夢を手助けしてあげたいとも思っているのに私はそんなに薄情に見えるのか。
……そりゃ打算が無いとは言わないけど。仕方ないなぁ、全く。
蹄で地面をほじくり返しているユーマに触れ、こほんと咳払いを一つ。
気付いたユーマが顔を向けて様子を窺っている。そこへ優しく声を掛けた。
「あのね、私がユーマを見捨てるなんてそんなことするはずないじゃない」
背中に置いた手でゆっくり撫でると気持ちよさそうに目を細めている。
「まだユーマの力を借りたいし私もユーマが人間になれるように手伝うからさ、機嫌治して」
穏やかな口調で言い聞かせているけど内心は結構必死だったりする。ドラゴンタクシー化計画はユーマの協力あって初めて成立するものだから何としても受け入れてもらわないと。それを願って一心に撫で続けていると何やら様子がおかしい。それまでおとなしかったのに妙に小刻みに身体が震え出して、そして気が付くと私は地面にひっくり返っていた。
「痛た……あれ?」
突然のことに目を白黒させながら状況を把握する。仰向けの状態から顔を左右に向けると白い馬の脚。上を見れば筋肉の発達しているのが分かる白い馬体。背中の痛みから察するに興奮したユーマに飛びかかられ、その拍子にひっくり返ったってところか。
まさか人間より先に馬に押し倒される日が来るなんて想像もしてなかったよ……。
とりあえず起き上がろうと身を捩って這い出たところで急に頭上の影になっていたユーマが消えた。そして少し離れたところから悲鳴が聞こえてきた。
「あの声……アヒム!?」
慌てて声のした方角を見やればユーマがアヒムへと襲い掛かっている。蹴り上げようとしたり頭を低くして突進したり、アヒムが避けているから何とかなっているけどあのままにはしておけない。特に突進は明らかに角で狙っている……あれは殺る気だ。
「こらーっ! ユーマ何やってんの! やめなさいっ!!」
「おい! こいつ何とかしろよ!!」
馬と人間が揉みあっている最中に近づけなくて遠くから叫ぶと反応を返してくれたのは人間の方だけだ。私に視線を向けた瞬間顔の横を角が掠めていって間一髪のところである。何気に運動神経がいいってレベルじゃない。アヒムはユーマがユニコーンだと知らないから大きな動作で避けているのが紙一重で躱しているように見えることに何となく既視感を覚える。
……と、見てる場合じゃなかった。早く止めないと。
「ユーマいい加減にしなさい!」
再び声を掛ける、が無駄だった。声だけじゃ興奮状態のユーマを止められない、間に割り込むのも難しい。……そうだ、こういう時こそ「困った時の神頼み」!
「ヴェルト様、ユーマを止めてください!」
≪……息の根をか≫
「何言ってんですかアホなんですか!」
しれっと何を言ってくるのかこの神は。何だか頭痛がしてきた。
≪なに、戯れに戯言を口にしたに過ぎん≫
「本気でやりかねないんですよヴェルト様はっ!」
もしかして冗談なんて初めて言ってみたんじゃないだろうか。普段だったらもうちょっと相手してあげられたけど今はそんなことより目の前の参事をどうにかしてほしい。
≪……気の短い事よ。さて、暫し待つがいい≫
誰のせいだ。ここで突っ込むと面倒臭いことになりそうなので内心でそっと吐き捨てておいた。結局具体的に方法を指定しないまま承諾されたけど何をする気なんだろう。息の根は止めなくても心臓を止めたとか言われたら……少しどころじゃない不安を抱えて見守っていると彼らの周囲にふっと影が差した。
次の瞬間降ってきたのは大量の水……じゃなくてお湯だった。頭上でバケツをひっくり返したような大量のお湯の重みと衝撃でユーマも、ついでにアヒムも、水たまりの中でぽかんとしている。
一応はユーマを止めるという目的は達成したのだけどなんだろう、ヴェルト様が何のトラブルも起こさず問題を解決するなんてあり得ない。……一瞬だけ確認した水の塊は白っぽい色をしていた、そしてこの温度。何もないところに物質を生み出すのは難しいというヴェルト様の言葉から考えるとあれはもしかして……!
「温泉のお湯、持ってきちゃったんですか!?」
≪如何にも。以前より遥は湯に浸かる度に落ち着くと口にしていたのでな。それを元にした≫
自慢気な声が空しく脳内にこだました。




