第六十話 人の考え休むも出ない
広間に足を踏み出すと足音がいやに響く。ほんの数十メートル程度の距離なのにこの場の雰囲気に飲まれてゆっくりと歩かざるを得ない。時間を掛けてようやく炎の前に辿り着いたのだけど思ったより熱くないのが意外だった。
「火の精霊様、新たな信徒に成り得る者をお連れしました」
長の言葉で炎が一度大きく揺らぎ同時に場の空気が重くなったような感覚がした。それを感じているのは私だけじゃないようで横目で見た長とビアンカの二人も何かに耐えるような表情をしている。
再び炎へ顔を向けるとその中にさっきまでは無かった姿が見えた。
≪いらっしゃい、神の使いのお嬢さん≫
それは人の形をしていて、半透明でありながら真っ赤な髪が波打つ様と曲線に富んだ身体つきはそれが成熟した妙齢の女性の姿であることを雄弁に物語っていた。
人の形をした何かが口を動かすとそれに合わせて頭の中に柔らかい声が響く。直接頭の中に声を送り込んでくるのはヴェルト様と同じやり方。間違いない、これが火の精霊だ。
「あの、火の精霊様ですよね? 私の事を知っているんですか?」
≪我らが神より言葉があったのよ。これから信徒が訪ねるので話をしてやってくれ、と≫
火の精霊が想像と全然違う、女性の姿なのにも驚いたけど割と歓迎してくれているようなのにも驚いた。尋ねたらヴェルト様が理由だったけど根回しというものを覚えた結果だろうか。ありがたいのは間違いないけど出来ればその事は事前に私にも伝えてほしかったとそっと天を睨んだ。
「お待ちください! 火の精霊様、『我らが神』とは何者なのですか!」
和やかな空気になりかけたのを阻止したのは長だ。脳内への声がちゃんと届くのは信仰がある場合だけなので今の会話もしっかり聞かれていたらしい。ただ、長の疑問ももっともだ。自分達が敬い信仰している存在に命令できるような上位者がいるなんて、それも他所から連れて来た見た目普通の女の子がその関係者だなんて予想できる筈もない。
割り込んできた形の長に対し火の精霊は金色の瞳を細めて表情を変えた。
≪神は我らの住まう世界を創りし全ての頂点に立つ存在。この娘は神が認め唯一の加護を与えられし者であり決して粗末に扱ってよい者ではない≫
先程とは違う厳しい声音に思わずこっちまで背筋が伸びてしまう。横で聞いていてこれなんだから直接言われた当の長の反応はどんなものだろう、そっと見てみると地面にひれ伏していた。いわゆる土下座というやつでそれが火の精霊じゃなくて私の方へ向かって頭を下げている。
「申し訳ございません! 知らなかったとはいえ何という無礼を……」
「えっ、ちょっと待って! そこまでしなくていいですってば!」
「馴れ馴れしい態度をお許しください」
「ビアンカちゃんまで!?」
突然態度を改められてこっちの方が逆に戸惑ってしまった。私がオロオロしているのを眺める火の精霊は何だかやけに楽しそうだ。
≪あら、頭を下げたいというのだから好きなだけ下げさせてあげたらいいじゃない≫
「いや、そんなこと言われても……とりあえず怒ってなんかないんで起きてください!」
演じてない素の状態の時にこんな対応取られても困る。私の必死の懇願でようやく二人とも顔を上げたのだけど私に向ける視線がさっきまでと全然違う。
……精霊への信仰があるなら神の威光も受け入れられるだろうと考えてはいたけど想像以上だった。なのにその原因といえばさっきから黙りっぱなしだ。
「ちょっとヴェルト様! 何でさっきから一言も喋らないんですか」
≪火の精霊との対面を求めていたのは遥であろう。我が語るべき事はない≫
「私初対面なんですからせめて紹介くらいしてくださいよ!」
ヴェルト様が悪い訳じゃないけどここへ来るまでの苦労を思い出し八つ当たりしてしまう。言うだけ言ってスッとしたところで視線が集まっているのに気が付いた。何となく居心地が悪い感じがする。
≪精霊の私達ですらお言葉を賜るのは稀な事なのに問いかけてすぐに応えてくれるなんて……神から余程愛されているのね≫
「貴女様がおっしゃるのならその通りなのでしょう」
「火の精霊様より偉大な方なのですね」
……今の私の八つ当たりはしっかり聞こえていたようだ。皆から尊敬の眼差しが向けられている。これまではヴェルト様の声を聞ける人間なんていないも同然だったから油断してた、というか今の会話のどこに尊敬する要素があったんだと。
≪この者は我が力を与え地上の使いとした。その身何人たりとも傷付けること能わず≫
「……フィノです。この声の主は創造神ヴェルト様です」
益々皆を委縮させそうな紹介をされたので諦めて自分で名乗ることにした。これだけあっさり神の実在が受け入れられたなら私がここでやることってないんじゃないかな、そんなことを思いながら私がこの里へやって来た経緯を説明したのだった。
…………
「そういう訳で、私は火の精霊様に会いに来たんです」
ずいぶんと時間を掛けて語ってしまった。
私が別世界からやって来たことは省いて、ヴェルト様と出会い信仰を広める旅をしていること、その途中で精霊を信仰する少女・ラウラと出会い里について聞いたこと、信仰の証が売り物になっているのに疑問を抱いたこと、それを探る為に捕まった振りでここまで来たこと、全てだ。
……流石に「ヴェルト様が頼りにならないので直接話を聞きに来た」とは言えなかった。
≪神が、異変が無いかと尋ねたのはその事だったのね≫
以前私が尋ねた時の質問そのままだ。この様子からすると本当に心当たりがなくての返事だったと分かる。
「二十年程前に里を出た男女がいたが、里を離れて尚信仰を失わずにいたとは……」
ラウラに頼まれた彼女の両親の最期について知らせると長がしみじみと呟いた。里を出る時に揉めたのかもしれない。その娘が信仰を親から引き継ぎ平和に暮らしていると話したらホッとしたように微笑んだ。
「それで私が知りたいのは、信仰の証である赤華晶がどうしてこんなに出回ってるってことなんです」
一通り話し終えて本題に入る。最初はやむを得ない事情からかと考えた、違うと知って信仰が薄れているのかと思ったけどそれもこの里の様子からして考えられない。
≪あなた達、赤華晶を手放しているの?≫
「滅相もない! この身朽ち果てようと有り得ません!」
「わたしもそんなことしてません!」
私の言葉を聞いた火の精霊が冷めた目で睨むとこの場の信者二人は揃って首を激しく振る。
≪……ですって≫
「言うに事欠いて何という侮辱。神の使いであっても許されるものではありませんぞ」
憤慨した長が嘘を吐いているように見えない。でも現に村のあちこちで使われていて現物だって見たんだからこっちだって嘘つき扱いされたらたまったものではない。
≪遥≫
少し空気が悪くなりかけたところに割り込んだのは空気が読めない事に定評のあるヴェルト様だ。声が聞こえるとまた火の精霊まで含めた全員が話を聞く態勢になる。……こんなに神っぽく扱われてるヴェルト様は初めてで普段の駄目さを知っている身としてはちょっと笑ってしまう。
≪何故先程から火石の事を赤華晶と呼ぶ≫
ここまでの話聞いてたの? 何言ってるの? 私の頭の中がそれで埋まって突っ込みすら忘れてしまった。周りも呆れて何も言えないじゃないか……あれ、何か妙に納得してる?
「お姉さんは火石と赤華晶を間違えてたんですね」
「ああ、火石なら確かに取引に使っています」
「え! その二つって別物!?」
長が頷く。まさかの勘違いに驚き、そして顔が赤くなる。てっきり場所によって呼び名が違うあれかと思ってた。だってヴェルト様が「同じ力を感じる」って言ったからしょうがないじゃない!
≪どちらも火の精霊の力を感じることは確かであるが、名が二つあるのだから違いがあると考えるのが本来ではないか?≫
確かに山の村滞在時、アヒム達も「火石」と言っていたし「赤華晶」という名前はラウラから聞いただけだ。一人で思い込んでいた私が悪いのだけどもっと早く指摘してほしかった。反論できなくて唸っているとくすくすと笑い声が聞こえる。
≪では、その違いを見せてあげる≫
ビアンカが手の平に小石を乗せて差し出すとそこへ火の精霊が手をかざす。するとたちまち石の色が透き通る赤色へ変化した。色々なところで見た火石そのものだ。
≪これが火石と呼ぶもの。そこいらの石ころへほんの少し、私の力を注ぐだけ≫
「こうして火の精霊様にお頼みして山の村との取引に使用しているのです」
なるほど、これなら売る程量産できるのも当然だ。石さえあれば多分いくらでも作れるようなものなんだろう。そうなると赤華晶の方も気になってくる。
「じゃあ、赤華晶の方はどうやって?」
無言で火の精霊が私へ向けて手を伸ばす。視線で促されて両手で皿を作るとその上でぎゅっと握りこぶしを作り、開かれた時に何かが落ちてきた。赤く透き通る石なのは今まで見たものと同じ、だけど輝きが全然違っている。それだけじゃなく、見た目は石なのにほのかに暖かくて中にゆらめきが見えるのは気のせいじゃない。
≪これが赤華晶。私の、火の精霊の力を結晶化したもので私の一部も同然≫
「火の精霊様への信仰を誓った者が授かるのが赤華晶だ。これを手放すなどもっての外!」
ラウラの持っていたものはカッティングの違いもあるかもしれないけどここまでじゃなかった。時間が経つと劣化するのだろうか、少なくとも二十年以上も前のものだというから可能性はある。そのせいで私も勘違いをしてた訳なんだけど。
長がやけに得意げに語るのを聞き流しながら手の中の輝きに見惚れていた。なので危うくとんでもない発言まで流しそうになる。
「では無事火の精霊様に認められたことですし、これからはこの里で暮らして頂きましょう」




