第五十九話 信仰の無駄使い
「がはっ」
短い悲鳴が聞こえる。恐る恐る目を開くとアヒムの姿が消えていた。いや、正確には頭まで温泉の底に沈んでいて押さえつけられたようにもがいていた。誰の仕業か問うまでもない。
≪今の内にこの場を去ればいい。……あまり時間を掛けると死にかねんぞ≫
その頃ちょうど湯を掻き乱していた彼の手の動きが止まった。その反応を見てヴェルト様も押さえつけるのをやめたのか身体が浮き上がってきたけど未だ顔を水面につけたままぴくりとも動かない。これは、もしかして……
「死んでる!?」
≪ただの気絶であろう≫
ボケたつもりはないのに突っ込まれた。死んでなくてホッとしたけどこのままだとそれも確実な未来になってしまう。なるべくある一点を見ないようにしながらアヒムを仰向けにして頭だけ縁の石に乗せておいた、これで溺れる事はないだろう。
そのまま温泉を飛び出して小屋へ駆け込み身体を拭きとりながら思い出した。
「……見ました?」
≪何をだ≫
「……見ましたよね、というか今も見てますよね」
≪意味が分からぬ≫
きっと見てるんだろう。だって的確にアヒムの頭を押さえつけるなんて見てないのに出来る訳ない。ヴェルト様的には自分が創った身体だし何の感想もないのだろうけど越えないようにしていた一線を越えた気がする。本当はこの件に関して言いたい事は色々あるけど時間的余裕はそれを許してくれない。諦めて服を着ようと手を伸ばした私は愕然とした。
「……ない!」
ここまで着ていた服も、下着も無かった。代わりに置かれていたのは妙に薄い生地のノースリーブのワンピースと同じ生地の下着。色合いは生成りに近く軽くて柔らかいのだけど胸元が大きく開かれたデザインだ。
「いつの間に……」
≪先程の者が持ち込んだものと思われる≫
私の呟きに律儀に返すのはいいけど今知りたいのはそれじゃない。結局散々悩んだ末覚悟を決めてそれらを身に着けた。広げただけじゃわからなかったけど実際着てみると身体のラインが出るようなかなりタイトな作りの服だ。ファスナーがないから胸元や腰の紐で調節するのだけどそれでよりくびれや谷間が強調される仕掛けになっている。
「一体誰の趣味なんだか」
吐き出す先のない苦情をぼやきながら身なりを整え、長の待つ館へと戻ったのだった。
…………
「終わりましたか、着替えを用意させましたが問題ないようですね」
「はい、わざわざどうも」
部屋へ戻ると長がしれっとした顔で私を迎えた。……全部知ってるだろうに白々しい! にこやかな笑顔だけどどうも曲者っぽい。口元が引きつるのを抑えながらホホホと上品に笑って見せた。
「それで改めて話したい事が」
「では行きましょうか」
これで話が出来ると意気込んでいたけど私が椅子に座る間もなく長が立ち上がって部屋を出ようとする。さっきからこの人達のペースに飲まれっぱなしなので今度は従わずその場で問い質した。
「待ってください! 行くってどこへですか。名前すら名乗らず何をさせる気ですか」
「……我らをお守りくださる偉大なる存在の元へ、ですよ」
笑いながら告げられたのは明言しない謎かけのような言葉。私を怖がらせているつもりだろうがはっきり言って無意味だ。だって私はそれが何かを知っているのだから。
「火の精霊、ですか」
口に出した一言で長の動きが止まった。先程までの余裕ある微笑みから警戒する、探るような目付きになって私を睨んでいる。私もそれに負けじと視線を返すと数秒の睨み合いの後に長が逆に問いかけてきた。
「あなたは何故それを知って……」
「守ってくれる偉大な存在は火の精霊だけじゃないってことですよ。……じゃあ行きましょうか」
何かを匂わせるような意味深な言葉で返してやると長の顔が悔しそうに歪んだ。ふふふ、やり返すって気分がいい。向こうは私を何も知らないと侮って優位に立ってるつもりでいたようだけど、そうではないと気付いて動揺しているようだ。これで少なくとも思わせぶりでない腹を割った話が出来るようになるだろう。
苦虫を噛んだような顔の長の後へ続いて歩き出した。
館を一歩出ると木箱から覗いた時とは違い日の光の元で堂々と見る里は、里と言うより大きな街と思える規模なのがよく分かる。三ヶ月程旅をしたけどその中でも五本の指に入るくらいだ。暮らす人々の様子もしっかりした清潔な服を身に着けている。全体的に薄着なのはこの陽気のせいか、空気を暖めるのは赤華晶でもできたけどあれは狭い範囲だけで使い捨てだ。これだけの広さを常時暖かく出来るのも火の精霊のお膝元だから可能なのだろう。
きょろきょろ辺りを見回していると長が呆れたような声を出した。
「こんなところに里の秘密はありませんよ」
「いや、そういうつもりじゃないんですけど」
「今更取り繕わんでください。水か風か、どちらかは知りませんが探るように命じられたのでしょう?」
……もしかして長は私が他の精霊の信徒だと思っているのか。まぁ確かに火の精霊がいるなら水や風がいてもおかしくない。そこで神、と出てこない辺りヴェルト様のこれまでの手抜きっぷりを表わしているようだ。
こんな往来で説明するのは面倒なので誤解はそのままに、火の精霊がいるという場所へ案内された。
……十五分程歩いただろうか、賑やかな街中を通り過ぎ周囲がごつごつした岩場に変わった。道の左右には燭台が並びいずれも火が灯されている。ただ、よく見るとろうそくも油も使っていない。火そのものが受け皿からわずかに浮いて燃え盛っていたのだ。
「……こういうのこそ、信仰の総本山って感じ」
精霊の実在を知らない人にもここには何かがあると思わせる雰囲気がある。そして実際に会って言葉を交わせたらその神秘さ、幻想さにコロリといきかねない。やっぱり組織だってやっているところは違うなぁ……。
「長、その人が新しく来た人ですか?」
うちの駄目な神との違いに思いを馳せていると女の子の声が聞こえてきた。少し先に石造りの神殿や寺院のような建物があってそこから駆けつけてきたらしい。十歳くらいの女の子は私が着ているのと同じ衣装を身に着けていた。
「そうだ。今日はビアンカがお勤めだったか。もう火の精霊様にお会いできるか?」
「いつでも大丈夫ですよ。何だか今日はとても機嫌がよろしいようです」
ビアンカと呼ばれた女の子ははきはきと長の問いに答えている。お勤めというのはここで仕事をしているのだと予想するけど、この服は火の精霊と会う為の正装のようなものなのだろうか。誰かの個人的趣味でなくてよかった、内心で息を吐いた。
「お姉さん、こっちです」
そのまま彼女と長の先導で建物へ入る。所々に火が灯されていて窓もあるので意外と明るい、解放感のある造りのようだ。ただ、同じ服を着た少女や妙齢の女性が働いているのがやけに目に付いた。
「何でこんなに女の人ばかりが……」
「火の精霊様は男性より女性を囲うのがお好きなんです」
「信仰する気持ちは皆同じであっても、火の精霊様の意向であるから仕方がないのです」
気になって口に出せばビアンカがこちらへ振り返りきっぱりと言い放ち、長が残念そうに呟いた。その内容はちょっとどうかと思うものだったけど。
「この衣装も、火の精霊様がご自身の側に付かれる者の為に考えてくださったんですよ」
そうして得意げにくるりとその場で回って見せた。彼女含むこの里の人はこれを当然と受け入れているようだけどその言い分はまるでスケベ親父のようじゃないか。まさか人知を超えた存在がそんないやらしい発想をするとは思いたくないけど難しい。既にドラゴンという、セクハラを体現した存在と出会っているのだから。
私は火の精霊と会って果たして無事でいられるのだろうか。命の危険にはヴェルト様も敏感だけどそれ以外の、貞操とかにはちょっとガードが緩い所あるし……ただここまで来たら引き返せないのでひっそりと覚悟を決めた。
「くれぐれも失礼な態度を取らないように」
やがて辿り着いた最奥の間、長の言葉と共に扉が開かれ中へ入るように促される。広い石畳の間の奥に燃え盛る特大の炎がそこにあった。




