第五十八話 湯のない所に事件は起こらず
ドナドナ状態から結構時間が経過してそろそろ箱の中にいるのが辛い。
怪しまれることを危惧して捕まった振りをしたけどこんなことなら最初から彼らと交渉して普通について行った方がよかったかもしれない、そんな後悔が頭を過り出した頃ようやく荷車の動きが止まった。
「今戻った」
その声を皮切りにして周りに人が集まってくるのが分かる。木箱の隙間から光が洩れているからもう日が昇ったのかもしれない。外を覗けば老若男女、年代も性別もバラバラな集団だった。どうやらここが火の精霊の里で間違いないらしい。
「おかえりなさい、今度はどんな子が来たのかしら」
「おつかれさん。アヒムの嫁さん予定だったか、可愛かったか?」
「馬がいるけどどうしたんだそれ」
「正気でいられたら外部の話を聞かせてもらえんかな」
大半は出かけていた彼らを労うものや、新たにやって来た人間について興味を持つようなものだけど所々聞き捨てならない言葉が入るのが気にかかる。正気でいられたら、とはどういうことなんだ。
「そろそろ薬も切れて目も醒める頃だ、長の家に置いてくる」
「俺は馬を家畜小屋に入れてくるから任せた」
内心のそんな疑問への答などある訳もなく、荷車の引き手は何度か言葉を交わしたらまた動き出したので頭をぶつけてしまった。痛い。
この里の長がどんな人か知らないしそこでどう扱われるかまだ不明だけど、とりあえずやっと箱詰め状態から解放されそうでその点についてはありがたかった。
移動の間、里の様子を眺めてみた感想は一言で表わすなら「平和」そのものだ。山の村とは家の数からして違うし朝から子供が外で動き回っているのかきゃあきゃあとはしゃぐ声が聞こえてくる。気候的にも春の陽気のような温かさで防寒具に身を包んだ状態ではだんだん頭がのぼせてくる。
そこに住む人の雰囲気も何もかもが正反対だった。
「長、新入りを連れて来たぞ!」
やがて荷車が止まり一軒の家の前でアヒムが扉を叩きながら声を上げた。他の家とは随分違う、例えるならフォンターナで過ごしたお屋敷のような立派な家だった。すぐに扉が開いて中から誰かが現れる。
「アヒム、おかえり。長は今手が離せないから俺が手伝うよ」
「フリッツか。悪いな、そっち持ってくれ」
「了解っと」
「……ひゃっ」
出てきたのは十三、四歳くらいの少年でアヒムとは気安い間柄のようだ。尚も様子を窺っていると突然身体が宙に浮く感覚がして軽い悲鳴を上げてしまう。二人がかりで箱ごと持ち上げられて運ばれているのだと気付いた時には遅かった、二人の動きが止まってしまう。
「中の人起きたみたいだ」
「ちっ、めんどくせぇな。……おい、無駄な抵抗はするなよ」
まるで悪役の台詞そのままで、実際眠っている間の拉致だから悪そのものなんだけど妙に手慣れたその台詞に背筋にぞくりとした感覚が走り息を呑む。私が騒がないのだと分かると再び彼らは歩き出し、数分程歩いたところでようやく箱が降ろされその蓋が開かれた。
「やぁ、ようこそ我が里へ。歓迎しますよ」
「あ……お、おはようございます」
箱から恐る恐る顔を出すと目の前ではにこにこと笑顔を浮かべた老人とアヒム、フリッツと呼ばれた少年の三人が並んで私を見ていた。
人身売買の総元締めのような存在なのに人の好さそうな優しいお爺さんといった風体にこちらも緊張感が削がれてしまう。つい間の抜けた声で返事をしてしまった。
「さてと、狭い箱の中で大変だったでしょう。こんな方法で連れてくるしかなくて申し訳ない」
長は私に頭を下げて謝罪の言葉を述べる。どうやら話が通じそうな人種なようで、落ち着いた様子に軽く息をつく。
「あ、はい。あのー……ちょっと教えてほしいんですけど」
「話をする前にまずは身を清めてもらえますかな。フリッツ、火の泉に案内してやりなさい」
「はーい。お姉さんこっちだよ」
「えっ、ちょっと待って!?」
話は通じるけど聞いてもらえなかった。質問内容を聞く事すらなく長が指示をすると、フリッツが私の手を引き奥へ連れて行く。身を清めるって、私はそんなに汚れてたんだろうか……最近ずっと野宿だったから土汚れなんかはあったかもしれないけど、もうちょっとオブラートに包んでほしかった。
「ここが火の泉。終わったら戻ってきてね」
案内されたのは裏口のようなところから館を出て行った先にありそこで見たものは身長の三倍以上はある高さの木の壁、そこに囲われた湯気の立つ泉……いわゆる温泉そのものだった。泉の周囲は大きめの石で縁取られていて木で作られた脱衣所なんかも露天風呂の風情があり、完全和風とはいわなくてもそれらしい雰囲気で休日の旅番組を思い出してしまう。
「あ、逃げられないから無駄なことしないように」
私が感慨に浸っていると彼は明るい声とは真逆の恐ろしい発言を残して去って行った。……どうやら向こうは本当に私をここに囲うつもりでいるようだ。そんな危険な場所で呑気に温泉になんて浸かっていいものか考え込む。だけど私をアヒムの妻にするという目的があるようだから危害を加えるような事はしないだろうと確信していた。
子供を産ませるだけなら火の精霊に会わせるのも改宗も必要ないんだしさっさとベッドにでも連れ込んでてもおかしくない。それをしないというのは少なくともきちんと花嫁として遇するつもりであるようだ、多分。
「……大丈夫でしょ」
色々理由をつけたけど結局のところ、温泉に入りたかった。箱詰め状態で身体が痛いしお風呂自体が久々だ。周りに人はいないのを確認してもらうと問題ないとヴェルト様のお墨付きも得られた。こうなれば我慢することもないだろう、弾む心で服に手を掛けた。
…………
「っはぁぁぁ~……」
湯に浸かりながら手足を広げて思い切り伸びをする。実に十日以上振りの入浴で、それも手足が伸ばせる程のものはこっちに来て初めてかもしれない。滅多に出来ない経験に身体から力が抜けていく。流石は火の精霊の里、天然温泉まであるとは思わなかった。
「戻れたら温泉巡りとかしたいなぁ……」
これまでは温泉が趣味とか年寄り臭いと思ってたけど体験した今となっては中々悪くない。いつか日本へ帰れたらその時には家族で旅行もいいかもしれない。
「……帰れるかな」
ふと、考えが悪い方向に引きずられそうになった。慌てて首を振り顔を洗って思考を切り替える。……頑張ればいつかは叶うんだから、今はただ純粋に温泉を楽しもう。
お湯を手に掬うと目立たないけど湯全体は乳白色で牛乳風呂のようだ。肌にまとわりつくような感触があって腕を擦るといつもよりすべすべしている気がする。効能は知らないけど肌に良さげな感じだ。このお湯は浸かるのに丁度いい温度だけど源泉はないのかな。温泉卵が作れるかもしれない。
そうやってくつろいでいたその時だった。突然目の前の脱衣所の小屋の扉が開かれてそこから肌色の塊が現れた。
それは人の形をしていて動きを止めた私とは対称的に平然とした顔で仁王立ちしていた。
「な、ななな何であんたがっ!」
肌色の正体がアヒムであると認識した瞬間絶叫した。何で私がいるのにそんな「これから自分も入ります」みたいな姿でいるんだ! というか前くらい隠して!!
身の危険を感じて目を離せず、かといって直視もしづらく温泉の中で後退しながらちらちら様子を探ると向こうはうるさそうに耳を塞ぎながら同じ湯に浸かり出した。どんな神経してるんだ!
「うるせぇ。里に戻ったらここで身を清める決まりがあるんだよ」
「だからって女の子の入浴中に!」
「どうせお前は俺の嫁になるんだから一緒の湯に浸かるくらいどうってことないだろ」
「そんなの認めた覚えない!」
向こうは出て行く気もないし私もタオルすら手元にない状況でお湯の中から出られない。お湯が濁ってて良かったと思ったけどこの状況を打破するようなものではない。というか何でヴェルト様は彼が入ってくることを知らせてくれなかったんだ。あっちはこの場で私に襲い掛かるつもりはないみたいだけど役に立ってない見張りに苦情を申し立てた。
「何で人がいるのに教えてくれなかったんですか!」
≪……見ていなくては分からぬ≫
「あ」
入浴時には見ないように頼んでて、今では言わずに自然にやってくれるそれが仇となった。だからといってヴェルト様の前で平気で裸になれる気もしないし結局どうしようもなかった。このまま粘って彼が先に出るのを待つ方法も使えない。村へ降りたのは二人、もう一人もそう遠くない内に現れる。小声で呟きのぼせかけた頭で必死に考える私の様子は端から見ると相当おかしかったらしい、アヒムが手を伸ばして私の方へ近づいてきた。
「おい、お前さっきから何ブツブツと……」
「ヴェルト様ヴェルト様ヴェルト様ぁっ! 何とかして!!」
≪……何とか、か≫
目を閉じ必死で絶叫する私の声とは真逆の、静かな声が脳内に響いて同時に激しい水音がした。




