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第四十二話 竜の面を殴りたい

「……は?」


 今の発言は何だったのか。いや、意味は分かる。だけど何で私相手に、今、ここでというのが分からない。尻もちを着いて座り込んだまま見上げればドラゴンの顔が再び私の側に迫ってきたので腕を突き出し顔を遠ざける。向こうも強引にというつもりはないようで私の拒否の姿勢を受け入れたように離れていった。


「え、あ、子を産む?」

「まさか子の作り方を知らぬ程に初心(うぶ)ではあるまい?」


 そりゃ知識はあるけど! いくら恋愛経験が無くても愛の告白通り越して子作り要請なんて考えもしてなかったから現実味が全く無い。からかうような物言いに戸惑いと動揺が怒りに変換される。

 そんな私の前にスッと出る影があった。これまで黙って話を聞いていたユーマだ。ドラゴンを力一杯に睨み付け私の周辺に結界を張ってくれている。何て頼りになるんだろう。


「下位の幻獣が儂に歯向かうか」


 それを受けてドラゴンが凄んで見せるが言葉だけの事で殺気も何もない、明らかに格下と見ているのがよく分かった。だけどユーマの方は本気だ。今にも飛びかかりそうなのを今度は私が前に出て宥める事になった。


「変な冗談はやめてください! ユーマが本気にしちゃうじゃないですか」

「冗談なものか。儂はお主の事を気に入った。まぁ少々色気に乏しくはあるがそれは後々どうとでもなる」


 足元から腰、胸へと徐々に移っていく視線に思わず腕で隠そうと試みるけど無駄な抵抗で、不躾な視線を前に嫌な顔をするのが精一杯のやり返しだった。

 私が折角冗談という事にしてあげたのに全く通じていない。通じてるけど敢えて無視しているのか、その可能性は高い。


「昔は儂を崇める人間の娘がその身を捧げに来たものだが今や儂の存在を知らぬ者ばかりではないか。そこで久方振りに見つけた儂を見て触れる事が出来る娘がお主だ、ならばお主が選ばれるのも必然というもの」


 ちらりと離れた場所にいるオクタヴィアを思い出した。彼女はドラゴンを前に何の反応もなかったから見逃されたんだろう、運が良かった。そして私は運が悪かった。


「そんなの私には関係ないですし。お断りです!」


 だからって私にドラゴンの相手は無理だ。物理的にも精神的にも時間的にも!

 だけどこれだけ全力で拒否しているのにちっとも話を聞いてくれそうにないのは上位者故の傲慢さか。私には何一つ受け入れる理由も無いのに断る筈がないと思い込んでいる。


「より強き、より優れた雄の子を産むのは雌にとっても望むところであるのに何故そのように拒むのか」


 幻獣というだけあってそこは動物的な本能に根差したものだった。いや、でもどれだけすごくても人外は無理過ぎる。昔の人はそれができるくらい信心深かったのか。そしてそれくらいにならないと本当の信者を得たとは言えないのか。……ヴェルト様は人間の姿だしいざとなったら受け入れる人は多そう……って、何考えてんの私!

 おかしな考えが脳内に広がりそうになったのを頭を激しく振って全力で追い払った。それより今はこっちだ。挙動不審な私を見ているその顔はニヤニヤと面白がっている雰囲気すらある。


「古来より儂の元へ参る者は多かったが何故か分かるか?」

「信仰してたから……ですか?」


 突然の問いに思いつく答を出せば首を左右に振って否定してくる。じゃあ何だと思わせ振りな態度にこっちのイライラもいい加減積もり積もってきた。


「竜の血は万病の薬となり、肉は不死の妙薬ともなると伝えられる」


 なるほど、この辺りは伝説でよく聞くのと同じようなパターンだ。それを求めて竜退治なんて物語の定番だし。しかしそれが何だというのか、首を傾げて視線を合わせれば一層いやらしい笑みが浮かんでいた。


「そして竜の精を受ければ不老の身となる。永遠の若さを求めて多くの人間が儂の元を訪れたものよ」


 何を言っているか一瞬じゃ分からなかった。ぱちぱちと瞬きをし、その意味をじっくり考えて理解した時急激に頬が熱くなった。精を受けるって……やっぱりアレが……そういうこと……?

 リアルに想像しそうになったので即座に頭を切り替えた。反応したら負けだ、セクハラ対策にはクールな対応がいいと聞いたことがある。最早私にとって相手は「強大な伝説の幻獣」ではなく「セクハラエロおっさん」にしか思えなくなってしまった。

 しかし私がこんなに困っているのにヴェルト様は何も言わない。私がこのドラゴンのいいなりになってしまったら困るのはヴェルト様じゃないのか、まだ口を挟まないという約束を律儀に守っているのか。さっきから溜まりっぱなしのイライラがついに限界を突破した。


「ヴェルト様!」

≪話は終わったのか≫


 私が天へ向かって叫ぶと平常通りの声が届く。今の私にはそれがとても呑気なものに聞こえて余計に怒りが増していった。


「天神よ、儂が口説いているというに無粋ではないか」

≪遥かに望まれたならば応えねばならん≫

「それよりも! 私が困ってるのに何で黙って見てるんですか! 子を産めとか明らかにセクハラでしょう」


 ドラゴンが余計な事を話そうとしているのを流すのはいいけど注意もしてくれないのが腹立たしい。

 ちょっとくらい強くて頑丈なこの身体でも基本は人間として作られている以上、ドラゴン相手に迫られたら抵抗できない。だからドラゴンの更なる上位であるヴェルト様にしっかり言ってほしいのに。人間をスルーし続けて信仰の無い今があるんだからヴェルト様はこういう小さなところから人間を大事に守ろうと考えるべきじゃなかろうか。


≪……セクハラ、とやらについてはともかく求められぬ限り口を挟むなと我に願っていたではないか≫

「あなたの貴重な協力者が困ってるんですからそういうのは臨機応変です。仮にも信徒って事になってるんですから守ってくれないと」


 今人生で一番の危機かもしれないのに私が訴えかけてもピンときてないらしい。私の発言が不思議でたまらないようだ。


≪黒竜とて合意の無き者に無理強いはすまい≫

「それだけじゃなくて、私がヴェルト様を単純に見捨てる危機とか」


 少しでもそれを考えているならもうちょっと私の扱いはいい筈だ。ちやほやしろとは言わないけど困っている時には助け舟が欲しいと考えるくらいは許されてほしい。


≪……遥は我の元を離れるのか?≫

「えっ?」

≪ならば仕方がない。これまでよく働いてくれた≫

「ほう、天神が見放したのであれば儂が歓迎しよう」


 何だこの流れ。どうして私が見捨てられたみたいな空気になってるの。私はヴェルト様にもう少し気を配ってほしいと思ってただけだったのに。


「そんなこと言ってません!」

≪そうか、では今後も頼む。我の為に力を尽くすといい≫

「当たり前です! ……あれ」


 勢いで力一杯答えたもののはたと疑問が湧いてきた。もしかして私は誘導されたのだろうか。強要されると反発するけど梯子を外されると追い縋ってしまうというあれか。いや、でもヴェルト様にそんなテクニックがあるなら信者数ゼロなんて事態にそもそも陥っていない。

 ……むしろこうやって信者を止める人をほっといたからの現状なのでは。じゃあ私が見捨てたら……うん、やっぱり私がいないとダメだこの神。思わず脱力して膝から崩れ落ち地面に両手を着いて打ちひしがれた。


「くく、熱心な信徒を持ったものだな」


 すると頭上から楽し気な声が聞こえてきて、声の主はもちろんドラゴンだった。バサリと大きく翼を動かすと風が土埃を辺りにまき散らす。四つん這いの体勢だったのでそれが目や口に入ってきて辛い。


「此度はこれまでにしておこう。だが何も信仰するものは一つと決まった訳ではない、儂の加護を授かりたくばいつでも呼ぶがいい」


 顔を上げて砂を吐き出すとドラゴンが竜巻のような風を纏っている。威圧や衝撃とは違って単純に吹き飛ばされそうだ。地面にしっかり座り込んでその場に留まれるようにすると目の前に何かが落ちてきた。

 ドラゴンが顎で拾えと示したので恐る恐る手を伸ばすとそれは黒光りする鱗だった。質感は魚の鱗に近いけど大きさが違う。手の平より一回り小さいくらいの鱗は案外頑丈で薄さの割に縁(ふち)が欠けたりしていない。


「それを持っていれば儂はいつでもお主の居場所を知る事が出来る。またそれを媒介に儂へ呼び掛けよ、気が向いたなら応えてやろう」


 風の勢いが益々増した。目を開けているのが痛いくらいで薄目になるとドラゴンの翼の動きが激しくなり、ゆっくりと宙へ浮かんでいく。


「次に会う時には儂の子を産む気になっていることを願おう。ではさらばだ」


 微妙な気持ちになるメッセージを残しつつ竜巻と共にドラゴンの身体が一気に上空へ打ち上がり、一瞬でたちまち見えなくなった。まるで嵐のような登場と退場に呆然とする私はユーマが角でつついてくるまで固まって動けなくなっていた。

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