第3話:フリック vs 音声入力 〜文明の利器を使いこなせ〜
第一章 覇王、秘技「音波の陣」を知る
放課後の私立第六天学園。 夕日の赤が教室の床を斜めに切り裂く中、織田信長――現代名・織田信也は、腕を組みながら眼前の黒い長方形を睨みつけていた。
「蘭よ……昨夜は寝ずに考え抜いた」
隣の席でノートをまとめていた森蘭が、心配そうに顔を上げる。
「何を考えたの、信也くん? まさかまた『フリック特訓』で指を痛めたんじゃ……」
「フハハ! 逆じゃ! そもそも、なぜこの余が、四角い板の上に指を滑らせなどという下々(しもじも)の作業に身を削らねばならんのだ?」
信也は胸を張り、朗々と宣した。
「前世において、余が自ら筆を執って文を書くことなど滅多になかった! 言葉を発し、側近に書き留めさせれば済む話! つまり……手を使うこと自体が、覇王の器にそぐわぬのだ!」
「ええ……単にフリック入力から逃げたいだけでしょ……」
「たわけ! 逃走ではない、戦術の転換じゃ! で、蘭丸よ……いや、蘭よ。昨日申していた『喋るだけで文字が刻まれる機能』とやらは、いかようにして起動するのだ?」
蘭は深々と溜息をつきつつも、信也のスマホを手にとった。
「これは『音声入力』っていうの。キーボードの端っこにある、このマイクのマークを押してからスマホに向かって喋るだけだよ。ほら、ここ」
画面右下にポツンと佇む、小さなマイクのアイコン。 信也はそのアイコンを、まるで秘伝の宝珠でも見るかのような感銘深げな目で見つめた。
「むおっ……この小小さきマイクの印か! これさえ押せば、余の声がそのまま文字となって画面へとなだれ込むのだな!?」
「そうだよ。じゃあ、試しに何か喋ってみて?」
「うむ! 任せよ!」
信也は大きく深呼吸をし、背筋を伸ばした。 まるで数万の軍勢を前に陣頭指揮を執るかのように、堂々たる構えである。
「ぬんッ!」
信也は太い親指でマイクのアイコンを勢いよくタップした。 画面下に、波打つ音波のグラフィックが表示される。
「いでよ……音声入力ッ!!」
信也はスマホを口元に突きつけ、教室全体に響き渡る大音声で叫んだ。
「であるか! 天下布武!!」
第二章 文明の利器に感涙す
「きゃあッ!?」
突然の大声に、蘭が跳び上がった。 廊下を通りかかった運動部の生徒たちが「えっ、何!? 合戦!?」と恐怖に引きつった顔で教室を覗き込んでくる。
しかし、信也は周囲の反応などまったく目に入っていなかった。 信也の視線は、スマホの画面に釘付けになっていたのだ。
『であるか! 天下布武!!』
画面の入力欄に、信也の発した言葉が、寸分違わず綺麗な文字となって表示されていた。 それも、フリック入力で十分間格闘したときの百分の一以下の時間で、である。
「な……なんという……なんという神速……ッ!?」
信也はガタガタと震え出した。
「指を一回も滑らせておらん……! 『あ』を連打して『あああ』になることもなく、『よろしく』が『ころす』に化けることもなく! 余の言葉がそのまま文字となって刻まれたぞ!!」
「あ、うん……声が大きいから認識の精度はバッチリだね……」
蘭は引きつった笑みを浮かべた。
「フハハハハ! 見よ蘭! これぞ『音波の陣』! 現代の科学技術は、ついにこの織田信長の声に屈したのだ! あの忌々しいフリック入力の呪縛から、余は解き放たれたのだぞーッ!」
「声が大きいってば信也くん! 廊下のみんなが見てるから!」
「構わん! 天下人たる者、声の大きさを怯んでどうする! よーし、この調子でSNSに新たな布告を投下してくれるわ!」
信也は意気揚々とSNSアプリを開き、再びマイクのボタンを押した。
「フォロワーの者ども、聞くがよい! これより我が陣営は、音声入力という神技を手に入れた! もはや我に死角なし! ついて参れぇッ!!」
ポン、と送信ボタンを押す(※送信ボタンを押すときだけは指を使った)。
投稿された文面: 『フォロワーの者ども、聞くがよい! これより我が陣営は、音声入力という神技を手に入れた! もはや我に死角なし! ついて参れぇッ!!』
即座に通知が鳴り響く。
『信也様、急にどうしたのwww』 『音声入力覚えたての小学生みたいでかわいいwww』 『「ついて参れぇッ!!」って叫びながらスマホに喋ってる姿が目に浮かぶ』 『相変わらずキャラがブレなさすぎて最高』
「おおお! 民から大絶賛の嵐じゃ! 『声が聞こえるようだ』と称賛されておるぞ!」
「絶対面白がられてるだけだと思うけど……まあ、誤字だらけで『いけにえにする』とか打つよりはマシかな……」
蘭は胸を撫で下ろした。 こうして信也は、文明の利器『音声入力』という強力な武器を手に入れ、SNS平定への大いなる一歩を踏み出したかに思われた。
第三章 ファミレスの陣 〜音声入力の罠〜
それから数日後。
音声入力の利便性に味をしめた信也は、完全にフリック入力を捨て去っていた。 何をするにもスマホに向かって大声で喋りかけるため、学校内では「常にスマホと会話している怪しいイケメン」として有名になりつつあったが、本人は至ってご満悦であった。
その日の放課後。 信也と蘭、そして前世の誤送信事件以来、すっかり信也の信奉者(舎弟)となったクラスメイトの佐々木は、駅前のファミリーレストラン『デニール』に集まっていた。
「織田様! ドリンクバー取ってきました!」 「うむ、苦労であった佐々木。近幅の働き、面目躍如であるぞ」 「へへっ、恐縮です!」
すっかり信也語録に毒された佐々木がドリンクを置く。 蘭はストローでメロンソーダを飲みながら、眉をひそめた。
「ねえ信也くん。今日の放課後、なんで私たちをファミレスに集めたの?」
「ふふふ……よくぞ訪ねた」
信也はニヤリと不敵な笑みを浮かべ、声をひそめた(つもりだったが、声量がデカいので周囲の席に丸聞こえだった)。
「実はな……我が陣営のさらなる勢力拡大のため、一大作戦を企てているのだ。名付けて……『MeTube進出作戦』じゃ!」
「みーちゅーぶ!?」 佐々木が目を輝かせる。
「左様! 文字(SNS)のみならず、動画という動く絵巻物をも制してこそ、現代の天下布武と言えよう! そこでじゃ……蘭よ、そして佐々木よ。今から余が策定した『軍略(企画書)』を、OLINEのグループに送る。二人とも心して読むがよい!」
信也は懐からスマホを取り出した。 蘭は「えっ」と嫌な予感がして顔をひきつらせた。
「ちょっと信也くん……ここファミレスだよ? 周りにたくさん人がいるのに、まさか……」
「フハハ! 案ずるな! 余の音声入力は完璧じゃ! いくぞッ!」
信也はマイクボタンをタップすると、周囲の客が静かに会話を楽しんでいる静かな店内で、堂々と腹から声を張り上げた。
「これより作戦会議の要言(要約)を送信する! 第一条! 佐々木を動画の『見せ台(生贄役)』とし、激辛ラーメンを喰わせてリアクションを取らせる!」
隣の席の女子高生グループが「えっ、生贄……?」と引きながらこちらを見た。
「お、織田様!? 僕、激辛ダメなんですけど!?」 佐々木が泣きつくが、信也は無視してスマホに叫び続ける。
「第二条! 蘭には可愛い着物を着せ、画面の賑やかし(アイドル枠)として配置! これで男子生徒のアクセス数を根こそぎ強奪する!」
「ちょっと信也くん!! 勝手なこと言わないでよ! 恥ずかしいでしょ!?」 蘭が真っ赤になって信也の口を塞ごうとする。
しかし、覇王の情熱は止まらない。信也は蘭の手を振り払い、最高潮のテンションで決定打を叫んだ。
「第三条! この作戦の裏の真意は、学園の裏番長である3年の豪田をネット上で煽り倒し、向こうから仕掛けさせて返り討ちにし、学園の覇権を握ることにある! 奴は図体ばかりで頭が回らんからな! ハッハッハ!!」
送信ボタンをパシィン! と押す信也。
《送信されました》
【2年B組OLINEグループ】および【生徒会有志グループ】(※信也がうっかり押し間違えた)へ、見事な音声入力テキストが完璧な精度で一斉送信された。
第四章 情報漏洩という名の罠
「ふぅ……すっきりしたぞ。完璧な文章じゃ」
信也は満足そうにドリンクバーのアイスティーを煽った。
だが――店内は、恐ろしいほどの静寂に包まれていた。
「……信也くん」 蘭の声が、氷のように冷たかった。
「なんだ蘭? 余の軍略に見とれたか?」
「あのね……音声入力って、『声に出したこと』が全部そのまま文字になるんだよ?」
「うむ。それが何か?」
「つまり……『作戦会議の内容』を声に出して入力したら、周りの人全員に作戦が丸聞こえになるし、静かな場所で打とうとしたら秘密が全部バレちゃうんだよ!!」
「……む?」
信也は固まった。
「あ、さらに言うと……織田様」 佐々木がプルプルと震える手で自分のスマホ画面を見せてきた。
「織田様がさっき叫んだ『3年の豪田先輩を煽り倒す』っていう作戦……誤操作で、豪田先輩が所属してる『体育祭実行委員会グループ』にも送信されてます……」
「「「なんだとぉぉぉッ!?!?」」」
信也の目が点になった。
「な、なぜだ! 余は声で入力したのだぞ!? 送信先まで声で制御した覚えはないぞ!?」
「送信先を選ぶのは画面上の操作だからだよ!! 声で喋ることに夢中になりすぎて、宛先を確認しないで送信ボタン押したでしょ!?」
蘭が立ち上がって叫んだ。
その時である。
ドドドドドドド……ッ!!
ファミレスの床が、激しく振動し始めた。 ガラス窓が揺れ、テーブルのドリンクが波立つ。
「な、なんの地響きだ!? 武田の騎馬隊か!?」 信也が警戒して周囲を見渡す。
ファミレスの入口の自動ドアが開き、そこに身長二メートルを超す巨漢の男子生徒が立っていた。 私立第六天学園の裏番長――3年・豪田大作。 その手には、画面に『奴は図体ばかりで頭が回らん』と表示されたスマホが握りしめられていた。
「おい……織田信也はどこだぁぁぁッ!!」
地獄の底から響くような咆哮。 豪田の目は血走り、全身から黒いオーラが立ち上っている。
「ひぃぃぃぃッ!? ゴ、豪田先輩!!」 佐々木がテーブルの下に潜り込んだ。
「ぬ……! 豪田だと!? なぜ奴がここに!?」
「当たり前でしょ!! このデニール、豪田先輩がバイトしてる店の目と鼻の先なんだから! 作戦がOLINEで届いた瞬間に飛んできたんだよ!!」
蘭が頭を抱えた。
第五章 声の敗北、そして再びフリックへ
「織田ァァッ! 俺を図体ばかりで頭が回らんだとぉッ!? 表へ出ろぉぉッ!!」
豪田が丸太のような腕を振り回しながら近づいてくる。店内の客たちが悲鳴を上げて逃げ出し始めた。
(くっ……不覚! まさか『音声入力』にこのような致命的な弱点があろうとは……!)
信也は冷や汗を流しながら、必死に頭を回転させた。
音声入力の弱点。 第一に、秘密裏に行うべき『暗闘(密談)』において、声を張らねば入力できぬため、情報が漏洩する! 第二に、周囲に人がいる場所では、恥ずかしさと怪しさでまともな文章が打てぬ! 第三に、興奮して大声を出すと、思考が雑になり、送信先などの細かい確認がおろそかになる!
「声に頼る入力は……戦場(公衆の場)においては刃とならん! 密密たる作戦を遂行するには、誰にも聞こえぬ静寂の中で、指先のみで言葉を刻む『無音の術』……すなわちフリック入力こそが最強なのだッ!!」
信也はついに、フリック入力の本質的な強さに思い至った。
音を立てず、静かに、誰にも悟られずに、世界へ言葉を放つ。 フリック入力とは、単なる文字入力にあらず。現代の忍びが使う『暗殺の術』そのものだったのだ!
「豪田よ、待て!」 信也はビシッと豪田を指さした。
「ぬ……? 遺言なら聞いてやるぞ、織田!」
「余は今……自らの愚かさを悟った! 貴様を陰で不意打ちしようとした浅はかさ、そして音声入力などという手抜きに頼った己の軟弱さをな!」
「あん……? 何を言ってやがる?」
「豪田よ! 正式に謝罪の文(OLINE)を送る! これを受け取るがよい!」
信也はスマホを構えた。 今度はマイクボタンを押さない。 画面上の『あ・か・さ・た・な』のキーボードを、血の出るような思いで睨みつける。
(静かに……誰にも聞こえぬように……指先で刻むのだ! フリック入力という名の暗殺術をッ!)
信也は息を止めた。 集中力が研ぎ澄まされ、世界がスローモーションになる。
(『も』は……『ま行』の……下ッ!)
『も』
(『う』は……『あ行』の……上ッ!)
『う』
(『し』は……『さ行』の……左ッ!)
『し』
(『わ』は……『わ行』の……そのままッ!)
『わ』
(『け』は……『か行』の……右ッ!)
『け』
(『な』は……『な行』の……そのままッ!)
『な』
(『い』は……『あ行』の……右ッ!)
『い』
『申し訳ない』
「で、出た……ッ! 奇跡の無誤字フリック……ッ!」
信也は震える指で『送信』を押した。 豪田のスマホがピコンと鳴る。
豪田のスマホ画面: 織田信也:『申し訳ない。私の非だ。出直す。』
豪田はそのメッセージを見て、目を丸くした。
「あ……あれ? めちゃくちゃ丁寧で誠実な謝罪文……?さっきの大声とは打って変わって、静かに頭を下げてくるような……」
フリック入力によって打ち出された静寂の文章には、音声入力の乱暴な大声にはない、不思議な「重み」と「誠意」が宿っていた。
「……ふん。な、なんだよ織田。面と向かってはハッキリ謝れねえからって、OLINEでシリアスに謝ってくるとか……案外、繊細な奴なんだな」
豪田の毒気が、すーっと抜けていく。
「今日のところは許してやる。だが今度俺をネタにしたらタダじゃおかねえぞ!」
豪田はフンと鼻を鳴らすと、ドカドカと店を出て行った。
第六章 ブラインドフリックへの誓い
「た、たすかったぁぁぁ……」
テーブルの下から佐々木が這い出してきた。 蘭も大きな溜息をついて、椅子にへたり込んだ。
「はあ……一時はどうなるかと思ったよ。でも信也くん、最後はちゃんとフリック入力で謝れたね」
「うむ……」
信也は、己の右手の人差し指をじっと見つめていた。 指先が微かに痺れている。 だが、その表情には先ほどまでの迷いは一切なかった。
「蘭よ……余は間違っていた」
「え?」
「音声入力などという安易な抜け道に逃げたからこそ、あのような恥を晒したのだ。真の天下人となるためには、安易な道を選んではならん」
信也は力強く拳を握りしめた。
「静音にして迅速。誰にも悟られず、一瞬にして千言万語を刻む『ブラインドフリック(画面を見ずして打つ技)』……! それこそが、余の目指すべき極意なり!」
「ブラインドフリック!? いや、それは上級者でも難しいやつだよ!?」
「フハハ! 難しければ難しいほど燃えるのが、この織田三郎信長よ! 見ているがよい蘭! 余は必ずやフリック入力を極め、指先ひとつで全ネット界をひれ伏させて見せるわ!!」
夕闇が迫るファミレスの席で、信也は再び熱い野望の炎を燃え上がらせた。
だが……その時、信也のスマホの画面に、一通の怪しげな通知が届いた。
【拡散希望】『あの「誤字魔王」織田信也に、ネット上のアンチ同盟結成!? 今夜21時、一斉大炎上攻撃を開始する!』
「む……?炎上攻撃……だと!?」
音声入力の暴走によって獲得した一万人のフォロワーの陰で、静かに「反信也包囲網」が結成されつつあったのだ。
現代の「本能寺の変」とも言えるSNS大炎上。 フリック入力の修行途上にある信也は、この最大の危機をいかに乗り越えるのか――!?




