第1話 公開処刑
ノームは船の貨物に紛れ込んでいた。別に船旅を楽しんでいるわけではない。金がないからだ。正確には、金を払って乗るという発想がノームの中にはほとんどなかった。何千年も生きていれば、金を持っている時期もあれば、まったく持っていない時期もある。今は後者だった。それだけだ。
やがて船が大きく揺れ、外から聞こえる音が変わった。港に入ったらしい。ノームは貨物の隙間から這い出し、誰にも見つからないよう船を降りた。
目の前に広がっていたのは、巨大な港だった。海には大型船が何隻も並び、荷物を運ぶ人々が行き交っている。人族だけではない。獣人、エルフ、ドワーフ、それ以外にも見たことのない姿をした異種族までいる。
世界中の物資が集まり、世界中の人間が集まる場所。それがグラン・セイルだった。巨大な帆を意味するその名の通り、街のあちこちに巨大な帆を掲げた建物や船が見える。
ノームは人の流れを眺めながら、東を見る。ここからさらに東へ進んだ先に、ノームが探している土地がある。そこへ行くためには、どうしても手に入れなければならない物があった。そのためにノームはグラン・セイルまで来た。
さて、どうするか。まずは目的の物を探さなければならない。そう考えて歩き始めたところで、横から声をかけられた。
「ねえ、あんた」
振り向くと、獣人の少女が立っていた。年齢はノームよりずっと若い。頭には獣の耳があり、後ろでは尻尾が揺れている。明るい顔をしていて、初対面の相手にも遠慮がない。
「この街、初めてでしょ?」
ノームは少女を見る。
「そうだな」
「じゃあ、私が案内してあげるよ」
「いや、いい」
「即答!?」
少女は大げさに驚いた。ノームはそのまま歩き出す。すると少女も隣についてくる。
「名前は?」
「ノーム」
「私はアニータ。よろしく、ノーム」
「よろしくするつもりはない」
「冷たっ!」
アニータは笑っていた。しかし彼女が見ていたのは、ノームの財布だった。気の抜けた旅人に近づき、親しげに話して警戒を解く。それがアニータのやり方だった。アニータはノームが金を持っていないことを知らない。そしてノームはアニータの思惑に気づかないまま、しばらくアニータと街を歩いた。
グラン・セイルの店や市場を見て回り、アニータが勝手に説明して、ノームが適当に聞き流す。そんな時間が続いた。やがて日が暮れ、ノームは宿を探すことにした。
「じゃあね、ノーム。また明日」
「ああ」
もう会うことはないであろうアニータと別れ、ノームは宿の前まで来た。そこで懐を探る。財布がない。
「……」
もう一度探す。ない。服の内側も確認する。ない。
「……盗られたか」
思い当たる相手は1人しかいなかった。ノームは空を見上げた。別に怒ってはいない。財布を盗まれたのはこれが初めてじゃない。それに大した金は入っていない。
ノームは宿を諦め、街を歩いた。
腹が減った。けれど金がない。屋台の料理を眺め、店の前を通り過ぎ、最後には街の裏手にある生ごみ置き場まで来てしまった。捨てられたパンの切れ端を見つける。まだ食べられる。ノームは拾って気にせず食べ始めた。
最低限腹を満たした後、その日はそのまま地面に転がり眠りについた。
翌朝。グラン・セイルの街は騒がしくなっていた。
「殺人だ!」
「商人が殺されたぞ!」
通りに人だかりができている。そして、その犯人として連れてこられたのはアニータだった。
「違う! 私じゃない!」
アニータは必死に叫んでいる。
「昨日、こいつが被害者と話していたのを見たぞ」
「獣人なんだから、何をしでかすか分かったもんじゃねえ」
「やっぱり獣人は危険だ」
周囲から好き勝手な言葉が飛んでくる。アニータは怒ったように耳を動かした。
「だから違うって言ってるじゃん!」
けれど、誰も聞こうとしない。ノームは黙って見ていた。ノームが思っていたのは、財布を返してほしいということだけだった。アニータが捕まろうが、知ったことではない。自分には関係ない。助けるつもりなんて毛頭なかった。
ただ、アニータが連れていかれるのを見ているうちに、昔の記憶がおもい浮かんだ。ずっと昔。ノームがまだ髪が黒かった頃、旅の途中で人殺しの容疑をかけられたことがあった。ノームはむしろ殺された被害者を救おうとしていた。しかし周囲はそれを信じなかった。
そのとき、1人の獣人が手を差し伸べてくれた。獣人はノームが不死だとは知らない。ノームは助けられる必要はなかったが、無駄な痛みを感じずに済んだことには感謝した。
その出来事は、何百年経ってもノームの記憶から消えていなかった。
「……俺には関係ない」
ノームは小さく呟いた。
ノームは即日で金がもらえる仕事をいくつか見つけて働いた。荷物運び、倉庫の掃除、船から降ろされた木箱の整理。グラン・セイルは人も荷物も多いため、探せばその日のうちに金を払ってくれる仕事はいくらでもあった。
ノームは夕方には何枚かの硬貨を手にしていた。これだけあれば、とりあえず腹を満たせる。ノームは安い食堂に入り、久しぶりにまともな食事を取った。温かいスープを飲み、硬いパンをかじる。それだけで十分だった。
食事を終えたノームは店を出て路地を歩いていた。もう夜だ。
宿に泊まることもできなくはないが、あまり余裕はない。今日も野宿だ。大通りから少し離れた場所は人の数も減っている。酒場から漏れる笑い声や、酔った客の怒鳴り声が遠くから聞こえていた。そのときだった。
「あーあ。これでやっと終わりだ」
近くから男の声が聞こえた。ノームが足を止める。声のした方を見ると、酒場から1人の男が出てきた。顔は赤く、足元もふらついている。かなり酔っているらしい。男は壁に手をつきながら、誰に聞かせるでもなくぶつぶつと喋っていた。
「俺はもう働かなくていい。金も入る。これで労働ともおさらばだ」
男は楽しそうに笑った。ノームは路地の端に寄り、男から見えない場所で様子を見る。下手したら、海に真っ逆さまだからだ。さっき食堂でもらったパンの残りをかじりながら聞いていた。
「毎日毎日、こき使いやがって……。俺がどれだけ我慢したと思ってるんだ。毎日、毎日、怒鳴ってきやがって。でももう全部終わりだ。朝から晩まで働かなくていい」
男は何度も同じ愚痴をこぼした。ノームは特に興味を持たなかった。酔っぱらいの愚痴など、グラン・セイルでは珍しくもない。だが、次に出てきた言葉で、ノームの手が止まった。
「しかし、あの獣人に罪を押しつけられたのは幸運だった」
男が声を殺して笑う。
「獣人のガキの言うことなんて誰も信じねーよ、バーカ。何がまだ助かるー、だ。死んでほしいんだよこっちは。余計なことしやがって。でもおかげで、罪を押し付けられた。ギャハハハハ」
男は周囲を気にする様子もなく肩を揺らして笑っている。男は自分が何を話しているのかも分かっていないらしい。酒に酔い、胸の内に溜め込んでいたものを吐き出していた。男の話を聞けば聞くほど、その「獣人」がアニータであることは間違いなかった。
「……そういうことか」
ノームは小さく呟いた。商人殺しの真犯人は分かったが、それで何をするというのか。警備兵に教えて男を捕まえさせるか。証拠を集めて、事件の真相を明らかにするか。どれも面倒だった。そもそもノームには、そんなことをする義理がない。
「……まあ、いいか」
ノームはパンの残りを食べ終えると、その場を離れた。男が何をしたのかも、アニータがどうなるのかも、ノームには関係のない話だった。
そのときノームの耳に、街の噂が入ってきた。
「あの獣人、今夜処刑されるらしいぞ」
「殺人犯だろ?」
「公開処刑だってよ」
聞こえてきた名前は、やはりアニータだった。別に見に行く必要はない。行ったところで何かするわけでもない。それでも、なぜか足は処刑場の方へ向いていた。処刑場には大勢の人間が集まっていた。夜だというのに、街の広場は人で埋め尽くされている。
ノームは人混みの後ろから処刑台を見た。そこにアニータがいた。昨日まで笑っていた少女は、もう笑っていなかった。両手を拘束され、顔を伏せている。耳は力なく垂れ、尻尾も動いていない。頬には涙の跡が残っていた。
「違う……」
アニータが震える声で訴えている。
「私、本当に殺してない……。お願いだから、信じてよ……」
けれど、返ってくるのは冷たい言葉ばかりだった。
「往生際が悪いぞ、獣人」
「人を殺しておいて何を言ってる」
「獣人なんて信用できるか」
アニータは何度も首を振った。
「違う……。違うって……」
昨日あれだけ明るかった少女が、今は泣きながら自分の無実を訴えている。ノームはその姿を黙って見ていた。
別に正義感が湧いたわけではない。真犯人を捕まえたいわけでもない。事件の真相を世間に知らせたいわけでもない。ただ、このままアニータが殺されるのを見ているのは、少しだけ気分が悪かった。
「……仕方ない」




