第9話 アーマースケルトン①
死者の王——アーマースケルトンが、ゆっくりと大剣を持ち上げた。
骨の擦れる乾いた音に、黒い甲冑の軋みが重なる。巨体が一歩踏み出すだけで石畳に亀裂が走り、脇を流れる水路まで大きく波打った。
先ほどまでのスケルトンとは違う。
右手の大剣は、いつでも斬撃へ移れる位置に構えられ、左の大盾は胸から腰までを隙なく覆っている。力任せに武器を振り回す怪物ではないことは、その立ち姿だけでも分かった。
ゼクスは片手剣を握り直す。
短い赤髪の額には汗が滲み、プロテクター状の軽鎧に重ねた外套が地下を抜ける冷風に揺れていた。
それでも、口元には笑みがある。
「デカいだけなら!」
石床を蹴り、一気に懐へ飛び込む。
肩口を狙った片手剣が振り抜かれる――が。
ガギィン!!
巨大な盾が割り込み、赤い火花が弾けた。
硬い。
しかも、速い。
直後には大剣が横薙ぎに迫り、ゼクスは咄嗟に身を沈めた。頭上すれすれを刃が通過し、風圧だけで赤髪が乱れ、外套の端が切り裂かれる。
それでも退かない。
低い姿勢から懐へ潜り込み、剥き出しの胴へ剣を叩き込む。
ギャリッ!
刃が黒い甲冑を浅く裂いた。
――だが、止まらない。
「ぐっ!」
横から叩き込まれた大盾を、自分の盾で辛うじて受ける。
凄まじい衝撃に身体ごと押し出され、ゼクスは石畳を数メートル滑ってようやく踏み止まった。
「……デカいくせに、器用だな!」
力だけではない。
攻撃を受け、間合いを測り、最小限の動作で反撃する。まるで歴戦の騎士だ。
「ゼクス! 挟み撃ち!」
「了解!」
シルクが反対側へ駆ける。
白銀の毛皮に覆われた腕と脚。頭上には狼耳、腰から伸びる大きな尻尾が走るたびにしなやかに揺れる。白いドレスに人間の少女の面影を残しながらも、その四肢は完全に獣のものだった。
二人は前後へ分かれ、同時に仕掛ける。
シルクの爪。
ゼクスの剣。
死角からなら――。
ガギンッ!!
「えっ!?」
アーマースケルトンは振り向きもしない。
正面のシルクを盾で受けながら、背後へ大剣だけを振り抜いた。
「なっ!?」
ゼクスは剣で受ける。
ガァン!!
痺れる腕を押さえながら距離を取った。
――見えてない俺まで捌くのかよ。
生前の技量なのか、骨に刻み込まれた戦闘本能なのか。
少なくとも、ただ硬いだけの怪物ではない。
アーマースケルトンの兜が、ゼクスとシルクを交互に追う。
その隙に、ゼクスは敵の向こうへ視線を走らせた。
地下広間の後方。
ユーリは戦闘開始から一度も攻撃へ参加していない。
長い青髪を後ろで束ね、学者風の衣服に外套を羽織っており、杖を片手に指先を宙へ走らせている。淡い光の線が円や幾何学模様を描き、いくつもの術式が立体的に重なり始めていた。
「……あと二式」
剣戟に掻き消されるほどの小さな声。
何を準備しているのかまでは分からない。
だが。
――何か、デカいのを仕込んでる。
なら、やることは決まった。
「シルク! 俺から離れすぎるな!」
「分かった!」
ゼクスは再び正面へ踏み込み、大盾へ剣を叩きつける。派手な金属音で注意を引きつけながら、横目でシルクを見た。
その表情が、一瞬だけ曇っている。
白銀の耳も伏せられていた。
巨狼になることを、ためらっている。
以前も変身を解いた直後、どこか不安そうな顔をしていた。
理由はまだ聞いていない。
「シルク!」
ゼクスはもう一度、大盾へ剣をぶつけた。
「無理はするなよ!」
「……でも」
シルクが顔を上げる。
一瞬だけ赤い瞳と視線が重なった。
そして、伏せられていた狼耳が立つ。
「今は――やる!」
白い光が爆発した。
眩しさにゼクスが目を細める中、シルクの輪郭が急速に膨れ上がる。人と獣の中間だった四肢が巨大な狼のものへ変わり、白銀の毛並みがその全身を覆った。
「オオオオオン!!」
三メートルを超える巨狼の咆哮が、地下広間を震わせた。
アーマースケルトンの兜が、反射的にそちらへ向く。
大盾を構えた。
――そこだ。
「隙あり!」
ゼクスが背後へ滑り込む。
全身の力を片手剣へ乗せる。
「連弾・巌窟王!!」
剣で露出した骨を裂き、その勢いのまま盾を叩き込む。
そして三撃目。
狙うのは右膝。
ガギン!!
関節が砕け、巨体が傾いた。
「今だ、シルク!」
白銀の巨狼が駆ける。
三メートルを超える身体とは思えない速度で肉薄すると、巨大な前脚が大盾ごと左腕を吹き飛ばした。
続けて牙が胸部へ食らいつく。
黒い甲冑がひしゃげ、その内側から骨の砕ける音が響いた。
最後に、白銀の巨体そのものを叩きつける。
轟音。
頭蓋ごと、上半身が砕け散った。
黒い甲冑と無数の骨片が宙を舞い、地下広間へ白い雨となって降り注ぐ。
静寂が戻った。
「……すっげぇ」
ゼクスの口から、素直な感想が漏れる。
直後、巨狼を淡い光が包み、その身体が急速に縮んでいった。
やがて現れたのは、白いドレスを纏った獣人姿のシルク。
「はぁ……はぁ……」
膝へ手をつき、大きく肩を上下させている。白銀の耳は力なく伏せられ、尻尾も床へ垂れていた。
かなり消耗している。
「シルク、大丈夫か?」
「うん……ちょっと疲れただけ」
「ならいいけど」
ゼクスもようやく剣を下ろした。
散らばった骨を見る。
動かない。
「……やったか」
「たぶん……」
そこで、ゼクスはさっきのシルクの連撃を思い出した。
「そうだ。今の技さ」
「え?」
「三連撃だったろ? “天狼三連星”ってどう?」
シルクは少しだけ考える。
「採用」
「やった」
思わず拳を握る。
その時だった。
――ガキッ。
乾いた音が、地下広間に響いた。
「……え?」
床に散らばった骨が震えている。
カタカタと。
最初は小さく。
やがて、広間中の骨が一斉に動き始めた。
「まさか……」
砕けた腕。
折れた脚。
割れた頭蓋。
それらが何かに引き寄せられるように這い、黒い甲冑まで宙へ浮かび上がっていく。
ガシャン。
ガシャン。
砕いた膝が繋がる。
裂いた胸骨が埋まる。
吹き飛ばした左腕が、大盾ごと元の位置へ戻る。
最後に頭蓋骨が収まり――。
眼窩の奥で、紫黒い瘴気が灯った。
ギロリ。
何事もなかったかのように、二人を見据える。
ゼクスの頬を冷たい汗が伝った。
「……冗談だろ」




