第7話 魔王の残した瘴気
三人は、洞窟の最奥に見えた古びた扉を目指し、地下シェルターの奥へと歩き始めた。
足元を流れる水路は驚くほど澄み切っており、天井を埋め尽くす鉱石の淡い輝きを映して、ゆらゆらと揺れている。
水のせせらぎだけが静かな空間を満たし、城跡を吹き抜けていた冷たい風の音さえ、もう遠い世界の出来事のようだった。
少し進むと、洞窟はさらに大きく開ける。
そこには、かつて畑だったと思われる区画が規則正しく並んでいた。
作物の姿はない。
土も長い年月を経て乾いている。
それでも、地面にはいくつもの畝が残されており、かつてここで人々が暮らすための準備が整えられていたことが分かる。
その先には、穀物を保管するための貯蔵庫。
井戸。
調理場。
寝泊まりするための部屋。
戦火から逃れてきた人々が、この地下だけでも暮らしていけるように、生活に必要な設備が一つの村のように整えられていた。
ゼクスは思わず足を止める。
「すげぇ……」
地下にもう一つの集落が眠っている。
そんな表現が決して大げさではないほど、この空間は大規模だった。
城が落ちても。
地上が焼き払われても。
ここへ逃げ込めれば、人は生き延びられる。
旧魔王領との国境を守ってきたルナグレイヴだからこそ、こんな場所まで用意していたのだろう。
ユーリが静かに口を開く。
「地下シェルターです。戦争や災害に備えて造られた避難施設ですよ」
どこか懐かしむような口調だった。
そして、その視線を洞窟の奥へ向ける。
「あの扉の向こうが、ベルさんの研究室です」
シルクが息を呑んだ。
「お母さんの……」
「ええ」
青白い光に照らされた古びた扉。
母が自分にも教えなかった場所。
そのさらに奥に、母の研究室が残されている。
ゼクスの胸に、小さな希望が灯った。
誰にも知られなかった、ベルの研究。
そこになら。
シルクに掛けられた変化魔法について、何か手掛かりが残されているかもしれない。
「すっげぇじゃん、ユーリ!」
嬉しさを隠しきれず、ゼクスは何度もユーリの肩を叩いた。
「痛いですって……」
ユーリは苦笑しながら肩をさする。
「喜んでもらえるのは嬉しいですが、僕は見た目どおり非力なんですから」
「悪い悪い」
ゼクスが笑って手を離した。
その時だった。
ユーリの表情から、ふっと笑みが消えた。
細められた瞳が、二人の背後を真っ直ぐ見据える。
「……そうものんびりもしていられないようですよ」
「え?」
ゼクスが振り返る。
足元から、微かな振動が伝わってきた。
静かだった水面へ波紋が広がる。
天井から細かな砂がさらさらと落ち、地面が内側から押し上げられるように盛り上がった。
シルクが素早く身を翻す。
赤い瞳が鋭く細められた。
「来る……!」
盛り上がった土が裂ける。
その隙間から、白く乾いた指先が現れた。
骨だけとなった腕が地面を掴み、土を削りながらゆっくりと身体を引きずり上げていく。
続いて現れたのは、空洞の眼窩を持つ頭蓋骨。
一体だけではない。
あちらでも。
こちらでも。
大地が次々と裂け、無数の骸が地中から這い出してくる。
つい先ほどまで幻想的だった地下世界が、瞬く間に死者たちの墓場へと姿を変えていった。
「スケルトン……」
ユーリが低く呟いた。
「原因は?」
ゼクスが問う。
「……瘴気の影響はあるでしょうね」
ユーリは眼鏡の奥で目を細める。
「魔王軍の襲撃で強い瘴気に晒された遺体が、アンデッド化した――そう考えることはできます」
「じゃあ、こいつらは……」
「ただ」
ユーリの声がわずかに低くなる。
次々と地面から這い出してくる骸を見渡した。
「妙です」
「何が?」
「ここは避難施設です」
ユーリは地面へ視線を落とす。
「それなのに――どうして、こんな場所の土の中から、これほど大量の遺体が出てくるんでしょうね」
「……!」
ゼクスが眉をひそめる。
確かにおかしい。
ここは人々を生かすために造られた場所のはずだ。
墓地ではない。
なのに今、自分たちを取り囲んでいるのは、数え切れないほどの死者だった。
だが、考えている暇はない。
スケルトンたちが、ゆっくりとこちらへ向き直る。
その間にも、ユーリは小さく何かを唱えながら、指先で宙をなぞっていた。
まるで誰にも見えない魔法陣へ、次々と術式を書き足していくように。
「……第四式を第五式へ接続」
淡い光が指先を走る。
「術式を事前展開しておけば……」
一方、ゼクスは両手で拳を作った。
互いの拳を軽く打ち合わせる。
コツン。
拳へ走る、ごく小さな痛み。
深呼吸はいらない。
気合いも、叫びもいらない。
その一瞬の痛みだけが、日常と戦場を切り替える合図だった。
ゼクスは剣の柄を握る。
鋼が鞘を滑った。
「戦闘だ」
短く告げ、シルクへ視線を向ける。
「いけるか?」
シルクは小さく頷いた。
胸の前で両手を合わせ、静かに目を閉じる。
「……父さん、母さん。少しだけ勇気をください」
小さく呟く。
パン。
両手を打ち合わせた。
祈りを終えた合図だった。
「やります!」
先ほどまで母の研究室へ思いを馳せていた赤い瞳に、もう迷いはない。
獲物を狙う狼のような、鋭い闘志が宿っている。
白い爪を、ゆっくりと構えた。
「任せて」
その一言を聞いたユーリは、二人の後ろへ下がって肩をすくめる。
「では、僕は後衛らしく安全圏にいますので、前衛のお二人はよろしくお願いします」
「それを堂々と言うな!」
ゼクスが苦笑した、その瞬間。
ガシャァァン!!
無数のスケルトンが一斉に地面を蹴った。
青白い光に照らされた地下世界を舞台に、新たな戦いの火蓋が切って落とされた。




