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美女で野獣 ~もふもふ狼娘になった復讐令嬢と魔法が使えない戦士貴族、最強バディで魔王を討つ  作者: 炭酸水ひろみつ(旧 強炭酸)
二章 勇者

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第40話 開戦

 霧の向こうで、二つの巨大な眼光が灯っていた。


 最初に見えたのは、それだけだった。


 まだ朝日の届かない灰色の海。その沖合を覆い尽くす濃霧の中から、黄色く濁った二つの光がゆっくりと近づいてくる。


 やがて、海風が霧を押し流した。


「……なんだ、あれ」


 誰かが呟いた。


 巨大な影が姿を現す。


 ライボルトの沖合に現れたのは、城壁すら思わせるほどの巨体だった。苔むした暗緑色の外殻。その上には石造りの城壁や見張り台が築かれ、何本もの旗が海風を受けてはためいている。


 一見すれば、海上を進む巨大戦艦。


 だが、違う。


 海面から巨大な頭部が持ち上がり、その両脇から水飛沫を上げて四肢が姿を現す。


 亀だ。


 途方もなく巨大な亀。その甲羅そのものが、魔王軍の移動要塞となっている。


 巨亀が前脚を動かすたびに海面が盛り上がり、大波となってライボルトの防波堤へ打ち寄せる。その甲羅の上には砦が築かれ、無数の魔物が黒い影となって蠢いていた。


「……あそこか」


 ゼクスが目を細める。


 砦の最上部。


 その奥にいる。


 四災害『安寧』のセルレト。


 今回の戦いで討つべき敵将。


 その時、海を覆っていた霧が不自然に揺らいだ。


「来るぞ」


 カーサスの声に、兵士たちが一斉に身構える。


 淡い光が霧を幕のように染め上げ、巨大な人影を形作っていく。


 長い黒髪。尖った耳。そして額から伸びる魔族の角。


 セルレトだった。


 端正な顔には怒りも興奮もない。


 ただ、穏やかな微笑みだけが浮かんでいる。


『ライボルトの皆さん――私は悲しい』


 静かな声が海を越え、街へ響き渡った。


『私はあなた方に、安寧のもと、戦わずして救われる道を提示したというのに』


 ゼクスの眉が寄る。


 周囲の兵士たちにも動揺が走ったが、セルレトはまるで子供を諭すような口調で語り続ける。


『戦わず、何も知らず、恐怖すら感じることなく――自分が死んだことにも気づかずに死ねる』


 微笑む。


『これほど素晴らしいことはないでしょう?』


「…………」


 シルクの拳が震えていた。


 白い指が強く握り締められ、爪が掌へ食い込んでいる。赤い瞳は海上に浮かぶ男だけを見据え、その奥には燃え上がるような怒りが宿っていた。


 あの声。


 あの顔。


 父と母を殺し、喰らった男。


「聞く耳持つんじゃねえぞ、お嬢」


 背後からカーサスの低い声が飛んだ。


「殺す側が、殺される側の幸せを勝手に決めてんじゃねえ」


「…………はい」


 シルクの拳から、ほんの少しだけ力が抜けた。


 海上では、セルレトが悲しげに目を伏せる。


『仕方ありません』


 そして再び、微笑んだ。


『ならば私たちが、あなた方を“喰らい”ましょう。そして一つとなる。争いも、苦しみも、恐怖もなくなる』


『――これもまた、安寧です』


 映像が消えた。


 直後。


 巨亀の砦から、無数の黒い影が飛び出した。


「来るぞおおおおお!!」


 空へ舞い上がったのは、ガーゴイルの群れだった。


 一体。


 十体。


 百体。


 もはや数える意味すらない。


 翼を広げた魔物たちが巨大な群れとなってライボルト上空へ押し寄せ、朝日を浴びていた街へ影を落とす。青かった空が、見る見るうちに黒く塗り潰されていった。


 海も同じだった。


 ざばっ、と無数の頭が水面から現れる。


 サハギン。


 槍や銛を握った半魚人たちが次々と海から這い出し、浅瀬を埋め尽くしながら防波堤へ殺到する。その後方からはオークを満載した小舟まで姿を現し、海岸線そのものが魔物の群れで埋まっていく。


 空から。


 海から。


 海上から。


 ルナグレイヴを滅ぼした物量戦が、再び始まろうとしていた。


「シルク」


 その喧騒の中、ユーリが呼び止めた。


「少しいいですか」


「なに?」


「これを」


 差し出された掌には、一つの指輪が載っていた。


 シルクには見覚えがある。


「……破幻の指輪?」


「ええ」


 ユーリは眼鏡を押し上げる。


「坊ちゃんはご存じの通り、精神干渉系の魔法には滅法弱い。しかも魔力がない以上、こういった魔導具を自分では起動できません」


 シルフの森でも、この指輪に助けられた。


 ユーリはそれを、シルクの掌へ置いた。


「僕は本隊に残ります。ですから――」


 一瞬だけ、ゼクスを見る。


「坊ちゃんを頼みます」


「…………」


 シルクは指輪を握り締めた。


「うん。任せて」


「野郎ども!!」


 直後、カーサスの怒号が響き渡った。


 剣が抜き放たれる。


「配置につけええええっ!!」


「応ッ!!」


 数百人の兵士たちが一斉に動き出した。


 盾兵が前へ。槍兵がその後方へ続き、弓兵と魔術兵は高所へ展開する。事前に決められた配置へ人の波が淀みなく流れていく中、シエルは戦場全体を見渡せる位置へ立った。


「全隊、予定配置へ!」


 魔導具によって拡声された声が戦場を駆け抜ける。


「――月輪の陣! 用意!!」


 兵士たちが左右へ大きく展開する。


 正面を厚く固めるのではない。


 海岸線を包み込むように隊列が広がり、巨大な弧を描いていく。


 満月ではない。


 中央が大きく欠けた、月。


 その欠けた部分こそが――敵を誘い込む入口だった。


 月輪の陣。


 敵を正面から押し返すのではなく、あえて懐深くまで侵入させ、左右から包み込んで迎撃する陣形。


 そして、その中心に立つ者がいる。


「私が中央に出ます」


 黒髪のボブが海風に揺れ、その内側から鮮やかな緑色のインナーカラーが覗く。


 動きやすさを重視した軽鎧。


 腰には一本の剣。


 勇者イロハ。


 人類最強の切り札が、たった一人で月輪の中心へ歩いていく。


『派手にいくわよ、イロハ』


「もちろん」


 封神剣からスカイアの声が響いた。


「今日は私たちが、世界で一番目立ちましょう」


 中央へ敵を集め、イロハが猛攻を引き受ける。カーサスとユーリが左右から支援し、取りこぼした敵を周囲の騎士団が仕留める。


 シエルは戦場を俯瞰し、各部隊を動かすことだけに専念する。


 敵が中央へ殺到すればするほど、月の内側へ呑み込まれていく。


 昨日、チェス盤の上でゼクスが見せた戦い方を、数百人規模の戦場へ落とし込んだ陣だった。


 カーサスが振り返る。


 ゼクスと目が合った。


 言葉はいらない。


(――お前らは裏へ回れ)


 ゼクスが小さく頷く。


(――分かった)


 隣のシルクも、こくりと頷いた。


 二人の視線が沖合の巨亀へ向く。


 真正面からは行かない。


 本隊が敵を引きつけている間に海岸線を迂回し、浅瀬から防波堤へ。その先から巨亀へ取りつき、甲羅の上に築かれた砦へ侵入する。


 狙うのは、ただ一つ。


 セルレトの首。


「行こう、シルク」


「うん」


 二人が本隊から静かに離れていく。


 その背後。


 数百のガーゴイルが朝日を遮り、数百のサハギンが押し寄せる波のように海岸へ迫っていた。


 空は黒く。


 海は魔物で埋まり。


 その境界に、たった一人の勇者が立っている。


 イロハは腰の剣にすら触れず、迫り来る軍勢を見上げた。


 そして、不敵に笑う。


「――どこからでも来なさい!」


 次の瞬間。


 魔物の大群が、一斉にライボルトへ雪崩れ込んだ。


 ライボルト攻防戦。


 ――開戦。

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