第41話 Set up
「仮面解放」
シルクが顔の上半分を覆う狼を模した金属製の仮面へ手を添え、静かに呪文を唱えた。
直後、仮面を起点として白銀の光が全身を包み込む。
背中まで流れる白銀の髪が獣毛へ溶け込むように広がり、細かった両腕と両脚が狼の爪を備えた獣の四肢へと変貌していく。白を基調としたドレスを纏った胴体にも白銀の毛並みが現れ、人間だった少女は瞬く間に人と狼の特徴を併せ持つ獣人へと姿を変えた。
だが、今日はここで終わらない。
シルクは一度だけ目を閉じる。
「――“フェンちゃん”。力を貸して」
その言葉に応えるように、白銀の光が再び膨れ上がった。
獣人の輪郭がさらに巨大化する。両腕が地面を踏み締める前脚へ、両脚も強靭な後ろ脚へ変わり、白銀の毛並みに覆われた胴体が見る見るうちに膨れ上がっていく。
そして光が弾けた時、そこに立っていたのは――三メートルを優に超える白銀の巨狼だった。
「おお……」
ゼクスが感嘆の声を漏らす。
今日の装備はいつもより重い。背には長大な両手大剣を背負い、腰には使い慣れた片手剣。これから敵将の懐へ飛び込む以上、相手に応じて得物を選べるよう準備してきたのだ。
「ついにコントロールできるようになったんだな」
『少しだけね』
巨狼となったシルクが答える。
『まだ消耗が激しいから、ずっとこの姿ではいられないけど』
そう言いながら、シルクは自分の内側に眠るもう一つの力を意識する。
(本当の切り札は……できれば、使いたくない)
それを表情には出さず、身体を低く伏せた。
『乗って』
「よし!」
ゼクスがその背中へ跨がる。
両手で白銀の毛並みを掴んだ瞬間、指の間を柔らかな毛が埋め尽くした。
「…………」
『なに?』
「不謹慎なのは分かってるんだけどさ」
ゼクスは白銀の毛へ顔を埋めそうなほど恍惚とした表情を浮かべた。
「今、ものすごくもふもふで幸せ」
『そう。よかったね』
「塩対応! だがそれがいい!」
『……行くよ。ちゃんと掴まってて』
次の瞬間。
シルクが駆けた。
「うおっ!?」
それは、走るというより風そのものだった。
白銀の巨体が地面を蹴った瞬間、ゼクスの身体が後方へ持っていかれる。辛うじて毛並みへしがみついた、その時にはもう海岸線を抜けていた。
浅瀬へ飛び込む。
巨大な四肢が水面を蹴るたび、左右へ白い飛沫が爆発するように舞い上がった。
浅瀬が見えたと思えば、次には防波堤。
防波堤を駆け抜けたと思えば、その先には海面から突き出した巨亀の脚がある。
シルクは速度を緩めない。
岩壁にも等しい巨亀の脚へ飛びつくと、鋭い爪を外皮へ食い込ませ、そのままほとんど垂直の巨体を駆け上がっていった。
「マジかよ……!」
眼下で海面が遠ざかる。
防波堤が小さくなり、ライボルトの街並みまで見渡せる高さへ達した次の瞬間、シルクが巨亀の甲羅の縁を蹴った。
白銀の巨狼が宙を舞う。
その先には、巨大な甲羅の上に築かれた魔王軍の砦。
ズンッ!
四肢が石床を捉えた。
『着いたよ』
淡い光がシルクを包み、三メートルを超えていた巨体が急速に縮んでいく。四肢は細くなり、やがて白いドレスを纏った獣人の姿へ戻った。
同時にゼクスも背中から飛び降り、軽やかに石床へ着地する。
「おっと」
すぐさま背中のツヴァイハンダーへ手を伸ばし、砦の奥を見据えた。
「さあ――油断せず行こうか」
「うん」
二人は並んで、砦の内部へ歩き出す。
その横顔を見ながら、ゼクスは胸の内だけで呟いた。
(君は――俺が守る)
♢
一方、ライボルト沿岸部。
そこでは、魔王軍の大群を相手に壮絶な迎撃戦が繰り広げられていた。
「スカイア!」
月輪の陣、その中心に立つイロハが両手を広げる。
「設置型竜巻!!」
『了解!』
次の瞬間、戦場の各所で風が爆発した。
一つではない。
二つ、三つ、四つ――。
あらかじめ指定された地点を中心として、巨大な竜巻が次々と立ち上がっていく。海水と砂塵を巻き上げながら回転する風の柱は、さながら戦場へ突き立てられた巨大な罠だった。
低空から襲いかかったガーゴイルが翼を取られ、悲鳴を上げながら風の中へ吸い込まれる。
浅瀬を駆けてきたサハギンも同じだ。身体が宙へ浮き上がり、槍もろとも竜巻へ呑み込まれていく。
「いいねえ、イロハさん! 利用させてもらうぜ!」
カーサスが豪快に笑った。
迫ってきたサハギンの腕を掴み、その勢いのまま身体ごと振り回す。
「おらよっ!」
放り投げた。
サハギンが竜巻へ消える。
直後、背後から飛びかかったガーゴイルまで片腕で捕まえ、まるでゴミでも捨てるように同じ竜巻へ投げ込んだ。
「次ィ!」
「……ずいぶん乱暴な利用法ですね」
少し離れた場所では、ユーリの足元へ巨大な魔法陣が広がっていた。
「ですが、理には適っています。では僕も乗っからせてもらいましょう」
魔法陣が輝く。
「砂塵運搬」
地面を這うように砂塵が奔流となって駆け抜けた。
サハギンたちの足元へ砂が絡みつき、踏ん張りを奪う。体勢を崩したところへ横殴りの風が吹きつけ、十数体がまとめてイロハの竜巻へ運ばれていった。
「弓兵隊――構え!」
さらに後方。
戦場全体を見渡すシエルが片腕を振り上げる。
弓弦が一斉に引き絞られた。
「――射てぇぇっ!!」
無数の矢が空へ放たれる。
竜巻を避けようと高度を上げたガーゴイルの群れへ、黒い雨となった矢が降り注いだ。
次々と翼を射抜かれ、魔物が墜落していく。
月輪の陣は、機能している。
中央でイロハが敵の大半を引きつけ、カーサスとユーリがその猛攻を捌き、周囲へ逃れようとした魔物をシエルの指揮する兵士たちが仕留める。
空と海を埋め尽くしていた魔物の群れは、目に見えて数を減らし始めていた。
「いいねえ」
カーサスが剣を肩へ担ぎ、笑う。
「こりゃあゼクス坊ちゃんとシルクお嬢様を待つまでもなく、こっちは終わっちまうかもな!」
「…………」
だが。
ユーリだけは笑わなかった。
眼鏡の奥の瞳が、ゆっくりと戦場の向こうへ向けられる。
「……いや」
何かが来る。
先ほどまでの魔物とは違う。
肌を刺すような魔力の圧力に、ユーリは杖を握り直した。
「どうやら――主戦力はこれからみたいですよ」
その言葉とほぼ同時だった。
『――舐められたものだな』
戦場へ、低い声が響いた。
続いて。
『まったくですね』
もう一つの声。
イロハが振り返る。
カーサスの笑みが消える。
ユーリもまた、声のした方向へ杖を向けた。
魔物の群れの向こう。
立ち込める砂塵の中から――二つの影が、ゆっくりと近づいてくる。




