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美女で野獣 ~もふもふ狼娘になった復讐令嬢と魔法が使えない戦士貴族、最強バディで魔王を討つ  作者: 炭酸水ひろみつ(旧 強炭酸)
二章 勇者

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第37話 泡沫の夢と北神星

 シルクは、芝生の広がる丘の上に立っていた。


 頭上には雲一つない青空が広がり、見渡す限り、建物も人影もない。風が草原を撫でる音だけが耳に届くその場所は、三日後に戦を控えている現実とは切り離されたように、不自然なほど穏やかだった。


「……ここ、どこ?」


 辺りを見回していると、足元で柔らかなものが触れた。


 銀色の小さな狼だった。


 まだ子犬ほどの大きさしかない。ふわふわとした白銀の毛並みを揺らしながら、警戒する様子もなくシルクの脚へ身体を擦りつけてくる。


「あなた、ここの子?」


 シルクがしゃがみ込むと、小さな狼は当然のように膝へ前脚をかけてきた。そのまま抱き上げて膝へ乗せると、嬉しそうに「くぅん」と鼻を鳴らす。


「あなたの名前は?」


「くぅん」


「ふむふむ。そうなんだ」


 もちろん、何を言っているのかは分からない。


 それでも不思議と、この子になら何でも話せるような気がした。


「……少し、愚痴らせてもらってもいい?」


 小さな狼は返事の代わりに、自分の尻尾を追いかけて膝の上をくるくると回り始めた。


「私ね、自分のこと、あんまり好きじゃなくてさ」


 尻尾を追いかけるのに飽きたのか、小さな狼がシルクの膝へ身体を預ける。


「お父さんとお母さんを殺されて、ずっと復讐したいって思ってる。今だって、あいつをこの手で倒したいって気持ちは変わってない」


 その背中を、白い指先がゆっくり撫でる。


「なのに皆が優しいから、私まで優しい気持ちになっちゃう時があるんだ」


 それが悪いことではないと、頭では分かっている。


 けれど、怒りを忘れてしまうようで怖かった。


「ゼクスのことだってそう」


 狼の頬を両手で挟み、わしゃわしゃと撫で回す。


「私のこと好きだって言ってくれて、すごく嬉しかった。それなのに私、その気持ちを利用して、一緒に復讐についてきてもらおうとしてる」


「くぅん?」


「本人はそれでいいって言ってくれたけどさ……」


 今度は柔らかな頬を、むにゅーっと左右へ引っ張った。


「本当は私だって、ゼクスのこと好きなんだよ」


 誰もいない夢の中だからこそ、その言葉は驚くほど素直に出てきた。


「他の女の人にデレデレしてたら、絶対許せないし」


 小さな狼は解放された頬を前脚で掻くと、シルクの膝の上でごろんと仰向けになった。


「……でも、うまく言えないんだよね」


 白銀の毛並みを撫でながら、シルクは困ったように笑った。


「結果だけ見れば、好きな人の気持ちを利用してる女だもん。自分の気持ちをちゃんと伝えられない自分が、嫌になる」


 それでも。


 いつか。


「全部終わったら、ちゃんと素直になりたいんだ」


 小さな狼の頭を優しく撫でる。


「それまでよろしくね――“フェン”ちゃん」


「アオン!」


 今度は、はっきりと返事が返ってきた。


     ◇


 翌朝。


 作戦会議までには、まだ少し時間があった。


 ライボルトの騎士団駐屯地では、朝から木剣のぶつかり合う乾いた音が響いている。


 その訓練場の中央で向かい合っているのは、ゼクスとカーサスだった。


 二人が木剣を構える。


「始め!」


 副官シエルの合図と同時に、カーサスが地面を蹴った。


「はああっ!」


 巨体から繰り出された木剣が、ゼクスへ迫る。


 速い。


 だが、ゼクスはその軌道を最後まで見ていた。


(――ここだ!)


 真正面から受け止めない。


 身体を半歩ずらしながら木剣を斜めに当て、カーサスの力を横へ逃がす。その勢いを利用して剣を滑らせ、相手の木剣の一点へ力を叩き込んだ。


 バキンッ!


 カーサスの木剣が折れた。


「……お見事」


 残った柄を眺めたカーサスは、すぐに豪快な笑みを浮かべた。


「さすがです、ゼクス坊ちゃん。イロハさんが鍛えただけはある」


「俺のこと知ってるの?」


「そりゃあ知ってますよ。公爵家の六男坊に、とんでもない武人がいるってのはデイスターじゃ有名な話ですから」


 カーサスは折れた木剣を肩へ担ぐ。


「貴族の坊ちゃんのくせに、自分で調査隊を率いて危険地帯を歩き回ってるとか」


「貴族の坊ちゃんは余計だろ」


「坊ちゃんは坊ちゃんでしょう」


「それに――」


 そこで、シエルが静かに会話へ入った。


「私が注目しているのは、個人の武勇ではありません」


「ん?」


「あなたの指揮能力です」


 それまでの気さくな雰囲気とは少し違う。


 シエルは真っ直ぐゼクスを見ていた。


「王都へ提出された調査隊の報告書には、私も目を通しています。あなたの部隊は何度も魔物と遭遇し、ときには想定を超える規模の戦闘にも巻き込まれている」


 そこで一度、言葉を切る。


「にもかかわらず――これまで、あなたが指揮した調査隊から死者は一人も出ていない」


「…………」


「ですが、私が興味を持ったのは結果ではありません」


 カーサスも口を挟まず、黙って聞いていた。


「戦闘能力の高い者なら珍しくありません。優れた作戦を立てられる者もいる。ですが――戦場では、最初に立てた作戦など簡単に崩れます」


 敵の増援。


 未知の魔物。


 予想外の地形。


 報告書に記された戦闘のいくつかを思い返すように、シエルは続けた。


「あなたは想定が外れるたび、迷わず作戦を捨てている。そして、その場にいる人間にできることを見極め、別の勝ち筋へ繋ぎ直す」


「……そんな大層なことしてるかな、俺」


「無自覚なら、なおさら厄介ですね」


 シエルがわずかに笑った。


「どれほど盤面が乱れても、進むべき方角だけは見失わない」


 そして、不意に両手を兜へ伸ばす。


 金属が擦れる音とともに、それを持ち上げた。




挿絵(By みてみん)


 長い金髪が、朝の光を受けてふわりと広がる。


 現れたのは、思わず目を引かれるほど整った顔立ちだった。ただ、その頬からこめかみにかけては、古い火傷の痕が刻まれている。


 シエルはそれを隠そうともせず、堂々とゼクスを見据えた。


「だから騎士団の一部では、あなたをこう呼ぶ者もいます」


 その視線が、真っ直ぐゼクスを射抜く。


「――『北神星のゼクス』」


「北神星?」


「ええ」


 シエルは空を見上げた。


「旅人が道に迷ったとき、進むべき方角を教える星」


 そして再び、ゼクスを見る。


「あなた自身が勝利するからではありません。あなたがいると、周囲の人間まで進むべき方向を見失わない」


「…………」


「ゆえに――北神星」


「……へえ」


 ゼクスの目が少し変わった。


 剣の腕を褒められた時よりも、明らかに興味を持っている。


「いいな、それ」


「お気に召しましたか?」


「北神星だろ? 普通にカッコいいじゃん」


「そこですか……」


 シエルが少し呆れたように笑った。


 ゼクスとしては、それ以上でもそれ以下でもないらしい。


 シエルは胸へ片手を当てた。


「改めまして。王国騎士団副団長兼、作戦参謀を務めます――シエルです」


 そして、訓練場の端に置かれたテーブルへ目を向ける。


「チェスがお強いとも聞いております。作戦会議まで少々時間がありますし――一局、お手合わせ願えませんか?」


「いいよ」


 ゼクスは即答した。


「ちょうど俺も、参謀殿には聞いてみたいことがあったんだ」


「奇遇ですね。私もです」


 二人が並んでテーブルへ向かっていく。


「…………」


 少し離れた場所からその様子を見ていたシルクの赤い瞳が、すっと細くなった。


 夢の中で吐き出した本音が、脳裏をよぎる。


 ――他の女の人にデレデレしてたら、絶対許せないし。


 ゼクスはデレデレしていない。


 していないのだが。


 シエルがゼクスを見る目。


 チェスを前に、楽しそうに話し始めた二人。


 そして何より――女の勘が告げていた。


(この人……もしかしてゼクスのこと――)

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