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美女で野獣 ~もふもふ狼娘になった復讐令嬢と魔法が使えない戦士貴族、最強バディで魔王を討つ  作者: 炭酸水ひろみつ(旧 強炭酸)
一章 冒険の夜明け

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第3話 世界の終わりが来た

 焚き火が、ぱちりと小さく爆ぜた。


 赤く熾った薪の隙間から火の粉が舞い上がり、夜の闇へ吸い込まれていく。森を渡る風は冷たく、川で濡れたゼクスの服から容赦なく体温を奪っていたが、揺れる炎の熱に手をかざしているうちに、凍えていた指先にも少しずつ感覚が戻り始めていた。


 焚き火を挟んだ向かいには、シルクが座っている。


 白銀の長い髪が夜風になびき、狼の耳が風音を拾うように時折揺れる。火に照らされた赤い瞳は俯いたまま、燃え崩れていく薪をじっと見つめていた。


 しばらく、どちらも口を開かなかった。


 ゼクスは話を急かさない。


 先ほどまで彼女が見せていた涙も、憎しみも、軽い言葉で触れていいものではなかった。ただ炎の弾ける音を聞きながら、彼女が自分から話し始めるのを待つ。


 やがてシルクが、静かに息を吸った。


「私のお父さんはね……昔から、街のみんなに好かれてたんだ」


「うん」


 ゼクスが返したのは、それだけだった。

 今は余計な言葉などいらない。慰めるでも、励ますでもなく、ただ彼女の声を受け止めればいい。


「農業に力を入れるんだって言って、種まきも収穫も真っ先に畑へ出てね。侯爵なのに、街の人たちと一緒になって泥だらけになるの」


 思い出をたどるにつれて、シルクの声から少しずつ硬さが消えていった。


「休憩になると、今度はみんなと腕相撲ばっかりしてた。豪快で……子どもたちにも大人気だったんだよ」


 炎を映す彼女の瞳が、遠い日の光景を見つめている。きっと今、彼女に見えているのはゼクスではない。父と笑い合い、家族と暮らしていた頃の故郷なのだ。


「収穫祭の日なんて、子どもを二人も肩車して街を歩いてた。降ろしてって言われても、まだ平気だって笑って……みんなも、それを見て笑ってた」


 賑やかな音が聞こえてくるようだった。

 広場に並ぶ穀物や果物。焼きたてのパンと香辛料の匂い。祝いの鐘が鳴る中を、子どもたちを肩へ乗せた大男が豪快に笑いながら歩いていく。

 その後を追う幼いシルクも、きっと幸せそうに笑っていたのだろう。


「本当に、賑やかだった」


 シルクの口元に、自然な笑みが浮かぶ。


「男らしくて、格好いい父さんじゃん」


「……うん」


 少し照れくさそうに笑うその顔は、先ほどよりもずっと幼く見えた。


「お母さんは、魔法学校の先生だったの。私にも魔法を教えてくれてね。難しい魔法が使えるようになるたび、自分のことみたいに喜んでくれた」


 シルクは焚き火へ小枝を一本くべる。


「『よく頑張ったね』って、いつも頭を撫でてくれたんだ」


 懐かしそうに笑いながら、自分の頭へそっと手を添える。


「それとね。ルナグレイヴはリンゴが名産だったの」


「リンゴ?」


「うん。小さい頃は酸っぱくて苦手だったんだけど、お母さんがウサギさんの形に切ってくれて。それから食べられるようになったんだ」


 赤く実ったリンゴ。


 包丁を器用に動かし、あっという間にウサギの形へ切り分ける母。


 皿の上に並んだ小さなウサギを頬張り、幼いシルクは驚いたように目を丸くする。


『美味しい?』


『……うん!』


 母が嬉しそうに微笑む。


「私が大きくなっても、ウサギ型に切ってくれてたんだよね」


 父と母のことを話すシルクは、よく笑った。


 それだけで、ゼクスには分かった。


 彼女は家族を愛していた。

 この故郷が、本当に好きだったのだ。


 ――だけど。


「あの日……全部、壊された」


 シルクの笑みが消えた。


 市場に積まれていた真っ赤なリンゴが、荷車ごと横転する。石畳へ転がった一つを、魔物の足が踏み潰した。


 ぐしゃり。


 甘い果汁が、血と煤に汚れた石畳へ滲んでいく。


 その日の空は、黒煙に覆われていた。


 燃え盛る街から立ち上る煙が太陽を隠し、昼だというのに辺りは夕暮れのように薄暗い。建物が炎を噴き上げ、梁が焼け落ちるたび、腹の底まで響くような音が鳴った。


 逃げ惑う人々。

 泣き叫ぶ子ども。

 怒号を上げながら剣を振るう兵士たち。

 火と血の臭いが入り混じり、息をするたび喉が焼けた。


「ルナグレイヴ侯爵家は、旧魔王領との国境を守る盾だった。兵士たちも、決して弱くはなかった」


 それでも――。


「圧倒的な数だった」


 人よりも、魔物の方が多かった。


 一体を倒しても、倒れた仲間を踏み越えて次が来る。空には翼を持つ怪物が群がり、城壁の外からは地響きを立てて巨大な魔獣が迫っていた。


「遠くからだったけど……あいつが魔王だって、一目で分かった」


 黒煙の向こうに、巨大な黒い鎧が立っていた。


 風になびく黒い外套。

 人ならざる角を持つ、鬼神のような仮面。

 何人もの側近を従えながら、その者自身は剣を抜くこともなく、ただ静かに戦場を眺めていた。


 それだけだった。


 ただそこに立っているだけなのに、周囲の空気が凍りついたように重くなる。肺が押し潰され、心臓を直接掴まれているような圧迫感に、シルクは息を吸うことすらできなかった。


「そこにいるだけで、空気が変わるの。息をするだけで精一杯だった」


『逃げろ――ッ!!』


 兵士たちの叫びが響く。


 逃げなければならない。


 頭では分かっているのに、足が地面へ縫い付けられたように動かなかった。


「怖いとか……そんな言葉じゃ足りなかった」


 ぱちり。


 小さく爆ぜる焚き火の前で、シルクの肩が小さく震え始める。


「ただ……世界の終わりが来たって思った」


 ゼクスはその震える手を見つめていた。


 ――そりゃ、許せるわけねぇよな。


 ようやく分かった。

 あのとき彼女が絞り出した「許せない」という言葉に、どれだけのものが詰まっていたのか。

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