第29話 北の貿易都市ライボルト
北の海上貿易都市――ライボルト。
ゼクスたちが街へ到着して早々、領主であるデニムス=ライボルト侯爵は、彼らの前で勢いよく膝をついた。
「助けてくださいー!!」
そのまま床へ額がつきそうなほど頭を下げる。
いかにも羽振りのいい商人といった風貌の男だった。上等な生地で仕立てられた服はこれでもかというほど華美に飾られ、両手の指にはいくつもの指輪が輝き、首元や胸元にも高価そうな装飾品がぶら下がっている。
そんな男が、今は見る影もなく取り乱していた。
「北の貿易都市、ライボルト! ここを魔王軍に奪われるなんて、あんまりだー!」
ソレスティア王国には、王都デイスターを囲むように四つの侯爵領が存在する。
東のルナグレイヴ。南のテンペスト。西のペトリコール。そして、北のライボルト。
いずれも王国にとって重要な土地を預かる四大侯爵だが、ライボルトだけは他の三家と少々毛色が違っていた。他の侯爵家が国境や要衝を守る番人として武力を蓄えてきたのに対し、ライボルト侯爵家が代々磨き上げてきたのは商才である。
海上交易によって世界中から品物と金を集め、それを王国全土へ流通させる。
言うなれば――稼ぐ侯爵。
ソレスティア王国随一の大商人一族だった。
そのため、これまで戦いや揉め事が起きても、金で傭兵を雇うことで大抵の問題は解決してきた。だが、今回ばかりは相手が悪い。攻めてくるのは小規模な盗賊団でも、金で手打ちにできる隣国でもない。
魔王軍だ。
本格的な戦場になれば、美しい港も、立ち並ぶ商館も、蓄えられた商品も無事では済まない。勝ったとしても、街そのものが瓦礫と焦土へ変わってしまう可能性すらある。
そう。
ルナグレイヴのように。
「私は、ああはなりたくない!!」
デニムスは床へ両手をついたまま、必死に訴える。
「ルナグレイヴの二の舞だけはごめんだ!」
その言葉に、ゼクスの眉がぴくりと動いた。
「デニムスさん、いい加減に――」
「ライボルトは守ります」
ゼクスより先に、凛とした声が響いた。
シルクだった。
デニムスが顔を上げる。
シルクは一歩前へ出ると、逃げることなく侯爵の目を見つめた。
「私は、ルナグレイヴの生き残りです」
「シルクハティ=ルナグレイヴ」
その名を聞いた瞬間、デニムスの目が大きく見開かれた。
「あなたは……ルークの娘さんか!?」
「はい」
シルクは静かに頷く。
その赤い瞳に、迷いはなかった。
「ルナグレイヴの惨劇は、繰り返させません」
その言葉を聞いて、ユーリが感心したように目を見開く。隣ではイロハも満足そうに、うんうんと頷いていた。
デニムスはしばらくシルクを見つめていたが、やがて大きく息を吐いた。
「……ありがとう、シルクハティ嬢。なんだか、あの腕相撲マニアに喝を入れられた気分だよ」
「え?」
「君のお父上とは、私も何度か腕相撲をしたことがあってね。戦績は一勝二十敗だ」
またか。
ゼクスは思わず半眼になる。
シルクの父親、各地の王族や貴族を相手に腕相撲を挑みすぎではないだろうか。
「もっとも、あの一勝はわざと負けてくれたんだと思う。当時の私は、家内にプロポーズする勇気が持てなくてね」
デニムスは懐かしそうに笑った。
「腕相撲が終わったあと、ルークはこう言ったんだ。『俺に勝ったんだ。もう何も怖いものなんてないだろう』ってね」
その言葉を思い出すように、デニムスは自分の両手を見つめる。
やがて、その手を強く握り締めた。
「……覚悟は決まったよ」
先ほどまで床へ這いつくばっていた男が、ゆっくりと立ち上がる。
「この街は渡さない。住民を避難させ、王都から来る軍勢を迎え入れる。ライボルトを戦場にする以上、被害をゼロにはできないだろう。それでも――ここで魔王軍を迎え撃つ」
その表情から、先ほどまでの情けなさは消えていた。
イロハも一歩前へ出る。
「私も勇者です。その作戦、私たちも参加します」
「それは頼もしい。ぜひとも力を――」
「大変だー!!」
突然、外から叫び声が響いた。
「空に……何かいるぞー!?」
「空?」
ゼクスたちは窓の外へ目を向ける。
そして、息を呑んだ。
ライボルトの青空に、巨大な光が広がっていく。
雲でもない。
魔法陣でもない。
光は空そのものを巨大なスクリーンへ変えるように四角く形を整え、やがてそこに一人の人物の姿を映し出した。
街中から悲鳴とどよめきが上がる。
そして――。
『人間の皆様』
空から声が降ってきた。
『貿易都市ライボルトを受け渡す準備は、できましたでしょうか?』
魔王軍からの、最後通告だった。




