第25話 要求
グラハムは玉座に深く腰掛けたまま、重々しく口を開いた。
「魔王軍から通達があった」
謁見の間に、低い声が響く。
先ほどまで漂っていた和やかな空気は、もうどこにもない。赤い髭を蓄えたグラハムの顔には、一国を背負う王としての厳しさが浮かんでいた。
「要求は一つ」
そこで言葉を区切る。
「――北の海上貿易都市、ライボルトを引き渡せ」
「ライボルトを……?」
ゼクスは眉をひそめた。
ソレスティア王国北部に位置するライボルトは、大陸各地から商船が集まる巨大な貿易都市だ。
国外から運び込まれる食料。鉱石。武器。魔法道具。
そして、それらを王国全土へ送り出す物流の要衝。
奪われれば、一つの都市を失うだけでは済まない。
王国そのものの血管を押さえられるようなものだ。
「無条件で都市を明け渡せば、それ以上ソレスティア王国へ侵攻するつもりはない――そう言っている」
グラハムの眉間に、深い皺が刻まれる。
「そして最後に、こう付け加えられていた」
嫌な予感がした。
「――『第二のルナグレイヴにならぬよう、賢明な判断を期待する』とな」
「…………!」
シルクの顔から、表情が消えた。
白いドレスの裾を握る手に、ぎゅっと力が入る。
次の瞬間。
ふわり。
長い髪が逆立った。
風など吹いていない。
それでも、抑えきれない感情に呼応するように髪が揺れ、シルクの周囲に張り詰めた空気が生まれる。
ゼクスは思わず彼女を見た。
怒っている。
声を荒らげるわけでもない。
歯を剥き出しにするわけでもない。
だからこそ、怖い。
「……分かりました」
シルクがぽつりと呟いた。
「何がだ?」
グラハムが問い返す。
シルクはゆっくりと顔を上げた。
「魔王軍が、どうしてルナグレイヴを襲ったのか」
「…………」
「ルナグレイヴの沿岸部は地形が入り組んでいます。大きな船を接岸させるのにも向いていない。魔大陸から近いとはいえ、軍事拠点として占領する価値はそれほど高くありません」
それでも魔王軍はルナグレイヴを襲った。
街を焼き。人々を殺し。
シルクから家族を奪った。
「……最初から、占領するつもりなんてなかった」
その声が震えた。悲しみではない。
怒りだ。
「近かったから」
シルクの拳が固く握られる。
「見せしめにするのに、都合がよかったから」
ゼクスの奥歯が噛み締められた。
ようやく一本の線に繋がった。
ルナグレイヴを徹底的に破壊する。
そして、その惨状を王国全土へ知らしめる。
次はお前たちだ、と。
「ルナグレイヴを潰したのは、ライボルトを戦わずして奪うため……」
シルクはグラハムを真っ直ぐ見据えた。
「最初から、本命はライボルトだったんです」
謁見の間が静まり返った。
グラハムは目を閉じる。
数秒。
やがて瞼を開いた時、その瞳には明確な決意が宿っていた。
「――無論」
赤い髭の奥から、低い声が響く。
「我々は戦う」
迷いはなかった。
「ライボルトを明け渡したところで、魔王軍が約束を守る保証などどこにもない。一度要求を呑めば、次は別の街。その次は領土。その次は――この王都だ」
グラハムが玉座の肘掛けを強く握る。
「ライボルトは渡さぬ」
王の声が響き渡った。
「ここを抜かれれば、王国北部から敵軍が雪崩れ込んでくる。今後の戦局を左右する、最初の大防衛戦になると考えていい」
「応!!」
突然の大声が響いた。
全員の視線がゼクスへ集まる。
ゼクスは立ち上がり、拳を掌へ打ちつけていた。
その赤い短髪の下で、口元が好戦的に吊り上がっている。
「そうこなくては!!」
「坊ちゃん」
隣のユーリが眼鏡を押し上げる。
「戦争が始まる話を聞いて、嬉しそうな顔しないでください」
「いや、違うって! 叔父上が降伏するとか言い出さなくて安心しただけだから!」
「顔が完全に戦いたい人のそれですよ」
「…………」
否定できなかった。
シルクの口元にも、ほんのわずかに笑みが戻る。
グラハムはそんな甥を見て小さく息を吐いたあと、再び王の顔へ戻った。
「ライゼクスタ。勇者イロハ。そしてシルクハティ嬢、ユーリ」
「はい」
「君たちには、王国軍に先行してライボルトへ向かってもらいたい」
ゼクスも表情を引き締める。
「ライボルト侯爵にはすでに話を通してある。現地へ到着次第、彼と協力して民衆の避難を進めてくれ」
「敵が来る前に、街を空にするんだな」
「そうだ」
グラハムは頷く。
「王国軍本隊は、準備が整い次第デイスターを発つ。君たちには先行隊として、現地の状況確認と避難誘導を頼みたい」
「分かりました」
ゼクスは力強く頷いた。
「任せてくれ、叔父上」
◇
そして翌朝。
ゼクスたちは王都デイスターを発った。
目指すは北方。
海上貿易都市――ライボルト。
王都を離れてからしばらくは、何事もなく旅は続いた。
だが。
ライボルトまで、あとわずか。
街道が険しい峡谷へ差しかかった、その時だった。
ヒュッ――。
「……ん?」
ゼクスの耳が、風を切る鋭い音を捉えた。
直後。
ガンッ!!
一本の矢が、馬車の側板へ突き刺さった。
「敵襲!!」
――山賊だ。
魔王軍との戦いを目前にして。
今度は、人間が立ちはだかった。




