第22話 ラストピース
「……どうして、私の名前を知ってるの?」
シルクの問いに、スカイアはすぐには答えなかった。
森を渡る風が白い髪を揺らし、その向こうで風の精霊は、何かを確かめるようにシルクをじっと見つめている。
「風はいろんなところを旅するものよ。だから、あなたの名前くらい知っていても不思議じゃない――なんて言ったら、納得する?」
「……しない」
「でしょうね」
スカイアは小さく笑った。
「あなたのことは、ずっと前から知っていたわ。どうして知っているのかも含めて、今から話す」
「私のことを……?」
「ええ。あなたは神託にある、最後のピースだから」
「私が……最後のピース!?」
シルクの声が、静まり返った森に響いた。
信じられないと言いたげに自分の胸元へ手を当てると、白を基調とした冒険者風のドレスが、森を抜ける風にさらさらと揺れる。
ゼクスも驚いていた。
シルクがただの人間ではないことは、もちろん知っている。仮面の力によって白銀の獣人へと姿を変え、さらに巨大な狼へ変身することも、その姿で魔物を圧倒するほどの力を発揮することも、この目で見てきた。
だが、それが魔王討伐の神託そのものに関わっているなど、考えたこともなかった。
「白銀の神獣って……シルクのことなのか?」
「正確には、少し違うわね」
スカイアはゆっくりとシルクへ歩み寄った。緑と黄色を基調としたゆったりとしたトップスが風を孕み、すらりと伸びたパンツの裾が草を撫でていく。
やがてシルクの前まで来ると、その胸元を指差した。
「あなた、自分の中に“狼”がいるでしょう?」
「……!」
シルクの表情が強張った。
「確かに……狼になる時、記憶が飛ぶことがあるけど」
自分でも説明できない何かを探るように胸元を押さえる。
「気がついたら森を走ってたり、何をしてたのかほとんど覚えてなかったり……」
「でしょうね」
スカイアは驚くこともなく、やはりそうかと納得したように頷いた。
「あれは、単なる変身じゃない」
「でも」
スカイアは続ける。
「あなたのお母さんが残した魔法が、別の何かだったという意味じゃないわ。あの魔法は間違いなく、あなたを守るために残されたものよ」
「お母さんの……」
「ええ。ただ、そのもっと奥にあるものまでは、きっとあなた自身もまだ知らない」
風が吹き、シルクの白い髪がふわりと揺れる。
「あなたの中には、別の存在が眠っている」
「別の……存在?」
シルクは胸元へ当てた手に、わずかに力を込めた。
「それって……何なの?」
スカイアは、すぐには答えなかった。
穏やかな瞳でシルクを見つめてから、ゆっくりと首を横へ振る。
「それは、私の口から教えることじゃないわ」
「……?」
「あなた自身が、その子と出会って確かめるの」
知らない何かが、自分の中にいる。
そう考えた瞬間、シルクの顔にほんのわずかな不安が浮かんだ。
「……怖くないって言ったら、嘘になるけど」
それでも逃げるように目を逸らすことはなく、胸元へ手を当てたままスカイアを見返す。
「知りたい。その子のこと、ちゃんと知りたい」
「それでいいのよ」
スカイアの眼差しが、少しだけ柔らかくなった。
「怖がる必要はないわ。少なくとも、その子はあなたを傷つけようとしているわけじゃない。だから、押さえ込むんじゃなくて対話してあげて。その子が何者なのか、何を望んでいるのか。そして――あなた自身が何を望んでいるのか」
スカイアは自分の胸元へ手を置いた。
「あなたとその子が共に成長すること。それが、これからの鍵になる」
ゼクスは黙ってシルクを見る。
彼女の中にいる狼。
思い当たることはあった。
初めて出会った夜もそうだ。人の姿に戻ったシルクは、狼として過ごしていた時のことをすべて覚えていたわけではない。ずっとベルの残した変身魔法の影響だと思っていたが、そのさらに奥に、別の何かが存在しているのだとしたら――。
――あの狼自体に、何かがいる?
「……なるほど」
隣でユーリが呟いた。
眼鏡の奥の瞳が、研究者らしい鋭さを帯びている。
「ベル姉さんが残した資料には、白銀の狼はルナグレイヴの守り神だと記されていました」
「守り神……」
「ええ。私はてっきり、土地に伝わる信仰や伝承の類いだと思っていましたが……」
ユーリはシルクを見る。
「まさか、神託にまで関わる存在だったとは」
シルクは何も答えず、ただ自分の掌をじっと見つめている。
そこへスカイアが手を伸ばした。
「シルクハティ」
「え?」
「手を貸して」
おそるおそる差し出されたシルクの手を、スカイアが両手で包み込む。
その瞬間、二人の間から風が舞い上がった。
「……っ!?」
シルクの白い髪が大きくなびき、繋いだ手から溢れ出した緑色の光が、細い筋となって彼女の腕を駆け上がっていく。
ゼクスは反射的に一歩踏み出しかけたものの、シルクに苦しんでいる様子はない。むしろ彼女は驚いたように目を見開き、自分の胸元へそっと手を添えた。
「……あったかい」
淡い光が、その奥へ吸い込まれていく。
「なんだろう……誰かが、いるような……」
シルクは目を閉じ、その感覚を確かめるようにしばらく動かなかった。
やがて光が収まり、森に再び静かな風が戻ってくる。
「今のは?」
「きっかけを与えただけよ」
スカイアはシルクの手を離した。
「私の力で無理やり目覚めさせても意味がないもの。あなた自身が、その子との繋がりを深めないと」
そして、一本ずつ指を立てるように続ける。
「私だけじゃない。地、水、火――他の精霊たちにも会いなさい。私たちと出会い、その力に触れるほど、あなたの中に眠るものとの繋がりも、少しずつ深まっていくはずよ」
「…………」
シルクはしばらく自分の掌を見つめていたが、やがて決意するようにぎゅっと拳を握った。
「お母さん……」
小さな声だった。
それでも、ゼクスの耳には届いた。
「私、頑張るから」
その横顔から迷いが消えたわけではない。
それでも、自分の中に眠る何かから目を逸らさず、前へ進もうとしている。
ゼクスは何も言わず、その姿を見守った。
「――さて」
突然、スカイアの声色が変わった。
「そこの男二人」
「ん?」
「はい?」
スカイアが人差し指をくいくいと曲げる。
「ちょっとこっち」
ゼクスとユーリは顔を見合わせた。
「なんだ?」
「いいから」
二人が近づくと、スカイアはちらりとシルクの様子を確認してから、声を潜めた。
「……あの子、結構危ないかもしれない」
ゼクスの表情から笑みが消えた。
「どういう意味だ?」
「復讐よ」
スカイアの声から、先ほどまでの軽さが消える。
「両親を殺されて、故郷を滅ぼされて、それでも魔王を倒すために旅を続けている。あの子はちゃんと笑うし、泣くし、怒る。それ自体は何もおかしくないわ」
「だったら……」
「逆なのよ」
スカイアは静かに首を横へ振った。
「怒るたびに、自分で止めてる。泣いても前を向こうとする。憎しみに飲まれないように、ずっと自分を律してる」
「…………」
ゼクスは反射的にシルクを見る。
少し離れた場所で、彼女はまだ自分の手を見つめていた。
確かにシルクは笑う。冗談も言う。自分やユーリと一緒に食卓を囲めば、楽しそうに料理を食べるし、時にはくだらないことで拗ねたりもする。
けれど、ルナグレイヴのことになると、ほんの一瞬だけ見せる顔があった。
両親のことを口にした時。
滅ぼされた故郷を思い出した時。
感情が溢れ出す、その寸前で蓋をするような顔。
「感情が消えたわけじゃない。むしろ逆。あの子の中には、まだ全部残ってる」
スカイアが囁く。
「だから怖いの。止め続けたものには、いつか限界が来る」
ゼクスの胸の奥が、わずかにざわついた。
「いつか本当に両親の仇を目の前にした時――」
一瞬、冷たい風が三人の間を吹き抜ける。
「全部、噴き出すかもしれない」
ゼクスは何も言わず、ただ拳を握った。
「もしそうなったら」
スカイアが二人を見据える。
「あの子を止めて」
「…………」
「復讐するなって意味じゃない。復讐のために、自分まで壊すなってことよ」
ゼクスはもう一度、シルクを見る。
そして、静かに答えた。
「ああ。でも――復讐を諦めさせる気はない」
スカイアがゼクスを見る。
「あいつがそれを望んでるなら、俺は最後まで付き合う。仇がいるなら、一緒にぶん殴りに行く」
それが正しいのかなんて、ゼクスには分からない。
けれど、シルクが両親を殺され、故郷を奪われた痛みまで、他人が綺麗事で消していいとは思わなかった。
「ただ、そのせいでシルク自身が壊れそうになったら――ちゃんと連れ戻す」
スカイアはしばらくゼクスを見つめていた。
やがて、ほんの少しだけ口元を緩める。
「それでいいわ」
「言われるまでもありません」
隣でユーリも静かに頷いた。
「よろしい」
スカイアは満足そうに笑うと、パンッと手を叩いた。
「はい! じゃあ今日は解散!」
「切り替え早いな!?」
「勇者と合流したら、また話しましょう」
「……ん?」
ゼクスは眉をひそめた。
「また話すって、どういうことだ?」
勇者はすでに王都へ向かった。
自分たちもこれから追いかけることになるのだから、なぜスカイアまで「また話す」ことになるのか。
しかし、スカイアは答えない。
代わりに、妙に意味ありげな笑みを浮かべた。
「会えば分かるわよ」
「なんだよ、それ」
「それに――」
スカイアの視線が動く。
ゼクスではない。
シルクでもない。
ユーリへ。
「……?」
ユーリが怪訝そうに眉を寄せると、スカイアはますます楽しそうに笑った。
「“勇者”って――案外、あなたたちの知ってる人かもしれないわよ」
森の奥で、風が悪戯っぽく吹き抜けた。




