第21話 シルフ・スカイア
ランプの花が作り出した光の道を辿り、三人はようやく森の最奥へと辿り着いた。
そこだけは、今まで歩いてきた森とは明らかに空気が違っていた。
目の前にそびえているのは、ゼクスが両腕を広げたところで到底抱えきれないほどの巨木だった。樹齢千年――いや、それ以上と言われても信じられるほど太い幹が大地から伸び、天を覆う枝葉の隙間からは木漏れ日が幾筋も差し込んでいる。地表へ露出した太い根は、まるで大地そのものを掴む巨大な指のように地面を這っていた。
その根元には、人が数人並んでも通れそうなほど大きな洞が、ぽっかりと口を開けている。
「……ここか」
ゼクスは思わず足を止めた。
洞の奥から吹いてくる風はひんやりとして心地いい。それなのに、空気そのものが細かく震えているような感覚があり、剣を握っているわけでもないのに掌までびりびりと痺れてくる。
――すごいな。
魔力を持たないゼクスでさえ分かる。
何かがいる。
それも、今まで出会ってきた魔物とは比べものにならないほど強大な何かが。
だが、不思議と恐怖はなかった。敵意も殺気も感じない。ただ圧倒的な存在感だけが、洞の奥から静かに溢れている。
隣では、白い冒険者風のドレスを纏ったシルクも息を呑んでいた。後方に立つユーリは長い青髪を揺らしながら眼鏡の位置を直し、いつでも杖を構えられるよう周囲へ視線を巡らせている。
ゼクスは二人を見てから、小さく頷いた。
「行こう」
三人で巨木の根元へ踏み込んだ、その時だった。
「――いらっしゃい」
少女の声がした。
「……?」
ゼクスが足を止め、周囲を見回す。
「こっちよ」
「……ん?」
声のした方へ目を凝らすと、木漏れ日の中から小さな人影がふわりと舞い降りてきた。
少女だ。
ただし、その身体はゼクスの手のひらに乗ってしまいそうなほど小さい。
緑と黄色を基調とした妖精風の衣装を纏い、背中には透き通った二対の羽が伸びている。羽ばたくたびに淡い光の粒子がこぼれ、森を漂っていた風までもが、少女を中心に緩やかな渦を描いていた。
見た目だけなら、可愛らしい妖精としか思わなかっただろう。
だが、その小さな身体から放たれる存在感を真正面から浴びた瞬間、ゼクスの表情から笑みが消えた。
――なんだ、この圧。
殺気でも威嚇でもない。ただそこに浮かんでいるだけなのに、本能が理解してしまう。
目の前にいるのは、人間とはまるで異なる次元の存在だ。
「そんなに警戒しなくてもいいわよ」
妖精の少女はくすりと笑うと、空中でくるりと身体を翻した。
「この姿だと話しづらいわね。こっちの方がいいかしら」
その身体を柔らかな緑色の光が包み込むと、突然、洞の中を吹き抜ける風が強くなった。ゼクスが思わず外套を押さえる中、舞い上がった木の葉の向こうで、小さかった少女の輪郭がするすると伸びていく。
やがて光が消える。
「……おお」
そこに立っていたのは、一人のエルフだった。
背丈はシルクと同じくらいだろうか。緑と黄色を基調とした服装は妖精の時と共通しているが、上半身は風を孕むようなゆったりとしたトップス、下半身はすらりとした脚の線を見せるパンツスタイルへと変わっている。
姿形は変わっても、先ほどまで空中を舞っていた小さな妖精と同じ気配がした。
「改めまして」
少女は胸元へ手を添え、三人へ穏やかな笑みを向けた。
「私は風の精霊――シルフ・スカイア」
「あなたが……」
ゼクスは思わず呟いた。
四大精霊の一柱。
その名は、王都にいた頃から何度も聞いたことがある。
スカイアは三人の顔を順番に見回すと、どこか楽しそうに口元を緩めた。
「それで、あなたたちがここへ来た理由だけど――」
すっと人差し指を立てる。
「大体予想はつくわ。神託の件でしょう?」
「話が早くて助かる」
ゼクスは一歩前へ出た。
「俺たちは勇者に会いに来たんだ」
そして、冒険者たちの間で知られるその名を口にする。
「――“剣神・神風”」
凄腕の冒険者にして、神託を受けて勇者となった人物。まだ顔も本名も知らないが、その力が魔王討伐に必要なら、どうしても仲間に加えたかった。
「共に魔王と戦うために、ここまで来た」
「ああ」
スカイアは納得したように頷いたものの、すぐに少し困ったような表情で眉尻を下げた。
「それなら残念」
「え?」
「ちょうど行き違いよ。私の試練を突破して精霊の力を得たあと、王都デイスターへ向かったわ」
「…………」
ゼクスは固まった。
テンペストまで来て、冒険者ギルドで話を聞き、そこからシルフの森まで足を運んだ。途中でキリングベアやゴブリンに襲われ、おまけに森の中を何度もぐるぐる回り、ランプの花に導かれてようやく最奥へ辿り着いたというのに――。
「うわっ……本当に行き違いじゃん」
がくりと肩を落とす。
「まあ、王都へ戻れば会えるでしょう」
ユーリが慰めるように言った。
「そうなんだけどさあ……」
また来た道を戻るのか。
そんなことを考えていると、スカイアが小さく笑った。
「でも」
その声に、ゼクスは顔を上げる。
「あなたたちも、ここまで来た意味はあるわよ」
「俺たちも?」
「ええ」
スカイアの表情から、先ほどまでの軽さが消えた。
同時に、それまで洞を吹き抜けていた風が止まり、ざわめいていた木々までが静まり返る。まるで森全体が、彼女の次の言葉を待っているようだった。
「神託の全文を、あなたたちは知っている?」
「全文……?」
ゼクスは眉を寄せた。
その反応を見たスカイアが、わずかに目を細める。
「やっぱり。人間たちに伝わっているのは、勇者についての部分だけなのね」
「どういうことだ?」
「神託には、まだ続きがあるのよ」
スカイアは三人を見渡してから、静かにその全文を告げた。
「――『勇者は四大精霊の力を得て、白銀の神獣と共に魔王を討て』」
「白銀の……神獣?」
その言葉が、妙に引っかかった。
ゼクスは無意識に隣を見る。
シルクもまた何かに気づいたように目を見開き、その隣ではユーリの表情から、それまでの穏やかさが消えていた。
「まさか……」
「ええ」
スカイアの視線が、一人へ向けられる。
白を基調としたドレスを纏い、その身の内に人ならざる獣の姿を秘めた少女。
スカイアは真っ直ぐに彼女を見つめた。
「最後のピースは、あなたよ」
そして、まだ誰も名乗っていないはずの、その名を口にする。
「――シルクハティ=ルナグレイヴ」
「……え?」
シルクの目が見開かれた。
「どうして……私の名前を知ってるの?」
スカイアは答えない。
ただ、すべてを知っているかのようにシルクを見つめている。
森を渡る風が再び吹き始め、シルクの白い髪を静かに揺らした。




