第18話 小さな嫉妬と冒険の開始
「……そんなことがあったんだ」
シルクは、なんとも言えない顔で呟いた。
食事を終えた共同厨房には、まだバターと炒めた米の香ばしい匂いが残っており、目の前ではユーリが空になった皿を重ねている。先ほどまで見事な手際で料理を作っていた男に、まさかそんな過去があったとは思わなかった。
「まあ、普通にしてればいい人だったんだけどなあ」
ゼクスは椅子の背もたれへ身体を預け、当時を思い出すように天井を見上げた。
「美人で、スタイルも良くて、気さくなお姉さんって感じでさ」
「…………」
シルクの眉が、ぴくりと動いた。
「話してて面白かったし――」
そのとき、不意にシャツの裾をくいっと引かれ、ゼクスが「ん?」と視線を落とすと、シルクの細い指がしっかりとそこを摘まんでいた。
「ゼクス」
「はい」
呼びかける声が妙に低い。まだ何も言われていないというのに、なぜかゼクスの背筋が自然と伸びた。
シルクは口元に笑みを浮かべながら、じっとゼクスを見上げている。
しかし、目が笑っていない。
「あなたは私が好き。――そうでしょ?」
「はい」
即答だった。
むしろ、他に何と答えろというのか。
しばらくゼクスの顔を見つめていたシルクは、その答えにようやく満足したのか、シャツを摘まんでいた指から力を抜いた。
「ならいいの」
ふいっと横を向いた白い頬はわずかに膨らみ、ほんのりと赤みが差している。
そんな横顔を見ているうちに、ゼクスの口元は自然と緩んだ。
怖い。怖いのだが――。
(……嫉妬してるの、かわいいな)
「何?」
「なんでもない」
「なんで笑ってるの?」
「笑ってないよ」
「笑ってる」
再びジト目が突き刺さり、ゼクスがどう誤魔化したものかと考えていると、食器を片付けていたユーリが呆れたように割って入った。
「はいはい。お熱いようで。人の過去の失敗談を聞いた直後に、よくそこまでいちゃつけますね」
「いちゃついてない!」
シルクは即座に否定したが、ゼクスは特に否定しなかった。
「それより、明日はシルフの森へ行くんでしょう?」
ユーリは洗った皿の水気を布で拭き取りながら、窓の外へ視線を向ける。すっかり日は落ち、テンペストの夜空には星が瞬き、宿舎の窓から漏れる明かりが石畳を淡く照らしていた。
「ああ」
ゼクスは椅子の背もたれから身体を起こすと、それまでの緩んだ表情を引き締めた。
「勇者と合流する。それから、できれば仲間になってもらう」
神託を受けた勇者。
自分たちより一足先にシルフの森へ向かったという、まだ顔も知らない人物。
「俺たちだけじゃ、魔王軍と戦うには力が足りない。勇者と共闘して――」
そう口にした瞬間、ゼクスの脳裏に灰に覆われたルナグレイヴの光景が蘇った。
焼け落ちた家々や地下に取り残された人々、そして何より、魔王軍によってシルクから奪われたものを思い返しながら、ゼクスは自分の掌を見つめて強く握り締める。
「魔王を倒す」
声は静かだったが、そこに迷いはなかった。
シルクも何も言わず、そんなゼクスの横顔を見つめていた。
「……どんな奴なんだろうな、勇者って」
少しだけ重くなった空気を和らげるようにゼクスが笑うと、ユーリが眼鏡の位置を直した。
「噂では、相当な凄腕らしいですよ。二つ名は“剣神・神風”。冒険者には白からプラチナまで実力に応じたランクがありますが、その勇者は登録してから恐ろしい勢いで依頼をこなし、一気にプラチナまで駆け上がったとか」
「プラチナ……そんなに強いんだ」
シルクの瞳が期待に輝く。
「ええ。テンペストでもかなり有名な冒険者のようです」
「だったら、一緒に戦ってくれたら心強いね」
「ああ」
ゼクスも頷いた。
どんな人物なのかは、まだ分からない。気難しい相手かもしれないし、自分たちとは考え方が合わない可能性だってある。
それでも、同じ敵を見据える者なら、きっと共に戦える。
「よし!」
ゼクスは両手で膝を叩くと、勢いよく立ち上がった。
「考えるのは会ってからだ。今日は明日に備えて休もう!」
「そうね」
「賛成です。シルフの森までは、それなりに距離がありますからね」
そうして三人は明日の出発に備え、それぞれの部屋へと戻っていった。
明日には勇者と出会える。
ゼクスは、そう信じていた。




