第15話 南方都市テンペスト
――テンペスト。
ソレスティア王国の首都デイスターから、遥か南に位置する交易都市だ。
王都へ続く街道と、南方諸国へ伸びる交易路。その二つが交わるテンペストには、朝から晩まで絶えず人と物が行き交っている。
石畳の大通りを、荷物を満載した馬車がガラガラと音を立てて走っていく。その向こう、人波と建物の屋根を越えて見えるのは、街の中心にそびえる巨大な時計台だった。
四方へ向けられた大時計は、街のどこからでも時刻を確認できるほど大きく、その下には国内外でも最大規模を誇る冒険者ギルドの本部がある。
この街を初めて訪れた冒険者でさえ、ギルドの場所を尋ねる必要はない。
時計台を目指せばいい。
それがそのまま、この街に集う冒険者たちの道標なのだから。
道の両脇には商店や露店が軒を連ね、店先からは威勢のいい呼び込みの声が飛び交っていた。焼きたてのパンの香ばしい匂いに、串焼きの肉から滴る脂の匂いが混じり、馬車が通り過ぎれば、馬と土埃の匂いがそれらを一瞬だけかき消していく。
ルナグレイヴで見た、焼け落ちた街並みとはまるで違う。
ここには人の営みがあり、笑い声があり、当たり前のように今日を生きて、明日を迎えようとしている人々がいる。
そんな街の雑踏を、ゼクスたち三人は時計台を目印に並んで歩いていた。
テンペストの冒険者ギルドには、周辺に生息する魔物の討伐から、商隊の護衛、薬草や鉱石の採取まで、危険を伴う仕事が国内外から集まってくる。そのため、この街はいわば南方最大の冒険者たちの拠点でもあった。
当然、すれ違う人々には武装した者も多い。巨大な斧を背負った大男がいれば、杖を手にしたローブ姿の魔術師もおり、その脇を弓と矢筒を背負った軽装の女性が追い抜いていく。
そんな個性的な人間が珍しくない街だというのに、道行く人々がちらり、ちらりとこちらを振り返っていた。
「…………」
シルクは居心地が悪そうに、白いドレスの裾を摘まんだ。
白を基調とした冒険者風のドレスは、旅装として動きやすく仕立てられている。それでも長い旅路を歩く冒険者たちの中ではどこか華やかで、何より目を引くのは、その衣装をまとった少女自身だった。
背中まで流れる白銀の長髪が歩くたびにさらりと揺れ、白く透き通るような肌には、赤い宝石を思わせる瞳がよく映える。その鮮烈な色彩は人混みに紛れてなお存在感を失わず、否応なく周囲の視線を引き寄せていた。
「やっぱりシルク、目立つな」
隣を歩いていたゼクスが、周囲を見回して笑う。短く整えられた赤髪が風を受けて揺れ、その身体には胸や肩などの急所だけを守る軽鎧を身につけ、その上から旅用の外套を羽織っている。腰には使い慣れた片手剣、腕には小盾、さらに背中には弓まで背負っており、今の姿だけを見れば貴族というより、すっかり旅慣れた冒険者だった。
「……やっぱり?」
シルクは周囲から注がれる視線を気にしながら、自分の身体を見下ろした。
「獣人の姿の方が、目立たないかな?」
「いや」
即座に否定したのはユーリだった。
長い青髪を後ろで一つにまとめ、学者を思わせるシャツとパンツの上から外套を羽織っている。手には杖を持ち、腰には術式を補助するガーダーが下がっており、歩くたびに小さく揺れていた。
「そっちの方が目立つでしょう」
「そうかな……」
シルクが首を傾げる。
どうやら本人には、自覚がないらしい。
ゼクスは少し考えてから、うん、と頷いた。
「まあ、どっちの姿でも俺は好きだけど」
「…………」
シルクの足が一瞬止まり、白い頬がほんのりと赤く染まる。
「……そういうこと、さらっと言うよね。ゼクスって」
「本当のことだし」
悪びれる様子すらない。
その横で、ユーリは眼鏡の位置を指先で直した。
(……坊ちゃん、本当に姿はどうでもいいんですね)
もちろん、口には出さない。
そんな他愛のないやり取りを交わしながら大通りを進んでいくと、やがて建物の列が途切れ、視界が一気に開けた。
街の中心に設けられた大広場。その正面には、先ほどから三人の頭上に見え隠れしていた巨大な時計台がそびえ立っている。
――冒険者ギルド。
時計台を中心として左右へ翼を広げるように建つギルドハウスは、国内外最大規模を謳うだけあって、もはや一つの施設というより巨大な酒場と宿屋、それに商館までをまとめて押し込んだような威容だった。
分厚い木製の扉を押し開けた途端、むわっとした熱気が三人を迎える。
酒や焼いた肉の匂いに、汗と革製品の匂いまでが入り混じり、ジョッキがぶつかる音や豪快な笑い声、依頼を巡って言い争う声までが絶え間なく響いている。建物の中は、外の大通りにも負けない活気に満ちていた。
「おお……」
ゼクスが思わず声を漏らす。
壁一面を覆う掲示板には、びっしりと依頼書が貼られていた。その前では冒険者たちが報酬や条件を見比べ、奥に併設された酒場では、まだ日も暮れていないというのに出来上がった男たちが肩を組んで歌っている。
いかにも冒険者ギルド。
そんな光景を横目に、三人は人混みを抜けて受付へ向かった。
「すみません。少し尋ねたいんですけど」
「はいはーい」
受付に座っていた女性が顔を上げ、ゼクスはカウンターへ少し身を乗り出した。
「神託を受けた勇者が、この街に来ていると聞いたんですが」
「ああ、勇者様ね。“剣神・神風”」
その二つ名だけですぐに思い当たったらしく、受付嬢はぽんと手を叩いた。
「それなら、もう街にはいないわよ」
「えっ」
「精霊の試練を受けるんだって。今朝、シルフの森へ向かったわ」
三人の間に、なんとも言えない沈黙が落ちた。
ここまで来たというのに、ほんの少しの差でまた先へ行ってしまったらしい。
「入れ違いかぁ……」
ゼクスががくりと肩を落とす。
「昨日着いたばっかりだったんだけどねえ。ギルドで情報を集めたと思ったら、今朝にはもう出発しちゃったのよ」
「ずいぶん行動が早い人ですね」
ユーリの言葉に、受付嬢は苦笑した。
「勇者様だから、って言えばいいのかしらね。かなり変わった人だったけど」
「変わった?」
ゼクスが顔を上げる。
「まあ、その辺は会えば分かると思うわ」
受付嬢はそこで話を切ると、思い出したように人差し指を立てた。
「そうそう。あなたたちもシルフの森へ行くつもりなら――『ランプが道を示す』。覚えておいて」
「……ランプですか?」
ユーリが首を傾げる。
「ええ。森に入れば分かるわ」
それ以上説明する気はないのか、受付嬢はにこりと笑うだけだった。
三人は顔を見合わせる。
「森でランプってことは、夜道に気をつけろってことかな」
「おそらく。用意しておいて損はないでしょう」
ユーリの言葉にゼクスも頷き、ギルドに併設された雑貨店で、森歩きに使える小型のランプを一つ購入しておくことにした。
時間は過ぎ、窓から差し込む陽光はいつの間にか橙色を帯びている。今から土地勘のない森へ入るのは、さすがに危険だろう。
ゼクスは頭を掻いた。
「しょうがない。今日はもう遅いし、ギルドの宿舎に泊めてもらおうか」
「賛成」
シルクも素直に頷いた。
すると受付嬢が宿舎について簡単に説明してくれた。どうやら宿泊者用の共同厨房もあり、食材さえ用意すれば自由に使っていいらしい。
それを聞いた途端、ゼクスの口元がにやりと上がった。
「へえ。厨房、借りられるんだ」
その視線が、ゆっくりとユーリへ向く。
「…………」
ユーリは嫌な予感を覚えたのか、わずかに眉を寄せた。
「なあ、ユーリ」
「なんです?」
「せっかくだし、お前の腕前見たいなあ」
「…………」
しばしの沈黙。
やがてユーリは、杖を持っていない方の手で眼鏡を押し上げた。その口元には、なぜか不敵な笑みが浮かんでいる。
「……ふっ。いいでしょう」
妙に自信満々だった。
シルクだけが、二人の顔を交互に見比べる。
「?」
この時のシルクは、まだ知らない。
王宮魔術研究室で何度もゼクスの胃袋を満たしてきた男が、魔術だけでなく料理においても――なかなかに厄介なこだわりを持っていることを。




