第11話 死霊浄化〜ターンアンデッド〜
「――間に合いました!」
背後から、ユーリの声が響く。
ゼクスが振り返る。
ユーリは目を閉じ、杖を静かに構えていた。
その足元には、一つだけではない。
幾重にも重なり合う巨大な魔法陣が、地下いっぱいに広がっている。
細く輝く魔力の線が蜘蛛の巣のように地面を走り、それぞれの術式が複雑に結び付きながら、広大な一つの魔法陣を完成させていた。
青白かった地下世界が、今度は黄金色の光に染まり始める。
ユーリは静かに杖を掲げた。
「ベル姐さん」
懐かしむように、その名を呼ぶ。
目を閉じたまま、胸の奥に眠る記憶を確かめるように、小さく息を吸った。
「……力を貸してください」
その言葉へ応えるように、足元の魔法陣が一つ、また一つと光を灯していく。
離れていた術式が繋がり、独立していた魔法陣が共鳴する。
地下シェルターそのものが、一つの巨大な術式へと変わっていくかのようだった。
ユーリはゆっくりと目を開く。
その瞳には、いつもの穏やかさではなく、一人の魔術師としての鋭い意志が宿っていた。
「魔法陣――極式連結、完了」
杖を振り下ろす。
「――死霊浄化」
次の瞬間。
眩い閃光が地下世界を呑み込んだ。
轟音とともに、無数の光柱が魔法陣から立ち昇る。
神々しい光は、まるで地下へ夜明けそのものを呼び込んだかのようだった。
スケルトンたちの身体を包んでいた紫黒い瘴気が、光に触れた端から消えていく。
アーマースケルトンが苦しげに咆哮した。
「オオオオオオオオオッ!!」
全身を覆う黒い甲冑へ、無数の亀裂が走る。
鎧の隙間から噴き出した瘴気が、光へ呑み込まれていく。
巨大な腕が砕けた。脚が崩れる。
胴体が音を立てて崩壊し、山のような巨体がゆっくりと膝をついた。
最後に残った頭蓋骨。
空洞の眼窩に灯っていた紫黒い光が、ふっと消える。
直後。
頭蓋までもが静かに砕け散った。
先ほどまで何度壊しても再び集まっていた骨は、もう動かない。
白骨はただの白骨へ戻り、石畳の上へ静かに散らばった。
やがて地下を覆っていた黄金の光も、ゆっくりと収まっていく。
静寂が戻った。
ゼクスはしばらく動かなくなったアーマースケルトンの残骸を見つめていたが、ようやく剣を鞘へ納めた。
そして満面の笑みで、親指を突き立てる。
「ナイス、本命!!」
「すごい……!」
シルクも目を輝かせながらユーリを見る。
「あんな魔法を準備してたんですね!」
ユーリは照れくさそうに眼鏡を押し上げ、額に滲んだ汗を袖で拭った。
「まあ……その代わり、簡単には使えませんけどね」
「そうなのか?」
「これだけの術式、戦いながら組めるわけないでしょう」
ユーリは肩で小さく息をしながら苦笑する。
「お二人が前で時間を稼いでくれたから、ようやく完成させられたんです」
「じゃあ、三人で倒したってことだな!」
ゼクスが嬉しそうに笑う。
「そういうことにしておきましょう」
「なんだよ、その言い方!」
そのままゼクスはユーリの肩へ腕を回した。
「こう見えて、こいつ長年俺の護衛やってるんだぜ!」
「ちょっ……近いです」
迷惑そうに押し返すユーリ。
それでもゼクスは意に介さず笑い続ける。
そんな二人のやり取りを見つめていたシルクの口元から、自然と笑みがこぼれた。
「ふふっ」
表情が、ふっと柔らかくなる。
「いいですね」
優しく目を細めた。
「親友って感じ」
ゼクスは首を傾げる。
「俺たちもそうじゃないのか?」
「え?」
思わぬ言葉に、シルクは目を瞬かせた。
ゼクスは当たり前のことを言うように笑う。
「命を預け合ったじゃん」
まっすぐシルクを見つめる。
「もう仲間だろ」
シルクは何も答えなかった。
ただ、その赤い瞳がわずかに揺れる。
家族を失った。故郷も失った。
一人で魔王へ復讐するつもりだった。
そんな自分へ。
目の前の男は、あまりにも当然のように「仲間」と言った。
やがて小さく俯き、息を一つ吸い込む。
「……うん」
顔を上げたシルクは、これまでで一番柔らかな笑みを浮かべていた。
その笑顔を見届けると、ユーリが小さく咳払いをする。
「感動しているところ申し訳ありませんが、まだ終わっていませんよ」
「ん?」
ユーリは地下シェルターのさらに奥へ視線を向けた。
「この先には、第二避難区画があります」
「第二避難区画?」
「ええ。ここはもともと、入口側の生活・生産区画と、その奥の避難区画に分けて造られています」
ユーリは動かなくなったスケルトンたちへ目を落とした。
「もし襲撃の際に避難した人たちが奥まで逃げ込めていて、隔壁を閉じていたなら……」
そこで、シルクが息を呑む。
「まさか……」
「生きている人がいるかもしれません」
次の瞬間。
地下のさらに奥から、かすかに音が響いた。
最初は何なのか分からなかった。
だが、やがて。
「魔物がいなくなったぞー!」
「外へ出られる!」
「畑まで行けるぞ!」
それが人の声だと分かった。
「……!」
シルクの耳が、ぴんと立つ。
聞き間違えるはずがない。
人の声。
故郷の人々の声。
「みんな!!」
弾かれたように駆け出した。
だが。
数歩進んだところで、不意に足が止まる。
「あ……」
白銀の体毛に覆われた腕。
鋭い爪。狼の耳。揺れる尻尾。
シルクは、自分の姿を見下ろした。
みんなが知っている自分は、こんな姿ではなかった。
侯爵令嬢として城で暮らしていた頃の自分。
父や母の隣で笑っていた、人間だった頃のシルクハティ。
もし。
この姿を見たみんなに。
――お嬢様ではなく、魔物だと思われたら。
胸の奥が、ぎゅっと締め付けられた。
やがて地下の奥から、人々が姿を現す。
老人。女性。子ども。
避難生活の長さを物語るように、誰もが疲れた顔をしていた。
服は擦り切れ、何度も繕われた跡がある。
それでも、生きている。
ルナグレイヴの人々が、生きていた。
彼らはシルクの姿を見ると、一様に足を止めた。
地下空間が静まり返る。
誰も声を発しない。
その沈黙が、シルクにはたまらなく怖かった。
ゆっくりとうつむく。
肩が、かすかに震えた。
――やっぱり。
そう思いかけた、その時だった。
人々の列が、静かに左右へ開いていく。
一人の老人が、ゆっくりと前へ歩み出た。
白髪をきっちりと撫でつけた、高齢の男。
頬は以前より痩せ、深い皺も刻まれている。
着ている服も決して上等なものではなかった。
袖にも。裾にも。何度も針を通して修繕した跡が残っている。
長い避難生活が、その姿にはっきりと刻まれていた。
それでも。
背筋だけは、昔と変わらず真っ直ぐに伸びている。
どれほど身なりが変わっても、その立ち姿には侯爵家に仕えてきた者としての気品が残っていた。
老人は白銀の獣人となった少女を、じっと見つめる。
そして。
迷うことなく、深々と頭を垂れた。
「シルクハティ様」




