第6話 ハロープロフェッサー
ドラマチックな展開をします
それは、嵐のような数日間だった。
不妊外来を訪れた一人の「見窄らしいエルフ」
医学の常識をあざ笑うパニック値。想像を絶するレントゲン写真。そこに映った影を抜去する手術は最新のオペ室で敢行された、一世紀にわたる凄惨な生体実験の遺物をすべて剥離・抜去する十時間以上の死闘。手術は無事終わり、容態は安定、そして得られた膨大な医学的発見。
急遽結成された混成医療チームの誰もが、今なおその熱狂の余韻の中にいた。膿盆に次々乗せられていく、延べ400gの黒ずんだ遺物、その有害物の毒を可能な限り漏出させないようにと幾重にも巻き付いた結合組織 それらが医師たちの網膜に焼き付いて離れない。
カンファレンスルームには、深夜にもかかわらず、学生時代のような純粋な熱意が満ちていた。誰もが白衣を乱し、目の下に濃い隈を作りながら、世界で最初の一人になるためにキーボードを叩き、カルテの記録を貪るように打ち込んでいる。
ここで得られた医学的知見、そして人類未踏の症例報告は、彼らの医師としてのキャリアに大きな勲章となるのは間違いない。
だが、奇跡の代償は残酷なまでの超過労働となって彼らの肉体にのしかかる。
日常のルーティンをすべて維持したまま、強引にねじ込まれた歴史的イベントのしわ寄せは、スタッフ全員の体力を限界のその先へと削り取っていた。張り詰めた緊張の糸が切れた者から、ソファやデスクに崩れ落ち、泥のような眠りに沈んでいく。
そんな舞台裏のおかげでインプラント抜去手術から数日後を迎えたファルの病室に、主治医として久しぶりに顔を出すことにした。
「おはようございます どうですか体調は」
「あ、せんせい・・・・ や、やっぱり痩せましたよね!!? 大丈夫ですか?」
「フヘヘ・・・・だ、大丈夫です」
「どうみても大丈夫じゃないやつ、ちゃんとご飯食べて寝ています?」
会話のやりとりが医師と患者で逆転してしまっている。しかし医師が彼女の顔をしっかりと見た瞬間、その疲れや眠気が吹っ飛んだ。
実年齢二千歳、公称97歳の「音無ふあるこ」は、今や二十代前半にしか見えない瑞々しい肌を取り戻していた。顔のむくみが取れ、端整な顔立ちがよりはっきりしている。
120年間、全身を蝕んでいた重金属の枷が消えた瞬間、ファルの肉体は堰を切ったように若返りを始めた。明瞭な色素斑および雀卵斑は急速なターンオーバーによって霧散し、しみひとつない、陶器のような滑らかな肌へと変化しつつあった。
「音無さんは、元気そうでなにより・・・というか、若返りましたね」
「そうですか でもすごい肌がかゆくって・・・昨日お風呂に入れてもらって、もう泡立たないのなんの もう体が脂っこくて・・・」
「あれだけの大手術を受けた数日後に入浴許可が出るまでに回復が早いとは・・・」
「音無さん。まだ確定ではないけれど、君の体の中には、現代医療を根底から覆す何かがあるかもしれない。君が百二十年間、毒に耐えながら超回復を繰り返した結果、獲得してしまった究極の突然変異だ。これは世界を変える革命になるかもしれない」
ベッドの上で、リンゴを齧っていたファルは、
「そうなんですねー。誰かのお役に立てるならよかったです」
と、他人事のように、いつもの頼りない笑顔を浮かべた。
枷が外れても、彼女の左耳のV字カットは欠損したままであり、新しく生えてきた髪も、安ワインのような赤紫色のままだった。それが、彼女がかつて受けた地獄の日々の烙印なのかもしれない。
そんなことを考えていたら総合病院の院長が走って病室に入ってきた。薄い頭髪が汗でぐっしょりぬれてねじれバーコードになっている。
ねじれバーコードは怒りなのか焦りなのか喜びなのか読めない複雑な表情をしてゼイゼイと肩で息をすると話し始めた。
院長曰く「知の巨人」アレン・エーバーハルト教授が、この総合病院に来るという連絡があったということ。それは本当なら一大事な話だ。
「そんな馬鹿な」と笑い飛ばした。
「それなら僕のところにまず連絡が・・・」と言い出した瞬間、背中にいやな汗をかく。
メールボックスにはそれらしいメールは来ていない。もしや・・・と思ってメールボックスの迷惑メール入れをチェックする。
そこには連絡が王立遺伝学研究所、さらには欧州エルフ学術評議会から鬼のような数の問い合わせの連絡が入っていた。
自分のミスに卒倒する。このことは・・・・ねじれバーコードには言わないでおこう・・・。
次の日、厚生労働省と外務省からの連絡が入り、病院の廊下にはSPが下見にやってきた。
やはり本当に来るらしい。
運命の神様はよほど趣味が悪いのか。まるでB級の喜劇映画と医療サスペンスをちゃんぽんしたようなことになる。
*
「知の巨人」が来着するまで、残り一時間。
主治医である私は、外科病棟のテラスへと続くスロープで、頭を抱えてしゃがみ込んでいた。
「どうして・・・どういうドジをするとこうなるんですか! 音無さん……っ!」
「ご、ごべんひゃはい(ごめんなさい)、ぜんぜい……」
音無ふあるこ の顔面は、見るも無惨な姿に腫れ上がっていた。
理学療法士の話によると、術後の予後は相変わらず異常によく、緑を見たいということもあり、体を動かすにも公園がいいだろうとのことで、気を利かせて井の頭公園に連れて行ったという。
園内にある森の中、可愛い猫を見つけ、その猫を触りたいと追いかけた音無さんは、しげみの中まで追いかけていったらしい。
茂みの中には運悪くキイロスズメバチの巣があったらしく、顔面を執拗に襲われてしまった・・・・とのことである。
普通の人間であれば、スズメバチに顔を何度も刺されたというのは生死に関わる重大案件ではあるが、音無ふあるこはエルフである。100年もの間重金属を代謝し続けた百戦錬磨の免疫系を考えると、命に関わることはあるまい。
しかしエルフの超回復力のため、組織の超急速な炎症・浮腫を最大出力で行った結果、完熟したマウンテンゴリラ(?)のように変わり果てているのであった。
まぶたの浮腫のせいで完全に目が塞がっており、「前が見えないよぉ…」と涙をこぼしている。顔が腫れている以外は体温も平熱……エルフの免疫システムはどうなってるんだ。……いや、そんなことより、もうすぐエーバーハルト教授が来てしまうんだぞ!
どうしたものかと頭をバリバリと掻いていると、院内放送で至急玄関まで出迎えに向かえとのアナウンス。
*
インカムをつけた黒スーツのSPたちが病棟の動線を完全に封鎖していく。厚労省の局長クラスが冷や汗を流しながら先導するその中心に、テレビや論文の表紙でしか見たことのない「世界の知の巨人」がいた。
仕立ての良いネイビーのスリーピースを完璧に着こなし、プラチナブロンドの髪を美しく束ねたアレン・エーバーハルト教授は、神々しい存在感を放ちながら、私を見つけて早足で近づいてきた。
「Nice to meet you. You're the doctor who sent the wonderful report to my office, correct?」
「イエス アイアム. It is a great honor to meet you, Professor Eberhardt. サンキュゥベリィマッチ for taking your time to read the report that I compiled.」
アレンは相手の硬直を察したのか、ふっと柔和に目元を緩め、優雅な手付きで口調を変える。
「あなたの言葉にあわせますね」
アレンが突如日本語で話し出した。
「!! 流石というか・・・日本語も堪能なのですね」
「私はサムライイングリッシュも好きですよ。そうですね、十年ほど日本に住んでいましたから。離れてから少し時間が経っていますが、まだ忘れてはいないようで良かった」
「それでは早速本題に…レポートの未登録エルフ、セレンディスの血統コードを持つ女性はどこですか!? 早く会いたくて」
知の巨人、思っていたより焦っており、人間くささを感じ安心してしまう。
「彼女の病室へ案内してください。どうしても早く会ってみたいのです」
知の巨人の放つ熱量に押され、言い訳をする暇もなく廊下を進みファルの病室のドアを開けた。
アレンが息を呑んでベッドに歩み寄る。
しかし、そこにいたのは、安ワイン色の縮れ毛を乱し、原型を失うほどの顔面崩壊した正体不明の生物だった。
「……それが彼女です。ただ、あの、なんていいますか 不慮の、本当に不慮の事故により、現在は少々、その……」
(俺は何も悪くないのに)と心の中で思いつつも平謝りをしてしまう医師。
「……これは、一体どういう状況ですか?」
アレンの翠玉色の瞳が、困惑と失望で激しく揺れる。
「リハビリ中に、スズメバチに襲われまして・・・。どうにもエルフの局所免疫が過剰駆動したようでして、その・・・現在はあの・・・見ての通りです」
アレンはベッドのネームプレートを見た。そこには
『音無 ふあるこ(Otonashi Fuaruko)』と書かれている。
「な、なるほどね さぞかし痛いでしょう、急に訪ねてしまい申し訳ないですね」
明らかに落胆した顔を一瞬したあと、紳士然を取り戻し、いつものアレン教授の顔に戻る。
「しかし、顔面の変形が激しすぎて、評議会のデータベースとの照合も不可能ですね。私も蜂に刺されるとすごく腫れますが半日もすれば回復します。彼女もすぐに元通りになりますよ。保護や照会はそのあとにしましょう」
アレンは寂しげに息を吐き、視力を失っているファルの頭を優しく撫でた。
(……? 誰か、頭をなでてくれてる……?)
「あびがぼうごじゃびます(ありがとうございます)前が見えないよぉ…」
ボコボコの顔で的外れな方向へお辞儀をするファルを見て、アレンは首を振った。
「ドクター、彼女のいきさつについて二人で話をさせていただけますか」
*
病院の院長応接室で、医師はアレン教授と対向してソファに座っていた。
医師は、今までのいきさつ、現在彼女についてわかっていること、古文書や血塗られた実験ノートのこと、そして今は日本の下町で決して裕福ではない生活をして細々と暮らしていることを伝えた。
「これらの資料は一旦私が預かってもよろしいでしょうか?」
「はい、音無さんには私の方から話をしておきます」
「あの、答えにくい質問なのかもわからないので聞いてしまうのですが、先生は誰かお探しになられてるのですか?」
「……実はね、私はずっと、生き別れになった同胞を探しているのです」
たしかに、エルフは世界に現在200人あまり その大半は欧州エルフ学術評議会が登録し定期的に各国で交流会が行われていると聞く。政財界の大物が集まるため、行われるだけで政治的なニュースとなる。
「ええ。九百年前、ヨーロッパがまだ狂信の闇にあった頃、人間の人攫いたちに連れ去られた、一人の女性を探しているのです。彼女は誰よりも元気で、生命力に満ち溢れ、少しお転婆でしたが、そして・・・とても優しかった。貴方から届いたレポートを見た時、血統マーカーがおそらく一致すると思い、まさかと・・・ですが、やはり奇跡などというものは、そう簡単には起きませんね」
医師はアレンの情熱的な語りに懐かしさを感じる。
「教授は・・・その女性に、なんというか、こ、恋心的な? そういう感情をお持ちなのですね」
そう聞くとアレンは急に顔を真っ赤にして狼狽しだした
「あ、ちょっと、その、えーっと あの・・・はい、そうです その通りです」
「見つかるといいですね、初恋の人」
アレンは平静さを装うため冷めた紅茶に口をつけ、静かに微笑み、話題を変えた。
「私はこれから三日間、この東京に滞在して彼女の細胞データの詳細を検証します。ドクター、あなたの臨床研究の熱意には改めて敬意を表します それと・・・私のその、恋とかそういうのはなにとぞ内密に」
「は、はい……! もちろんです!」
その後、事態は病院側の政治的思惑へと雪崩れ込んでいった。
世界の「知の巨人」が来訪したという事実を、これ幸いと病院の知名度アップに利用したい総合病院の院長一声により、当夜、病院の最上階にある特別食堂で、急遽アレン教授の歓迎レセプションが開催されることになったのだ。
表向きは国際的な学術招待の会。だが実態は、この数日間、不眠不休でファルの手術と記録に奔走し、超過労働の限界を迎えていた私たち混成医療チームの、壮絶な「慰労会(ヤケクソの飲み会)」と化していた。
「先生〜この症例報告の共同筆頭著者に、僕の名前も入れてくださいぉおお!」
「アレン教授って一緒に写真とってもらえるかな!」
「その数値は・・・えっと麻酔科の、あそこでチキンを握りしめて倒れてるアイツに」
白衣を崩した医師たちが高級な寿司やワインに群がり、学生時代のような熱量で議論とバカ騒ぎを交わしている。アレンはその中心で、一千年の洗練された紳士の笑みを浮かべながら、完璧なホスピタリティで疲弊した町医者たちの相手をしてくれていた。
誰もが、奇跡の夜の熱狂に酔いしれていた。
最上層の夜景と、鳴り響くグラスの音、そして医師たちの歓声。
パーティナイトも次第に夜更けとなり、あるものは終電が!と言いながら焦り帰宅し、あるものはチキンを片手に地面に転がってる。院長もアレン教授とのツーショットをとりホクホクの笑顔でにまにまと奥で酒を飲んでいる。アレンもSPに囲まれながら病院を後にした。
*
――賑やかな喧騒から完全に切り離された、静まり返った地下の特別病室。深夜三時。
ファルの顔の腫れは、エルフの持つ異次元の代謝効率によって、夜が更けるとともに急速に引き始めていた。まぶたを重く閉ざしていた腫れぼったい疼痛はすっかり消え失せ、本来の瑞々しい視界が戻ってくる。
彼女は静まり返った闇の中で、ここ数日の、そしてこれまでの気の遠くなるような日々のことを、静かに振り返っていた。
ここ数年、彼女の心の中は、まるで水を失った大地のようにカラカラに枯れ果てていた。
自分が生きている価値はどこにあるんだろうか。この命はなんのために、永遠と続いているのだろうか。
終わりなき時間のなかで答えのない問いが頭をよぎるたび、彼女はすがるようにして過去の記憶を手繰り寄せた。けれど、記憶の引き出しから出てくるのはいつも、誰かに都合よく消費され、踏みつけられてきた歪な思い出ばかり。孤独を埋めるために振り返る過去が、その都度、己の惨めさを証明する刃となって彼女の心を突き刺す――そんな、出口のない悪循環を繰り返す毎日だった。
それでも、まだ自分にできることはないだろうか。そんな小さな、消え入りそうなあがきの手が、たまたまスマートフォンの画面で見つけたのが、あのクリニックだった。
そこからの日々は、あまりにも目まぐるしかった。
自分の体を診て、我がコトのように驚き、一緒に一喜一憂してくれた優しい「せんせい」。矢継ぎ早に行われた精密検査と、差し迫った緊迫感の中での緊急入院。そして・・・百年前の地獄の鱗片をすべてお腹から掻き出してくれた、あの大手術。
ファルはベッドの上で、小さく伸びをして身体の緊張をほぐした。
一世紀以上、彼女の身体の深部にべっとりと張り付いていたあの重苦しい鈍痛は、もう、どこにもなかった。こんなにも穏やかで、落ち着いた気持ちになったのは、一体幾年ぶりのことだろう。
世界から取り残されたような夜の静寂に、彼女はそっと身を委ねる。張り詰めていたすべての呼吸が、ようやく深く、正常なリズムを取り戻していく。
目つぶり、彼女はふと、かつて置き去りにしてきた孤独な村で聴いた、古いエルフの子守唄を小さな声でハミングし始めた。
優しく、どこか哀しい旋律が、誰もいない病室にゆったりとした時間をもたらしていく。
ここ数日の激動の日々が、温かい微睡みとなって彼女の意識を包み込んでいく。
ハミングが小さく途切れ、ファルは吸い込まれるように、何者にも脅かされない深い、深い眠りの底へと落ちていった。
ファルはどうなってしまうのか! 前回の次回予告は嘘だ
次回こそ激突 3ツ目の怪物+1つめ子分 VS 千年DT ラウンドファイ!
感想とかもよろしくオナシャス




