第4話 ハロークリニック
問診開始です
東京都杉並区、阿佐ヶ谷。
JR阿佐ヶ谷駅の改札を出て北へ向かうと、街の象徴である巨大な欅の並木道、中杉通りが南北にまっすぐ伸びている。四季折々に表情を変えるその美しい並木からわずかに外れ、中央線の高架沿いを数分ほど歩いた路地裏に、その小さな不妊外来を専門とする医院があった。
この医院の副院長「宿木守人」
彼はこの数日間、普段の通常業務と並行しつつ、ありとあらゆるコネクションと手段を使い尽くし準備していた。
「……驚いた。本当に、ヘイフリック限界が存在しないのか」
デスクの上に山積みにされた、主に英語とドイツ語で書かれた医学論文のコピーと、大学から借りてきた分厚い論文集に目を通すたび、信じられない知見がある。
ディスプレイに表示されているのは、欧州エルフ学術評議会のトップ、アレン・エーバーハルト教授が発表した分子生物学の最新リポートを中心にAIサービスで横断検索をかけた資料を読み込んでいた。エルフに関する情報は電子化されているものは少なく、かき集めるのに多大な労力と費用をかけた。
普段であれば地域に根ざした不妊治療専門医として、淡々とルーティンをこなしている医師だが、本質は生化学の専門教育を受け、かつては大学の教壇にも立っていたゴリゴリの臨床研究者である。
彼の「知的好奇心」と「医師としての誠実さ」が、連日の読解を支えていた。
大学病院時代の同期に頭を下げて特殊な生化学解析キットを緊急手配させ、民間の検査機関には「超VIP症例だ、トリプルチェックで回せ」と大金を積んで特急便でラボを準備させてある。
この1週間で月収は吹き飛んでいると言っても良い。そして睡眠時間も削りすぎて、目の下にはダイナミックな隈が出来あがりヒゲも伸び放題、昨日は患者に心配され差し入れまでもらってしまう始末。
臨床研究者としての意地と医師のプライドで、再度「音無ふある子」が来院するまで、エルフに関する基礎研究を頭にたたき込み、仕上げている。
論文の山から読み解ける、「不滅の隣人」のデータは、あまりにも圧倒的だった。
臨床報告の数々に記されているのは、人間の常識を根底から覆す異次元の生体システムだ。
単純な骨折であれば数日、重度の裂傷であっても数週間で瘢痕すら残さず完治。
異様なまでの組織再生スピード。白内障や網膜の劣化とは無縁で、失われた視力が分子レベルで元通りに修復されるプロセスは、何度読んでも信じがたいものだった。
さらに、激しい摩耗やダメージで脱落した永久歯が、万能細胞の分化によって何度でも生え替わるという記述にいたっては、歯科医師が見れば卒倒しかねないだろう。
極めつけは、身体に「異物」が定着することを拒絶する強力な排除機能だ。例えばエルフはピアスを付けないという。その理由は簡単で、どれほど耳に穴を開けようとも、数時間で肉が微変形して融合し、ピアスホールを塞いでしまうのだという。
だが、そんな論文に症例として名を連ねるエルフたちは皆、誰もが羨む美貌を保ったまま政財界を牛耳るCEOや、数世紀にわたり莫大な資産を転がし続ける投資家といった、現代社会の最上層に君臨する御貴族様であることは、臨床写真から伺える、シミ一つ無い肌をみて分かる。
・・・…「音無ふある子」が本物のエルフだとして、なぜあんなボロボロの姿で、シミだらけの肌、欠けたままの耳、奇妙な髪色なのか、どういった経緯で日本の下町に埋もれているのだろうか?
重い瞼をこすりながら、医師はスクラブの上から白衣を羽織り、内診室へと向かった。
約束の午前10時。音無ふあるこ は、待合室の隅に前回と同じ色褪せたトレーナーを着て、ニット帽で耳を隠しちんまりと座っていた。前回と違うのはエコバッグがパンパンなことくらいであった。
*
「待たせてごめんね、音無さん。…さっそく、約束の精密検査を始めようか」
「せんせい、なんか痩せました?」
「はっはっは 気のせいですね。さて、今日は音無さんの体を検査していきます」
「あ、はい……よろしくお願いします、せんせい」
ファルは申し訳なさそうに頭を下げ、ちんまりと処置室の椅子に腰掛けた。
医師は、患者を緊張させまいと白衣をぬぎ横に置くと、穏やかな雰囲気で問診を始めた。
「まず、この前伺ったように、生理は来ていないということで良いのですね? 具体的に、どれくらい前から止まっていますか?」
「ん〜〜〜、どうだっけなぁ〜。出血っぽい、月の物っぽいもの…そうだ、日本語を覚え始めた頃にもまだ2、3年に一回はあったかなぁ……」
「2、3年に一回……ね。そこから徐々に回数が減っていった感じですか?」
「はい。最後にちゃんと来たのは……たぶん60年くらい前です。お腹がずうっと、詰まったみたいに重くて痛いときがあって、そのあと血は全然出なくなったけど、痛いのも私すぐ慣れるんでそのまま放っておいて・・・」
「60年前・・・あ、あと、出産経験はあるのですよね?」
「流石に全部覚えてないっていうかー 2・・・・いや、300くらい」
「んっ〜! 出産経験が、さ、さんびゃくってコトでよろしいのですか?」
「はい、それくらいです」
医師は手元のカルテに <約60年間、続発性無月経 出産経験300以上> 書き込みながら、喉の奥から「フフ」と無意識に乾いた笑いが漏れてしまい、ペンを握る手に力が入る。
人間の医学基準なら、無月経60年・・・とっくに閉経して子宮や卵巣が完全に萎縮している年月だ。
経産回数300。人間の女性であれば、妊娠期間と産後の回復期を入れても物理的に人生の帳尻が合わなくなる。
人間の問診で、こんな馬鹿げた問診記録は絶対に書くことがない。しかし、目の前の女性の肉体年齢は、どう見ても30代半。分かっていても混乱する。エルフの月経は極めて長い周期で半年から一年に一回 つまりかなり妊娠しにくい生物であることはたたき込んだ知識の中にある。
(今はそんなことはいい、300回、産まされた、だと?)冷静に考え直す、300の子を産んだだと、彼女が奪われたものの重さに想像を巡らし、笑いを覚えてしまった自分自身を恥じた。
気の遠くなるような時間のなか、彼女がどれほど凄惨に「人間の都合」で買い叩かれ、子作りの器として文字通り消費されてきたのか、それは剥き出しの虐待の歴史そのものだった。しかも、自信のケガや痛みを「すぐ慣れるから」と笑って放っておける、彼女のその過剰なまでの自己評価の低さは、一体どれほど過酷な環境が形成したものなのか。
カルテに書き込んだ内容は、すでに常識の上を行っているが、プロの顔で押し殺し、カルテを見つめたまま、声音をワントーン落とした。
「音無さん。覚えてる範囲で構わないんですが、少し過去の経緯を教えてもらえるかな。貴方が日本に来たのは、いつ頃でしょう?」
「ええっとぉ〜〜〜日本に来たのは……だいたい80年くらい前だったと。そうそう戦争が終わったすぐあとくらいの年。それまではヨーロッパの、色んなお国のお城とかお屋敷とかで、いろいろ・・・されてました」
「いろいろ・・・とは?」
「あ〜〜それはちょっと なんていうかぁ〜 言いにくいなぁ・・・あの、恥ずかしいというか」
患者を緊張させないよう、より口調を柔らかく話を続ける。
「無理にする必要はないんですよ 話せる範囲で構いませんので」
「……私、難しいことはよく分からないんですけど。あ、そうだ、役に立つかもって、いろいろ持ってきたんです」
そう言って、足元に置いていたパンパンのエコバッグをごそごそと漁り始めた。
中から出てきたのは、何重にもビニール袋に包まれた、茶色く変色した古い紙束や、埃っぽい何冊かのノートだった。
「自分の記憶はあんまりあてにならないから、押し入れの奥から探し出してきたんです。大昔の病院の紙とか、日記みたいなもの。たしかこれが一番古いもので・・・」
そういって手渡されたものは博物館でガラスケース越しに見るような古文書だった。
質感からしておそらく羊皮紙。文字は解読不能、少なくとも近代言語ではないのは明らかだ。
「こ、これは、読めないかな・・・」
次に目に入ったのは比較的近代・・・といっても軽く見積もって100年程度前と思われる酸化して赤く変色した酸性紙のノート。万年筆で美しく書かれた、達筆すぎて解読は困難だが、ドイツ語の記録であろうことは分かる。
ノートの表紙には「被検体名」が書かれている。
Velthir Falunica Serendis
「音無さん、これは・・・もしかして貴方の名前ですか?」
「はい、ヴェルシル・ファルニカ・セレンディス。これが私の本当の名前」
ヴェルシル ファルニカ セレンディス その発音だけが異国の発音。
「ああ、それが訛って ふあるこ というお名前になるんですね」
「べるしる か ふあるこ か選びなさいって言われて・・・」
全部読み解くには、あらゆる言語の専門家、そして歴史研究家、考古学者、数え切れない専門家を集め、数年の年月をかけないと、この記録をすべて読み解くことは不可能だろう。
それでも読める物がないかと、見ていると、日本の医師による診療記録らしきものがあった。
そこにはファルが戦後すぐの1946年に貿易船で日本に貨物として運ばれてきたこと、東京の「音無家」へと移った経緯が克明に記録されていた。驚くべきことに、音無家の名前をもらっていることが書かれていた。
「……音無さん。君は、あの音無玄一郎氏のご親族……にあたるのですか?」
音無玄一郎といえば、短い間だが総理大臣も務めている政界の重鎮。音無という聞き慣れない名字に違和感が載っていたが、まさかこんなところで繋がるとは。
「げんいちろう・・・げんいちろう・・・あ、玄一郎ちゃんですか? はい、生まれたばかりの玄一郎ぼっちゃんを、育てるのが私の仕事だったんで。大旦那様が、私をかくまうために家族というていで。でも、私が普通のエルフとは違う、ダメなエルフだから、色々ご迷惑をかけちゃって……」
「普通のエルフとは違う?」
医師はカルテから目を離し、彼女を見つめた。
「はい。テレビとかに出てくるエルフたちは、みんなお肌がツルツルで、背が高くて、お人形で、頭もすっごく良いじゃないですか。でも私、最初の村にいたずっと昔から、頭がわるくて、器用なこともできなくて……。長からはお前は下働きの階級だから、畑を耕して、重いものを運ぶのが仕事だって。だから身の程は分かってるんです」
ファルはちんまりと肩をすぼめ、自分のくすんだ赤紫色のウェーブ髪を申し訳なさそうに指でいじった。
「お肌もシミだらけだし、体型だってこんなだし、他のエルフ様とは比べものにならないくらいの、チンチクリンで・・・」
医師は言葉を失った。チンチクリンだと?
目の前にいる彼女は、確かにボロボロのトレーナーを着て縮こまっているが、人間基準で言えば平均以上の身長があり、骨格のバランスは完璧だ。肌の色調こそ悪いがパーツの造形は驚くほど整っているではないか。
「私……こんな…なんにも取り柄のないダメダメ底辺なのは分かってるんです…でも私だって生きていていいんだって思いたくて。何かの役に立つことができたらいいな・・・って、だから・・・」
――いけない。これ以上聞いてはいけない。
医師はカルテを握る指先に力を込め、あえて思考を遮断した。
彼女が語る言葉の背後には、軽く百年、いや千年単位の歴史の暗部が横たわっている。真面目に身の上話を付き合っていたら、それだけで一日が終わってしまうどころか、発生学者としての、産婦人科医としての自分の理性がパンクしかねない。
それに、何より今日は彼女が訴える軽い不調を調べるため、来てもらったのだ。
検査を始めなければ、ここに来てもらった意味がなくなってしまう。
「……音無さん、そこまでで大丈夫だよ」
医師はパタンと資料をトントンとまとめ机の端に置いた。意図的にトーンを明るくして立ち上がった。
「君がこれまでずっと苦労してきたことはよく分かった。でもね、私は歴史学者じゃなくて医者だ。君が『普通のエルフと違う」と言うなら、その中身がどうなっているのか、医学の力でハッキリさせましょう。お腹の重い原因を突き止めましょう。処置室のベッドに横になって、腕を出してください」
「あ、はい……よろしくお願いします、せんせい」
次回は診察されます 第5話 ハローインプラント でお会いしましょう。感想とか書いてくれると励みになります。ファルちゃんを応援していただければ!




