第14話 ハロービッグボス
長らくお待たせしましたお待たせしすぎたかもしれません ギヨ戦後半戦スタートです
「免疫応答を開始します ……覚悟しなさい異物共」
アレン達がいるフロアに聞き覚えのある、嫌味な女の声がアナウンスされる。
コンシェルジュに案内させ、いくつかのセキュリティドアを開けさせ、建物の中心部。
カサ・デ・ラ・ビダの中枢となる塔の真下にたどり着く。
先ほどまでは豪華な大理石の壁。金色の装飾。発光植物の青白い揺らめき。高級ホテルのロビーに似せた香気。富裕層を安心させるための柔らかな仮面の内側は、真っ白なリノリウムの壁と、SUS304ステンレスの金属、複層強化ガラスで構成された、無機質な空間へと変わっている。
壁が厚いせいで不気味な静寂があり、廊下の空調音が一段低く聞こえる。
ここから先は病院ではない。ギヨの体内だ。
アレン・エーバーハルトは、中央エレベーターホールの前で足を止めた。
そこには4基のエレベーターが上へと伸びている。建物は螺旋の緩やかな渦巻き構造に見える。
中央の4台のエレベーターアレンには、それが単なる昇降設備には見えなかった。
四本の血管。
カサ・デ・ラ・ビダの下層から、上層の悪魔の巣へ、栄養を届けるための垂直の血管にみえた。
大佐が、コンシェルジュの腕を押さえたまま低く訊く。
「このエレベーターはどこへ続く」
「ち、中層の療養エリア、上部は研究センターとギヨ博士の研究室」
「建物の構造は・・・」大佐が腕をひねり上げて聞く。
「こ、この建物は中央エレベーター 螺旋構造でなだらかに上部までは通路で繋がっています。ただ、最後の扉は私には開けられません。ギヨ博士か、上層管制の許可が必要で・・・」
コンシェルジュの顔は青ざめていた。
彼はギヨの直下に近い人間なのだろう。劇場でアレンたちを足止めし、民兵を流し込む段取りは知っていた。だが、今から始まる本当の要塞戦については、何も知らされていない。
アレンは、彼の目を見た。
瞳孔。呼吸。声の遅れ。指先の震え。
「ウソは付いてない」
アレンは言った。
ーー人間の何十倍も生きた者が持ちうる観察眼。
「罠を仕掛けた者は、罠の形を末端に教えない これ以上は知らないでしょう」
大佐は、コンシェルジュを壁際へ押しやった。
そのとき、勢いの良い若手のSIS隊員が、中央エレベーターに目をやった。
「博士」
「駄目です」
アレンは、彼が言い終える前に答えた。
若手は一瞬だけ笑った。
「まだ何も言っていません」
「言わなくても分かります。エレベーターを試すつもりでしょう」
「君は分かっていない、このエレベーターは彼女の動脈だ。易々と異物を通すとは思えない」
「失礼ですが、慎重すぎます。時間はありません。もちろん中央エレベーター本体に乗る気はありません。保守通路から入ります」
エレベーターは当然のようにメンテナンス中を装い、すべて赤ランプが点灯して閉じている。
「ギヨは道を示すのが上手い。その道は、たいてい地獄へ繋がっています」
若手は、エレベーター横の細い保守扉へ目を向けた。
「この構造なら、昇降路の内側にメンテナンス梯子があるはずです。試す価値はある」
「・・・・それでも・・・」
心の中では一刻も早くファルを救出したい。だが、明らかに罠だらけであろう区画に若人を送り込むには、彼の倫理観は高すぎた。
「多少の罠がなんですか、俺たちを見くびって貰っては困ります これは保育園のハイキングじゃありません 今まで一体何度命をかけたことか、これもその1つっすよ」
アレンは苦渋の中、なお制止しようとした。だが、大佐が小さく手を上げ行けというハンドサインをだす。
「無理はするなよ」
「大佐!」
アレンの声には、珍しく明確な怒りが滲んだ。
「この部隊の指揮官は私だ。危険だが活路を開く価値はある」
大佐はアレンを見る。
「博士。五人全員で螺旋を上れば、ギヨは時間を稼げます。屋上のヘリポートから逃げられれば台無しです。一人が中央を試し、四人が螺旋を進む。可能性は高いほどいい」
大佐の声は、冷たいほど平坦だった。
「上で待つ人は 貴方の大事な人なのでしょう!! 我々を信じてお使いください」
中年の経験豊富な隊員が言う。アレンは奥歯を噛んだ。
若手はコンシェルジュから奪ったメンテナンス用キーを使い、保守扉の前に立った。
扉は重かった。気密エアロック構造。感染対策と無菌搬送の名目で設置された設備。キーを差し込むと、短い電子音の後、内部のロックが外れた。
扉が開く。
内側には、当然のようにエレベーターの籠がなかった。
暗い縦穴。
壁面に沿って、細いメンテナンス梯子が上へ伸びている。
若手は防毒マスクを装着し、無線を確認した。
『こちらアルファ一4。シャフト内へ入ります』
「異常を感じたら引き返せ 絶対に無理はするな 死ぬなよ」
アレンは言った。
『了解。一足先に行って悪の科学者をフン縛ってコーヒー煎れて待っててやりますよ」
若手はそう返し、縦穴の中へ身を滑り込ませた。
ハッチが閉じると、内側にオレンジ色の保守灯が点いた。無線の向こうで、金属の梯子を掴む音が小さく響く。順調に上っているようだ。
「拘束は終わりました」
大佐がコンシェルジュを誰にも連絡できない場所に留め、戻ってくる。
「こちら異常なし、もう10m近く上りました」
移動中のアレンと3人は、安堵しつつ、螺旋構造の建物の階段を目指す。
中央エレベーターホールの脇にある中層通路へ入った。
外から見て取れた構造もさながら、貝殻の内部に似ていた。
中央コアを囲むように、緩やかな上り勾配の廊下が螺旋状に続いている。外側には居室、検査室、処置室、スタッフステーションが並び、内側のガラス越しに中央エレベーターの白い柱が見える。
壁には、柔らかな字体でこう記されていた。
Maternal Volunteer Residence
母体ケア・ボランティア滞在棟
【未来の家族形成を支える、選択と希望の場所】
「ここから先は、化学兵器での交戦も考えられる、各位防毒面を外さぬように」
大佐が注意する、4人は防毒面を付け、慎重にドアに近づきゆっくりとドアを開けようと・・・
しかし、開けようとする矢先にドアが開いた・・・・
敵の領域と思ったフロアは施錠もされておらず、押すだけで開くものだった。
ドアの中からは床掃除をしている、どっしりとした体型のフィリピン人の中年女性が出てきた。
物々しい格好で立つ4人にぎょっとする顔をするが、害意がないことを感じると、床掃除の続きをしに出て行った。
開けた視野に映るのは、予想を裏切って穏やかな空間だった。
若い女性。
中年の女性。
腹部が大きく膨らんだ女性。
点滴スタンドを引いている者。
廊下のベンチに座ったままぼんやりしている者。
手首には識別バンド。壁の端末には、体温、血圧、体重、周期管理、投薬予定などが整然と表示されている。先ほどの静けさとは異質の静かさ、安らぐ人を考えて皆が静かにしている静けさ。
アレンは、息を呑む。アレンの指示で4人はガスマスクを外した。無関係な人に威圧感、警戒感を出来るだけ与えないほうが得策であると考えたからである。
病院ではない。
寮でもない。
これは、母体を保管する棚だ。
ギヨがお腹の大きな女性を摘まみ置いていく、コレクションよろしく、棚に並べている。標本だ。
そんな不吉なイメージが脳裏に浮かぶ。
そんなイメージ中のギヨが突然しゃべり出した。
「おやおやおやぁ〜 最短ルートが使えるとでも思ったの?」
館内放送で、ギヨの声が流れている。静寂を破るギヨの声にスタッフや患者達は一瞬止まったが、言葉が分からないのか、大半の者はあまり気にしていない。
アレンは無線で若者に連絡を取る
「まずい、戻れ」
『異常ありません まだ上がれます』
「今すぐ戻れ!」
ギヨが楽しげなシシシシという笑い声が響く。
『血圧を上げたのに気づかなかったようね』
低い機械音がした。
エレベーターホールの壁ではない。シャフトの奥からだった。建物そのものが、呼吸の仕方を変えるような音。
『……何か変な感じです』
若手の声が、かすかに歪む。
ギヨの声が弾む。
『フフフ、ゆっくり加圧されると人間は案外大丈夫どころか分からないものねぇ。防毒マスクは気圧とは無関係・・・さてさて、ではでは、ここからいきなり減圧したらどうなるかしら?』
アレンが叫んだ。
「体を固定しろ!」
アレンの通信が届くより一瞬早く、無線機から悲鳴が聞こえる。
『ぁあああああぁあああ』
通信の奥で、金属を何か鈍いものが幾度も打ち付ける音。呼吸が速い。次いで、低い呻き。
『手が……限界……』
次の瞬間、重い衝撃音が無線を叩いた。
それきり、若手の声は途切れた。数秒、誰も動かなかった。
ギヨの声だけが、館内に戻ってくる。
『異物一つ、処理完了。シシシシ。残念でしたー』
大佐の顔から、表情が消えた。
「進みましょう」
そして今度は、ギヨの館内放送が、穏やかな女性の声色を真似て響いた。ギヨは複数の言語でアナウンスしていく
『職員の皆様へ。武装した侵入者が中層区画へ入りました。患者様を守るため、各自、最寄りの安全区画へ避難してください。医療スタッフは、各部屋を開放し、指定導線に従ってください』
廊下の両側で、電子錠が次々と外れる音がした。
次々と廊下に面した幾つもの扉が開いていく。
女性たちがぞろぞろと出てくる。何が起きているのか分からず、怯えている者。薬剤の影響か、足取りの覚束ない者。腹を抱えながら壁に手をつく者。言葉が通じず、ただ泣き出す者。
何も知らない看護スタッフが、なんの指示も来ないため右往左往しながら患者たちを誘導しようとしている。
アレンらを見た彼らは、大声で逃げ惑いだす。大声が悲鳴に、悲鳴が混乱へ、廊下は、一瞬で人の流れに呑まれた。
白い寝間着の女性たち。腹を抱えて壁際に寄る者。点滴スタンドを倒してしまい、管を引きずりながら泣き出す者。多言語で何かを叫ぶ看護スタッフ。施設の警報を聞いて右往左往する清掃員。
守るべき人間と、敵が、同じ色の中にいる、アレンの直感がそう告げた。
その混乱の中で、最初の刺客が動いた。
白衣の袖口から、短い刃が滑り出る。検死に使うときの大きな解体刀だ。
刃は、泣きながら立ち尽くす小柄な妊婦を盾に、アレンの脇腹へ向かって向かってきた。
アレンは冷静に身を沈め対処する。妊婦を押さない。倒さない。怯えさせない。
その制約の中で、彼は刃だけを避け、相手の手首を指二本で取った。
力を少しいれると関節が、本来曲がらない方向へわずかに導かれる。
刺客は声を上げる間もなく膝から崩れ、バランスを崩す。間髪入れず肘鉄を喉へと入れ沈黙させる。
次の瞬間、反対側で別の白衣が慌てた人間とは違う法則で動く。手にしているのは銃だった。だが、その銃口の前には、錯乱した女性が二人いる。身体で射線が定まらず、中年の隊員が撃つべきか撃たざるべきかの判断を迫られる。
大佐は、短く舌打ちした。
敵は強いわけではない。だが、場所が悪すぎる。
本物の医療スタッフは悲鳴を上げ、偽物の医療スタッフはその悲鳴に合わせて動く。患者を盾にしているのではない。患者の混乱そのものを、戦場の地形にしている。
悪趣味なギヨの戦場設計。
ここでは、撃てる者が強いのではない。撃てない者から弱くなる。
アレンは、倒れかけた妊婦の肩を支えながら、二人目の刺客の先ほどの男から取り上げた刃物を投げる。男の臀部に刺さりその弾みで男は思わず自分のつま先を撃ってしまう。2つの痛みでのたうち回る。その出血をみた患者やスタッフの間に大きな混乱と悲鳴が積み重なっていく。
その間にも、白衣やリネンの姿の兵が、患者の間を縫うように距離を詰めてくる。
「博士、射線が通りません 射撃許可を」
中年の隊員が言った。
彼の視線の先では、白衣姿の武装兵が、怯える女性たちの間に紛れている。
「撃つな」
「じゃあ、どうしろってんですか、このままでは押されます」
「患者がいる」
シシシシシと嫌な笑い声が聞こえてくる。
『アレン〜 思った通りの反応嬉しいわ あなたは誰も見捨てない。だから負けるのよ』
アレンは答えなかった。
アレンがどうすべきか考えている一瞬の間に、視界が人混みで遮られる。
次の瞬間、女性の悲鳴が聞こえる。先ほどまで撃つかどうかを聞いていた中年の隊員が目を見開いて口をパクパクし卒倒している。その状況を見た女性が悲鳴をあげたのだった。
隊員の横にはリネンを着た、頭に包帯をぐるぐると巻いた患者のような男が右往左往して床に倒れ込んだSIS隊員を起こそうとしている。外傷も見当たらない。下手人は見当たらない。男は怪しいが武器を持ってない。何が起こった? 怪しい男の手は、奇妙に濡れていた。不自然にベトベトとした光沢。
濡れた手の男は、卑屈そうな顔で甲高い素っ頓狂な声を上げる。
「何か急に倒れて……助けてくれよぉ、オイラどうしていいか分かんなくてよぉ」
呼吸が浅い。いや、止まりかけている。
すぐにもう一人の隊員が駆け付ける。彼は高度な医療知識も持ち得ている。その上で、同僚が今、原因不明の意識消失、その症状から推測するに・・・……
「オピオイド中毒!」
アレンからの話で、敵はフェンタニルパッチなどを用いた化学戦をしてくる可能性があると。当然、いくつかの薬剤を各員に持たせているが、適切に利用するために彼は今回のチームに加えられた。
呼吸を落ち着かせ、冷静に周りを見渡し他に敵がいないことを確認し、救急用ナロキソン注射を取り出し倒れた隊員に使おうとしゃがみ込んだ。
次の瞬間ひやりとしたものが彼の首筋にふれる、先ほどの卑屈な感じの男の手が不自然に触れていた。
「え?」
その刹那、体の自由は失われ、シリンジを手放し、助けるはずの隊員に覆い被さるように倒れ込んだ。
卑屈な男は満足そうに不気味な笑みを浮かべて下卑た笑い声を上げている。
男が次のターゲットを見つけようと、周りを見渡そうとした瞬間、靴底が目に入る。
「ヘボァ」
アレンの長身から繰り出される猛烈な回し蹴りが、卑屈な男の顔面を捉え吹き飛ばした。
男は顔面をぬらぬらとした手で顔を押さえ、痛い痛いと叫びながら、気絶して動かなくなった。
大佐がすぐにかけより倒れた二人の様子を見る。アレンは二人に、オピオイド中毒の拮抗剤である、ナロキソンを二人の太ももに打ち込み様子を見る。二人は、意識は朦朧としているが、血色が戻り、呼吸が少し安定して戻ってきた。
「一体何事です? あの男、何か化学兵器を使ったのでしょうか・・・?」
「いえ、何も持ってませんでした・・・」
「手に何か毒を塗っていたとか?」
「それならば、本人が真っ先に・・・……は!」
何かに気づいたアレンが大きな声で叫ぶ。
「ギヨ、こんなことのためにワクチン技術を使ったのか」
ギヨの声が、嬉しそうに跳ねた。
『ピンポーン 大正解 よく気がついたねえ。さっき作品はほぼすべてのオピオイドに免疫抵抗性を持った特殊兵よ』
大佐の顔が歪んだ。
「ちょっとまて一般的な話だが、フェンタニルは薬剤だろ? 免疫的にどうこうなるものなのか」
「フェンタニルの分子構造の一部をハプテンとして、CRM197のような無毒化ジフテリア毒素由来のキャリアタンパク質に結合する。ワクチンとして投与すれば抗フェンタニル抗体を誘導できる。つい最近、アメリカで動物実験が報告された技術だ」
『シシシシ またまた大正解〜〜! 実際私の技術はもっと先を行っている』
ギヨの反応を無視し、大佐はアレンに驚いた顔で口を開く。
「これが、ギヨという悪魔の所業なんですね」
「そうだ」
アレンは短く答えた。
『シシシシ まぁだまだ行くよぉ〜』
笑い声とともに、廊下の奥で重い足音が響いた。逃げまどう人混みを割って、巨体が現れる。
MONO型兵士。東京で見たものより、さらに整っていた。頭部は白い袋状の覆いに包まれ、胸部から腕にかけて厚い防護素材で覆われている。体格は人間の枠に収まっているが、動きの重さが人間ではない。
「改造兵……ここにも」
アレンが呟く。
『この前あなたと遊んだ子より、ずっと手強くってよ』
MONO型が突進した。
その進路に、ちょうど誰もいなかった。
大佐が動く。腰の内側から抜かれたのは、使い込まれたSIG Sauer P226。黒いスライドの角はわずかに擦れ、握把には長年の手癖が染み込んでいる。最新式ではない。だが、道具としての信頼だけが残った拳銃だ。
大佐は両手で構える。
若い兵士のように力まない。腕を伸ばしすぎず、肩も上げない。銃口だけが、呼吸と無関係に静止していた。乾いた発砲音が、白い廊下に四つ響いた。
二発は胴体。
一発は胸部上方。
最後の一発は、白い袋に覆われた頭部。正確に命中した。
発砲音に遅れ薬莢が、磨かれた床の上で跳ねる音がする。
胸部の防護素材がへこみ、頭部の袋が一瞬だけ後ろへ揺れる。普通の人間なら、それだけで肺は潰れ、意識は断たれ、二度と立てない。
だが、MONO型は止まらなかった。
ほんの一歩、速度が落ちただけだった。
MONO型兵には、痛覚、恐怖、自己保存、それらのいずれも存在していない。
バケモノは真っ直ぐ向かってくる。
巨体が大佐へぶつかった。
それは格闘ではない。衝突だった。
鈍い音がした。
大佐の身体が壁へ叩きつけられる。次いで、腕が不自然な角度へ曲がった。
「大佐!」
アレンが叫ぶ。
「来るな!」
大佐は歯を食いしばりながら、片腕でMONO型の胴体にしがみついて足をからめて全力でMONO兵の足に関節技をかける・・・が、MONO兵は痛みなどないため少し動きが緩慢になった程度であるが、動きが止まった。幸い周りには人がいない。
「撃て、アレン!」
MONO型の袋頭部が、大佐の肩越しにアレンへ向く。
アレンは銃を上げた。
狙う場所は、一つしかなかった。
白い袋状の頭部。
撃つ。
一発。二発。三発。
袋が跳ねる。
巨体が揺れる。
それでもMONO型は倒れない。
さらに近づく。もう一発至近距離で撃ち込む。
MONO型の膝が、ようやく崩れた。
巨体は大佐を巻き込みながら床へ倒れた。アレンはすぐに駆け寄り、大佐を助け出す。
白い袋の奥で、ゴブゴブという何かが湿った音を立て改造兵は動かなくなった。
人間だったもの。人間であることを、悪魔に削りとられたもの。
アレンは短く息を吐いた。
「……すまない」
その言葉が誰に向けられたものなのか、大佐には分からなかった。
壁にもたれ、折れた腕を押さえたまま苦笑した。
「アレン」
「動かないでください」
「ダメだここからは、私は戦力にならん」
彼の顔色は悪い。だが、声はまだ指揮官のものだった。
倒れた二人の隊員は、応急処置によって呼吸こそ戻っていたが、まだ意識は戻っていない。廊下には、錯乱した女性たちと、震える医療スタッフが残されていた。どこに刺客が潜んでいるか分からない。
アレンは、大佐の腕を見た。
「あなたを置いては行けない」
「置いていくな。使え」
大佐は即座に返した。
「ここに残る。彼らを守る。あなたは上へ。それで任務は継続できる」
「まだ、敵が残っています」
「だから残るんだ ここから上へは敵は通さない」
大佐は、動く方の手で拳銃を拾った。
「アレン。行ってください あなたの大切な人なんでしょう」
アレンは返事をしなかった。
ギヨの声が、館内に流れる。
『あら、置いていくの? あなたにしては珍しいじゃない、アレン』
アレンは、静かに答えた。
「置いていくんじゃない。託すんだ」
アレンは走った。螺旋構造の上へ、上へ。
背後で大佐の怒号が響く。発砲音。女の悲鳴。
アレンは振り返らなかった。振り返れば、それだけ時間を失ってしまう。
止まれば、ファルを失う可能世が上がる。託したのだ、信用しよう仲間を。
中層の最上部を上り詰めると最後の扉が見えた。
その前に、やはりMONO型兵が立っていた。頭部は異様に膨れたズタ袋に覆われている。袋の表面には、ラッカースプレーで乱暴に「4」と書かれていた。
ギヨの趣味。
その悪趣味な署名が、最後の番犬の額に刻まれている。
アレンは止まらなかった。
時間がない。
彼は銃を抜き、頭部へ照準を合わせた。
先ほどのMONO型と同じだ。体を守るために複合素材の防弾装甲、動きは重い。防護素材は厚い。痛覚も恐怖もない。ならば、機能を止めるしかない。
発砲。袋頭部が揺れる。
接近してもう一発。巨体が一歩下がる。
さらに撃つ。白い袋が破れかける。だが、その奥で、何かが蠢いた。
アレンは違和感を覚えた。杜撰すぎる。
ギヨは怪物だが、異常なまでに慎重で丁寧な仕事をする。同じ処理を二度は許さない。その違和感に気づいた時には変化は始まっていた。MONO兵の頭部の袋が内側から裂けた。
黒い豆粒のようなものが、アレンの胸元へ降りかかった。
豆ではなかった。一粒一粒に脚がある。
クモに似ている。だが、クモではない。目も腹も不完全、脚だけが不自然に多い。脚の数もまばらで、動けないものもいる。生物というより、数分だけ動くよう設計された生体部品だった。
それらが、アレンの袖口、襟元、首筋へ這い上がる。
アレンは即座に払い落とした。
だが数匹が皮膚へ触れた。
焼けるような痛み。次いで、皮膚の下を冷たい針が走るような感覚。
アレンは息を止めた。
『大正解だったのよ、アレン』
ギヨの声が、聞こえる
『あなたなら頭を撃つってね。だから、頭に仕込んだの』
アレンは、床に落ちた小さな生き物を見た。
クモではない。昆虫でもない。毒を纏い運ぶためだけに、作られた使い捨ての命。
『安心して。繁殖しない。それどころか数分で死ぬわ、施設汚染もしない。清掃スタッフにも優しい設計 ジョークグッズよ! こんなところで役に立つとはね』
「命を、ジョークと呼ぶな」
『ならば1匹1匹に名前をつけてあげれば』
アレンの視界が一瞬、白く滲んだ。
視界が激しく明滅し、強烈な目眩が脳を揺さぶった。
(経皮性の毒……!)
ただの毒ではない。皮膚から血管へ瞬時に浸透するように設計された、強力な脂溶性の猛毒。浸透圧を高めるジメチルスルホキシド(DMSO)のような溶媒と混合された数種類の薬剤。
アレンは反射的にクモを払い落とすが、すでに数匹分の毒液が皮膚から吸収されていた。
心拍数が急激に低下し、四肢の末端から感覚が失われていく。気道が狭窄し、呼吸が浅くなる。
強烈な灼熱痛……。
痛みは溶媒を経て入り込んだギ酸などの低分子有機酸やブラジキニンを混合した単純な発痛、十数年前にパラグアイでハリサシアリに襲われた痛みの記憶を思い出す。
アレンは皮膚を焼くような激痛に顔を歪めながらも、薄れゆく意識の中で自身の体調変化を極めて客観的に、冷静に事細かな生化学的パラメーターとして分析しはじめる。一瞬の判断が生死を分ける瞬間だった。
痛覚は単なる陽動だ。真の脅威は、別にある。
視界が急激に暗くなる、おそらく極端な縮瞳。気道が過剰な分泌液で満たされ、肺が空気を拒絶する気道狭窄の前兆、心拍数が異常な数値を叩き出し、皮膚の下では無数の虫が這い回るような感覚・・・筋線維束性攣縮だ、全身に広がっていく。
アセチルコリンエステラーゼの不可逆的阻害……毒の本体は、有機リンないしそれに近い、毒成分。
アセチルコリンがシナプス間隙で異常滞留し、ムスカリン受容体とニコチン受容体を過剰刺激し続けるコリン作動性クリーゼが起こっている。
エルフの強靭な代謝機能をもってしても、酵素と結合した有機リンが「エイジング(脱アルキル化)」を起こしてしまえば、結合は永久に固定され、もはや自然回復は見込めなくなる。
倒れ込みそうになる身体を壁で支えながら、アレンは震える手でポーチを探る。迷う時間は一秒もない。自律神経の暴走と中枢神経の痙攣を止める最適解。
リン酸化された酵素から毒を引き剥がし、アセチルコリンエステラーゼを再賦活化させる特異的解毒剤――PAM(プラリドキシムヨウ化メチル)の自己注射器を引き抜き、自身の大腿部へ力強く突き立てた。
カチッという作動音と共に、薬液が血中へ送り込まれる。
さらにもう一本。有機リン中毒が引き起こす致死的な中枢神経の痙攣を強制的にシャットダウンするため、ジアゼパムのシリンジを抜き、首筋の静脈へ容赦なく打ち込む。
毒と拮抗薬が体内というフラスコの中で激しく衝突し、血管が焼き切れるような波が全身を駆け巡った。1000年という人生の中でも希に見る最も激しい苦痛。
あまりの苦痛に意識が持って行かれそうになるが、ナイフで太ももを何度も刺し、痛みで苦痛から目を避けさせる。
「が、はっ……!」
荒い息を吐き出しながら、アレンはその場に膝をついた。エルフの超回復力と、発症からエイジング完了までの隙間を縫う、的確な薬理学的処置は正しく、致死の淵から彼を強引に引き戻していった。
毒を運んだ目も口もない不完全な生命は、呼吸することもできず、廊下の床で小さく脚をまるめ、殆どが死んでた。
「チェックメイトだ ギヨ!」
アレンは最後のドアの前に立った。
いよいよ次回決着? 感想などいただけると励みになるのでマジお願いします。




