4-9
ローズは木々を跳び移りながら逃げていた。
それも胸にブドウを抱きながら。
片腕までしか使えないこの状況。
足を滑らせたなら、地面へ真っ逆さまだ。
そんなブドウは、ローズの胸の中で震えている。
一方ローズの肩に捕まっているネーロは、地面を振り返った。
少し遠くに、ヘルハウンド達の姿があった。
オルトロスに乗った男の姿は見えない。
どこかから先回りしているのか。
それともオルトロスの体が大きい分、動きが鈍いのか。
何にしても、簡単には逃がしてくれないだろう。
「どうするローズ。奴ら鼻が利く。どこまでも追ってくるぜ」
「戦う。捕まるつもりはないから」
ローズもまた、自分を追ってくるヘルハウンドの群れを見ていた。
逃走を選んだのは、状況を変えたかったからだ。
ローズは1本の木の上で立ち止まる。
そしてブドウとネーロを下ろした。
「キュル…」
「大丈夫。待ってて」
ローズはブドウの頭を撫でると、跳んできた木を戻り始めた。
木の上と下。
ヘルハウンドの群れと、すぐに重なる。
狙いは群れの後方。
ローズは双剣を抜き、木から飛び降りる。
“ドシュッ_____!!”
重力が乗った振り降ろしが、2体のヘルハウンドの頭を割った。
その2体はすぐに絶命。
予想外の急襲に、残りの6体は動きを止め、振り返った。
反応が遅れた分、僅かながら時間ができる。
ローズにとってはそれで充分。
凄まじい速度のステップで、剣を振るう。
一瞬にして3体を仕留めた。
残り3体。
うち1体が火を吹いた。
ローズは近くの木を蹴り、火炎とすれ違うように跳んでいく。
そして右手の剣で頭をかち割った。
残り2体。
左右から同時に飛び掛ってきた。
ローズは左を選び、身を低くして迎え撃つ。
そしてすれ違いざまに剣を振った。
“ズバッ!!”
左のヘルハウンドの足が、4本全て切断された。
そのヘルハウンドは滑るように地面を転がる。
これで1対1。
残りの1体が真正面から襲い掛かる。
横槍が入るような気配もない。
ローズも真っ直ぐ迎え撃った。
“ザシュッ!!”
燃える牙が届くよりも先に、刃が顔面に入る。
そのヘルハウンドは、3つに別れて息絶えた。
べちゃりと音を立て、肉が落ちる。
その瞬間、足を失ったヘルハウンドが火球を吐いた。
ローズはそれを切り払い、飛び掛かる。
そして最後の1体の命脈を絶った。
するとタイミングを見計らうかのように、ヘルハウンドの亡骸から炎が上がり始めた。
「はァ…?嘘だろ?」
遠くからの呟きを、ローズは聞き逃さなかった。
草木を掻き分け、オルトロスに乗った男が遅れて到着した。
燃える8つの従獣の死体。
その中心に、ローズが佇んでいる。
真紅の瞳が、自身の何倍もの体躯を持つ獣を見据えた。
男の額に、冷たい汗が滲む。
(嬢ちゃんホントに何者だァ?強いにも程があるだろ。たがまァ、コイツの前じゃ無力だろォ)
この惨劇を見ても、男はまだ諦めていなかった。
口元を引きつらせながらも、オルトロスの背中を叩く。
「いけ!できるだけ綺麗に仕留めろ!」
男の命令により、オルトロスが前に出た。
炎を前に臆することなく、ローズに迫る。
鋭い爪を、ローズに向かって振り降ろした。
ローズはバックステップで躱す。
“ドシン!!”
オルトロスの前足が、地面にぶつかる。
大地が揺れ、亀裂が入る程の破壊力。
まともに貰えば死だ。
だが、ローズからすればこれくらいは慣れっこだ。
冷静に、オルトロスの次の動きを待つ。
するとオルトロスの2つの首の左側が牙を剥いた。
巨体に似合わぬ速さで食いつきに掛かる。
それもローズには見えていた。
思いっ切り跳躍して回避する。
その勢いのまま、ローズは木の上に飛び乗った。
しかし、それを右側が見ていた。
口を大きく開き、木に食らいつく。
パキパキと、嫌な音が鳴る。
「ッ!?」
ローズは別の木へ飛び移ろうとする。
だが木を揺らされ、上手く飛び出せない。
“バギィ!!!”
なんと、木が根元から噛み折られた。
右側は木を咥えたまま、ブンブンと振り回す。
ローズは剣を刺し、振り落とされないよう耐えた。
やがて飽きたのか、右側はローズごと木を高くぶん投げた。
ローズは瞬時に剣を抜き、木を蹴って跳ぶ。
その先は急斜面だった。
足場も、跳んだ時の体勢も悪かった。
「うぐっ!」
ローズは体を強く撃つ。
止まることは叶わず、そのまま急斜面を転がり落ちていった。
「何してんだ。追え!」
男が呆れつつも、オルトロスの背中を打つ。
その指示通り、オルトロスはローズを追って斜面を下りていった。
「キュルッ!キュルッ!」
その様子を見ていたブドウが、頻りに鳴く。
「落ち着け。あいつはあんなんじゃ死なねェよ」
落ち着きがないブドウに、ネーロはそう言い聞かせた。
木々の間から、日光が差し込む。
そんな開けた場所に、ローズは倒れていた。
「うぅ……」
全身打撲痕と擦り傷塗れ。
痛みはするが、気にならない程度だ。
骨は折れていない
ローズはゆっくり立ち上がり、周囲を見渡した。
そこは広くて木が生い茂ったフィールドだった。
「「オォオオオオオオオオオオ______!!!」」
背後から2頭分の咆哮が聞こえる。
振り返ると、オルトロスが急斜面を下りてきていた。
オルトロスがその勢いのまま、ローズ目掛けて爪を落とす。
またもローズは跳ねて回避した。
ローズとオルトロスとの間に、一定の距離ができる。
「おいおい。随分とボロボロじゃねェか」
男が茶化しながら、オルトロスの背中から降りる。
そして余裕の表情でローズを見据えた。
「その傷、痛むんじゃねェの?」
「別に…」
「ヒャハハ!強気だねェ。……なぁ嬢ちゃん、名前何て言うんだァ?」
「ローズ。……あなたは?」
「俺はドギィ。レアなモンスターを追い求めるハンターだ。まぁ、たまに人間を売ることもあるがなァ」
ドギィと名乗った男は、ねっとりとした瞳をローズに向ける。
「まぁ、お前は特別だ。ローズ、俺と一緒に来ねェか?お前のその美貌。その戦闘力。まさに天からの贈り物だ。俺と組めば無限に稼げる。デカい豪邸にも住めるし、旨いモンも腹いっぱい食える。悪い話じゃねェだろう?」
戦闘を目の当たりにして、加減ができないと判断したのだろう。
ドギィはローズに交渉を持ちかけてきた。
「行かない。私はこの旅で、やらなきゃいけないことがあるから」
ローズは首を横に振る。
旅での目標2つ。
それらを達成するまで、豪邸も贅沢な食事も必要ない。
「そうか。だったらカーバンクルと喋る黒猫を譲ってくれねェか?勿論2匹とも高値で買い取るぜ。旅の資金、しばらくは困らないだろ」
「それもダメ」
ローズはまたも断った。
「ネーロは相棒。ブドウは…友達。2人ともお金じゃ買えないくらい大切だから。絶対、渡さない」
ローズは語気を強めてそう言った。
その目からは、固い意志が読み取れた。
少しも譲る気がないローズに、ドギィは苛立ちを顕にする。
「チッ…。せっかく歩み寄ってやってんによォ…。ガキ過ぎて金の良さが解らないってかァ?」
「お金がたくさんあるのは良いことだと思う。欲しいものをたくさん買えるから。だけど、仲間を手放してまで欲しいとは思わない」
「カァアアアアアア〜!マジでガキだなァ。優秀な割に幼稚な思想でよォ。俺ァお前みてェなガキが一番嫌いなんだよ!!」
ドスの効いた声で、ドギィが怒鳴った。
ローズは何も言わず、彼を見据える。
今さら話し合ったところで、互いが納得する答えが出る筈はない。
結局は力尽く。
ローズはそのことを理解していた。
「オラ行けェ!あの生意気なガキをぶっ潰せ!!」
ドギィが下がり、オルトロスの尻を叩く。
オルトロスはすぐに走り出した。
右側がローズに食らいつこうとする。
ローズは跳躍。
近くの木の上に立つ。
だがそれを見ていた左側が襲い掛かる。
猛牙が届くより先に、ローズは木から飛び降りた。
地面に転がって着地する。
そこに向かって、上から前足が落ちる。
ローズはさらに転がって逃れた。
急いで起き上がった頃には、もう右側の牙が迫ってきていた。
ローズは双剣でガードしにいく。
“ガキン_____!!”
オルトロスの牙と剣がぶつかり合う。
だが、パワーの差は歴然。
ローズは軽々と吹き飛ばされた。
「ぐっ…!」
背後に太い木が見える。
このままでは衝突してしまう。
ローズは両手の剣を地面に突き刺す。
減速しながらも、大木の前でなんとか止まった。
「ヒャハハハハ!グチャグチャにしても構わねェぞ!修復魔法を使える奴に直してもらえるからなァ!!」
勝利を確信したのか、ドギィが高笑いをする。
「剥製にしちまうかァ!?少女の剥製を集めてる変態を知ってんだ!ローズ!お前の剥製なら億は出してくれるだろうよォ!!」
「……死なない。まだ死ねない」
自分に言い聞かせるようにそう呟きながら、ローズは立ち上がる。
白い前髪の間から、真っ赤な目が覗く。
それはまさに、命を刈り取る死神のようだった。
「「グルル……」」
オルトロスが低く唸る。
それは野生の勘か…。
追い詰めているにも関わらず、目の前の小さな少女に対して危険信号が発せられていた。
だが、主人の命令に背くことはできない
「「ガァアアアアアアアアアア!!!」」
2つの頭で同時に吠えると、オルトロスが襲い掛かった。
「………」
しかし、ローズは動かない。
臆することなく、佇んでいた。
そしてオルトロスが一定の距離まで近づき、右側が食いつこうとした直前…。
“ダッ_______”
地面を蹴り、爆発的に斜め後ろへ跳んだ。
丁度大木の横を通り抜けるように。
その結果…。
“ドゴン!!!”
オルトロスの左側が、大木に食らいつくことになった。
しかし、先程噛み折った木よりも太い。
左側は牙に力を入れる。
それにより、動きが止まった。
その時、下がったローズが左から飛び出していた。
異常とも言える速さ。
右側は気づいていたが、左側の首が邪魔して動けなかった。
勢いに乗ったローズが、双剣を構えて身を回転させる。
“ザシュッ______!!”
ローズの回転斬りが、オルトロスの左前足を刎ねた。
「「ガァアアアアアアアアアアアアアアア!!!!」」
左前足を失い、上手く立てなくなったのだろう。
悲鳴とも取れる咆哮を上げながら、オルトロスが左に倒れた。
何故立てないのか解らないようで、バタバタと暴れた。
特に下敷きになっている左側の頭がパニックになっている。
上になっている右側の方は、まだ冷静だった。
左側を落ち着かせようと、首を噛む。
その刹那、右側の瞳が映ってはいけないものを捉える。
それは頭上から剣を構えるローズの姿だった。
「終わり」
次の瞬間、ローズが再び体を捻る。
回転鋸のようになり、オルトロスに向かって落ちる。
“ズババッ!!”
ローズはオルトロスの両首を、切断してみせた。
血飛沫が上がり、木や地面に飛び散る。
オルトロスは、すぐに動かなくなった。
落ちた首の断面から、血が泉のように湧き出ていた。
「なっ…。嘘だろ…?」
ドギィは唖然としていた。
彼にとってオルトロスは、最強の召喚獣だった。
それが、あっさりと倒されてしまったのだ。
「ふぅ……」
ローズが小さく息を吐き、顔に付いた血を拭う。
その目は、すぐにドギィに向けられた。
「いッ…!!」
次は俺か。
そう察したドギィが、思わず声を漏らす。
案の定、ローズが猛スピードで飛び出した。
「くっ!まだ____!」
ドギィが慌てて左手を前に出す。
また何かモンスターを召喚するつもりだった。
だが魔法陣が出る直前、もうローズは目の前に居た。
次の刹那、神速の剣が走る。
“ザン_____!!”
ドギィの左腕が、宙を舞った。
「はっ…?」
突然のことに、ドギィは理解が追いつかない。
ローズはこれで終わらせなかった。
流れるような動きで、ドギィの腹を蹴り抜く。
「グベェ!!!」
ドギィが呻き声を上げ、地面に仰向けに倒れた。
「ウブッ!…あっ…ガァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア____!!!」
逆流してきた胃液を撒き散らしながら、ドギィは絶叫した。
斬られた左腕の痛みが、遅れてやってきたのだ。
一瞬で刻み込まれた2つの痛みに、ドギィは苦しむ。
それでもローズは容赦ない。
ドギィの胸部を踏みつけ、右手の剣を顔のすぐ横に突き刺した。
「ッ……!!」
剣が少しでもズレていたら、顔面串刺しだっただろう。
ドギィは言葉を失った。
そして同時に理解した。
今この場にて、自分の命は目の前の少女に握られているということを。
「……ブドウの親はどこ?」
小さい声だがはっきりと、ローズはそう質問した。




