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噤みの森(つぐみのもり)  作者: べにさし
母の衣の裾の影
96/205

03

「穴だっ。なんで?」


「おいおい、そんなに前のめりになるな。深くはないが、頭から落っこちたら大怪我だ」


「こ、これは……」


 見据えたまま呆然とこぼれた言葉に、サリアタ氏が。


「この縦穴たてあなから、横穴よこあなにつながって、地中の小部屋に通じておる。ご先祖の手帳は、そこに保存してあるんだ」


「地中の小部屋……」


「昨日ここもておいたが、封じはどれも切れとらんかった。人の立ち入った形跡はない」


「手帳を、保存するために地下室を? ルイメレク様がつくられたのですか?」


「違う」


 首を横に振りながら、穴を見やった。


「掘ったのはご先祖だ。渓流沿いの洞窟に、足跡をべたべた残していった者たちだよ」


「え……」


「その足跡と、まったく同じ形の足跡が、ここにも残されてあったのよ」


 おれは絶句した。

 蒸気機関の配備と、同一の意思が、地下室を……。


「もっとも、彼らの足跡が付いたのは洞窟より、こっちが先だろうがな。手帳を持ち出すついでに、もう一つのその足跡も、先祖学者の目に通しておこう」


 眼差しに力を込め、口に笑みを浮かべて、頷いた。


「ぼくも見たい」


 興味津々の顔に目をやって、氏は微笑むと、よっからせと立ちあがり、少年の傍らにかがんだ。


「おまえが見ても、つまらんだろうなあ。ふうんと言って終わっちまうようなものだ。けれどもバレストランド。おまえさんは、なかなか面白いものを持っておるのう」


 彼の手元を見つめながらのその言葉に。


「サリアタ様が持ってこいって言ったからでしょ」


 すぐに応えると、ホトトギスの玩具を差し出した。

 はっはと笑って受け取った氏が、こちらへ向いて。


「ポハンカ、頼む」


 差し出したのだった。

 ほうけたように突っ立つおれの隣で、こくんと頷いたセナ魔法使いが玩具の棒を右手で受け取った。

 その棒の先端から垂れさがる糸の末端には、厚紙で作られた鳥の模型。

 それをつかんだ彼女の白い左手から、ふわっと、淡い緑のたえなる光りが放たれた。

 おれには目映まばゆい手元を魔女は凝視しながら。


「少々お待ちを」


 一瞬だけ、瞳がこちらへ流れた。


「おまえたちは、ここで待っていなさい。下はちょっと狭いんだ。全員で降りたらわちゃわちゃする」


 梯子はしごあらためはじめた氏のそばへ、歩み寄る。

 固唾かたずをのんで、おれは問いかけた。


「その足跡とは、どのような?」


 すると氏が、梯子はしごを両手でいじりつつ、答えた。


「おそらく……。御神体ごしんたいと思われる」


「……御神体?」


 そう、と頷いて手をとめると、おれを見あげた。


「あの洞窟に残された足跡を、先史文明の科学力とすれば、この墓地に残されてあった足跡は、先史人類の信仰心」


「信仰……」


 屋根の向こうに横たわる、苔生こけむした岩に目をやった。


「詳しいところは、村屋むらやで、順を追って話すがな。手帳の記述に、この地下で見つかったものと符合する一文があってのう。御神体との推測は、そこから立った。どうやらご先祖は、それを安置するために、ここを掘ったようだ。と申しても、あのでっかい石っころ同様、もぬけの殻だが。しかし、そちらは本来、実物だったように思う」


 超自然的存在の科学的証明がもたらした、先史人類の不可視対象への観念は、信仰心の自然な有り様として受け入れられ、われわれの社会にも引き継がれた。

 神なる存在に対するあらゆる行動に際し、特別なことはしていない、あたりまえのことと捉える感性だ。

 隣人からの手助けに、ありがとう、と礼を言う。

 そうした心向きの延長線上に、神への信仰があった。


 われわれの社会では、魔法使いが認識した超越的存在のみを神と定義し、神が天下の仮宿とした物質を、御神体ごしんたいと呼び、おまつたてまつった。

 そして、その御神体に、人が屋根を掛け、まつった神座しんざ神殿しんでんと呼び、神殿への参拝所である拝殿はいでんを設けた聖域のことを、神社じんじゃと呼んでいた。


 おれはゆっくりと目線を落とし、足元を見た。

 風雨にさらされ、酷く磨滅した、茶碗の載った石の台。


「百年前からそこにあった台だ。状態からして、かなりの年代物。この屋根は、何十年か前にビルヴァの衆が建て替えたものだが、百年前にも、屋根はあった」


「サリアタ様。地下室の方向は、どちらでしょうか」


 訊ね、顔をあげると、おれを見返した氏が、にやりと笑って、彼方に転がる濃緑こみどり色の物体を指差した。


「あれのちょうど、真下の辺りだ。そこの石台と、対面の位置関係になる。双方のその配置も、ここの安置物が、御神体であることを示唆しておるのよ。あのでっかい石っころは――あれも百年前からここにあったものだが、中身はからっぽ、この穴を塞いどった。要するに、偽物だな」


 拝殿に見立てた地上の石台から、偽の御神体を透かして、地下神殿にまつられたまことの御神体を拝む構造。


「つまり、ご先祖は。信仰対象の神様を、隠した?」


「そういうことになるだろうな。ただ、正確に申せば、彼らが隠したのは神様ではなく、御神体だ。そこに宿る神様までをも隠すことはできんから」


「あ、そうですね、はい……。しかし、どうして、そんな偽装を?」


「そこらへんの確かな内情は、わからない。けれども、そこらへんの符合で、洞窟に手帳を忘れてったご先祖と、この場所とがつながっていることがわかったのよ」


「……え?」


 符合で、場所のつながりを知った?

 ご先祖が築いた地下室。

 手帳から読み取って、発見したのではないのか?


「それがな、違うんだよ」


 確認すると、首が横に振られた。


「どこかには、書かれてあったのかもしれんが、ぼろぼろでな。読み取れるぺーじは限られておって、そこからはつながらなかったんだ。あの洞窟の足跡と、この墓地の足跡との接点は、完全に途切れてた」


「では、地下室の存在が判明したのは。その情報源は」


「それが――例のビルヴァの魔女なんだよ。三百年前にくたばった魔女の婆さんが、ここを教えてくれたんだ。まあ、本人がこっちに来ておるしな。そこいらの経緯については今話しても、陰口にはならんだろう」


 くすりと笑い、その場に胡坐あぐらをかいたので、おれも正面に腰を落とし、かがんだ。

 口をひらいた。


「ドレスンの訪問からしばらくのあいだ、わしらは町と森とを、行き来することになったわけだが。その道程は、おまえさんも今日、辿ったみちと、ほぼ同じ。だもんだから、ビルヴァにいとる魔女の霊の存在には、早々に気がついた。婆さんは村の出ではなかったが、天気の相談に乗るうちに、いつしか住み込んで、とうとう村の墓に骨をうずめちまった人だった。終生、独り身だったようだが――」


 わずかに声の調子が落ちる。


「子が、おったらしいから、まあ、そのへんの事情だろうな……。婆さんが死んでのち、ゾミナが降りて来るまで、ビルヴァに魔法使いは不在だった。天気のこよみは長いこと、村長があちらこちらへおもむいて、魔法使いに聞いてまわって作っていたと言う。もともとこの土地は、よそ者の姿を見かけることが、ほとんどなかったようでのう。魔法使いはおろか、常人の方々ですら寄りつかない。どん詰まりの土地だし、山麓の神隠しの噂もあったからな。お化けとなった婆さんの声に応えてくれる人間は、めったにおらんかったそうだ。そのかんおよそ二百年……。そんなところに、現れたわけだ。魔法使いが二人も揃って、のこのことな」


 くすくす笑った。


「始めこそ、草葉くさばの陰から様子を窺うだけで、わしらも素通りしておったんだが、そのうち立ち入るたんびに、嬉々として寄ってくるようになってな。つかまって、散々、小言こごとを聞かされたよ。村の誰それがろくな仕事をしないとか、ロボゴボに修学に行った誰それのことが心配だとかな。こっちの言葉なんか聞きゃしない。ここぞとばかりにべらべら一人で勝手に喋ってた。もう、うるさいのなんの。……ところがだ。ある日に突然、婆さんがぽろっと言ったのよ。おまえたちと会って思い出した。わたしの骨が埋まる土中に、ご先祖様の落とし物があったような気がするってな。そうしてわしらを、ここへ導いた」


 黄昏たそがれの墓地に射し込む夕陽で、オズカラガスの木立の群れが黒く陰っていた。

 気配は未だ、どこからも感じない。


「婆さんも生前、村の墓地には何度も立ち入っていて、三百年前の時点ですでに神様はご不在だった。その神様のかつての御神体と信じていたあのでっかい石っころの下に、小部屋が存在することに婆さんが気づいたのは、死んだあとだと言う。生きているときはわからなかったそうだ。お化けの目ん玉になってようやく、それが、見えた。……そんな話しを聞いて、ルイメレクもドレスンも色めき立ったよ。しかし、場所が場所だから、構いなしに調べるわけにいかず、ビルヴァを訪ねて当時の村長に、旧墓地の地下空間を見せてほしいと頼んだら、ぶったまげてた。知らなかったんだ。血筋ですら。よそ者のわしらにわかるはずもない。いやはや、まったく……。婆さんがおらんかったら、ここは確実に見過ごしてた。手帳の解読もおそらく頓挫とんざしてたろう。二百年越しの小言こごとに耐えた甲斐かいがあった、と、言うべきかな」


 ビルヴァの住人も――子孫も、知らなかったのか。

 祖先の墓地の地下。

 ご先祖が、この土地を掘った推定年代は、紀元前後。

 当時は、なんの所縁ゆかりもない、ただの土地だった。

 そこに後世、墓地がひらかれたのは、偽物の御神体。

 あれを、ビルヴァの祖先が、見つけたからか。

 神様の宿りを、信じたからか。


 氏が、穴のふちに腰かけた。

 そうして砂埃すなぼこりの積もった梯子はしご踏桟とうざんを、踏み叩いた。


「うむ。やはり使えそうだな」


 蒸気機関と、発電機とその利器と、信仰心。

 機械文明が、神とまじわる。

 そこからなにが産まれてくるのか。

 おれには、さっぱりわからない。

 だが、わかってきたことは、ある。


(まさに、そこよ。そこのところが、前代未聞の発見を、ロヴリアンスに告げなかったあとの理由。始めとあととで意味合いが、がらりと変わってしまった理由だ)


 山麓の洞窟の中で、失われたはずの利器を操り。

 近傍の土を掘り、築いた神殿に御神体を隠した。

 当時は未開であった、この僻地でだ。

 まるで、なにかの目を、避けるかのように。

 のがれるかのように、わざわざ足を運んでいる。

 彼らは、なにから遠ざかったか。

 ロヴリアンス……。

 宇宙船の放棄を決断した、ご先祖の主幹勢力。

 当地に残る足跡は、その反論者たちではないのか。

 その行動に見え隠れする共通項は、暗躍だ。

 異端者たるご先祖は、このネルテサスの大地に。

 中央に知られてはならない秘密を、植え込んだ――。


 かあぁーん…………。


 例えようもないかなしい音が、不意に背後で響き渡った。

 聞き憶えのあるその不思議な鳴りに振り返ると。

 セナ魔法使いの左手がつかむ模型の鳥は今や、緑色に光り輝く神妙なる灯明とうみょうと化し、薄暮はくぼに沈みはじめたオズカラガスの木々を、煌々(こうこう)あからめていた。

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