04
光りの鳥が揺れる棒を、サリアタ氏は段袋の脇に差し、背負った。
だんだら模様の毛織帽子が、淡い緑光に照らされた暗い縦穴を降りていく。
深呼吸を一つしてから、おれも続いて踏桟を踏んだ。
つかんだ支柱は硬く、ひんやりとしており、そのざらついた感触と手のひらの汚れには憶えがあった。
酸化鉄。
眼前に浮かびあがる側壁は、質感から石と思われた。
錆びた鉄製梯子の支柱は、そこに固定されていた。
「サリアタ様あ。ぼくも降りたあい」
少年の大声が反響する。
「待ってろと言ったろうが。あとでな。先生が戻ってから降りてきなさい」
穴の深さは、三メートル程度だった。
すぐに底を踏んだ靴裏の感触は固く、石壁に囲まれた直下の狭い足場も石のようであり、どうやらこの地下空間は岩石を削り出し埋め込んでつくられているようだった。
おそらく何十年と沈殿していた砂埃の舞う空気とオズカラガスの芳香とが雑ざり合い、形容し難い匂いが漂う。
棒を持った氏が、緑の光りを一方へ差し向けた。
するとその正面の暗闇に、壁に空いた横穴が、うっすらと浮かびあがった。
ひと一人が立ってどうにか歩ける幅だ。
「足元、気をつけてな」
石壁に挟まれた細い通路は途中で大きく凹と窪んで段差になっており、泥の堆積が底に見え、片方の壁の下に穴があった。
「雨水の受け口だ。地層につながっとる」
わずかの階段を下る氏に続いておれも、底の泥を踏んだ瞬間だった。
ぴーん、と、張り詰めるような、音の無い音を耳に感じて思わず、足がとまった。
それがたちまち強くなり、鼓動と共鳴するかのように頭の芯で、ぐわんぐわんと鳴り響く。
なんだこれは……。
「んん? ああ、やっとこだ。やっとこ、お出ましだ」
段差を上りながら氏が。
「なかなか出て来んと思ったら、下におったんか」
底で動揺しているおれを見おろす。
「例の婆さんがようやく出た。小部屋の中におる」
なにか変化はないかと聞かれたので、妙な耳鳴りがしていると答えたら。
「それが、おまえさんのおでこの眼が働いた時の感覚だ。憶えておくとよい。その感受性は個人差があってな、人それぞれ異なる」
おれは頷いて、顔をしかめながら氏のあとに続いた。
「待ってた割には、ずいぶんと遅い登場じゃないか?」
――カユの坊や。待ちくたびれたぞ。
脳に直接、響くような声が応えた。
生まれて初めて、幽霊の声と自覚し感受したその声音は、案外なことに大人の女性の綺麗な声だった。
氏の口振りからは老婆が想像されたので、驚いた。
――待ちくたびれて、なんでわたしは墓におるのか、わからんくなってしもうたわ。思い出すのに間を要した。
「相も変わらず惚けとるのう」
――おまえに連れがおったからだよ。話しが違う。
そこで緑の光りが、氏の前方に石壁を照らし出した。
行きどまりかと怪訝に思ったらその壁の真ん中に、土嚢のような厚ぼったい袋が何重にも詰まっていて、それを氏が片手で一つ一つ引きずり出す。
ちょっと持っててくれと光りのぶら下がる棒をおれに渡すと両手で作業を続けた。
「違うもなにも。約束なんぞ。してなかろうが」
見た目に反して軽そうな袋が石壁からすべて除かれると、そこに五十センチ四方の穴があいた。
振り返る。
「この向こうが、神殿だ。中は高さが一メートルくらいしかないから、頭ぶつけんようにな」
壁の厚みは三十センチほどだろうか。
ぽっかりと口をあけた四角い穴に氏が頭を突っ込んで、四つん這いで潜りはじめた時、またもや声が頭に響く。
――ところでカユの坊や。そこに控える、寝癖のひどい男は、何者だ?
聞こえたその問いかけは、おれのことだった。
――わたしは確かにここで、人を待っている。だが、おまえではない。
名乗ろうと口をひらきかけると、氏が先に答えた。
「婆さんの村の客人だよ。マテワト・フロリダス殿と申される。今晩は村屋に泊まるから、婆さんに挨拶をしに参られたんだ」
――おお、そうなのか。道理で、賢そうな面相をしとると思った。足労をかけたな、マテ…………某殿。そういうことならば、頼みがある。約束してほしい。
「は、はい。なんでしょうか」
――わたしは、おのれの顔を見られたくない。あの娘のようにかつては美しかった……とまでは、さすがに言わぬがな。けれど、今ほどには、醜くはなかったのだ。何人の目にも曝したくない。
「わかりました。お約束します。見ません」
「明かりを」
穴の向こうから氏の声がし、その手に棒を渡した。
おれも四つん這いになって出入りの口を潜り抜けるとそこは、聞いたとおりに本当に窮屈な空間だった。
広さの四方は三メートルくらいあるようだったが高さがないので立ちあがれない。
がらんとした石室の中央に一本の柱で支えられている石製の薄い台があり、平たい木箱が一つ載っていた。
そしてその彼方で、光りの淡い翠に映える立ち姿の貫頭衣が、妖しくゆらめいていたのだった。
おれは今、幽霊を、目撃している――。
わけだったが、今のおれの注意の大部分は、中央の木箱に傾いていた。
事前に氏から話しを聞いていたこともあり、自覚的な幽霊との初対面に臨んでも感情に大きな起伏はなく、それより集中力を削ぐ止まない耳鳴りのほうが気になった。
これまで何度か幽霊を目にしたと思える体験を経ているが、アデルモのご主人の姿を認識したときのように、まるで生者であるかのように、はっきりと像を結んでいた。
だが、やはり相手は、まぎれもない死者である。
顔を見られたくないと言ったビルヴァの魔女のその顔は、上体ごと天井の中にあるようだった。
腰から下しか見えなかった。
「フロリダス殿。これへ」
屈みながら中央に寄った氏に従い、おれも寄った。
ふたたび手渡された棒を掲げ持ち、木箱に両手を添えた氏の挙動を注視する。
ゆっくりと持ちあがっていく箱の蓋は無地であり、それをそっと脇に置いた氏が、箱の中を指差した。
身を乗りだし、覗き込んだ。
するとそこには、二つの物体が納まっていた。
一つは、縦十五センチ横十センチほどの寸法の書物。
反り返った表紙は斑に黒ずみ、汚れと傷みが酷い。
背表紙から察して本来の厚みは一センチ程度と思われるが、頁の束は固まって波打って膨らんでおり、その何か所かの隙間に大きめの紙片が差し挟まれていた。
「これが、ご先祖の手帳……」
「そうだ」
ようやく、目の当たりにした。
未発見の原語文献。
「ひらけるところだけ、これ以上ひっつかないように紙を差し込んである。あとの頁は湿気で癒着してしまっておって、無理にひらこうとすると破けてしまう。だいぶ前に一度な、リリの顕微眼に曝したことがあるんだが、何枚もの頁の文字の列なりが十重二十重にかさなって、黒一色。潰れて識別できんかった」
「なるほど」
「ほとんど野ざらしの状態で、千年ちかく放置されていたものだ。読める部分があっただけでも奇跡だよ」
そして、いま一つは、なにやら杓文字のような形をした、長さ二十センチほどの小物であった。
緑の光りに照らされたその色味は、灰色に見えたが、陽光下では薄紅のような色かと思う。
全体に点々と、花びらの紋様が散りばめられていた。
氏の話しにあった安置物――御神体に相当するものは、場にはほかには見当たらない。
しかし、それはおれに想像し得る対象とは、かけ離れた姿だった。
「こ、これは、なんですか?」
訊ねると氏が、小物を指差して前方に目をやった。
「婆さんよ。これはなんだ? 客人に教えてくれ」
――待て。今、思い出すから。
「忘れたんかよ……。いいわ。フロリダス殿。ひっくり返してごらん」
言葉に顔をあげた。
「触っても大丈夫。おまえさんのような人間になら、これも本望だろう」
促され、箱に手を入れ、細長い柄の部分をつかんだ。
おそらく、地球で作られたはずのその材質は、なんだかわからなかったが滑らかで固く、平べったい頭の部分に不自然な重みを感じた。
そのまま、裏返す。
するとひらりと、緑光が反射した。
重みの理由――その裏側には、円形の鏡が。
直径十センチほどの円い鏡が、嵌め込まれてあった。
銀色らしい鏡面は漏れなく砂埃にまみれ、くすんでいるが、杓文字に似た形状をしたこの物体の正体がわかった。
「手鏡……ですか?」
「そのようだな」
「これが、御神体?」
「ルイメレクは、そう判断した」
薄紅色と思われる色味をした、花柄模様の手鏡。
そのもの自体は、普通に女性の所持品である。
印象の可愛らしさからして、年若い女の子の手鏡だ。
とても御神体には見えなかった。




