02
それを聞いて、躊躇う理由はなくなった。
背嚢の中の菓子袋の上に、お守りの小袋を、置いたのだった。
見あげる枝葉の間隙に、たなびく雲の燃えるような夕焼け空が覗いていた。
微かに薫る、薄暗くなった雑木林の木立のなか。
三人の魔法使いが林床を踏む乾いた音の後に、おれも続いた。
先頭を歩くサリアタ氏の背には、軽そうな段袋。
アラム少年は短弓の代わりに、よほど気に入ったのか町でもらったホトトギスの玩具を持っていた。
振りまわしてはいなかったが、それをセナ魔法使いが取りあげようとして、じゃれ合っていた。
チャルは車に一人残った。
彼の祖先の墓所であるので、共に参るかと氏は誘ったが、父から許しが出ていないとのことで、同行を辞退した。
たぶん、われらの目的を考慮しての判断と思う。
カラチ鳥が、遠くで六羽、日の終わりを告げ合うように鳴いている。
われながら不思議だった。
どうしておれは今、夕風にのった鳥の声を耳にして、群れは六羽と思ったのだ。
林冠を流れていく風が、語りかけてくる感じがした。
噪ぐ葉の一枚一枚が、風に答えている感じがした。
木々の葉というものは結構、お喋りなのだなと思う。
残念ながら、おれは葉の言語は、学んでいない。
先祖学の必修ではなかったからだが、これからは葉を先生と仰ぎ、言葉を学び、彼らと語り合うのも悪くない。
漂う匂いは、歩みにつれて、徐々に濃くなった。
だが、込みあげてくるこの吐き気は、香料植物が原因ではなさそうだ。
五感の冴える明晰感が強くなっていくのと同時に、耳鳴りがしはじめ、夢か現かと思うような浮遊感に襲われて眩暈もぐるぐる、おれは堪えきれずに嘔吐いてしまった。
胃液が少し出るだけだったが、それを何度か繰り返すうちに眩暈はなくなり、耳鳴りもやんで浮遊感も薄らいで、そうしてあとに残ったのは、先に感じた不思議な認知。
自我が拡大したかのような、鋭敏な意識だった。
立ったまま膝に手を突いて、うなだれていると視野の端に、風色の貫頭衣の裾がちらりと見えた。
「お爺ちゃん」
「ああ……。酔ったか。ひどくなりそうなら……。バレストランド、目隠しを取ってきてくれ」
「いえ、大丈夫です」
応えてすぐ、噎せ返るような芳香を嗅ぐ。
疎らに繁った周りの木々は、オズカラガスであった。
その落ち葉の積もった地面のあちらこちらに垣間見る、ざらついた丸い石。
ビルヴァの旧墓地に入ったようだ。
三百年前に葬られた魔女の霊が百年前、ご先祖の手帳に関わったというその言葉を、ぜひとも聞いてみたい。
おれは気を張って、身を起こした。
「平気です。治まりました。このままで」
「そうか? ならば、参ろう。……しかし婆さんめ。なかなか出てこんな」
墓地のぐるりをまわし見た。
確かに、木間のどこにも、人影は見当たらなかった。
「雰囲気は感じるのだがな。わしが一人でなかったから、様子でもみてるのか。お化けの登場の仕方でも考えてるのかな。まあ、いいか。そのうち出てくるだろ」
われわれも、落ち葉を踏み出す。
散見する墓石らしき丸石はどれも酷く風化しており、彫られていたはずの刻字はすっかり消えてしまっていた。
先人の名は、もはや墓石からは知り得ない。
それから間もなく、足の向く先だった。
雑草の生い繁った空き地にて、夕陽に染まりゆく一枚の古びた屋根を認めた。
壁はなく、四本の柱のみで支えられている。
平べったい四角錐の形をした、板葺きの屋根。
その真下だった。
わずかに盛りあがった草地の上に、一メートル四方の丸みを帯びた、濃緑色に苔生した岩が、鎮座していた。
なにあれと指差すアラム少年に、笑いながら氏が。
「ただのでっかい石っころだ」
そう答えたが、単なる石に、屋根は張らない。
その正体は、かろうじておれにも察せられた。
一般に、それは神社を成すもの。
だが過去に何度か、古代に造成された墓所においても目にしたことがある。
御神体。
神なる存在が宿る天下の依代。
その様に思われたが、しかし。
ただのでっかい石っころ……。
(人は、安易に触れるなかれ。神と人との気位の格差に、やられてしまう)
いつぞや故郷で魔法使いから聞いた言葉を思い出す。
おれという人間は、これまで異能者の実情をろくに知らずに、知ろうともせずに、御神体とは神社とはと、知った顔をしていたのだが……。
サオリの御神木。
森の姫様の御母堂様たる女神様がおわすあの地には、魔法使いは近づけないと、マルセマルスカス氏が教えてくれた。
近づくだけで、意識を持っていかれる恐慌に襲われると。
その点に、樹海の魔法使いは例外としても、伴う二人の魔法使いにも動揺は一切みられず、あまつさえビルヴァの魔女の霊は、朝からここで待っていたとのこと。
そしてなにより、おれ自身――。
半端者だが、強い存在であれば視えると言われたおでこの眼を曝していても、畏れもなにも、湧いてこない。
「御神体……ですよね?」
氏に確認してみると、こちらを一瞥し、笑った。
「形はな。もぬけの殻よ」
「……なるほど」
やはり神様はご不在か。
あれは、かつての御神体。
ビルヴァの祖先は、神様のお膝元に亡骸を埋め、故人の魂の昇天を祈願していたのだろう。
あの御神体が、この場所に在ったから、見つけたから、パガン台地のあの土地に根づいたのかもしれない。
そこで隣の魔女が口にした。
「結界は、張ってないようね」
「うむ。森と違ってここでは逆に、目立ってしまう。ちょくちょく来られる場所ではないから、わしが張っても保てない。だったら、無いほうがましだ。ここに立ち入る人間は、ビルヴァの者以外には、まず、ないからの」
いよいよ目の前に来て見ると、岩のたもとの草地に墓石の状態と似た、年季に磨滅した石製の小さな台があり、そこに供物と思われる透明の液体を湛えた茶碗が一つ。
おそらく水と思うがきれいで茶碗も汚れていず、置かれてから長く時の経っていないことを示していた。
「ああ、そういえば朝方、村長が、お務めに行ったと申しておったな。まめに参っておるようだのう」
感心感心と言いながら、背負っていた段袋をおろした。
「さてと」
苔の蔓延る岩に向かって膝を突く。
そうして神前の拝礼のように、上体を前へ傾けた。
セナ魔法使いも倣い、アラム少年を引きずり、促す。
あわてておれも膝を突いて頭を垂れ、目を閉じた。
ビルヴァの祖先に、黙祷を捧ぐ。
ややあってから。
「……では、ご先祖様。久方ぶりに、御免くださいよ」
サリアタ氏の声に瞼をひらいて、顔をもちあげ。
おれは固まった。
岩が、ない。
一瞬わが目を疑った。
が、わずかの間に、消えた。
と思ったところ、屋根から奥へと外れた雑草の繁る地面の上に、先ほどまでは確かになかった濃緑に苔生した岩が一個、ごろんと横たわっているのを見たのだった。
氏が振り返り、状況がのみ込めないおれに言う。
「フロリダス殿。こういうことよ」
右腕を前へ伸ばして、指差した。
その指先の示す方向は、屋根の向こうの岩ではなく、屋根の直下であった。
おれは、ゆっくりと立ちあがり、先刻まで岩が置かれてあった場所に注目した。
するとそこに、直径一メートル足らずの円い穴が。
ぽっかりと空いており、そして……。
暮れなずむ斜陽の光りに照らされた。
地下へと続く、梯子を見た。




