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噤みの森(つぐみのもり)  作者: べにさし
四方山話

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210/212

05

「なんか、出が悪いなあ。夏場ってこんなもんだっけか」


 苔むす断層の狭間だった。

 滾々(こんこん)と染み出ている湧水に勢いはなく、なめらかな壁面を伝って直下の水溜まりへと絶えなく落ちていた。

 今日の水量は比較的に少ないらしいが、流れはもともと無いそうで、溜まった水は土壌に吸収されている模様。

 付近の地面は水を含んで沼地のようになっていた。


 水場へ行くことを目的としながら、思考があらぬ方向に頓着して水筒を持ってこない要領の悪さがおれであり、二個の木桶を洗うべく湧口わきぐちへ近づく靴底に泥が張りつく。

 するとそこで、洗う必要はないと言われた。

 おれは提げ持つ両手を交互に見た。

 三か月ほど放置されていたらしい空桶からおけの内側はどちらもほこりで薄汚れており、汚れの一部はかびかもしれず、念入りにすすいでも飲水容器として使うには少し不安が残る状態なのに洗浄不要とはいかなる了見りょうけんかと思ったら、魔法だった。


「貸してみ」


 言われるまま一個の木桶を手渡すと、その底面をなにくわぬ顔でご自身のへその辺りに押し当てた――瞬間。

 ぼんっと空気の破裂するような音が鳴ったと同時に桶の口から、ぼわっと大量の塵芥ちりあくたが吹き出たのだった。

 続けてもう一個も受け取ると同様に、ぼんっ、ぼわっと。

 覗いて見ると、両方とも中の汚れが、綺麗さっぱり。

 埃は無論、木材自体の黒ずみまでなくなっていた。


「こっちが飲む用で、こっちが流す用な」


「……サリアタ様が扱われる魔法の底が知れません」


 広がる波紋の中心に一個を置き、一個は隣に控え置く。

 この時季は本来ならば、どこもかしこも増水するはず。

 とは言え、例外もあろう。

 水が溜まりきるまで、暫時ざんじ、待つこととなった。


「そんでも普段はね。たいがいの用は手を使うようにしとる。なんでもかんでも魔法に頼っと、身体がなまっちまう」


 老魔法使いは笑いながら沼地を離れ、湧水口ゆうすいこうを正面に見る小岩に座ったので、おれも近くの岩に腰かけた。


「ちからと魔法との因果関係は、論理なんですよね」


「いかにも。魔法使いは、まず結果を考える。その結果に通ずる道理をさかのぼって得心することで、ちからが原因となって魔法が発現するわけだ。魔法を考えつく発想力と、筋道を見定める理解力。そこらの要領さえつかんじまえば、あらかた思うとおりに仕熟しこなせるんよ。腕の見せどころだね」


「だから魔法は言語化が可能なんですね。先ほどのような独自の魔法がある一方、体系化もされている」


「むしろそっちが本流だな。先人たちが残してくれた言うなりゃ魔法大百科を読んで、学んだ道理をおのれの手加減で使っとるもんがほとんどだからのう。簡単だし、間違いもない。結界がまさにその一つだわ。定番中の定番」


「最初に学ぶ初歩のような扱いなんですか、結界って」


「うんとねえ。そういうのとは、ちょっと違うんだ。魔法の道理を学ぶことと、魔法を使いこなすこととは、別の問題だからさ。一括ひとくくりに魔法使いと申しても、持って生まれた性質は人それぞれ異なるんで、苦手な傾向の魔法をいくら学んだところで、まともに発現せんのよ。結界を例に挙げっと、リリディーヌ・マルセマルスカスは上手に張りよる。だがゾミナには無理。ポハンカとバレストランドにも難しい。メソルデも……いや、あの子なら張れっかもな。そんな具合」


「それが、ちからの出方ってやつですか」


「そう。魔法使いに師弟制度があるんはそのためでね。生まれ持ったちからの源泉のかさや、ちからの向きから生じる得手不得手。そこいらを幼いうちに見極めてくれるお師匠さんがおれば、おのれのちからを、手前勝手な穴だらけのざるで、すくい続けるようなむなしいことにはならんからの。わしの場合は散々、盥回たらいまわしにされたけどねえ」


「ルイメレク様は六人目のお師匠様だったと」


「話したよな。わが師にしても、ちからの強さは、前の五人とそんなに違わなかったんだよ。ただ、ここが違った」


 人差し指で、頭の毛織帽子の脇をとんとんと叩いた。


「そういやルイメレクも結界張るの下手へったくそだったわ」


「里にお住まいの魔法使いの方々は、お弟子ではないんですよね。マルセマルスカス様がおっしゃってました」


「あいつらは、言ったら通りすがりだからね。サリアタを師匠とすんのは勝手だよと。けれどもサリアタは、誰のことも弟子とは思わんよと。そう申しとかんと切りがねえんだ」


 そういえば森の姫様も評されていた。

 里のあるじが持つちからは、闇にさか業火ごうか


「なるほど。来る者は拒まず、去る者は追わず。巷間に伝わる樹海の魔法使いの噂の出どころは、里を去られた魔法使いの方々の口でしょうか」


「それ以外ないよね。人の口に戸は立てられん」


「構わないと」


「わしを敵にまわしてあばけるもんなら、暴いてみろと」


「噂どおり、めちゃくちゃ怖いですね。樹海の魔法使いは」


「そんでも長らくつらを見せるやつにはさ、情が湧く。留守居を任せたリリは、もう身内のようなもんだしね。バレストランドに至っては孫みたいな感覚よ。……ポハンカもな」


「確かに、そのようにお見受けします」


 滞在歴二十年のマルセマルスカス魔法使いを筆頭に、里で暮らす魔法使いたちは、あるじを訪ねて参ったお客人。

 だが、ポハンカ・セナ魔法使いだけは経緯を異にする。

 彼女だけは、里のあるじが、みずから連れてきていた。

 そうなった事情についてはおれも承知していたが、サリアタ様はかるく触れたのみでありオズカラガス様も抽象的な表現に終始されたので、詳しい内実まではわからない。

 正直を言えば、気になるところではあったが、子細を訊ねるのははばかられるし、そもそもおれが知る必要性すら。

 神のお創りたもうた絶世の芸術作品ゆえ、闇に落ちた。

 闇に落ちた……それは、もはや過ぎ去った彼女なのだ。


「セナ様の記憶透視。サリアタ様のお仕込みと聞きました」


「あれのちからを整えんのは難儀したわい」


 森の隙間に野鳥の遠鳴きが響き渡った。


「見てくれ同様、出方も極めてまれでよう。源泉はそこまで大きかないんだが、ちからの向きがまちまちで、どれを基準に整えてやりゃいいのか、しばらく悩んだんだ。そんなわしの様子を他人事ひとごとみたいに、きょとんとした顔で見ててさ。こりゃ生まれたばっかの赤子のごとく扱わにゃあならんかなと。それまであいつが覚えておった突き抜けの悪い魔法を全部、忘れさせるところから始めてね。荒れに荒れてた源泉をならしつつ、流れに逆らわんよう、なめらかに馴染む捏ね方をね。わしも探り探り、一から教え込んでいったんよな。そしたら、あんな奇天烈な形の魔法になってしもうたわ」


 口をへの字におし曲げて苦笑いしたその表情。

 カユ・サリアタらしい慈愛が随所に滲み出ていた。

 おれが言う。


「左手の、神々しいあの光もですか?」


「そっちはねえ、あいつが自分でやったの。要領をつかんだあとでね。初めて見たときは、ぶったまげたなあ。発光魔法は数あれど、おのれの肉体を光源にするなんざね。しかも放つ光の突き抜けた透明感。ポハンカ生来の純な本性が現れておって。正直わし泣きました」


「わかる気がします」


「あんな仕上がりを見せられたらよ。たまらんぜ」


 そのとき桶から水が溢れ、おれは腰をあげた。

 足早に歩み寄りながら。


「バレストランド魔法使いも、サリアタ様のご教示で?」


「ううん、あいつは元から」


 充分に溜まった桶をどかし、横の空桶からおけと置き換える。


「親御さんを亡くす前から師匠がついておったようでな。里へ参ったときは歳が一桁ひとけただった。死んだ父ちゃんと母ちゃんに手を引かれ、泣きべそかきながら一人でやってきたんだよ。ちっこい身体にでっかい弓を背負ってよ」


「そうでしたか」


「この子を頼みますって言われてね。預かったんよな」


 毛織帽子を頭から外し、風切羽根をいじっていた。

 戻ってふたたび近間に腰をおろすと、言葉が続いた。


「道を誤らせるわけにはいかんかったってのもあるけどな。魔法の出来栄えが、童子がきんちょのそれじゃなかったんだ。そこは元の師匠がどうこうって話じゃない。だから育てんのも慎重よ。自立させなきゃならんしさ」


 やはりアラマルグ・バレストランドは天才なのだ。


「今んとこあいつには、色んな魔法を器用に持たすんじゃなくて、生まれつきの磨きに専念させておる」


「わたしは、いずれ彼は、勇者になると思ってます」


「そういや前に言うとったな」


 くすくす笑った。


「はてさて。先生のその期待に応えられるかどうか。なんとも言えん。あいつには障害物があるからのう」


 聞いてサリアタ様へ顔を向けた。


「彼になにか問題が?」


「弓だ」


 ……弓?


「あいつはね、実際に弓のつるを絞ることでしか、本領を発揮できんのよ。集中を高めるんに射撃の動作がって言い分はわかるんだけどね。それ自体、無駄なんよ。本物の弓なんぞなくったって、ちからの矢は射てるんだから。左腕をやられたんも弓を持ってたからだ。道具への依存のせいで、おのれの魔法に天井をつくっちゃってんの」


 ああ……そういうことになるわけか。


「そこはあいつも自分でわかってんだけどね。手放さない」


「現時点で、彼の魔法はすでに凄いですが」


「弓を捨てたら、さらに化ける。念力の使い手としてわしを超えられるはず。先生の期待どおり、人心に名を刻む勇者にだってなれるやもしれん。それだけのちからを持っとるんは確か。だが、弓に頼っておるうちは、ただの魔法使いだ」


 沼地に舞い降りた小鳥たちが溜まり水を飲んでいた。

 にも関わらず、手放さないということは、手放せない事情が、なにか少年の心のなかに、きっとあるのだろう。

 数羽の小鳥がにわかに飛び立つ。

 おれは背を伸ばし、辺りに散らばる岩石群を見渡した。

 樹海の魔法使いの仕事場は、居心地が好く感じられた。


「ここを選ばれたのには、特別な理由がありそうですね」


 そうだねえ、と周りをゆっくり回し見る。


「自然がつくりだす地形ってのは、無理がないんよな。高いところから低いところへととどこおりがない。だから必然、風通しもよくなる。空気の流れがいいとこは、ちからの抜けもいいんでね。諸々(もろもろ)都合がよろしかろうと。里も悪かないんだけど御神木との距離がな。ちと近くてな。サオリに線を通すたんび、かるくあたってたんよ。だもんで、どっかいいとこねえかなあって探しまわって、見つけたんが、ここ」


 相槌を打った。


「わしを頼ってくる霊たちを、本腰入れて導くようになったんは、ルイメレクが死んだあとでね。そん頃から」


 両手に持つ毛織帽子をっと見おろすサリアタ様。

 だんだら模様の編み込みが、ゆがんでいた。


「そん頃から、ゾミナが、里で、寝起きするようになったんだな。それまでもしょっちゅう行き来はしてたんだがね。師をうしなって、独りになったわしを、そばでね。支えてくれよった。いつのまにやら、わしらは夫婦になっとったわ」


 そう言うと、おれを促し立ちあがった。

 桶は溢れていなかった。

 あとに続くと歩みの先は、湧口わきぐちから少し離れた断層の前。

 そこで足をとめ、黙って地面を見おろしたのだった。

 とくに気づけるもののない、ただの土の地面だったが。

 やがて老魔法使いの口から出た言葉に、はっとなった。


「この辺りなんだよ。せがれの墓」


 思い出す。

 書庫の現存を打ち明けられた、あの夜。

 ご夫婦には、夭折ようせつされたご子息がおられたこと。

 ゾミナ様が望まれ、産まれた男児も魔法使いで、しかも。

 魂の年輪がお二人より多く、人生の導き手であったと。

 稀有けうなその役回りゆえ、短命を覚悟しておられたとも。


せがれは体温が低くって、寝るときも毎日、靴下を履かせてた。そんで時々あくる朝、わしらに言うんだよ。また、靴下ひっくり返しお化けが出たって。起きたとき靴下のかかとんとこが上に回ってて、気持ち悪いと。靴下ひっくり返しお化けにやられたって訴える。本人の寝相が悪いんだけなんだけどな。その都度つどわしが、けったいな悪戯いたずらしてくるお化けもいるもんだっつって。三人でけらけら笑ってね」


 ご子息の墓と示された場所には……なにもなかった。


「森から、若木をいっぽん引っこ抜いて、ここに植えたんだ。墓標代わりにさ。したら、一年足らずで枯れてもうた。栄養が強すぎたんだろうな。真上に植えちまったから」


 湧き水の量の少ない日。

 遅い溜まりを待つ祈祷場での時間だった。

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