第64話:富と充足感、そして揺らぎ始める帰還への意志
フィオがスマホに施した術式は、あろうことか魔導ネットワークを通じてアヴェントリアに流通する全ての端末に一斉アップデートをかけてしまった。
街のあちこちで光の粒子が溢れ、空間に人影が投影されるたびに、悲鳴にも似た驚きの声が上がる。
「な、なんなんだぁ、この魔法はァ! 相手が目の前にいるみたいじゃないか!」
「凄い……これがあれば、離れた家族ともいつでも会える!」
持っていなかった者たちは喉から手が出るほど欲しがり、噂を聞きつけた同業者たちが販売権を求めて勇者ショップに押し寄せる始末だ。
マルコは額に汗を浮かべながらも、その商魂を燃やして対応に追われている。
まさに、アヴェントリアの歴史を塗り替える革命が起きていた。
この数日で、凛愛のもとには個人の資産としては到底あり得ないほどの巨万の富が流れ込んだ。
今、凛愛は魔界への準備を兼ねて、市場でショッピングを楽しんでいる。
「これ、可愛くない? ポーション入れる瓶なのに、香水瓶みたいにデコってある。こっちの魔力耐性のアクセも、ネイルの色と合っててマジ最高なんですけどぉ」
凛愛は鼻歌交じりに、目についたお気に入りのアイテムを次々と購入していく。
後ろを付いてくるミリナも、見たこともない額の臨時ボーナスを支給され、金貨が詰まった袋の重さに顔を引きつらせていた。
「て、店長……これ、本当にいいんですか? 私の給料の何十年分っていうか……もう、怖いくらいです!」
「いいのいいの! ミリナちゃんがいなきゃお店回らなかったし、これくらいドッカンと出さないと勇者ビジネスの代表として格好つかないでしょ?」
凛愛は笑ってそう言うが、自分でもドン引きするほどの金貨の量を前に、どこか浮世離れした感覚に陥っていた。
勇者ビジネスが、凛愛に関わる全ての人々を豊かにし、笑顔に変えていく。
元の世界では、ただ部屋でゲームをしているだけの、口数の少ないオタクだった自分。
対人恐怖症で、人見知りで、画面の中のステータスだけが友達だった自分が、今、こんなに誰かのために動けている。
誰かに必要とされ、感謝されている。
その事実は、凛愛の心にこれまでにない驚きと、深い充足感を与えていた。
(……あたし、今、マジで主人公してるかも)
ふと、市場の喧騒を眺めながら凛愛は思った。
楽しみにしていた修学旅行や、必死に取っていたネイルの予約。
部屋に溜まったままの積みゲー崩しや、義務のようにこなしていたログボ。
それら全てを合わせたよりも、この世界で過ごす一分一秒の方が、ずっと得難い経験に感じられる。
元の世界に戻るための条件は「人間としてトップになり、アザエルを認めさせること」。
けれど、条件をクリアして本当に帰るべきなのか。
今のこの居場所を捨てて、またあの「何者でもなかった自分」に戻るのか。
アヴェントリアの爽やかな風が吹き抜ける中、凛愛の「帰りたい」という切実だったはずの願いは、手に入れた幸福の重みに比例して、少しずつ、けれど確実に曇り始めていた。
買い込んだ戦利品をスクールバッグに詰め込み、ミリナに別れの挨拶を済ませたあと。
夕暮れに染まり始めたアヴェントリアの街を歩きながら、凛愛は自分の頭の上にいる小さな相棒の存在を意識した。
普段なら「バカ人間」と騒がしく鳴くはずのチュンペーは、ショッピングの最中からずっと黙り込んだままだ。
凛愛は人通りの少ない路地裏に入ると、立ち止まって恐る恐る問いかけた。
「ねぇ……チュンペー?」
髪の中に隠れている雀の温もりを感じながら、凛愛は言葉を選び、喉の奥に引っかかっていた本音を絞り出す。
「魔界でテッペン獲っても獲らなくても……もし、もしもだよ? あたしが帰りたくないって言ったら、どうする……?」
その問いは、風に流されて消えてしまいそうなほど小さかった。
元の世界では得られなかった万能感、必要とされる喜び。
それらが、帰還という当初の目的を塗りつぶそうとしている。
静寂が数秒続いたあと、髪の中からカサリと音がして、チュンペーがひょこりと顔を出した。
『契約が成された後の事は我にも解らん……この地に残れるのか、元の世界へ戻ってしまうのか、貴様の意思がどうであろうとな』
チュンペーの声は、夕闇に溶け込むように静かだった。
それは嘘偽りのない、この世界の理を司っていた者としての冷厳な事実だ。
『人界に絆された貴様が、魔界へ行かず、人間としての力を示さねば、アザエルは人界に攻め入るだけだ。そうなれば、貴様が愛したこの街も、その富も、全ては灰に還る』
チュンペーは一度言葉を切り、そっぽを向いたまま続けた。
『どの道、貴様が何を成さねばならんのか……答えは出ているだろう』
凛愛はその言葉を、知力12の頭脳で反芻した。
帰りたくない。
けれど、行かなければこの場所すら守れない。
今の自分に許されているのは、立ち止まることではなく、最速で駆け抜けて「トップ」に立つことだけなのだ。
凛愛は、何も言わずにチュンペーを撫でた。
その指先に伝わる羽毛の柔らかな感触と、小さな鼓動。
言葉で返す必要はなかった。
(帰りたくなくても……やるしかないんだ)
アザエルに認めさせ、この生意気な雀の呪いを解く。
その先に何が待っているのか、今はまだ誰にも分からない。
けれど、凛愛の瞳からは迷いの曇りが消え、勇者としての、そして「星凛愛」としての確かな光が宿っていた。
二人が路地を抜け、街の明かりの中へと戻っていく。
その背後で、ずっと様子を伺っていたセラフィナの使い魔が、闇に溶けるようにして消え去った。
現在のステータス
• 名前:星凛愛
• レベル:17
• 力:4
• 体力:4
• 素早さ:18
• 知力:12
• 魔力:13
• 運:10
• スキル:魔力感知、逃走の極意
• 状態:ショッピングで精神的充足だが…
• 状況:勇者ビジネスの成功により巨万の富を得る。内面に「帰還への迷い」が生じ始める。
• 精神状態:ここにいれば、あたしは『勇者』でいられる……でも、契約が終わったら……?




