第一話『隠れ里の激変と、爆速の女商人』
神のシステムを書き換え、エルディアの地下施設を後にした一行は、大図書館都市への帰路についていた。
荒野を走る四輪馬車の車内は、行きとは比べ物にならないほど穏やかな空気に包まれていた。数百万年分のデータ通信(呪縛)から解放されたアリルは、憑き物が落ちたような安らかな顔で窓の外を眺め、御者台のガルムは上機嫌に鼻歌など歌いながら手綱を握っている。
だが、そんな和やかな空気の中で、翔一だけは顔を引きつらせながら冷や汗を流していた。
(……ちかい。近すぎる)
翔一は無言のまま、ジリッと一バーム(約十センチ)ほど尻をずらし、隣に座る『彼女』から距離を取った。
すると、彼女――エルディアの地下から強引に連れ出した案内用アンドロイドの『サトー』は、端正で無表情な顔をみじんも動かさぬまま、スッと滑るように一バーム間を詰めて、再び翔一の肩にピタリと密着してきた。
翔一はもう一度、ジリッと離れる。
サトーがスッと寄ってくる。
無言の攻防を三回ほど繰り返したところで、ついに翔一は耐えきれずに声を荒げた。
「おい、近すぎるぞ。お前、ただの案内用プログラムで、感情も自律思考もねえんじゃなかったのか!?」
『……私はマスターの「専属アシスタント」として所有権を移譲されました。有事の際の即時対応のため、マスターの半径五十センチ以内での待機を推奨します』
「推奨すんな! 俺にはパーソナルスペースってものがあるんだよ!」
翔一が抗議しても、黒髪黒目のポンコツアシスタントはどこ吹く風で、微動だにしない。
その向かいの席では、リンネアが腕を組み、幌の隙間から外の景色を眺めながらツンとすました涼しい顔を作っていた。
だが、彼女の右手が握る護身用の短剣の柄が、コツン、コツンと不機嫌そうに膝を叩いている。あの一定のリズムは、彼女が苛立っているときの癖だ。
翔一は深いため息をつき、頭を抱えた。
神のシステムを掌握して特級代弁士になったというのに、悪徳弁護士の日常は相変わらず前途多難らしい。
数日後。
大図書館都市へ戻る前に、一行はタキタの隠れ里――かつてアリルたちを保護していた森の奥の集落へ立ち寄ることにした。
タキタが遺した翠玉石(エメラルドの結晶)。翔一はこれをタキタから「遺志」として託され、エルディアでの戦いのお守りとして懐に忍ばせていた。だが、神のシステムを書き換え、巫女の呪縛を完全に消し去った今、この石は彼女が千年かけて守り抜いた『里』へ還すべきだと考えたのだ。
問題は、里へ続く『迷いの森』の入り口だった。
以前訪れたときは、大図書館都市からエルディアへ向かう街道の中ほどにある泉の野営地にコクヨウと四輪馬車を置いて、そこから徒歩で深い森の中へ分け入るしかなかった。
「……おいガルム。コクヨウの機嫌はどうだ?」
「最悪だぜ。さっきからずっと大将の顔をにらみつけてる」
ガルムの言葉どおり、手綱を引かれたコクヨウが、翔一に向かって『ブルルルッ!』と荒い鼻息を吹きかけてきた。その漆黒の瞳は、「まさか今回も俺を置いていくつもりじゃないだろうな?」と無言の圧を放っている。
「分かってる、分かってるよ。だが、ここから先は四輪馬車じゃ通れ……ん?」
翔一は野営地の泉から森の奥へと続く景色を見て、言葉を失った。
以前は鬱蒼と生い茂った藪が広がり、ガルムを探すために徒歩でかき分けて進んだ方向だった。だが今は、その茂みが綺麗に切り開かれている。
いや、ただ切り開かれただけではない。森の木々を縫うように、四輪馬車がすれ違えるほどの幅を持った立派な『土の道』が、迷いの森の奥底へと真っすぐに伸びていたのだ。
「……なんだこれ。誰がこんな道を作ったんだ?」
「これなら、四輪馬車ごと進めますね」
リンネアがあっけにとられる中、コクヨウは「ほら見ろ」と言わんばかりにいななき、堂々たる足取りで森の道へと足を踏み入れた。
道を進んでいくと、以前と同じように、タキタが張った結界の残滓による濃い霧が立ち込めてきた。
だが、迷う心配は一切なかった。なぜなら――。
『隠れ里(洞窟)はこちら →』
ご丁寧にも、一定間隔で木製の『案内標識』が立てられていたからだ。
翔一は額を押さえた。秘境の神秘性もクソもあったもんじゃない。
「……おいおい、どこの観光地だここは」
「でも、すごく分かりやすくて助かるね!」
アリルが無邪気に笑う。
そのまま霧を抜け、里への入り口である洞窟に到着して、一行はさらに驚かされた。
以前は人が一人やっと通れるほどの獣道で、足場も最悪だった洞窟内部が、綺麗に平らに整地され、四輪馬車がそのまま通れるほどのトンネルに改造されていたのだ。
「……誰だ、こんな大掛かりな土木工事をやったのは。正典管理局の連中が見つけたら発狂するぞ」
翔一があきれ半分につぶやきながら洞窟を抜けると、そこには、かつての静かな「隠れ里」の面影はみじんもなかった。
すり鉢状の土地いっぱいに、システマチックに区画整理された巨大な農園が広がり、数十人の大人たちが汗を流して働いている。
「そこの畝はもっと等間隔に! 薬草の根が張るスペースをちゃんと計算してって言ったでしょ!」
農園の中心で、よく通る澄んだ声が響いた。
見れば、一人の獣人族の女性が、図面のようなものを片手に作業員たちへ的確な指示を飛ばしている。
翔一はその後ろ姿を見て、思わず目を奪われた。
(……おいおい、すげえナイスバディだぞ)
頭に生えた三角耳と、お尻で揺れるふさふさの尻尾。
だが、そんな獣人の特徴以上に、タイトな作業着の上からでもはっきりと分かる、メリハリのある抜群のプロポーション。スッと伸びた背筋と、細い腰からつながる豊満な曲線は、男なら思わず目のやり場に困ってしまうほどの『いい女』のそれだった。
(タキタの里に、あんな別嬪さんいたか……?)
翔一が鼻の下を伸ばしかけたそのとき。
気配に気づいたその女性が、クルリとこちらを振り返った。
「あ……っ!」
その顔を見て、翔一は息を呑んだ。
大人びた美しい顔立ち。だが、その黄金色の瞳には、どこか強烈な見おぼえがあった。
「ショーイチー!!」
別嬪さんが、飛び上がるような勢いでこちらへ向かって全速力で駆けてくる。
そして、遠慮もためらいもなく、翔一の胸に思い切りダイブしてこようとした――そのときだ。
「……む?」
翔一の真横に、スッと影が割り込んだ。
エルディアからずっとぴったりとくっついて離れない、白衣のアンドロイド・サトーだった。
「うおっ!?」
勢い余った美女は、サトーと翔一の間に挟まるような不格好な形で衝突し、柔らかく、そして暴力的なまでの『質量』が翔一の腕とサトーの肩を押し潰した。甘い匂いと、大人の女性特有の柔らかな感触に、翔一は完全にパニックに陥った。
「会いたかったよぉ、ショーイチ! 無事でよかったぁ……! って、あれ?」
抱きついてからようやく違和感に気づいたのか、美女が不思議そうに顔を上げ、翔一とぴったり密着している白衣の人物をまじまじと見つめた。
「ショーイチ、この人だぁれ?」
「お、おい! ちょっ、お前、誰だ!? 離れっ……!」
翔一が真っ赤になってジタバタしながら答えようとした、その瞬間。
無表情なサトーが、翔一より一瞬早く、抑揚のない声で答えた。
『サトーです。ショーイチ様の、パートナーです』
ピタリと。
その場の空気が凍りついた。
「ぱ、パートナー……?」
美女の黄金の瞳が見開き、狐の耳がピンと垂直に立った。
人間と精巧なアンドロイドの区別などつくはずもない彼女は、その言葉を完全に誤解した。
「え、えええええっ!? ショーイチ、け、結婚したのぉ!?」
「ちげえよ!! こいつはそういうアレじゃなくてだな!!」
翔一が慌てて否定する横で、背後から氷点下まで冷え切ったリンネアの声が降ってきた。
「ずいぶんとご満悦のようですね、翔一くん。右も左も熟した『紫蜜果』とは恐れ入りますが……特級代弁士様は、これから果物の品評会でも開くおつもりですか?」
「だから違ぇって言ってんだろ! てか、お前誰だ!?」
「……何をとぼけているんですか。ポポロですよ」
「はあ!?」
翔一は素頓狂な声を上げ、腕の中にいる美女の顔をまじまじと見つめた。
面影はある。間違いなくあるが……。
「お、お前……別れたときはまだ十四、五歳くらいの見た目だっただろ!? なんでそんないろんなところが成長しすぎてるんだよ!!」
翔一の絶叫に、ポポロは「えへへ」と悪戯っぽく笑って尻尾を揺らした。
「んー? ボクは先祖返りだからね! ショーイチたちと別れてから、ボク、いっぱい食べて、いっぱい仕事したから大きくなったんだよ!」
そう。こいつは生後半年で六歳児の姿になり、さらに大図書館都市の濃密な魔素(あるいは生体保存局での検査の影響)にあてられたことで、短期間で劇的な成長を遂げた先祖返りだった。
「……にしても、いくらなんでも極端すぎるだろ……」
翔一が頭を抱えていると、ポポロは腰に手を当てて、ふふんと胸を張った。
「それより聞いてよショーイチ! ボクね、ショーイチの手紙を読んですぐにこっちに向かったんだけど、もうみんな出発した後だったの。だから、待ってる間にちょっと『お仕事』しちゃった!」
ポポロの話によれば、大図書館都市で翔一からの手紙を受け取った彼女は、いてもたってもいられず、里を目指した。
だが、ただ泣いて追いかけるような子供では終わらなかった。彼女の中の『商売人(月光紙の元締め)』としての血が騒いだのだ。
彼女は、「効果絶大な魔法の薬草が手付かずのまま放置されている」という特大の商機を直感。自費で土木作業員を雇い入れ、里へのインフラを整えながら急行した。
最初は突然現れたヨソモノに戸惑っていた里の大人たちだったが、ポポロが自ら泥だらけになって働き、的確な指示を出す姿を見るうちに、いつの間にか彼女に「生産ラインの指揮」を全権委任するまでになっていたのだという。
「……ってわけで、今はボクがこここの生産ラインを仕切ってるの。ねえ、すごいでしょ?」
ポポロは誇らしげに笑った。
そこで、今まで沈黙していたサトーの瞳がかすかに発光し、ポポロが手に持っていた薬草をスキャンした。
『成分分析、完了。……旧人類の医療データと比較し、極めて高い薬効成分および細胞の活性化作用を確認。これを大都市の市場へ流通させた場合、年間で金貨数千枚規模の利益を創出可能と推算されます』
「えっ、ほんと!? やっぱりこの白衣の人、ただ者じゃないね!」
「……お前ら、いつの間にビジネスパートナーになってんだよ」
翔一はあきれながらも、立派な『女社長』へと変貌を遂げた教え子の姿に、目を細めた。
だが、その内心には一抹の痛みがよぎっていた。
獣人族――狐族の寿命は、本来約二十年。魔素の影響でこれほど急激に大人の女性へと成長したということは、残酷な言い方をすれば、彼女の「死」がそれだけ急激に近づいているということでもあった。
翔一は、そっとポポロの頭に手を乗せた。
「……ポポロ。お前、そんなに急いで大人になっちまって……寿命のほうは、大丈夫なのか?」
翔一の静かな問いかけに、ポポロはキョトンとした後、黄金の瞳をパチパチと瞬かせた。
「え? あ、うん。それがね、なんだか最近、すごく体が軽いんだ。前みたいに『無理して大きくなってる』って感じがしなくて……」
その答えを聞き、翔一はフッと息を吐き出し、最高に悪辣で、そして優しい笑みを浮かべた。
「そうか。……なら、うまくいったらしいな」
「え?」
「エルディアの地下で、あのポンコツ神様(AI)の規約を書き換えたときにな。『生体モデム(先祖返りの獣人)』へのデータ転送プロトコルを、システムから完全に消し飛ばしてやったんだ」
リンネアとガルムが、驚いたように翔一を見る。
「先祖返りの獣人が短命だった一番の理由は、知らず知らずのうちに大気中の魔素を処理させられ、脳と細胞がオーバーヒートを起こしてたからだ。システム側の『接続要求』が完全に消滅した今、こいつらの細胞がこれ以上異常な速度で摩耗することはねえ」
翔一は、ポポロの頭をぐしゃぐしゃとなで回した。
「それに、タキタが命懸けで作ったあの『薬草』もあるからな。システムからの干渉が消え、薬で魔素の暴走も抑えられたんだ。エルフほど長くはねえが、普通の人間と同じくらい……あと何十年も、たっぷり生きられる体になったんだよ」
その言葉の意味を理解した瞬間、ポポロの黄金の瞳から、ポロポロと大粒の涙がこぼれ落ちた。
「ほ、ほんと……? ボク、ショーイチたちと……ずっと一緒に、いられるの……?」
「ああ。急いで大人になる必要なんて、もうどこにもねえんだよ」
「うわあああああん! ショーイチぃぃっ!!」
今度こそ、サトーの壁を乗り越えて、ポポロが翔一の胸に泣きながらしがみついた。
神のシステムを書き換えた悪徳弁護士の帰還を待っていたのは――呪いから解き放たれ、爆速で成長を遂げた、最強のビジネスパートナーだった。
終章 第一話 完




