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118. 王都へ

 テントに朝日が当たり、イチカはふっと目を覚ました。横を見ると、イチカに背を向けてシオンがブランケットに包まりまだ眠っている。朝が弱い彼を起こさないようにそっとテントを出て朝日を浴びると、村の中の井戸から水を汲み、顔を洗って身支度を始めた。


 気持ちのいい朝だなあなどと小さな手鏡を持って外で髪を整えていると、ふと、自分の首筋がとんでもない状態になっていることに気付く。


「シーオーンー!?」


 イチカがテントの入り口をガバッと開けた。シオンがブランケットから出て、イチカの顔を見て青ざめる。


「あれ、イチカさんもしかして・・・ご機嫌斜め?」


 イチカは手鏡を持ってプルプルと震え、その顔は上気していた。シオンはまずい!という顔でその姿を見つめ、ゆっくりと目を逸らした。


「ちょっとこれはどういうこと!?こんなんじゃ外をまともに歩けないじゃない!!冬じゃないんだから首を布で覆うと暑いのよ!?」

「ご、ごめんって!だってイチカが昨夜あまりに可愛いことを言うから・・・」



 それは昨晩、テントで眠ろうとしていた時のことだった。


「シオン、おやすみ。」

「ああ、おやすみ。もう最近は寂しくなる夢は見ないのか?」


 すでに夢の世界に足を踏み入れていたイチカは、その言葉にぼんやりと返事をする。


「ううん、最近は、見ないよ・・・でも、シオンの夢なら・・・見てみたいな・・・」

「・・・イチカ、俺の忍耐力を試しすぎだろ!」


 そう呟いて眠ってしまったイチカにシオンが暴走し、その夜深く眠りについたイチカの首筋に赤い印をいくつも残した。そして翌朝それを鏡で見つけたイチカは、真っ赤になって現在絶賛ご立腹中という状況だ。


「ごめん・・・節度を守れず。」

「はあ。全くもう!しばらくテントは禁止ね!」

「・・・」


 朝からそんなやりとりで始まった二人は、いつものようにくだらないことで揉めながらも、シオンの決めた遠回りルートで着々と前に進んでいた。


 この道はグレイ領を通らずに王都に北から入る町に繋がるとのことで、どうやらシオンは多少遠回りでも安全に移動することを選んだようだった。


 そこは大きな街道から外れた山道で、以前ビビカナに向かった時に使ったあの最悪な道よりは幾分ましな道、とイチカは評価した。


 時期も時期なので山の中は虫も多く、イチカは途中で見つけた虫除けになる薬草を潰してガラスの小瓶の中に入れて水で薄め、腕のや首筋など、肌が出ている場所に薄く塗り込む。


 ちなみにイチカのあの首筋の赤みはあの後すぐ癒しの力で跡形もなく消し去ってしまったため、しばらくの間そこにシオンの寂しそうな視線が注がれていた。



「シオンも塗っておく?虫多いよね。」

「うん。・・・ねえイチカ、塗って?」


 シオンがその筋張った太い首筋をイチカに見せてくる。少し伸びた綺麗な薄茶色の髪が彼の首筋にかかり、男性らしい色気がイチカの目前に迫ってきた。その圧に押されながらもどうにか耐えたイチカは、頬を膨らませながらその薬草水入りの小瓶をシオンに押しつけた。


「こら!甘えないの!」

「ちぇ。」


 珍しくイチカに甘えてきたシオンを少しだけ可愛いなと思いつつも、色気に負けそうな自分が恥ずかしくなりふざけて突き放す。



 そんな普段通りの二人は休憩を挟みながらも順調に歩き続け、無事山を越えて予定通りにグレイ領の北側にある小さな町へとたどり着くことができた。


 もうすっかり暗くなってしまったその日は、宿を取って外で軽く食事を取り、すぐに部屋に戻る。


「さすがに疲れた・・・」


 イチカは宿の風呂から戻って着替えると、ベッドに吸い込まれるようにして倒れ込む。目を瞑って枕の感触を楽しんでいると、シオンが部屋にやってきた。


「シオン、どうしたの?」

「イチカごめん、もう寝るところだったか。」

「大丈夫。何か話があるんでしょ?」

「ああ。明日、ここから南下して王都に入る。もしかしたらエレノアさんに会えるかもしれないけど、イチカはどうしたい?」


 特に何の感情も含まずそうさらっと話す彼を見ながら、イチカはしばらく忘れていたあの不安が心の中で燻り出すのを感じていた。


「えっと、お世話になった方だし、ご挨拶はしておいた方がいいとは思うんだけど、でも・・・」

「そうか。まあ乗り気じゃないのに無理にお願いする必要もないよな。じゃあ今回はいいんだな。・・・ところでイチカ。」


 シオンがふいにイチカの頬に触れる。ビクッとしてシオンの顔を見つめると、シオンの表情がすうっと無表情に変わっていく。


「何か俺に隠してる?」

「え?」

「出発した日からなんかおかしい。何を隠してる?」


 イチカはあえて目を逸らさず、じっと彼の無表情な顔を見つめながら小さく首を振る。


「何でもないよ。」

「イチカ。エレノアさんとはもう何も無いんだ。」

「!」


 そこで初めて、イチカはシオンに泳がされていたことを理解した。


「どうして言ってくれなかったんだ!心配ならそう言ってくれればよかったのに。俺はお前以上に大事な人はいないし、これからもっと二人の関係を深めていきたいと思ってる。だからこんなところで立ち止まりたくはないんだ!」


 彼のその言葉は、イチカの小さな不安などあっという間に吹き飛ばしてしまう。申し訳なさと恥ずかしさが入り混じった気持ちでシオンに向き合うと、イチカは言いにくそうに本音を打ち明けた。


「シオン、ごめんね。実はあの日、エレノアさんの家のリビングで見た二人の姿が、ずっと目に焼き付いて離れなかったの。だからその名前をあなたから聞くだけでも本当は嫌だった。でもそんな大人げない自分は」

「大人げないイチカも、愛してるから。」

「シオン・・・」


 イチカをそっと腕の中に引き入れたシオンは、顎をイチカの頭の上に乗せてゆっくりと話す。


「お互い嫉妬深いからさ。これからだって嫌な気持ちになることはあるかも知れない。極力そうならないようにはする。でもどうにもならないことだってあるだろ?だから俺は嫉妬はすぐにイチカにぶつけてきたし、イチカにもそうしてほしい。」


 あの嫉妬深い彼がそんなところまでイチカのことを考えてくれているんだと知り、心の中がほわっと温かくなっていく。


「うん、わかった。じゃあお願い、エレノアさんにはもう会わないで。できる限りでいいから。」

「わかった。イチカの言う通りにする。」

「うん。」


 そしてシオンはイチカの両腕をそっと掴みながら上半身を離した。イチカが顔を見上げようとしたその時。


「え、わっ!?」


 シオンが、そのままの体勢でイチカを押し倒すようにしてベッドに倒れ込む。


「ちょっと!?」

「可愛い、イチカ・・・ねえ、節度ってどこまで守ればいい?」

「もう、バカ!ベッドに押し倒すのはその時点で節度なんて守れていないのよ!!」

「はああ。お父上にご挨拶しちゃったし、仕方ないか・・・」


 シオンの情けない声が耳元で聞こえて、イチカは思わず笑ってしまう。


「ふふ!そうだね。でもそんな焦らないで。だって私達もうずっと一緒にいるって決めたじゃない。ね?」

「イチカ、そういうところだよ。いつも言ってるだろ?煽るなって!」


 そしてイチカの目の前にシオンの顔がグッと近づく。イチカはそっとその首に手を回した。


「だって、シオンを愛してるから。」

「ほらまた!そうやって俺を翻弄する。もう、何も言うな。」


 シオンの顔はもう見えない。そして二人はお互いの唇の柔らかさに、その日もまたじわじわと溺れていった。




 翌日は小雨が降る中の移動となり、二人は特殊な樹液を染み込ませてある水を弾くレインコートを羽織って、王都への道をのんびりと進んでいた。


 今回通る山の中の道は前日とは打って変わって、整備されていてとても歩きやすい。だが雨で足元が滑りやすくなっているため、時々シオンに支えられながら先へと進む。


 峠を越えた頃にようやく雨が上がり、レインコートから水を払ってさらに少し先の見晴らしの良い場所まで歩いていくと、そこには見たこともないほど大きな都市が広がっていた。


「もしかしてあれが王都?」

「ああ。あの特に高い二つの塔があるところが王城だよ。」

「美しいけど・・・何だかちょっと怖い。」


 イチカがそう言いながらその景色を見下ろしていると、シオンがそっと近寄り、後ろからイチカの髪を撫でた。


「俺がいるから、心配するな。」

「うん。」


 低く雲が残る王都を見つめながら、ここでこれからやるべきことを頭の中で整理していく。


(まずは通行証、そして父の知り合いの教授に会う。一つずつ確実にミッションをクリアしていかないと!)


 そんなやる気に満ち溢れたイチカだったが、どんな世界でも人生とはままならないものだと知るのは、そう先のことではなかった。


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