115. 未来への一歩
誕生日の翌日、イチカは珍しく二度寝をしてしまい、しっかり目覚めたのはすでにお昼近い時間帯だった。
いつもの服に着替えて廊下に出ると、シオンとそこでばったり出くわす。
「おはよう、イチカ。」
「お、おはよう?」
「なんだよ、なんで疑問形?」
「だってもうお昼近いし・・・」
「はは、だいぶ眠かったみたいだな!昨夜、寝られなかったのか?」
シオンの言葉にイチカは少し頬を赤らめて黙ってしまう。
「・・・イチカ。そんな顔すると今すぐ昨夜の続きをするけど。」
「こら!またそうやって調子に乗る!」
「いいだろ?もう正式に俺達はそういう関係になったんだから!」
「そ、そうだけど、昼間冷静になるとちょっと・・・」
その言葉にシオンが瞬時に顰めっ面になる。
「はあ!?今更あれは無かったことに、とか言うつもりか!?」
「違うわよ!そうじゃなくて、昔の私がつい出てきちゃうのよ。こんな若い子と、とか余計なこと考えちゃうの!」
シオンがその顔のままスッとイチカに近寄る。
「もしお前が俺よりずっと年上でも、絶対に俺はお前を好きになってたと思う。だからそんなこと大したことじゃないし、実際今のお前は十七歳なんだから、それでいいだろ?」
「シオンはどうしてそう私が嬉しいと思うことを言ってくれるの?」
「愛してるから。」
「・・・うん。」
そうして優しい表情に戻った彼の唇が、ほんの一瞬イチカの唇に触れて離れていく。
「続きはまた後で。今日あたりレオンとエリアスさんが来るかもしれない。来たらまた呼びにくるよ。」
「う、うん。わかった。」
シオンはそう伝えるとイチカの頬にそっと手で触れてから部屋に戻っていった。イチカは照れて熱くなったその頬を自分の手で冷やしながら、階下に降りて父を探した。
玄関ホールに出ると、マシュートがちょうど外から戻ってきたところだった。屋敷の外にある別棟に個人宅とは思えないほど大きな図書室があり、連日そこにこもっていた父がどうやら何か見つけて戻ってきたようだった。イチカはすぐに父に声をかける。
「お父さん、今日も図書室にこもってたの?」
「ああ、イチカ。そうだよ。ちょうどよかった!ちょっと話したいことがあるんだ。この後お父さんの部屋においで。ああ、ファルシオン君も連れてくるといい。」
「うん、わかった。」
イチカは本を持ってゆっくりと階段を上がっていく父を見送ってから、キッチンでメイドの一人にパンと飲み物をお願いし、こっそり部屋に持ち帰る。
起床して早々にお腹を空かせたイチカは、そのパンで小腹を満たしてからシオンを誘って父の部屋へと向かった。
「待ってたよ。さあ中に入って。大事な話があるんだ。」
マシュートに勧められるままソファーに二人並んで座り、マシュートは目の前に椅子を運んでそこに座った。そしてテーブルの上に比較的新しく、大きな本を広げだす。
「お父さん、これは?」
「イチカ、ここを読んでごらん。」
「・・・トライディア、聖人を保護する国?」
「ああ。ここから南東の方角に海を越えていくと、大きな島国があるんだ。そこは閉ざされた国だが、とても平和で経済も食物事情も安定していると聞く。そして今イチカが読んでくれたように、この大陸にある国々と違って聖人は保護対象になっていて、権力はないけれどとても大事にされているらしい。」
イチカは目を大きく開いて驚いた。これまで迫害されてきた歴史や現状しか知らなかったイチカにとって、この世界に聖人を大事にしている国があるのだと言う事実は信じられないものだった。
「そんな国が存在するのね・・・でも、他国、しかも海の向こうの国なんてとても行けそうにないじゃない?」
「もちろん移住しようという話ではないよ。ただ、この王国の国王は、トライディアの国王とかつて親交があったらしいんだ。」
「そう、なんだ。でもそれが?」
マシュートは本を閉じながらイチカに微笑みかける。
「もしこの遠い島国に行って国王陛下とお会いすることができれば、そして今この王国で起きている異常事態と窮状についてお話ができれば、可能性は限りなく低いが何らかの助けを求めることができるかもしれない。」
イチカはシオンと顔を見合わせて黙りこむ。
「イチカ。無謀なことを言っている自覚はあるよ。それでも聖人のお前なら、もしかしたらトライディア王国の国王陛下にお会いすることができるかもしれない。そして現状を打破するきっかけをほんの少しでもいただければ、この王国、いやひいてはこの大陸が抱えている問題を一挙に解決できるかもしれないんだ。」
「お父さん・・・」
シオンはしばらく腕を組んで考え込んでいたが、ふっと顔を上げてマシュートに問いかけた。
「アースラール様、ですが確かこの王国は今他国との交流をかなり絞っていると聞いたことがあります。どうやってトライディア王国内に入ろうとお考えなのですか?」
マシュートは小さく唸った後、苦しげな表情を見せる。
「確かに、他国との貿易も交流自体もほとんど行っていない特殊な王国ではある。だが通行証を手に入れて王都から出ている研究者用の船に乗り込めれば、可能性はある。」
「研究者、ですか?」
「ああ。私も何名か送ったことがあるんだが、あの王国では純粋に学問的な研究をするための人材であれば受け入れ可能なんだ。ただし人物の調査は慎重で、誰でもいいというわけではない。」
イチカは首を傾げる。
「研究内容はどんなものでもいいの?」
「そうだなあ、技術的な研究をする者は拒否されることが多かったな。純粋な文学、数学、植物の研究などをしている者達は受け入れ体制が整っていた。」
「うーん。でもそう簡単に研究者になれるわけでもないし、すぐにどうこうっていうのは難しそうね。」
マシュートは微笑みを浮かべてイチカを見る。
「お前の前世の知識を活用すれば、無理ではないかもしれないよ。特に植物の知識なら、誰にも引けを取らないだろう?」
「えっと、そうかな?」
(大学では確かに生物を専攻してはいたけど・・・この世界の植物とは違うものが多いし、あの頃の知識なんて役に立つのかしら?)
そう考えながらも少し照れつつ、父からのストレートな賛辞を受け取る。
「まあ確かに今すぐ、というのは難しいだろう。まずは私が王都にいる昔の学者仲間に連絡を取ってみるよ。難しいかもしれないがどうにかして王都に入り、その人の推薦をもらってかの王国に入り込む。多少時間はかかっても、このままここで匿ってもらって動けずにいるよりはましだろう。」
イチカとシオンは二人同時に頷いた。
「もしイチカが向こうに行けることになったら、ファルシオン君は護衛として付き添えるよう私が推薦状を書いておく。心配はいらないからね。」
「お父さん、ありがとう!」
「ありがとうございます!」
長期戦になることは承知の上で、イチカはどうしてもその案に賭けてみたいと、何か予感めいたものを感じ始めていた。
マシュートの部屋を出ると、すぐに廊下でシオンと相談し合う。
「イチカはどうしたい?」
「そうだなあ、時間はかかると思うけど、やってはみたい。単に守護騎士に対抗できる力をつけたところで、お互いに危険人物として争い合うだけになってしまうし、根本的に問題を解決していかないと例の塔から聖人達を解放することはできないと思うから。」
シオンも廊下の壁に寄りかかりイチカに優しく微笑んで言った。
「そうだな。じゃあ始めてみるか!まずは王都に行って通行証を手に入れよう。そしてお父上の知り合いの研究者に会う。」
「そうね。並行して私自身の力もつけていきたい。やらなきゃいけないことは山ほどあるけど、シオン。」
イチカはシオンの手を握った。
「何、イチカ。」
「ついてきてくれますか?」
シオンはその手をふんわりと両手で包み込む。
「当たり前だろ。俺はお前だけの守護騎士になったんだから。」
「うん。よろしくお願いします。」
「こちらこそ。」
そう言って二人で微笑み合い、名残惜しい気持ちを互いに残したまま、そっと手を離してそれぞれの部屋に戻った。
「王都に行くのか・・・不安だけどシオンが側にいてくれるなら、できる限り頑張ってみよう。」
イチカはいつでも旅立てるようにと、最近開いていなかったリュックを広げ、早速荷物の整理を始めていった。




