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113. ハルバートの罠

「グレイ様、本当に宜しいのですか?」


 ハルバートの執務室では、今小さな会議が開かれている。


「構わないよ。今は放っておけばいい。もう種は撒いたんだ。あとはじっくり花開くのを待てばいいだけだよ。」

「ですが、あちらにはファルシオン様もいらっしゃるのでは・・・」


 ハルバートがふっと笑う。


「それも織り込み済みの計画だから問題ない。それよりも、頼んでおいたことは調べてくれたのか?」

「はい。こちらが報告書になります。」


 無言でそれを受け取り、ハルバートは背もたれに深く寄りかかった。


「・・・なるほど。」


 部下の一人であるエドガーはハルバートの右腕としてここ数年ほぼどこに行くにも彼に同行している。そしてイチカとも面識がある。だからこそなぜハルバートほどの地位も権力もある男が、あのまだ若く貴族でもない娘に入れ上げているのかエドガーにはさっぱりわからなかった。


「グレイ様、あの娘はいったい何者なのですか?」


 ハルバートは持っていた書類から目を上げてエドガーを見る。


「彼女は記録上、三百年ぶりに現れた、生まれながらの女性の聖人だ。」

「え?それは、本当ですか!?」

「ああ。ケンドル達に調べさせた。ファルシオンが懇意にしていた例の魔女に薬を飲ませて白状させたよ。髪色は変えているようだが、聖人の力を持っていることは間違いない。」

「そう、だったのですね。」


 ハルバートはその右腕とも言えるような部下といえども、全ての情報を明かしてしまうことはない。どこかに壁があり、完全な信頼を誰に対しても持つことはないのだろう。


「エドガー、この件は最初はプライベートな話だったんだ。君に伝えなかったのはそういう理由だよ。だが今は違う。」


 まるで自分の気持ちがわかったかのようにそう話すハルバートを見て、改めてやはり怖い方だ、とエドガーは感じていた。


「彼女を・・・塔に連れて行くおつもりですか?」


 ハルバートは優しい微笑みを見せる。


「いや。将来的には私の妻にするつもりだよ。」

「・・・承知いたしました。」

「そのためにも君にはしっかりと予定通り動いてもらわないといけないんだ。ファルシオンに多少なりとも対抗できるのは、私以外は君くらいだろうしね。」


 エドガーはその言葉に眉を顰める。数年前、自分より四つも年下の彼に、剣技の練習試合で全く歯が立たなかった記憶を嫌々引き摺り出した。


「あの頃は、全く相手にもされませんでしたが。」

「今は十分対抗できるだけの力をつけたのではないかな。」

「はい、そのように自負しております。」

「頼むよ。君の力が必要だ。」

「はい、承知いたしました。」


 ハルバートはそう言うと書類を机の上に置いて立ち上がり、使用人を呼ぶベルを鳴らした。


「お茶を淹れさせよう。これからのことについて君ともう少し話しておかなければいけないことがある。」


 エドガーはあの日温かい朝食を出してくれたまだ少女とも言える年頃の彼女を思い出し、これから自分がしなければならないことを思い、微かに胸が痛むのを感じていた。



 ― ― ― ― ―



 イチカはジャルデン家の夕食という名のほぼ正式な晩餐会に招かれ、胃が痛くなりそうな緊張感の中、なんとか食事を食べ終えた。


(うう、絶対美味しかったはずなのに、なぜか食べた気がしない・・・)


 いつものイチカなら「最高に美味しい!」とにやけている時間だが、今は味のしなかった食事を思い返してどんよりとした気持ちになっていた。


「イチカ、どうした?」


 シオンが廊下で疲れた顔をしているイチカに声をかけてきた。だがイチカはいつものような笑顔を彼に向けることはできなかった。


「なんだよその顔!?」

「いやいやあなた達こそなんなのよ!ジャルデン様もミレイナ様もお父さんも、シオンだって!全員貴族貴族し過ぎていて息が詰まったの!!華やかで気品あふれる雰囲気の中、唯一の味方だと思っていたシオンにまで裏切られて・・・もうだめ。」


 イチカは壁に寄りかかるようにぐったりする。


「はあ?別にいつも通りだっただろ?みんなイチカに打ち解けてたし、イチカだって、その、すごく綺麗で、所作も美しくて、馴染んでたじゃないか!」


 正装に身を包んだシオンの破壊力はイチカが目のやり場に困るほどで、持って生まれた貴族の気品と彼自身のスタイルの良さが合わさり、食事中終始落ち着かない気持ちで座っていたイチカだった。


「だってシオンが・・・いつもと違いすぎて。」


 その言葉にシオンがニヤッと笑う。


「・・・ふうん。見惚れてたんだ?」


 イチカはそんなシオンを見返したくてジロっと睨む。


「そうよ、って言ったらどうする?」

「!」


 シオンの顔が驚きを映し出した後、仄かな赤みを帯びた。


「キスしたくなる。」

「バカ!」


 イチカはシオンから離れ、照れて動けなくなった彼を廊下に置き去りにしたまま、自室に戻った。




 翌日からジャルデン家の警備はより物々しくなっていき、イチカ達は時間を作っては今後の対策を考えていった。マシュートはジャルデン家の巨大な図書室にこもってヒントを探し、イチカはシオンと共に聖人の力を使う訓練を続けていく。


「イチカ、俺には効かないんだからもっと強くやっていいんだぞ?光も見えないし。」


 イチカはシオンの手を握りながら防御の力を出す練習を繰り返しているが、どうしても思いっきり力を出すことが怖くて全力が出せない。


「わ、わかってるけど怖いんだって!」

「はあ。まあ気持ちはわからないでもないけどさ。慣れてきてはいるけどまだ俺が昔会ったことのある聖人達ほど力が出ていない気がする。強く力が発揮されると俺達にも光が見えるからな。それに、イチカが目指しているのはその先なんだろ?」


 イチカはシオンから手を離して少し俯く。


「うん。エリアスさんに聞いたの。岩を爆発させるみたいにして戦った人もいるって。でも今私ができる方法はあくまでも防御だし、守護騎士達には通用しない。だからどうにかして彼らから一人でも身を守れる方法を見つけたいの!というか、逃げられるような隙を作りたい!」


 シオンは離れたその手を捕まえて再び握る。そして真剣な目つきでイチカを見つめる。


「イチカ。俺はもう、お前を一人にするつもりはないよ。」

「わかってる。でもあのお祭りの時みたいなこともあるかもしれない。もう、あんな思いはしたくないから。」

「イチカ・・・すまなかった。」

「謝らないで!あなたが悪いわけじゃない。ねえ、シオン。」


 イチカは上目遣いでシオンを見つめながら言った。


「残っている秘密はいくつあるの?」

「あと、三つ。」

「そっか。ファルシオン、が本名なんだよね。」

「ああ。でも、お前には『シオン』って呼んでほしい。もう前の名は捨てたつもりでいるから。」

「わかった。」


 シオンは笑顔を見せると握りしめた手を振った。イチカは今二人が座っているソファーの柄を見つめてから、再びシオンの顔を見る。


「ほら、もう一回やろう。もっと本気を出していい。俺には・・・何も起きないから。」

「うん。」


 そしてイチカは今度こそと気合いを入れて、全力で力を放つ。


「お、その調子!今光が見えたよ!」

「だいぶ眠くならなくなってきたし、力も強く出せるようになってきたわ。私が後できることと言ったら・・・やっぱり魔女の力だよね。」

「そうだな。また機会があればエレノアさんにも協力してもらって、魔女の力と組み合わせていくのがいいかもしれないな。」

「・・・うん。」


 シオンは今の思いつきに夢中になっていて、その時のイチカの表情が少しだけ曇っていたことに気づいてはいなかった。


「シオン、今日はこれで終わりにしよう?ごめんね、色々付き合わせて。」

「え?ああ、いいさ。俺はイチカと一緒に居られればそれで。」


 シオンはそう言ってイチカの手を離し、優しく微笑んだ。イチカは曖昧な微笑みを返した後すぐに立ち上がり、「じゃあちょっと休むね」と言って慌ただしく片付けを始め、練習をしていた応接室を離れた。


「イチカ?」


 シオンは何が起きたのかよくわからないまま、一人残された応接室で、ぼんやりとイチカが去ったドアを見つめた。



 そして二人にはもうすぐ、あの約束の日が、迫っていた。


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