112. ミレイナとの出会い
その日の夕方、イチカが本を読みながら部屋で寛いでいると、再びノックの音が響きドアを開けた。
「シオン?どうしたの?」
「イチカ、紹介したい方がいるんだ。」
「え?」
そしてシオンが後ろにさがり、廊下から二十代半ばに見える美しい女性が現れた。華美ではないが、彼女の隠しきれない華やかさを引き立てる上品な菫色のドレス、丁寧にまとめ上げた金色の髪、そして吸い込まれそうなドレスと似た色の瞳・・・
イチカはその姿に思わず見惚れてしまい、挨拶もできず固まってしまった。
「イチカ?大丈夫か?」
「・・・」
その女性はゆったりと微笑みを浮かべると、イチカを見て話し始めた。
「あなたがイチカさんね。だいぶ前に道端でお見かけしたけれど、こんなに可愛らしい方だったのね!シオンも隅に置けないわ。」
「ミレイナ様、からかわないでください。イチカ、この方がミレイナ・ジャルデン様。ジャルデン様のご息女で、エリアスさんを探してくれという依頼を出された方なんだ。」
「ああ!あの方!!は、初めまして、イチカ・フィオレイナ・アースル、いえ、アースラールと申します。今回はこうしてジャルデン様に助けていただいて、本当にお礼のしようもございません!」
ミレイナはまあ!と言って目を丸くしてからフフっと笑う。
「なんて可愛らしいのかしら!イチカさん、どうかそんなに畏まらないでちょうだい!シオンにはちょっともったいないくらいの良いお嬢さんね。ねえ、私がもっと素敵な殿方を紹介しましょうか?」
「ミレイナ様!?」
シオンが慌てて話に割り込んでくる。ミレイナは横目でそれを見てからまた悪戯っぽく笑い始めた。
「うふふ!なあにシオン、そんなに動揺しちゃって。冗談よ!幼馴染なのにいつまでもミレイナ様なんて言うから、ちょっとからかっただけよ。」
「お二人は幼馴染なのですか?」
「ええ、そうなの。ねえ、ファルシオン?」
「はあ。ミレイナ、頼むからイチカの前ではやめてくれ。」
「ふふ!私の方が歳は二つ上なの。ハルバートと同い年。まあ最近は会っていないけれど。」
イチカはその名を聞いて青ざめる。シオンはそれに気づき少しだけイチカに近づいた。
「イチカ・・・」
その様子を見てミレイナがイチカに近づいて真剣な顔で向き合った。
「イチカさん、エリアスさんを見つけて下さって本当にありがとう。」
「ミレイナ様・・・」
シオンがスッとイチカから離れ、ミレイナはイチカの手を取る。
「それとハルバートのこと、あなたにお話しなければいけないことがあるの。ファルシオンは話しにくいようだから。」
「え?」
ミレイナに手を引かれ部屋の中のソファーに座る。ミレイナもイチカの手を持ったまま隣に腰かけ、鎮痛な面持ちで話し始めた。
「ハルバートはファルシオンとは異母兄弟なのだけれど、彼がグレイ家にやってきたのは十六歳の時だったの。」
「え?そうなんですか?」
「ええ。ファルシオンと私はもうその頃には幼馴染としてよく我が家で遊んでいて、仲も良かったわ。でもハルバートは正妻の子では無かったから、ずっとファルシオンとは離れて暮らしていたの。しかも、かなり貧しい生活をしていたみたいね。」
シオンが窓に近寄り、外を眺め始めた。
「だけどファルシオンのお母様がお亡くなりになって、彼と彼のお母様がグレイ家にやってきた。本来であれば無理に彼を連れてこなくても良かったのかもしれない。ファルシオンは順調に騎士としての才能を開花させていたし、当時はまだ跡を継ぐことに何の疑念も抱いていなかったから。それなのに彼のお父様は二人を本宅に呼び、後継はハルバートにする、と周知し始めたわ。」
「どうしてそんなことになったのですか?」
ミレイナは一つため息をついてから続けた。
「どうやらファルシオンのお父様はその頃、本妻である彼のお母様よりも、ハルバートのお母様の方をより深く愛していたみたいなの。それとハルバートには人の心を動かす才があった。貴族としての力をより強めていくなら、彼の方が適任だと考えたのかもね。だからファルシオンのお母様が亡くなった時、これ幸いと二人を屋敷に引き入れた。」
「そんな・・・」
イチカは遠くを見つめるシオンの後ろ姿を見つめた。どれほどの思いで彼はその状況を受け入れたのだろうと思うと、胸が痛む。
「でもね、最初はわだかまりのあった二人も、次第に仲良くなっていったの。ハルバートのお母様はお優しかったみたいだし、ハルバートもファルシオンには心を開いていたから。そのうちに三人で遊んだり勉強したりもするようになって、私はそれがとても嬉しかった。だけど・・・」
ミレイナが言葉に詰まる。するとシオンが振り返って代わりに話しだした。
「三年後、俺が十七歳の時、あの男の母親が亡くなったんだ。しかもある聖人が助けてくれるはずだったのに、助からなかった。」
「どういうこと!?」
シオンは窓枠に手をかけながら目を逸らす。
「当時、兄には信頼していた聖人が一人いたんだ。その頃にはもう彼らを幽閉する塔はあったけどそこまできつい環境ではなかったから、兄はよく父に連れていってもらってはその優しい聖人の男性に仲良くしてもらっていたらしい。父は跡を継がせるための勉強のつもりだったみたいだけど。しばらくしてあの男の母親が病に倒れた時、その人は必ず助けると兄に約束した。なのに、結局彼女は助からなかった。」
イチカはその意味がよくわからず、眉根を寄せる。
「でも、それってもう病状がどうにもならなかったとかそういう・・・」
「違う。その聖人は当時相当強い癒しの力を持っていたはずなんだ。だから守護騎士でもない彼の母を治せないはずはなかった。でも、駄目だった。」
イチカはふとエリアスに教えてもらったことを思い出す。
「それってもしかして、お母様に治す意思がなかったからってことはない?」
「ある。いや、ほぼ間違いなくそうだと思う。なぜならその時父はまた別の場所で、別の女性と生活し始めていたから。」
「・・・」
「俺の母も、同じ理由で自ら命を絶ったんだ。」
「そんな!?」
そこまで話して黙ってしまったシオンに、イチカはもうかける言葉が見つからなかった。そんな二人を見かねて、ミレイナが口を開いた。
「だけどその時のハルバートには、母の死も、その事情も受け入れることはできなかったのね。だから結局その恨みの全てが聖人へと向かい、彼は守護騎士を統括する立場に就いた後、お父様よりも積極的に聖人を追い詰め、幽閉し、彼らの家族も自由も尊厳も奪っていった。本当に恨むべきは、彼のお父様だったはずなのに。」
イチカはハルバートの狂気の意味をようやく知ることができ、そしてその重過ぎる事実にただ放心するしか無かった。
「今塔にいる十人の聖人と彼らを補助する生き返りの準聖人達は、各地の貴族達の癒しのため、戦に赴いた兵士達の癒しのために、守護騎士達の監視下で体を酷使しながら働かされている。いくら自分の力で体を癒せても、心は傷ついていくばかりなのに・・・私はね、イチカさん。エリアスさんにも、あなたにも、もう誰にもそんな目にあってほしくないの!」
「ミレイナ様・・・」
彼女の強い思いは、イチカの胸にじわじわと染み込み、その細く華奢な手を握り返した。
「私ができることは何かありませんか?」
「イチカさん!?」
「イチカ!!何を言ってるんだ!?」
二人がイチカのその言葉に気色ばむ。
「あなたは隠れていなければならない身なのよ?」
「イチカ、これまでの話とは訳が違う。もうお前はあの男に確実に狙われてるんだ!何ができるとか、そんな次元の話じゃない!!」
「だとしても、私はできることがしたい。私は、そのためにこの世界に生まれてきたんだって、今はそう思えるから。」
イチカのその言葉は、二人の顔色を変えた。その部屋に音のない時間が数秒流れていく。
「シオン、私わかったの。どうしてここに来なければならなかったか。シオンや、ハルバート様と出会わなければならなかったか。ハルバート様が言っていたわ。この三百年、女性の聖人は現れていないって。だとしたら、私にしかできないことがあって今ここにいるんだと思う。それが何なのかはまだわからないけど、私はそこから逃げるわけにはいかない。」
シオンがイチカの側に近寄る。ミレイナがイチカの手を離し、ソファーから立ち上がった。シオンがその場にひざまずき、イチカの手を取る。
「イチカ、それなら俺はお前だけの守護騎士になって支え続ける。それがきっと本来の聖人と守護騎士のあり方なんだと思う。だから俺を、ずっとお前の側に置いてくれ。頼む。」
そう言ってイチカを見つめるシオンを、イチカもまた微笑んで見つめ返した。
「嫌だって言ってもいつも側にいるじゃない!バカね、シオン。」
「ああ。絶対に離れない。」
そうして二人が微笑み合っていると、ミレイナがはああ、とわざとらしくため息をついた。
「はいはい、ご馳走様。ファルシオン、エリアスさんを早く私のところに連れてきてちょうだい!自分ばかり幸せになって!恨むわよ。」
ミレイナが本気で睨みを効かせると、シオンが慌てて立ち上がって弁解する。
「すまない、遅くなっていて!たぶん数日以内にレオンが連れてくるはずだ。もう少し待っていてくれ。」
「仕方ないわね、わかったわ。さあ、今日はもうこの後夕食の時間になるから、ファルシオンも部屋に戻って着替えなさいな。イチカさん。」
イチカは立ち上がって返事をする。
「はい!」
「あなたの決意はよくわかったわ。これからどうすべきか、皆でしっかり考えて動きましょう。あなたもエリアスさんも、幸せになれる方法を。」
「はい!!」
そうしてミレイナはイチカから離れるのを渋るシオンの服を引っ張って、無理やり外に連れ出した。
「二人とも、まだ二人っきりは早いわよ。ゆっくり育んでいきなさいな。少なくとも私より後にしてちょうだい!」
そう言ってミレイナは悪戯っぽい笑顔をイチカに残し、部屋を出ていった。
「私にできること・・・なんだろう?」
イチカがふと窓の外を見ると、大きく橙色に滲む夕日が遠くの山の向こうに沈んでいくところだった。イチカはその光景を目に焼き付けながら、自分自身の宿命に向き合う時が来たことを、重く受けとめていた。




